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2007年9月

2007年9月30日 (日)

ゴリラ

今日はブラッサンスの第2弾で、名曲「ゴリラ」。

Georges Brassens - Le gorille

ちょっとエッチで痛快な死刑廃止のアピール・ソング。
直球でぶつけるのではなく、ユーモアでくるんだ滑稽譚になっています。こういうエッチで豪快な滑稽譚はゴロワズリーといって、「ガルガンチュア~パンタグリュエル」の作家ラブレー以来の伝統。(フランス・タバコのゴロワーズは関係ありかも) それをステージでまじめくさった顔で歌うので、かえって笑いを引き起こしたそうですw

  太い格子ごしに
  土地の小母はんどもが
  見つめていたのは逞しいゴリラ
  何と言われようと気にもとめず
  恥ずかしがるどころか このおかみさん達
  しかもある決まった一点に横目を使っていた
  そこは僕の母さんがきびしく
  口にするなと禁じてた場所
  ゴリラにご用心

  そのハンサムなゴリラが住んでいる
  閉まってた檻が
  うまく閉まってなかったのか
  突然開いて
  ゴリラが檻を出ながら
  今日はあれを失くしちまおうかと言った
  あれとは童貞のことらしい
  皆さんのお察しどおり
  ゴリラにご用心

  飼い主の親爺が
  取り乱して叫んだ こりゃまた
  困ったこった だってこのお猿さん
  まだ雌を知らんのだから
  女どもはゴリラが童貞なのを
  知るやいなや
  絶好のチャンスに見切りをつけて
  あたふたと駆け出した
  ゴリラにご用心

  ついさっきまで特に物欲しげな目付きで
  奴を見ていた女どもまで
  妄想はもうこれっきりと
  逃げ出した
  で彼女等の気がかりはフイになったわけ
  ゴリラの抱きしめ方は
  人間の男よりずっとすごいとか何とか
  それは女達がメシより好きな話
  ゴリラにご用心

  みんな逃げ出して
  さかりのついたゴリラを避けたのだが
  よぼよぼ婆さんと
  若い判事だけが森の中で
  みんなが逃げるのを見ていた
  するとこの霊長類は
  身体をゆさぶりながら
  婆さんと司法官に迫ってきた
  ゴリラにご用心 

  まさか と百歳婆さんはため息をついた
  こんなわたしに気があるなんて
  これはただごとじゃない
  滅相もない
  判事は判事でたかをくくって
  私を雌猿の代わりにするなんて
  それは全く有り得ないこと
  ところが結果は彼の思わくとは逆
  ゴリラにご用心

  もしあなたがこのゴリラのように
  判事か婆さんを
  犯すとしたら
  二人のどちらを選ぶだろう
  同じ選択を
  四日以内に迫られたら
  僕が選ぶ相手は
  きっと彼女の方だったろう
  ゴリラにご用心

  けれど困ったことにこのゴリラは
  あのほうのテクニックは凄そうだが
  そのわりに好みと思い入れは
  一筋縄では行かぬ性癖のほうで
  この際婆さんには目もくれず
  行き当たりばったり
  判事の耳たぶひっ掴まえて
  森の茂みへ連れ込んだ
  ゴリラにご用心

  結果は愉快なことに相成るのだが
  残念ながら
  申し上げかねる
  ただ一寸笑わせるのは
  その間際にあの判事野郎
  母さん と泣き喚いたそうな
  まるでその日
  自分が縛り首にした男そっくりに
  ゴリラにご用心  

  共訳:奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋

 ブラッサンスとゴリラとは体格的にもイメージが合った。彼が舞台に現れる時、オーケストラが奏でるのは、いまだにゴリラのあのテーマである。彼が家で犬や猫を叱る時には「ゴリラに用心しろ」と怒鳴るのだという。<母さん と泣き喚いた>判事を強引に犯して、裁きをつけるゴリラは、何を隠そうブラッサンス自身なのだ。その判事たるや、<その日自分が縛り首にした男そっくり>の泣きを見る。八節余りの詩句のあと、見事に急転直下するギロチンのこの終句。その拒絶と反逆。これを完璧な悪ふざけと言ってしまうには惜しい。<ゴリラにご用心>は、死罪への拒否と威喝なのである。  解説:ルネ・ファレ

訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月29日 (土)

ジョルジュ・ブラッサンス

伊予の今治では連日真夏日が続いていましたが、雨模様の今日、急に秋めいて来ました。 と言うことでシャンソンに行ってみましょうかw

まずシャンソンの巨星、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-1981)。
ムスタキの先輩格の人で、フレンチ・ポップスの大スター、フランソワーズ・アルディも彼の早過ぎた死をことさら悼み、「家族の一人を亡くしたようだ」と述懐したのは有名な話。
中世以来のフランス詩のトゥルバドゥール(吟遊詩人)の伝統を受け継ぐ、現代の吟遊詩人ブラッサンスの名曲をどうぞお楽しみ下さい。

Je me suis fait tout petit

Georges Brassens - Je me suis fait tout petit
 

2本目はホーム・ライヴ・ヴァージョン。これは彼の自宅か?

オーマガトキ盤での邦題は「絶対従順主義」でした。
暴君のように振舞う女性に面と向かってなかなか文句も言えず、さりとてその女性無しではいられない男心を歌った歌。アズナヴール風な恋愛感情の見本のような歌で、それをアズナヴールのような優男ではなく、ブラッサンスのような偉丈夫が無骨に歌うところが良いんです。それに、この素晴らしいメロディ! 初めて聞いてから20年近く経ちますが、折に触れて頭の中でなり続ける歌です。
この曲は、ライスから出ている「シャンソン歴史物語」にも収録されています。当店の西欧コーナー内のシャンソン・コーナーに出ております。

Je me suis fait tout prtit (僕はすっかりいい子)   1955

   どんな奴にも決して
   帽子を脱がなかった僕が
   今じゃ彼女が呼び鈴をならすと
   へいこらしてチンチンまでする
   手ごわい犬だった僕に
   彼女は手掴みで餌をくれる  
   狼の牙だった僕の歯が
   あどけないみそっ歯に変わっちまった

   ルフラン 僕はすっかりいい子をしてる
         寝かすと目をつむるお人形の前で
         僕はすっかりいい子をしてる
         触ると「ママン」というお人形の前で

   煮ても焼いても食えない僕を
   抜け目なく彼女は改心させた
   僕はのぼせ上がって燃え焦がれて
   彼女の口許へ舞い落ちた
   微笑んだり歌ったりするときは
   可愛いい歯をしてるくせに
   怒ったり意地悪したりする時は
   狼の牙をむき出すその口許へ

   ルフラン

   彼女のご機嫌しだいで
   僕はおとなしく尻に敷かれる
   たとえ彼女が人並み外れた焼餅焼きでも
   同じぐらい根性曲がりでも厭いはしない
   可愛いいペリウインクルの花を
   彼女より綺麗だと思ってたと言ったばかりに
   彼女は日傘で突き崩して
   ある日それを枯らしてしまった

   ルフラン

   女千里眼や星占い師を気取って
   正直に僕に言ってくれる連中がいる
   彼女に呪われて
   僕は極刑を受けるだろうと
   むごい憂き目か最高の悦楽か
   そうともどっち道
   それが運命なら
   ここで野たれ死のうがよそで野たれ死のうが

   ルフラン

   共訳:奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋

(注)・「ペリウインクル」 青紫の花の咲く蔓性のハーブ。花言葉は「思い出と献身」。古来魔よけのハーブとして用いられた。

『僕はすっかりいい子』にはアズナヴールの好ましい反映みたいなものがある。我等の小柄な市民ケーンの160センチをあてこする訳ではないが・・・。<寝 かすと目をつむるお人形>を前にしたこの従順さは、アズナヴール風な恋情のさまざまな道具立てに、無理なくはまり込むだろう。恋の情熱に目が眩んでゴリラ の手はビロードみたいにふにゃふにゃになり、熊は蜜が欲しさにチンチンするのも厭わない。ブラッサンスは屋根裏でニャーオと鳴くアズナヴールに声を合わせ る。さて爪も立てずに今回は、女の女らしさにオマージュが捧げられる。爪も立てずにか。フーン、早合点かな。<ここで野たれ死のうがよそで野たれ死のう が> と来るんだから。 解説:ルネ・ファレ

訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月28日 (金)

奄美民謡ネットラジオ

昨日はリッキの名が出たので、今日はユーチューブだけでなく、ネットラジオの紹介も。
元ちとせの活躍以来、注目を浴びてきた奄美民謡を24時間流している素晴らしい局です。是非「お気に入り」登録を!w
iTuneやRealで聞くのではなく、ブラウザを開けば音が流れます。
曲目と歌手もその都度表示されています。

