イラン古典声楽の巨匠 シャーラム・ナーゼリー
去年のナゼリさん来日公演のインタビュー記事です。 いつかブログに上げようと思っていました。
ようやく実現しましたw
Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #05より転載
2002、2004年のホセイン・アリザーデに続いて、シャーラム・ナーゼリーも<東京の夏>音楽祭で来日した。来る10月にはコンダロータでナーゼリーとの共演歴もあるケマンチェ奏者のカイハン・カルホールもやって来る。一昔前では考えられないようなペルシア音楽花盛り状態で、長年のペルシア音楽ファンとしては嬉しい限りだ。その前は93年のダルヴィーシュ・アンサンブルだったろうか。あの時も78年のパリサー以来だと大騒ぎしたものだが、それから随分開いてしまった。今度は誰だろうかと期待も膨らむ今日この頃である。
シャーラム・ナーゼリーは、シャジャリアンと並んで現在のペルシア古典声楽界をリードする大歌手。イランでは押しも押されぬ大スターだ。アリザーデやカルホールなど、現代の名だたる演奏家との共演歴も豊富で、自身のルーツであるクルドの音楽も積極的に取り入れ、大きい視野でペルシア音楽を活性化させることを心がけている素晴らしい音楽家である。CDも数え切れないほどリリースされている。
アリオン音楽財団の<東京の夏>音楽祭でのナーゼリー公演は、7月26日と7月27日、浜離宮朝日ホールで催された。特に2日目は終わるなりスタンディングオヴェーションの大喝采が起こり、稀に見る白熱した素晴らしいステージだった。これは本誌編集長の協賛の下、27日の公演直前に楽屋で行ったナーゼリー氏へのインタビュー全文である。(文中の表記は古くから言い慣れている「ナゼリ」で統一しました)
K 昨日は素晴らしいコンサートを有難うございました。タハリール唱法(表の声と裏声を交錯させる一種の超絶技巧で「うぐいすの声」とも言われてきた)が本当に凄かったとお客様からも聞きました。私も10年余り前からナゼリさんのファンでしたが、遂に伝説の歌声を目の前で聞いて本当に感動しました。
K ポップビズのフリーペーパーではホセイン・アリザーデ、スィマ・ビナ、マリアム・アホーンディの記事も書かせてもらっています。女性歌手2人はドイツにいる方のようですが、ご存知ですか?
N 大体知っています。
(ナゼリは何かカセットテープ状のボックスにテープを巻きつけている。何に使うものだろうか? 何か不思議な感じ)
K 今回のプログラムについてですが、前半とほぼ一致していると思われる2001年のアルバムMythical Chant (Buda)は、「ライラとマジュヌーン」とシャーナーメ(王書)の2つが合わさった組曲のようなものと考えて良いのでしょうか?
N その形態の全体を「クルドのシャーナーメ」と言います。
K その中に「ライラとマジュヌーン」(中東版のロミオとジュリエットと言われたりもする悲恋物語)も入っているということですか?
N 全体の中に「日没(Khour Ava)」とか「ライラとマジュヌーン」、シャーナーメの中の「ロスタム」などがイランの歴史のシンボルとして入れてあって、その全体を「クルドのシャーナーメ」と呼んでいます。
K 「ライラとマジュヌーン」と言えば日本では真っ先にニザーミの詩を連想しますが、そのテーマが入り込んでいるのですか?
N それとは違います。ライラとマジュヌーンは愛の象徴として入れていて、ニザーミの作品とは直接関係はない。イラン中の都市や各地域にそれぞれの「ライラとマジュヌーン」の物語があり、その中でニザーミがまとめたものが特に有名になっている、ということです。
K なるほど! ニザーミ版はワン・オブ・ゼムということですね。
(直前に「ライラとマジュヌーン」はやらないらしいとある所から聞いたが、パイヴァール作曲の同名の曲だったのかどうか、結局分からなかった。)
K 今回両日とも前半はMythical Chant(「神話の歌」の意)の通りやられていたようですが、膨らんで長くなっているように聞こえました。インプロヴィゼーションが入って膨らんでいたのでしょうか?
N そうです。インプロ次第でコンサートの度に長さも変わってきます。
K メンバーの方の内、タンブールのバシプールさんはクルドの方だと思いますが、トンバクのナヴィッド・アフガーさんは? 彼のディスクアラブからのソロ・アルバムを知っていますが、そこではペルシア音楽の範疇で演奏していました。
N 彼は南のシーラーズ出身で、クルド人ではありません。ダフを叩いていたレザーイーニアーは母方がクルドです。
K リズム面にも興味を持った方が多いように思いますが、トンバクとダフ、ドホルの組み合わせが作り出すユニークなサウンドを考えたのはナゼリさんですか? エコーのように聞こえて面白かったです。
N みんなでそうしようかと考えていました。
K あのドホルというのはクルドだけの打楽器ですか?