2002年に奄美に旅をして、私自身奄美の島唄には虜になりました。
奄美民謡を聞いていると、今でも名瀬の町並みを思い出します。
ライヴ・ハウスの「しまうた」も凄く良かったです。太鼓のちぢんの響きには、マレー系やポリネシアンに近いなという感じを覚えました。
沖縄よりはメロディは本土寄り、縮緬のようなコブシは日本の民謡の中で最も難しく美しいものと言えるでしょう。

再生していると、プラグインを入れろとか出てきて止まることがありますが、ページの再読み込みをクリックすれば、再度再生開始します。これでノー・プロブレムです (・∀・)/

ラジオ喜界島・1ch-64k
http://www.kikaijima.com/1ch.html

ユーチューブも1つ貼っておきます。

ワイド節

奄美民謡の大御所、坪山豊氏の作曲。徳之島の闘牛をテーマにした新作民謡です。
唄と三味線 ケン坊  ←この人は何者? 演奏はまぁまぁかなw

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月27日 (木)

鶯の声

 一昨日の「鳥の歌」で思い出しましたが(というか、呼応していますがw)、ペルシア古典声楽と言えば、この技は紹介しておかなければいけません。
タハリールと言われる、表と裏の声を交錯させる唱法で、ちょっとヨーデルに似た非常に難しいヴォーカル・テクニックです。数年前に、奄美の女性歌手Rikkiがイランや台湾などを訪れ、イランでは本場のタハリールを聞く番組がありました。相手の歌手は大御所のシャジャリアン。ペルシアの詩集をおもむろに書棚から取り出し、即興で歌っていましたが、その歌声の素晴らしさと声量には本当に驚かされました。リッキさん、奄美のコブシとの類似性にも驚いていたようです。

Golpa & Hayede - Bazm

70年代の映像でしょう。女性歌手ハイェーデと男性歌手ゴルパの二重唱。彼は往年の巨匠ヌールアリ・ボルーマンドの秘蔵子だったようです。バックはサントゥール2台、ウード、ケマンチェ(弓奏楽器)、トンバク。時代を反映してか、何となくサロン的な雰囲気。ハイェーデの声の、ぞくぞくするような魅力も凄いものがあります。
※このビデオは元のテープが手元にあります。売るほど確保できなかったのですが、これは今ではかなり稀少なものかも知れません。

Akbar Golpa yegani

息の長い超絶のタハリールを聞かせた往年の名歌手ゴルパ(イェガニ)のイメージ・ビデオ。意外に演奏シーンの良い物がないもので、とりあえず。

Shajarian+Alizadeh+Kalhor (Bam Earthquake Concert)

こちらは、2003年末にイランのバムで起きた大地震の犠牲者を追悼するコンサートのライヴ。ダストガー・マーフールの晴れやかで威厳に満ちたメロディがとても素晴らしいタスニーフ(歌曲のようなもの)です。
演奏は、先述したペルシア古典声楽界の大物シャジャリアンと、2度来日歴もあるタール&セタールの巨匠ホセイン・アリザーデ、去年来日した弓奏楽器キャマンチェのカイハン・キャルホール、シャジャリアンの息子のトンバク奏者ホマーユン・シャジャリアン。
このマーフール旋法の一曲は、特にイラン人の琴線に触れるタスニーフの一つのようで、犠牲者への思いとオーヴァーラップし、涙を流す聴衆が何人も見えます。

世界的な民族音楽学者の故・小泉文夫氏が「世界で最も美しい歌」と賞賛したペルシア古典声楽の片鱗を味わっていただけたら幸いです。

※参考までに95年に私がある雑誌に書いた記事へのリンクを貼っておきます。
12年前ですので、大分情報が古くなってますが。 (うちのHPの会報の所にあります)
http://homepage1.nifty.com/zeami/kaihou.persia.html

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月26日 (水)

カザルスの1番

昨日に続き、チェロの神様、パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲第1番全曲です。
プレリュードは、近年ヨーヨー・マの演奏でよく知られるようになったようですが、私はその経緯をよく知りません。
2番は既に全曲上げましたが、組曲は全6曲で、それぞれが更に6つの楽章から構成されているので、全部で36曲あるわけですが、この1番の前奏曲ばかり有名になっているようです。もったいないな~と思います。
後ろの方に行くに従って、密度の濃い難曲になっていきます。

Pablo Casals plays BACH - Suite no 1 for Cello - part 1

Pablo Casals plays BACH - Suite no 1 for Cello - part 2

プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(1と2)、ジーグという構成。Part 1がクーラントまで、二本目がサラバンド、メヌエット、ジーグです。
プレリュードは前奏曲のことですが、2曲目からはバロック時代の一種の舞曲集で、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという緩急緩急の組み合わせが基本パターン。サラバンドとジーグの間には、曲によってメヌエットやガヴォット、ブーレなど、別な舞曲が入ります。
基本的なイメージとしては、アルマンドはゆったりしたドイツ風舞曲、クーラントは速いフランス風舞曲、サラバンドはゆったりしたスペイン風舞曲、ジーグは速いイギリス風舞曲というものです。
ヴァイオリンやヴィオラ編曲版もありますが、クーラントの効果的な低音の使用などを聞くと、低音楽器でやってこそ、と思います。複声部の曲ですから。

マイスキーやマなど、現代の演奏家の確実な技巧とスマートさに慣れると、何とも古めかしくごつごつした感は否めませんが、カザルスは、彼にしか出せない音を持っています。確固たるカザルスの世界があります。音源を聞いていて、すぐにカザルスだ、と分かるような奏者は、そうそういません。 弾きながらの唸り声も味ですw
折に触れて立ち返るべき古典的な演奏です。

Maisky-Bach - Cello Suite No.1 i-Prelude

序に、マイスキーの演奏でプレリュードだけ上げておきます。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月25日 (火)

鳥の歌

今日はJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を復活させた往年のチェロの巨匠、パブロ・カザルスが晩年に愛奏していた「鳥の歌」です。
祖国スペインのフランコ政権に反対し、母の故郷であるカリブ海のプエルトリコに亡命していた晩年の映像。望郷と平和への祈りの絶唱です。
ピアノ伴奏は再婚した奥さんか?
この映像は以前出ていたDVD収録のものですが、現在は廃盤。

CANT DELS OCELLS

ヨボヨボの95歳の老チェリストが、1971年の国連平和デー記念音楽会でのライヴで語った以下の言葉(英文の箇所)は余りに有名。このライヴの音源もありますが、さすがにyoutubeに同じ映像はなかったです。故・五十嵐一さんはあの「悪魔の詩」の訳者で、筑波大学内で91年に殺害されてしまった当時気鋭のイスラーム学者でした。この本では「鳥の歌」からイランのゾロアスター教の話(鳥葬)に展開していきます。

 (以下 五十嵐一著「音楽の風土」中公新書 より)

「私は、およそ十四年もの間、公開の席で演奏はしておりません。しかし今日は演奏をしてみたい気がします....。曲は私のふるさとカタルーニャ地方の民謡で『鳥の歌』です。この鳥は、高く空を翔び、『平和、平和、平和』と鳴いているのです....」
老人は手を高く差し上げ、あたかも鳥が翔ぶように振りながら、

The Bird sings, Peace, Peace, Peace 

と繰り返した。この老音楽家の名はパブロ・カザルス。

この挨拶の後に続いたチェロの独奏について、私の筆はそれを十分に伝える力がない。そこで響いたのはチェロであってチェロではなかった。天高く翔ける鳥がニューヨークの国連会議場を飛び立って、スペインの空に舞い、そして日本の茶の間にも訪れた。チェロの響きという以上に、音楽そのものを聴いたような感動に打ち震えて、私はテレビの画面に映し出された人々と同じく、涙に溢れていた。
 (中略)
彼の音楽は、イズムとイズムのぶつかり合いの中に生き、一つのイズムが他のイズムを打ち負かすことによる平和しか考えていない多くの人々の遥かに上を抜き、ほとんど絶対の境地での平和を鳴り響かせた。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月24日 (月)

シャコンヌ

J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンと言えば、代名詞のようなこの曲を外す訳には行きません。パルティータ第2番の終曲、シャコンヌです。昨日と同じシェリングであれば良かったのですが、静止画像のものしかなかったので、とりあえず。
名手ナタン・ミルシタインのこの演奏はBSでも流れたことがあります。もうちょっと陰影を付けて欲しい気もしますが、とても立派な名演です。

Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin - Part 1

Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin - Part 2

この曲は最近、地元の隣町、松山の質屋のTVCMで使われています。
「たかし、あきら、さようなら。さようなら」とか言いながら、女性がグッチやヴィトンのバッグを売っていくCMです。何ちゅう使われ方、と思いましたが、印象に残ることは確か。
私が大学オケにいた頃(当時はヴァイオリン担当だったので)、よくシャコンヌを練習していて、ついには暗譜までして、団友から「シャコンドウ」とあだ名されたことがありました(笑)。

それから20年。
住み慣れた東京を去ることが決まり、或る日の夜、車の中でこの曲をかけていました。そしたら色々なことが走馬灯のように頭の中を巡り、涙が溢れ止まらなくなりました。図書館に本を返しに行くところだったのですが、返す時とても恥ずかしい思いをしました(笑)。 
バッハは10年ほど離れていたけど、やはりこの曲はそういう凄い音楽だと思います。
フーガのように抽象的ではなく、彼の受難曲のようなドラマ性が感じられる曲ですが、耳を傾けていると何か深い所で喚起する力があります。
「バッハはヴァイオリン一本で宇宙を描いた」という形容もありました。

ハイフェッツのシャコンヌ全曲もあります。もしリクエストがあれば、アップしますが?w

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事を一部改編して転載)

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2007年9月23日 (日)

無伴奏ヴァイオリンも!

今日は墓参りの帰りに西条にいもだきに行っていて遅くなったので、アップはまた明日、と思いましたが、一本だけ上げておきましょう。
前に無伴奏チェロ組曲(いずれ全部アップする予定ですが)の2番を上げましたが、無伴奏ヴァイオリンの方も是非!
ということで、まず無名の演奏家ですが、完璧な良い演奏でしたので。
リトアニア交響楽団の1stヴァイオリンに所属しているJelena Labanovaという人の演奏。
首都ヴィリニュスでの収録のようです。
ソナタとパルティータ、各3曲ありますが、ソナタの方の第1番ト短調から、冒頭のアダージョです。非常に細かい音の動きを正確に、またノーブルに表現しています。

Bach Sonata for Solo Violin No.1 in G minor

Henryk Szeryng plays Bach Fuga from Sonata No. 1

LP時代からArchivへの録音がこの曲集のバイブルのように言われ続けた、ポーランド出身の名手ヘンリック・シェリングの演奏で、ソナタ1番のアダージョに続くフーガです。6分程の間に非常に凝縮された世界を描き出している名曲です。私は、この曲を85年頃アイダ・カヴァフィアン(ピーター・ゼルキン率いるアンサンブル・タッシのメンバー。目の覚めるようなアルメニア美人でもありました)の実演で聞いた事がありますが、22年経った現在、メシアンなどの演奏についての印象は消えてしまいましたが、この曲の名演だけはありありと覚えています。PAを通していたこともあったのでしょうが、素晴らし過ぎて、しばらく席から立ち上がれませんでしたw

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2007年9月22日 (土)

ホラ・スタッカートとチョカリーア

ヤッシャ・ハイフェッツは、ロシア出身のユダヤ系のヴァイオリン名人で、不世出の巨匠。
曲は、ハイフェッツがアンコール・ピースでよく弾いていた「ホラ・スタッカート」です。
19日にアップした「ベスト・オブ・ルーマニアン・フォーク・ミュージック」の最初を飾っていた曲です。おそらく「ひばり(チョカリーア)」に次ぐルーマニアの有名曲だと思います。

ルーマニアのフィドラー、ディニクが演奏していた曲をハイフェッツがアレンジ。
曲名はルーマニアの民俗舞曲ホラをスタッカートで、というニュアンス。
一弓で音をたくさん飛ばす超絶技巧の「ワンボウ・スタッカート」で聴衆をあっと驚かせた曲です。多いのでは32の音を一弓で弾いています!!  
下げ弓の時はハイフェッツでもさすがに難しいのか、ボウイングが曲がっていますが。

ハイフェッツのアレンジが入って有名になった曲ですが、ディニク自身の演奏がどんなだったのか、それが聞いてみたいという声もありました。ハイフェッツはディニクのことを、私がかつて聞いた中で最も素晴らしいヴァイオリニストだと賞賛していたそうです。
グリゴラーシュ・ディニク (Grigoraş Dinicu(April 3, 1889 -- March 28, 1949)

Jascha Heifetz plays Hora Staccato

George Enescu,Ciocarlia

ルーマニアの大作曲家兼ヴァイオリニスト、ジョルジュ・エネスコによる「ひばり」の演奏。この曲もディニクの作った曲でした。これは意外に知られていない事実かも。エネスコは、彼の代表作「ルーマニア狂詩曲第1番」のラストにチョカリーアを引用しています。タラフ・ドゥ・ハイドゥークスやファンファーレ・チョカリーアだけでなく、ラウタールならこの曲をやらない者はいないと思われる程の有名曲です。鳥の鳴きまねのアドリブが聞かせ所。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事に補筆したもの)

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2007年9月21日 (金)

タラフ・ドゥ・ハイドゥークス

今日は昨日上げたタラフの別なものを3本。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスは、2000年の初来日以来、カリスマ的な人気を呼んでいるスーパー・ジプシー・バンド。静かだった昨日のビデオとは打って変わって、超絶技巧の嵐。特にプリマ・ヴァイオリンのカリウ(色の浅黒い人)の超絶技巧には口があんぐりです(笑)。 生きたツィゴイネルワイゼン伝説と言っても良いのでは。
コチャニとのセッションは音が大きいので気を付けて下さいね。
では、ボナペティ!!

Latcho Drom - Taraf de Haidouks

映画「ラッチョ・ドロム」は、ジプシーの故地インド西部のラジャスターンから始まり、エジプト、トルコ、ルーマニア、スロヴァキア、フランス、スペインのフラメンコまで、果てしない流浪の旅路を各地のジプシー音楽の映像で綴ったトニ・ガトリフ監督の映像詩。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの所は、メンバーが住むブカレストの南方、クレジャニ村での現地収録。村人の間で何気なく始まるセッションも凄いです。

Taraf de Haidouks & Kocani Orchestar

マケドニアのジプシー・ブラス・バンド、コチャニ・オルケスタルとデルブッカ奏者Tarik Tuxsiszogluとの共演。2001年に同じメンバーで東京でもライヴがありましたが、すさまじいパワーに圧倒されました。会場はロック・コンサートと見紛う興奮の坩堝。

Latcho Drom - Balada Conducatorolui

トニ・ガトリフの93年の映画「ラッチョ・ドロム」から。
グループの長老ニコラエ・ネアクシュの必殺技、糸弾きヴァイオリン!
この糸弾き、ライヴではユーモアたっぷりで演じられ、年老いてしわがれてはいるけど、燻し銀の歌声に皆しみじみ聞き入っていました。
ルーマニアのブルースか、吟遊詩人のエレジーか、そんなイメージの弾き語り。
ニコラエ翁は2002年9月4日永眠。
2度の来日で彼の元気な舞台姿を見れたのは、一生忘れられない宝物の一つです。

そういえば、2000年の初来日はデザイナーのヨウジヤマモトの黒衣をまとってのステージでした。確かパリ・コレのモデル&キャラクターにタラフが選ばれたそうな。めちゃカッコよかったです。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月20日 (木)

6つのルーマニア民族舞曲から

昨日の記事を受けて今日はルーマニア(ロメーニャ)。
※民謡の番組Tezaur folcloricのビデオ・ページは移動してましたので、新しいリンクを昨日の記事にも入れておきました。こちらです。→ http://www.tvr.ro/emisiune.php?id=669
さて、ロメーニャです。数回繰り返すと「ニャロメ」になります(笑
(ユダヤの歌に実際にあります。ニャロメと連呼しているのがw)
そんなことはどうでも良いのですが(笑

Bartok: Romanian Dances
Janine Jansen(Violin)

Prinsengrachtconcert Amsterdam 2005 (Amsterdam Princes Canal Concert).
昨日の記事で触れた20世紀ハンガリーの大作曲家ベラ・バルトークの有名なピアノ曲「6つのルーマニア民族舞曲」をヴァイオリンとピアノで。この人初めて見ますが、確かなテクニックの持ち主。

Taraf de Haidouks at Flagey
Danses roumaines - Bela Bartok

同じ曲をルーマニアのジプシー楽団、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスが演奏。
4、5回来日もしていて、私は4回見に行きました。これは最近の映像で、勢い一番の演奏から少し芸風が変わってきたように思えます。

哀愁味溢れるルーマニア音楽、お楽しみいただけたら幸いです。
ボナペティ!