N そうです。
K パキスタンのシンド地方、ジプシーのルーツ地に当たる所に、ドールという似た名の大きい樽型両面太鼓がありまして、関係はあるのでしょうか?
N でも元々のルーツはクルドだと思います。
K トンバク(ザルブ)の叩き方も、テクニックの個々はペルシア古典の奏法とほとんど同じですが、リズムパターンがクルドになっているなと感じました。
N 音楽自体違いますので、合うように演奏方法も変えないといけないから違うやり方になっています。
K 中東の最も古い弦楽器の一つと言われるタンブールですが、19世紀末イランのクルディスタン生まれの演奏家、哲学者に、オスタッド・エラーヒという人がいます。その超越的とも言える演奏は、当店のお客さんにも非常に人気がありますが、イランでは特別な音楽家なのでしょうか? また現在のクルドの演奏家への影響は大きいのでしょうか?
N クルドにはタンブールのオスタッド(巨匠)は沢山いるので、エラーヒもその中の一人です。バシプールさんはお父さんから教わったようです。
K イランではそれ程、特別視されている訳でもないのですね。エラーヒが騒がれていたのは、バレエのモーリス・ベジャールやヴァイオリニストのイェフディ・メニューインなど、西洋の大御所が絶賛していたことなどもあるのでしょうか?
N その通りだと思います。
K タハリールの素晴らしさに加え、曲の始まる部分での弱音の低い声は、ブルージーとでも形容できそうですが、それはナゼリさんのオリジナルな歌い方でしょうか?
N どうしてああいう風に歌ったかというと、神秘的な空間を作り出したいと思ったからです。こうやって低い声で歌うと(Khour Avaの冒頭部分を歌う)、何か神秘的な感じがしますよね。
K そうですね。とても印象的でした。
低音から輝かしい高音へのダイナミズムがナゼリさんの凄さの一つだなと思います。PAではとても素晴らしいマイクを使っていたようですが、ナゼリさんの声を完全には拾い切れていないように感じました。私を含め是非生で聞きたいという方が沢山いました。
N 本当ですか。それはびっくりしました。嬉しいですね。
K Magham-e Madjnouniでは、タンブールに津軽三味線のようなリズムも出てきましたね。それはクルドにオリジナルなリズムなのか、それともナゼリさんが世界中の音楽を聞いてきて、影響を受けて入ったものなのでしょうか?
N クルドの音楽は5000年位の歴史があるものです。あのリズムもクルドのオリジナルなものです。
K クルドですが、イラン、トルコ、イラク、シリアに分散して住んでいますが、共通するものはあるのでしょうか?
N もちろん。元々一つですから。後から国境線が引かれただけです。
K 東トルコの吟遊詩人スィヴァン・ペルウェルなど、他国のクルドの音楽家から影響を受けることはありますか?
N ありますよ。ペルウェルも知ってます。
K 往年の大歌手アブドゥッラー・ダヴァーミやマームード・キャリーミなどから教えを受けられたということで、ペルシア古典声楽のメインストリームにもいらっしゃると思うのですが、CDで見る限り最近はクルド系のプログラムが多いように思います。何か心境の変化などあったのでしょうか?
N いえいえペルシアとクルドとフィフティー・フィフティーですよ。私はダヴァーミの弟子でしたが、30年位前に古典音楽のコンクールで優勝したことがあります。学生の時に。
K 私はタール、セタール奏者のダリウーシュ・タライさんと共演された盤は持っています。これは完全にペルシア古典ですね。
N タライさんとはパリでコンサートをしたことがあります。パリのド・ラ・ヴィー・ホールや、バルセロナ、マドリードなどでも古典音楽のコンサートをやりました。
K お客様から、色々この曲を聴きたいというリクエストが聞こえてきます。
N そうですか。
K たとえばHeyraniとかGol-e SadBargとかMotreb-e Mahtab Rouとか、どれも私の10年来の愛聴盤でもあります。ゴレ・サッドバルグは5本のセタールを使った非常に美しい曲ですね。
N セタールだとペルシア音楽寄りですが、タンブールを使う時は大体クルド音楽です。
K ナゼリさん自身セタールの名手だと言うことも知っています。知人がモロッコのフェズで毎年6月に催される「世界の聖なる音楽祭」を聞きに行っていて、そこで弾き語りとアンサンブル演奏をされた所をビデオに録画していて、そのビデオを見せてもらいました。
N あの音楽祭には2回参加しました。その時コンクールで優勝しましたよ。
K ああそうですか! おもむろにセタールを持ってぽろんぽろんと引き出す感じが、セタール弾き語りが実に素晴らしいなと思いました。もし宜しければ是非今日やって下さい。
(インタビュー直後の2日目の公演で、願いが聞き入れられたかのように、後半でセタール弾き語りが聞けた。いやもうこれには感涙を流しました。)
N イランの声楽家で同時に演奏家でもあるのは僕だけです。まず第一に演奏家であって、第二に声楽家なのです。私はセタールだけでなく音楽全般について勉強したし、作曲家でもあります。
K ナゼリさんとも共演されていたダスタン・アンサンブルですが、パリサーやスィマ・ビナなど有名な歌手から引っ張りだこのようですが、そのような引きつける要素があるのでしょうか?