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事を一部改編し転載)

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2007年9月19日 (水)

ベスト・オブ・ルーマニアン・フォーク・ミュージック

Bestelectromania
 ルーマニアの音楽では、質、量共に他の追随を許さない本場エレクトレコード(Electrecord)の器楽版コンピレーション。エレクトの豊富な音源からラウタールの器楽による踊りの音楽がバラエティ豊かにまとめられている。
 ルーマニアといえば何をイメージするだろうか。多くの人が思い浮かべるのは、ドラキュラ伯爵と吸血鬼伝説、そのモデルになったヴラド・ツェペシュ侯、体操の名選手ナディア・コマネチ、衝撃的なチャウシェスク政権の崩壊の映像(大統領夫妻の公開処刑)辺りだろうか。音楽ファンには、近年大人気のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスやファンファーレ・チョカリーアなど、ロマのラウタール達の快演が最大のトピックだろう。伝統音楽では70年代から国内LPも発売されていたゲオルゲ・ザンフィルが最も有名だったと思われるが、エレクトに残されていた彼の音源は、80年代位から「ゲオルゲ」を改め「ジョルジュ」と名乗るようになったザンフィル本人が権利を買い取ったのか、現在のリストにはないようだ。今回のコンピレーションには70年代にLPで聞き覚えのあるザンフィルの演奏が一曲だけ含まれている。「ひばり」や葬送歌「ボチェッツ」のような名演が目白押しだったので、単独盤がないのは惜しまれる。フランスのArionからも彼のアルバムが出ているが、曲目やテイクは異なる。

※ラウタール=プロまたはセミプロの楽士を指し、勿論ロマだけではなくルーマニア人も多い。結婚式など宴会に雇われ、宴を盛り上げる。複数形はラウター リ。語源的には リュート系弦楽器のラウタ等に由来。この系統のルーマニアの弦楽器ではコブザが有名で、ウードやマンドリンは親戚楽器にあたる。

 エリック・サティのピアノ曲「グノシェンヌ」にはルーマニア音楽からの影響があることは有名だが、あの曲のようにエキゾチックで独特な音階は多い。この地でも盛んにフィールドワークを行ったハンガリーの大作曲家バルトークのピアノ曲「6つのルーマニア民族舞曲」の中の数曲は、80年代京都のインディーズ・バンド、アフター・ディナーのHACOが詩を付けて歌っていた。これは一度聞けば忘れられない、哀愁に彩られた名旋律である。
 ルーマニア音楽の猛スピード振りは昔からつとに有名だが、タラフ・ド・ハイドゥークスの初来日の時などは、それを目の当たりで確認できた。ロック・コンサートと見紛う大興奮状態に日本の聴衆を陥れたが、これもあの高速のなせる業だ。ルーマニア音楽でこんなに盛り上がるなんて一昔前では考えられない、というのが私の第一印象だった。それにルーマニア音楽独特の歌心の素晴らしさ。これで日本の聴衆も参ってしまったのではないだろうか。
 タラフ・ドゥ・ハイドゥークスはルーマニア南部ワラキアはクレジャニ村のグループ。Ocoraに故ニコラエ・ネアクシュ他、タラフ以前のオールド世代の妙技を捉えた素晴らしい録音があって、タラフ以前から抜きん出た存在であったことを証明している。しかし、それぞれの地方には郷土色豊かなラウタールたちが五万といる。それぞれの異なる趣きを味わってみるには、エレクトレコードの豊富な音源はまたとない宝だ。併せてお薦めしたいのは、ルーマニアのネットテレビで、様々なラウタールたちが入れ替わり立ち代り登場する番組がある。文末をご参照の上、是非ご覧いただければと思う。

 吸血鬼伝説で有名な山岳地帯のトランシルヴァニアは、長らくハンガリー領だったこともあってハンガリー系住民も多く、音源としてはハンガリー盤の方が多いのではと思われる。演奏もベース・ラインの進行など、ハンガリー色が濃くなってくる。モルドヴァにもチャンゴーというハンガリー系少数民族がいるし、黒海沿岸のドブロジャ地方にはバルカン半島南部(マケドニアやアルバニアなど)からの移民アルマニアンがいて、やはり独自の音楽文化を伝承している。ブカレストには今でもユダヤ劇場(イディッシュ演劇)があるらしい。豊かなフォークロアが残る北トランシルヴァニアのマラムレシュ地方、西部のティミショアラからはハンガリー風の音が聞こえることが多かったように思う。このように、各社レーベルのルーマニア各地の音源も豊富になってきている。音楽においても複雑なモザイク状態をなしていて、とにかく音楽のヴァラエティー豊かな国なのである。上記のようなマイノリティの音源は、エレクトにもあるのではないかと思うのだが。今後のリリースを見守りたい。

 そう言えば、1976年のモントリオール・オリンピック前後にコマネチが床運動で使っていた曲も、ラウタールの演奏や、セルビアのロマ・グループ、ユダヤのクレズマー演奏で聞いたことがある。発見した喜びは今でもありありと覚えているが、まだタラフ達の演奏では聞いたことがない。名手カリウのヴァイオリン演奏などで是非聞いてみたいものだ。また、ファンファーレ・チョカリーアの拠点は、コマネチの故郷、ルーマニア東部のモルドヴァ地方なので、もしかしたらチョカリーアは件の曲もやったのではないかと常々思っている。

 高樹のぶ子の小説「百年の預言」で一躍日本でも有名になった、ポルンベスク(Porumbescu)作曲のバラーダもこのレーベルの音源に存在する。 ヴァイオリンとオーケストラの一種の哀歌で、ルーマニアの愛国歌のような位置にある曲。その哀切極まりない美しさは忘れられない。ヴァイオリニスト天満敦 子の演奏で日本では知られているが、70年代にルーマニアの女流ヴァイオリニスト、シルヴィア・マルコヴィッチが来日した際、TVで演奏していた。89年 のルーマニア革命の頃、この曲が入った盤がエレクトから出ていたが、最近また手に入るようになっている。

 さて、ネットTVのTELEVIZIUNEA ROMANA(略してTVR)だが、ライヴ放送もあるが、その中のTezaur Folcloric(民謡の宝石)やPatrimoniu Etno Folcloric(終了した模様)のような伝統音楽番組が録画されていて、ストリーミングで一週間見られるようになっている。1時間から1時間半の番組が、毎週2つくらいアップされている。ブロードバンド環境なら視聴可能なので、ご興味のある方には是非お薦めしたい。かなり興味がある人でも、お腹一杯になりそうなヴォリュームではあるが。往年の名歌手マリア・タナセの貴重映像を見かけたこともあった。

TELEVIZIUNEA ROMANA - TVR トップページ
http://www.tvr.ro/
ビデオ・アーカイヴのページ → ライヴ・テレビのページに変っていました。
http://www.tvr.ro/webcast/inregistrari.php

Tezaur Folcloricの新しいビデオ・アーカイヴ・ページ
http://www.tvr.ro/emisiune.php?id=669

以上は「ベスト・オブ・ルーマニアン・フォーク・ミュージック」(ビーンズ)の拙稿ライナーノーツからの抜粋

その他のCDは以下をご参照下さい。
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-tor-hunrom.html

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2007年9月18日 (火)

ネイ

ネイは、イランやトルコで演奏されている葦笛。
ペルシア文化の華、ルーミーの詩でも度々歌われています。
ルーミーはペルシアの詩人ですが、当時は現在のトルコまで一つの国(セルジュク・トルコ)だったので、トルコのコンヤに彼が創立したスーフィーのメヴレヴィー教団があります。トルコ旅行された方は行った人も多いでしょう。ターキッシュ・ブルーの余りに美しいモスクは有名です。

イランのネイは、歯の隙間から息を吹き入れ、舌などで調節しますが、トルコの方はストローのような吹き口が付いています。
イランのネイは、ただの筒に真鍮の筒をはめただけ。鳴らすだけでも至難の業です。トルコの方は多少鳴らしやすそう。

Kasaee play ney solo

イランのネイ奏者と言えば、まずこの人、ハッサン・キャサイー。
現代のネイ奏者のかなりが影響を受けている往年の名人です。
イランの古都イスファハーンの人。短いですが、とても貴重なソロ映像です。


ney taksimi hicaz

こちらはトルコのネイ演奏。奏者は不明。ヒジャーズというとてもエキゾチックで代表的なアラブ~トルコの旋法での即興演奏(タクシーム)。
メヴレヴィーと言えば、スカートのような白衣にトルコ帽の旋回舞踏で有名ですが、ネイは伴奏の中の中心楽器です。


Mercan Dede - Ney ve Semazen Gosterisi - Universiade 2005

こちらはメヴレヴィー音楽の現在形。メルジャン・デデは、昨年の「ラマダンの夜」というイスラーム圏の音楽のコンサート・シリーズでも来日しました。
耽美的なメヴレヴィー音楽とでも言えましょうか。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月17日 (月)

ホラサーンの名歌手スィマ・ビナ


Simabinadastandvd  

 イラン北東部のホラサーン地方はアフガニスタンとトルクメニスタンに接し、面積は日本の8割余りある巨大な州。「王書」のフィルドゥースィーを初めとして、ルーミーやハイヤームなど、中世イランの大詩人を生み出した土地としても知られ、現代イランの大歌手シャジャリアンもホラサーンの首都マシュハドの出身。
 このようにイラン文化の揺籃の地の一つであったホラサーンに生まれた女性歌手スィマ・ビナは、大御所ダヴァーミ等に師事してペルシア古典声楽を学んだ。何枚かのCDでも見事な歌声を披露しているが、イラン革命の年(1979年)から民謡の方に焦点を絞って活動してきたようだ。特に彼女の故郷ホラサーンの民謡では、もはや大御所と言っても良いのではないだろうか。故郷は遠きにありて想うもの、だろうか、女性であるが故に著しく活動が制限されるイランを離れ、ヨーロッパに活動拠点を置いた彼女は、美しく力強い故郷の歌を欧米各地で聞かせてきた。
 そしてホラサーンの民謡を大々的に取り上げた5枚が最近Fars Mediaから登場した。
これだけホラサーン民謡で固めて、しかも女性歌手で出るのは初めてだろう。ドター
ル弾き語りの渋い吟遊詩人ものはかなり出ていたが、女性歌手の彩り豊かな歌声で聞
けるのは嬉しい。ホラサーンの音楽はイラン東部と言う土地柄、トルクメニスタンや
アフガニスタン、その他の中央アジア各地の音楽との繋がりも強く感じさせる。大体
ドタールと言う楽器自体、中央アジア的だ。2弦とは思えない超絶技巧には、只々驚
かされる。
 彼女の音源は、これまでにもBudaから南北のホラサーン民謡アルバムが各1枚、
CALTEXなどカリフォルニアのイラン系レーベルから数枚、Nimbusからはネイのホセイ
ン・オムミ他と共演したペルシア古典作品、更にこれは未確認だがタールのモハメド・
レザ・ロトフィとの共演盤もある模様。Taranehの放送録音Golhaye Tazehシリーズに
も70年代のものと思われる音源があった。Fars Mediaからの5枚は、それらとは別音
源。彼女の華々しい活動に拍手を送りたい。

またまた古いですが、Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #03より転載した拙稿です。

CDの紹介ページ↓

http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iran.html#Anchor954800

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2007年9月16日 (日)

Maryam Akhondy / Banu

Maryamakhondy

  

 マリアム・アホーンディはイランの首都テヘランに生まれ、現在はドイツ在住のイラン人女性歌手。テヘラン芸術アカデミーでイラン伝統音楽を学び、女性の音楽活動が制限されるイランを離れ、渡独したようだ。
 他にもこのような例は多い。例えば、あの有名なファーテメ・パリサーやイラン東部ホラサーン地方出身のスィマ・ビナ。二人とも現在はヨーロッパに活動の中心を置いているようだ。パリサーは、1978年の伝説的な東京でのライヴで日本でも有名。このライヴはビクターからCDで出ていた。民族音楽学者の故・小泉文夫氏は、「世界一美しい歌」とペルシアの古典声楽(アーヴァーズ)を絶賛していたが、彼をして「これを聞いたらもう死んでもいい」とまで言わせたライヴだった。考えてみれば、この年はちょうどイラン革命の前年で、色々兆候は出てきていたのではないだろうか。パリサーにしても、出来る内に良い演奏を残しておきたいという気持ちがあったのかも知れない。あのライヴはそんな切なさも感じられ、ペルシアの声楽でも稀に見る高みに達した歌唱で、正にペルシアの絶唱だった。その後色々な噂が流れたが、95年にイギリスでのライヴ盤が登場し、ファンをほっとさせた。更に独Networkの2枚組みを含め、数枚最近の録音が出てきている。昔ほどの輝かしさはないが、成熟した名歌手の風格が増してきている。イランのディーヴァ、永遠なれと祈りたい。
 2004年に来日したホセイン・アリザーデの場合は、同行した女性歌手2人はイランでも活動しているようだが、公のコンサートではなく、プライヴェートコンサートがほとんどらしい。去年の演目Raze NoのCDのパッケージの外側には、女性歌手の名前と写真は入っていない。(中には写真があるがチャドルを被っている)かようにイランでは女性の表立った音楽活動は制限されている。

 マリアム・アホーンディは古典音楽よりはイラン各地の民謡を専門としている人のようだが、ドイツ移住後西洋の古楽演奏などからもヒントを得たのだろうか、コーラスで複数の音を被せる手法をとっている。本来の素朴な民謡旋律がコンテンポラリーなメッセージ性も帯びて表現されていてなかなかに鮮烈だ。アリザーデのハムアーヴァーヤーン(複数の声を合わせる)の手法も斬新だったが、それとは別に着想されたようだ。コーラスとは言っても、発声はイラン古来のもの。使われる楽器は片面太鼓のトンバク(ザルブ)を中心に各種打楽器のみで、このスタイルの演奏を数年前に日本で聞く機会があったようだが、もしかしたら彼女のこのアンサンブル、バーヌ(distiguished ladyの意だとか)だったのだろうか。
 一曲目、エシュグというタイトルの曲はペルシア語で愛とか恋の意で、中近東の「ロメオとジュリエット」とも言われる「ライラとマジュヌーン」の物語がイメージされている。たゆたうような美しい旋律で、これは名高いデイラーマンの節だ。往年のバナーンという男性歌手の絶唱で有名になった。カスピ海南岸ギーラーン地方の民謡に由来し、アボルハサン・サバーが古典音楽のレパートリーに取り込んだと言われ、ダシュティ旋法のグーシェ(伝統的な節の雛形のようなもの)の一つに収まっている。
 古典音楽でも知られる旋律はこれ位だが、イラン各地方の民謡を上手く料理している。絨毯を作る時の作業歌はフラメンコやロマの歌に似ていたり(7)、アフリカ北半分のものと思われていた、裏声のけたたましい叫び声ユーユーが出てくるロレスターン民謡(9)など、意外性にも富む多彩なイラン音楽文化の縮図を見る思いがするアルバムである。

またまたちょっと古いですが、Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #02より転載した拙稿です。

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2007年9月15日 (土)

J.S.Bach / Cello Suite No.2 - Menuet, Gigue

昨日に続いてJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第2番から、メヌエットとジーグ。
これで2番は完結。  演奏はミッシャ・マイスキーです。

Bach - Cello Suite No.2 v-Menuet

メヌエットって、一般には可愛らしいイメージですが、この曲は全6組曲の中でも屈指の難曲だと思います。最初の重音から左手の人差し指と小指は16cmくらい開きます。低いポジションでの短3度の重音は大変。
中間部は牧歌的なニ長調に変わり、緊張がほっと一息。そして再びハイテンションなメヌエットに戻り、一気呵成に終曲のジーグに流れ込みます。

Bach - Cello Suite No.2 vi-Gigue

早い8分の3拍子のジーグで、やはり2部構成のダイナミックな展開が素晴らしく、華々しく第2組曲を締めくくります。この曲、音はシンプルですが、テンポが速いためか、あのジャクリーヌ・デュプレも間違えていました。
ジーグと言えば、現代ではアイルランドの民俗舞曲として有名で、バロックの頃にはイギリス起源と言われていました。しかし、現代アイリッシュのジーグは、ほとんど別物に聞こえますね。詳しい方、この辺の情報、是非教えて下さい

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月14日 (金)

J.S.Bach / Cello Suite No.2 - Courante, Sarabande

今日も無伴奏チェロ組曲2番の続きを行きましょう。
3曲目はクーラント。疾走するように駆け抜ける、速い楽章です。
イタリア型クーラント(あるいはコレンテ)で、前後2部構成。後半の高い音域を駆け上がり、一気に終止音に駆け下りる所は、実にドラマティック。弾いていても手に汗握ります。疾風怒濤の音楽という印象。
イマソウでは何故かレスの多かった楽章でした。速さへの驚きが一番多かったようです。

w(°0°)w   こんな感じの顔文字の連発でしたw

Bach - Cello Suite No.2 iii-Courante


続く4曲目はサラバンド。
サラバンドは、ゆったりした3拍子のスペイン起源の舞曲。
6曲のサラバンドの中でも、シンプルながら、その悲愴美は際立っています。
やはり2部構成で、2回ずつ演奏。後半の終結部にかけては特に感動的です。