N そんなに音楽グループは沢山ないので、たまたまではないかとも思います。
K ダスタンの中にはベールズニアーさんのようにバルバット(ウードの祖先)のような古い楽器を持ち出してきたりする人もいますが、表現として新しいものを作り出してもいるグループだと思います。秋に来日予定のケマンチェのカイハン・カルホールもメンバーですね。
N 彼らのやっていることは私の真似をしたのです。私の方が先にやっていたんです(笑)
K ダヴァーミやキャリーミなどのペルシア音楽の主流の流れは、現在難しくなっているのでしょうか? アリザーデなどは新しい方向を出していると思いますが。時代に合わせて変わっていく必要があると思いますか?
N イランの古典音楽は一つの体系ですし、根っこは変わらない。一つの木の幹はそのまま保たれて、枝葉はどんどん変わるかも知れませんが、根本は一緒で、方向性が変わっていくという風には思いません。
K 私はセタールと歌のみのような、しみじみ聞かせるオーソドックスな古典音楽が好きで、昔のまま変わらないで欲しいと強く願っている者です。
K イラン革命後、古典音楽の人気が落ちたということはあったのでしょうか?
N 革命前の古典音楽はどちらかと言えば退屈なものでした。私達が新しい息吹を吹き込んで新しいものを作り出そうとして、それに若い聴衆もついてきた。昔は古典音楽と言えば、おじいさんおばあさんが聞くようなものでした。
K 私もサロンミュージック風に聞こえる部分はあったように思います。
N 王様の前や宮廷で演奏されるものでしたからね。
ルーミーの神秘主義詩を古典音楽と一緒に演奏するようなことは、革命前の伝統にはなかったのです。それを最初にやったのは私です。私はルーミーの神秘主義詩に見られる情熱を吹き込んで、古典音楽に新しい動きを加えたのです。
K イラン革命があったことによって、イスラームの伝統だけでなくペルシア古典詩の伝統にも深く戻れる部分があったということでしょうか?
N 人々が革命前より伝統的なものに関心を抱くようになり、また好むようになりました。
K 女性のメンバーを使われたこととか予定はありますか?
N ありますよ。
K 革命後にも?
N あります。例えば、カムカル・アンサンブルのセタール奏者は女性奏者です。また2人の女性セタール奏者のグループもあります。
K 昨日(7/26)のコンサートは前半がMythical Chant、後半はクルドの曲が続きましたが、何か後半のコンセプトはあったのでしょうか?
N 一つ一つ決めていきました。ルーミーの神秘主義詩の所は即興でやりました。クルドの民族音楽もいくつかの曲を並べてアレンジする形でやりました。
K 今日(7/27)のコンサートはどうですか?
N 大体は一緒ですが、即興部分は変わるでしょう。
(カセットテープ状のボックスにテープを巻き終わった!)
K 今回即売用にお持ちいただいたあなたのアルバム「Journey to Beyond」の中の曲は、演目に入っていますか? この作品はルーミーの詩のみをテキストに使ったアルバムですね。
N 今回の演目にはありませんが、最近「Journey to Beyond」の中の曲をテヘランで別なグループと練習している所です。7人のセタール奏者がいて、内2人が女性、そのグループ名はモウラヴィー(またはルーミー、トルコ語ではメヴレヴィー)と言います。
K それは凄いですね! 話は変わりますが、イラン・ポップスはどう思いますか?
N とても悪いと思います。嫌いです私は。あれは人々をだます詐欺音楽です(笑)
K 新しいプロジェクトはありますか?
N 息子のハーフェズ・ナゼリがアメリカにいますが、ニューヨークのアジア・ソサエティで10月28日にあるルーミーの記念コンサートに息子と出ることになっています。
K 最後の質問になりますが、日本の印象とか、イランと日本の共通点、相違点など、お感じになったことはありますか?
N 今の所、特に共通点は感じないです。でも日本はとても良い文化を持っていると思います。特に道徳とか倫理において。自分たちで努力する人たちですし、努力したから世界中を凌駕することが出来たのでしょう。イランにはどの家にも日本製品がありますし(笑)
K 長い時間、有難うございました。
文中のKは、近藤博隆 Hirotaka Kondo / ZeAmi代表 Nはシャーラム・ナーゼリー氏
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