Bach - Cello Suite No.2 iv-Sarabande

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月13日 (木)

J.S.Bach / Cello Suite No.2 - Allemande

昨日に続いてJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第2番からアルマンドです。
前後2部構成になったドイツ風舞曲のアルマンド。前半後半2回ずつリピートします。ゆったりと荘重ですが、小技も随所に入ったなかなかの難曲。
演奏はラトヴィア生まれのユダヤ系名チェリスト、ミッシャ・マイスキー。
マイスキーは他の演奏家が入れない音を和音で所々入れて演奏。
(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

Bach - Cello Suite No.2 ii-Allemande

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2007年9月12日 (水)

J.S.Bach / Cello Suite No.2 - Prelude

ペルシア音楽が続いていましたが、ここで突然ですが、ミッシャ・マイスキーの独奏で、無伴奏チェロ組曲第2番のプレリュード。
短調の瞑想的かつ内省的な曲調が、全6曲中でも5番と共に異彩を放っています。
この演奏は、おそらく廃盤になったDVDの映像と思われます。収録はドイツ・グラモフォンからの1回目の録音の後くらいか? 2回目の録音よりは表現がストレートでオーソドックス。
最後の重音は、長く伸ばさずアルペジオ(分散和音)で弾くこともあります。

6つの組曲の各6曲、計36曲全てユーチューブにアップされていますが、何故この曲を選んだかと言うと、私事ですが 学生時代は無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌをよく弾いていて「シャコンドウ」とあだ名されたこともありましたが、色々事情があってバッハから離れていました。
数年前ヨーヨー・マのレッスンTV番組でこの曲を聞いて、10年ぶり位でバッハを見直した次第。やっぱり良い曲です!

余談ですが、これまでお会いしたペルシアの音楽家の何人かの方が揃って、西洋音楽ならJ.S.バッハが素晴らしいし興味があると言われていたのが、印象的でした。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事を少し改編)

Bach - Cello Suite No.2 i-Prelude

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2007年9月11日 (火)

ケマンチェ

擦弦楽器ケマンチェの特集。
縦笛のネイと並んで、ヴォーカルに迫る表現が可能な古風な楽器です。
ヴァイオリンを併用するケマンチェ奏者は多いのですが、このワビサビの音色はヴァイオリンでは出ないので、結局この古楽器に専念する人が多いようです。装飾音の入り方がコンマ1秒の微妙さ。それがこういう楽器の命。いじったことはありますが、音域が狭いのにとても難しいです。移弦は本体をくるくる回すことで行うのも、戸惑いの原因でしょうね。

Kalhor

去年来日公演も行ったカイハン・キャルホールのケマンチェ独奏。

Ostad Ali Asghar Bahari

ミスター・ケマンチェと言っても過言でない、往年の巨匠アスガール・バハーリー。
人間国宝クラスの音楽家でした。
私の場合、高校時分に、彼の枯れた味わいの音色にしびれたのが、ペルシア音楽事始でした。そのトンバク伴奏がホセイン・テヘラーニでした。

Meshkatian & Parissa

イラン革命前に来日して、正にペルシアの絶唱を聞かせた歌姫、ファーテメ・パリサーがサントゥールのメシュカティアンの楽団と共演。ケマンチェ奏者もいます。

Munis Sharifov, Azeri Kamanche Player

同じケマンチェ(キャマンチェとも)でも、お隣のアゼルバイジャンでは、かなり味わいが違ってきます。このストレートな泣きの音色も絶品です。90年代のNHKFM「世界の民族音楽」のタイトル曲がアゼルバイジャンのケマンチェでした。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月10日 (月)

トンバクの神様

ペルシア音楽シリーズ、昨日に続いてトンバク特集。
トンバクの神様、ホセイン・テヘラーニ(1912-73)の演奏もユーチューブで何本か見れます。
トンバクのアラブ的な呼称はザルブ。(ダラブッカと同語根)

テクニック的にはもっと難しいことをやっている人もいますが、この人の絢爛でありながら清冽な音色は、ペルシア古典トンバクの理想の姿として一段上に見られていると思います。この楽器を独奏楽器として確立したのもテヘラーニですし、彼の影響を大なり小なり受けていない奏者自体いないのではと思われます。現在広く使われているトンバク用の3線譜を考案したのも彼です。

hosein tehrani
短いクリップですが、テヘラーニのソロ。どっしりと線が太いのに華麗な粒の揃った音は凄いの一言。変幻自在に旋律楽器と亘り合う所など、鳥肌が立ちます。伴奏ものは今の所見かけませんが、見つけたらまた貼ります。

Hossein Tehrani tombak (zarb) ensemble
でっかいトンバクの表が燃えると、中からトンバク奏者が7人w
黒いサングラスの人が師匠のホセイン・テヘラーニ
これ以上の奏者は出ないだろうと言われた素晴らしいトンバク伴奏者でしたが、こういう奇抜なアイデアも色々披露した人。

Tehrani play solo tonbak (lokomotiv)
テヘラーニの必殺技、蒸気機関車の音真似。トンバク一つで発車から到着まで。  
えっ?汽笛は違いますよww

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月 9日 (日)

バフマン・ラジャビ

トンバク特集、今日は現代の名人バフマン・ラジャビ。
実はこの人こそ私が習ったエスファンディアル・ラリ氏の師匠。ホセイン・テヘラーニの影響もあるようですが、独自の独奏&合奏スタイルを探究しているトンバクのスペシャリストです。サウスポーなので構えは反対です。
しかし、喋りの長い人で、なかなかトンバクだけ叩いているファイルがありませんでした。見かけはマグマ大使に出ていたゴアに似てるかも。

bahman rajabi hamedan 07
2分過ぎから叩いています。これは比較的トンの低音がちゃんと出ています。各種リーズをデモ演奏しています。

bahman rajabi & pedram donavazi tonbak tehran part5
弟子とのトンバク・デュオ。

Bahman Rajabi - Chakad 1380 - Part 1
サントゥール奏者とのデュオ。音が遠くて悪いのが残念。

Bahman Rajabi - Chakad 1380 - Intro 9
バフマン・ラジャビとアンサンブルChakadの合奏。
楽器編成は左から、バルバット(ウードの原型)、タール3本、サントゥール、ネイ(葦の縦笛)、ケマンチェ、ゲイチャク(イラン東部の弓奏楽器)、トンバク3台。右端がラジャビさん

ラリさんの猛烈な超絶技巧から察するに、ここで披露している師のテクニックはまだまだ序の口だと思います。CDとかは発表しない人として知られていたようですが、ごく最近1枚リリースされ、それに先立ってユーチューブがどどっと出てきたので、驚きました。

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月 6日 (木)

「粋」の源流 ~ 新内節

Photo  



新内流し

 

 「あと十分で死ぬと言うときに、なにか二曲だけ音楽が聞けるとしたら、まず私が世界中で一番好きなイランの歌、その次に新内を聴きたい。」(「西アジアの古さ、新しさ」より)これはあの世界的な民族音楽学者、故・小泉文夫氏の言葉である。世界中の音楽を訪ね、聴きつくした小泉さんが語った言葉だけに重い。
 14年ほど前にテイチクから、故・岡本文弥さんの自作曲の素晴らしい7枚シリーズが出ていた。文弥さんの淡々とした語りで「情」の音曲が演じられる時、「粋」の極致を聞く思いであった。その後、文弥さんが101歳で亡くなったのは96年。テイチク盤も全て廃盤になって久しく、「新内(しんない)」と言うジャンルを耳にする機会がすっかり減ったと思うのは筆者だけだろうか。確かに「江戸の生き証人」のような巨匠はいなくなってしまったが、新内がなくなった訳ではない。
 新内はリズミカルな音楽ではない。これが現代人に今ひとつ受けない理由だろうか。「間」が伸びたり縮んだりする音楽と言う点では、ペルシアの声楽とも通じる部分がある。節回しも表の声と裏声を交錯させる非常にテクニカルな歌唱で、小泉さんも新内と義太夫は、専門的訓練を積まなければ面白さの片鱗も表せない難しい音楽だと語っていた。
 歌舞伎の伴奏音楽として発達した同じ江戸系浄瑠璃の常磐津、清元、河東などと違い、吉原を中心とした遊廓の座敷芸、あるいは流しの音楽(吉原被りに着流し姿の二挺三味線の流しは時代劇でお馴染みでしょう)として伝承されてきた新内は、テーマとしては遊女の悲恋物語、心中物が多い。小泉さんの言葉がずっと頭にあって、謡曲で邦楽に目覚めた後、ちょうど文弥さんが亡くなった頃(1996年)、筆者は新内に入門した。師匠は富士松鶴千代さんという女流名人で、名曲「蘭蝶」のサワリの部分に完全にはまっての入門だった。
 多少でも興味を持たれた方は、論より証拠、一度耳にされてみてはいかがだろうか。色々音楽をかじった人こそ、日本人のDNAが騒ぐことは請け合いである。
 - Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #04より転載 -

新内の各論は追々追加する予定です。

参考盤はこちらで・・
http://homepage1.nifty.com/zeami/j-3mi.html#Anchor2694072

  (ZeAmi代表 近藤博隆=富士松千嘉太夫)

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2007年9月 5日 (水)

トンバク → ジャンベ、ダンベク

Photo



今日は地元SNSにアップしたペルシア音楽シリーズの転載。トンバク奏法の簡単な解説です。
トンバクは、アフリカのジャンベ(ジェンベ)や、アラブのダンベクなど、同じ片面太鼓の元祖と言われています。
叩く位置の、真ん中がトン、側がバクという名が付けられていて、それが楽器名になっているという訳です。ペルシア語のトンバクが各地で訛ったんですね。音がそっくりでしょう? 

PersianMusic.8k.com
基礎編の3。 最初はこういうのを練習します。興味のある方は、再生後のリンクを見てみてください。全部で30くらいあります。

Farhad bazargan( 5/8 bedahe(taghib) 
こちらは応用編。8分の5拍子の難しいパターン。

<トンとバク以外の主な奏法>
リーズ=両手の9本指を使うロール
ぺラング=両手の指鳴らしのような打ち方 主に左手
エシャレ=主に左手で入れる装飾前打音

※リーズには9本指以外に、両手の薬指だけ、両手のぺラングによるリーズなど全部で16種類くらいあるようです。

トンバクは私の知る限りでは世界で最も技巧的な打楽器の一つだと思います。インドのタブラやムリダンガムと並んで、その多彩な表現には目を見張ります。
リーズと言うのは、歌で言えばタハリール(鶯の声)に当たり、最も基本的で最も難しい奏法です。これが出来なければトンバク奏者は諦めなければいけません。
また、ユーチューブだと低音が出てませんので、トンバクの本当の音は伝わらないのですが、腹に響くような低音が素晴らしいです。高い音は前、低い音は後ろに出る太鼓なので、録音も難しく、よくマイクを前後に添えているのを見ます。

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2007年9月 3日 (月)

イラン古典声楽の巨匠 シャーラム・ナーゼリー

Nazerimythical

去年のナゼリさん来日公演のインタビュー記事です。 いつかブログに上げようと思っていました。
ようやく実現しましたw   

Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #05より転載

  2002、2004年のホセイン・アリザーデに続いて、シャーラム・ナーゼリーも<東京の夏>音楽祭で来日した。来る10月にはコンダロータでナーゼリーとの共演歴もあるケマンチェ奏者のカイハン・カルホールもやって来る。一昔前では考えられないようなペルシア音楽花盛り状態で、長年のペルシア音楽ファンとしては嬉しい限りだ。その前は93年のダルヴィーシュ・アンサンブルだったろうか。あの時も78年のパリサー以来だと大騒ぎしたものだが、それから随分開いてしまった。今度は誰だろうかと期待も膨らむ今日この頃である。
 シャーラム・ナーゼリーは、シャジャリアンと並んで現在のペルシア古典声楽界をリードする大歌手。イランでは押しも押されぬ大スターだ。アリザーデやカルホールなど、現代の名だたる演奏家との共演歴も豊富で、自身のルーツであるクルドの音楽も積極的に取り入れ、大きい視野でペルシア音楽を活性化させることを心がけている素晴らしい音楽家である。CDも数え切れないほどリリースされている。
 アリオン音楽財団の<東京の夏>音楽祭でのナーゼリー公演は、7月26日と7月27日、浜離宮朝日ホールで催された。特に2日目は終わるなりスタンディングオヴェーションの大喝采が起こり、稀に見る白熱した素晴らしいステージだった。これは本誌編集長の協賛の下、27日の公演直前に楽屋で行ったナーゼリー氏へのインタビュー全文である。(文中の表記は古くから言い慣れている「ナゼリ」で統一しました)

K 昨日は素晴らしいコンサートを有難うございました。タハリール唱法(表の声と裏声を交錯させる一種の超絶技巧で「うぐいすの声」とも言われてきた)が本当に凄かったとお客様からも聞きました。私も10年余り前からナゼリさんのファンでしたが、遂に伝説の歌声を目の前で聞いて本当に感動しました。

K  ポップビズのフリーペーパーではホセイン・アリザーデ、スィマ・ビナ、マリアム・アホーンディの記事も書かせてもらっています。女性歌手2人はドイツにいる方のようですが、ご存知ですか?

N  大体知っています。
(ナゼリは何かカセットテープ状のボックスにテープを巻きつけている。何に使うものだろうか? 何か不思議な感じ)

K  今回のプログラムについてですが、前半とほぼ一致していると思われる2001年のアルバムMythical Chant (Buda)は、「ライラとマジュヌーン」とシャーナーメ(王書)の2つが合わさった組曲のようなものと考えて良いのでしょうか?

N  その形態の全体を「クルドのシャーナーメ」と言います。

K  その中に「ライラとマジュヌーン」(中東版のロミオとジュリエットと言われたりもする悲恋物語)も入っているということですか?

N  全体の中に「日没(Khour Ava)」とか「ライラとマジュヌーン」、シャーナーメの中の「ロスタム」などがイランの歴史のシンボルとして入れてあって、その全体を「クルドのシャーナーメ」と呼んでいます。

K  「ライラとマジュヌーン」と言えば日本では真っ先にニザーミの詩を連想しますが、そのテーマが入り込んでいるのですか?

N  それとは違います。ライラとマジュヌーンは愛の象徴として入れていて、ニザーミの作品とは直接関係はない。イラン中の都市や各地域にそれぞれの「ライラとマジュヌーン」の物語があり、その中でニザーミがまとめたものが特に有名になっている、ということです。

K  なるほど! ニザーミ版はワン・オブ・ゼムということですね。
(直前に「ライラとマジュヌーン」はやらないらしいとある所から聞いたが、パイヴァール作曲の同名の曲だったのかどうか、結局分からなかった。)

K  今回両日とも前半はMythical Chant(「神話の歌」の意)の通りやられていたようですが、膨らんで長くなっているように聞こえました。インプロヴィゼーションが入って膨らんでいたのでしょうか?

N  そうです。インプロ次第でコンサートの度に長さも変わってきます。

K  メンバーの方の内、タンブールのバシプールさんはクルドの方だと思いますが、トンバクのナヴィッド・アフガーさんは? 彼のディスクアラブからのソロ・アルバムを知っていますが、そこではペルシア音楽の範疇で演奏していました。

N  彼は南のシーラーズ出身で、クルド人ではありません。ダフを叩いていたレザーイーニアーは母方がクルドです。

K  リズム面にも興味を持った方が多いように思いますが、トンバクとダフ、ドホルの組み合わせが作り出すユニークなサウンドを考えたのはナゼリさんですか? エコーのように聞こえて面白かったです。

N  みんなでそうしようかと考えていました。

K  あのドホルというのはクルドだけの打楽器ですか?

N  そうです。

K  パキスタンのシンド地方、ジプシーのルーツ地に当たる所に、ドールという似た名の大きい樽型両面太鼓がありまして、関係はあるのでしょうか?

N  でも元々のルーツはクルドだと思います。

K  トンバク(ザルブ)の叩き方も、テクニックの個々はペルシア古典の奏法とほとんど同じですが、リズムパターンがクルドになっているなと感じました。

N  音楽自体違いますので、合うように演奏方法も変えないといけないから違うやり方になっています。

K  中東の最も古い弦楽器の一つと言われるタンブールですが、19世紀末イランのクルディスタン生まれの演奏家、哲学者に、オスタッド・エラーヒという人がいます。その超越的とも言える演奏は、当店のお客さんにも非常に人気がありますが、イランでは特別な音楽家なのでしょうか? また現在のクルドの演奏家への影響は大きいのでしょうか?

N  クルドにはタンブールのオスタッド(巨匠)は沢山いるので、エラーヒもその中の一人です。バシプールさんはお父さんから教わったようです。

K  イランではそれ程、特別視されている訳でもないのですね。エラーヒが騒がれていたのは、バレエのモーリス・ベジャールやヴァイオリニストのイェフディ・メニューインなど、西洋の大御所が絶賛していたことなどもあるのでしょうか?

N  その通りだと思います。

K  タハリールの素晴らしさに加え、曲の始まる部分での弱音の低い声は、ブルージーとでも形容できそうですが、それはナゼリさんのオリジナルな歌い方でしょうか?

N  どうしてああいう風に歌ったかというと、神秘的な空間を作り出したいと思ったからです。こうやって低い声で歌うと(Khour Avaの冒頭部分を歌う)、何か神秘的な感じがしますよね。

K  そうですね。とても印象的でした。
低音から輝かしい高音へのダイナミズムがナゼリさんの凄さの一つだなと思います。PAではとても素晴らしいマイクを使っていたようですが、ナゼリさんの声を完全には拾い切れていないように感じました。私を含め是非生で聞きたいという方が沢山いました。

N  本当ですか。それはびっくりしました。嬉しいですね。

K  Magham-e Madjnouniでは、タンブールに津軽三味線のようなリズムも出てきましたね。それはクルドにオリジナルなリズムなのか、それともナゼリさんが世界中の音楽を聞いてきて、影響を受けて入ったものなのでしょうか?

N  クルドの音楽は5000年位の歴史があるものです。あのリズムもクルドのオリジナルなものです。

K  クルドですが、イラン、トルコ、イラク、シリアに分散して住んでいますが、共通するものはあるのでしょうか?

N  もちろん。元々一つですから。後から国境線が引かれただけです。

K  東トルコの吟遊詩人スィヴァン・ペルウェルなど、他国のクルドの音楽家から影響を受けることはありますか?

N  ありますよ。ペルウェルも知ってます。

K  往年の大歌手アブドゥッラー・ダヴァーミやマームード・キャリーミなどから教えを受けられたということで、ペルシア古典声楽のメインストリームにもいらっしゃると思うのですが、CDで見る限り最近はクルド系のプログラムが多いように思います。何か心境の変化などあったのでしょうか?

N  いえいえペルシアとクルドとフィフティー・フィフティーですよ。私はダヴァーミの弟子でしたが、30年位前に古典音楽のコンクールで優勝したことがあります。学生の時に。

K  私はタール、セタール奏者のダリウーシュ・タライさんと共演された盤は持っています。これは完全にペルシア古典ですね。

N  タライさんとはパリでコンサートをしたことがあります。パリのド・ラ・ヴィー・ホールや、バルセロナ、マドリードなどでも古典音楽のコンサートをやりました。

K  お客様から、色々この曲を聴きたいというリクエストが聞こえてきます。

N  そうですか。

K  たとえばHeyraniとかGol-e SadBargとかMotreb-e Mahtab Rouとか、どれも私の10年来の愛聴盤でもあります。ゴレ・サッドバルグは5本のセタールを使った非常に美しい曲ですね。

N  セタールだとペルシア音楽寄りですが、タンブールを使う時は大体クルド音楽です。

K  ナゼリさん自身セタールの名手だと言うことも知っています。知人がモロッコのフェズで毎年6月に催される「世界の聖なる音楽祭」を聞きに行っていて、そこで弾き語りとアンサンブル演奏をされた所をビデオに録画していて、そのビデオを見せてもらいました。

N  あの音楽祭には2回参加しました。その時コンクールで優勝しましたよ。

K  ああそうですか! おもむろにセタールを持ってぽろんぽろんと引き出す感じが、セタール弾き語りが実に素晴らしいなと思いました。もし宜しければ是非今日やって下さい。
(インタビュー直後の2日目の公演で、願いが聞き入れられたかのように、後半でセタール弾き語りが聞けた。いやもうこれには感涙を流しました。)

N  イランの声楽家で同時に演奏家でもあるのは僕だけです。まず第一に演奏家であって、第二に声楽家なのです。私はセタールだけでなく音楽全般について勉強したし、作曲家でもあります。

K  ナゼリさんとも共演されていたダスタン・アンサンブルですが、パリサーやスィマ・ビナなど有名な歌手から引っ張りだこのようですが、そのような引きつける要素があるのでしょうか?

N  そんなに音楽グループは沢山ないので、たまたまではないかとも思います。

K  ダスタンの中にはベールズニアーさんのようにバルバット(ウードの祖先)のような古い楽器を持ち出してきたりする人もいますが、表現として新しいものを作り出してもいるグループだと思います。秋に来日予定のケマンチェのカイハン・カルホールもメンバーですね。

N  彼らのやっていることは私の真似をしたのです。私の方が先にやっていたんです(笑)

K  ダヴァーミやキャリーミなどのペルシア音楽の主流の流れは、現在難しくなっているのでしょうか? アリザーデなどは新しい方向を出していると思いますが。時代に合わせて変わっていく必要があると思いますか?

N  イランの古典音楽は一つの体系ですし、根っこは変わらない。一つの木の幹はそのまま保たれて、枝葉はどんどん変わるかも知れませんが、根本は一緒で、方向性が変わっていくという風には思いません。

K  私はセタールと歌のみのような、しみじみ聞かせるオーソドックスな古典音楽が好きで、昔のまま変わらないで欲しいと強く願っている者です。

K  イラン革命後、古典音楽の人気が落ちたということはあったのでしょうか?

N  革命前の古典音楽はどちらかと言えば退屈なものでした。私達が新しい息吹を吹き込んで新しいものを作り出そうとして、それに若い聴衆もついてきた。昔は古典音楽と言えば、おじいさんおばあさんが聞くようなものでした。

K  私もサロンミュージック風に聞こえる部分はあったように思います。

N  王様の前や宮廷で演奏されるものでしたからね。
ルーミーの神秘主義詩を古典音楽と一緒に演奏するようなことは、革命前の伝統にはなかったのです。それを最初にやったのは私です。私はルーミーの神秘主義詩に見られる情熱を吹き込んで、古典音楽に新しい動きを加えたのです。

K  イラン革命があったことによって、イスラームの伝統だけでなくペルシア古典詩の伝統にも深く戻れる部分があったということでしょうか?

N  人々が革命前より伝統的なものに関心を抱くようになり、また好むようになりました。

K  女性のメンバーを使われたこととか予定はありますか?

N  ありますよ。

K  革命後にも?

N  あります。例えば、カムカル・アンサンブルのセタール奏者は女性奏者です。また2人の女性セタール奏者のグループもあります。

K  昨日(7/26)のコンサートは前半がMythical Chant、後半はクルドの曲が続きましたが、何か後半のコンセプトはあったのでしょうか?

N  一つ一つ決めていきました。ルーミーの神秘主義詩の所は即興でやりました。クルドの民族音楽もいくつかの曲を並べてアレンジする形でやりました。

K  今日(7/27)のコンサートはどうですか?

N  大体は一緒ですが、即興部分は変わるでしょう。
(カセットテープ状のボックスにテープを巻き終わった!)

K  今回即売用にお持ちいただいたあなたのアルバム「Journey to Beyond」の中の曲は、演目に入っていますか? この作品はルーミーの詩のみをテキストに使ったアルバムですね。

N  今回の演目にはありませんが、最近「Journey to Beyond」の中の曲をテヘランで別なグループと練習している所です。7人のセタール奏者がいて、内2人が女性、そのグループ名はモウラヴィー(またはルーミー、トルコ語ではメヴレヴィー)と言います。

K  それは凄いですね! 話は変わりますが、イラン・ポップスはどう思いますか?

N  とても悪いと思います。嫌いです私は。あれは人々をだます詐欺音楽です(笑)

K  新しいプロジェクトはありますか?

N  息子のハーフェズ・ナゼリがアメリカにいますが、ニューヨークのアジア・ソサエティで10月28日にあるルーミーの記念コンサートに息子と出ることになっています。

K  最後の質問になりますが、日本の印象とか、イランと日本の共通点、相違点など、お感じになったことはありますか?

N  今の所、特に共通点は感じないです。でも日本はとても良い文化を持っていると思います。特に道徳とか倫理において。自分たちで努力する人たちですし、努力したから世界中を凌駕することが出来たのでしょう。イランにはどの家にも日本製品がありますし(笑)

K  長い時間、有難うございました。

文中のKは、近藤博隆 Hirotaka Kondo / ZeAmi代表    Nはシャーラム・ナーゼリー氏

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