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2007年10月

2007年10月31日 (水)

ウラル・アルタイの話

昨日はコダーイが登場しましたので、少し飛躍しますが、今日はウラル・アルタイ語族の小話を一つ。
ウラル系とは、ウラル・アルタイ諸語のブランチの一つですが、アルタイに入るのがトルコ系(チュルク系)諸語とモンゴル系、ツングース(満州語等)、ウラル系はハンガリー、フィンランド、カレリア、ラップ、エストニア、モルドヴィン、チェレミス(マリ)などです。よくハンガリーはアジア系と言われますが、人種的にはオイロピーデ(白色人種)がベースで、若干モンゴロイドの要素が入った程度のようです。シベリア北西部のサモエード(ネネツ、セリクプ等)もウラル系に入るようで、北方のシベリアにおいては東のサハ(旧ヤクート)やトゥヴァがチュルク系なのと対照的です。サモエード以外のウラル系はフィン・ウゴル語族と言われます。

ヴォルガ流域~ウラル山脈にかけては、ウラルとアルタイの少数民族がモザイク状に住んでいるエリア。ウラル系はモルドヴィン、チェレミス(マリ)など、アルタイ系(ほとんどがチュルク語系)はタタール、バシュコルトスタン、チュヴァシなどです。このように、ハンガリーの遠い親類に当たるような人々が、ロシアのヴォルガ流域にいる訳ですね。チュルク系の方はイスラム教徒が多く、明治時代に「白系ロシア」として来日した人にも、実はタタール人が多かったようです。あの井筒俊彦氏がタタール人のイスラーム学者からアラビア語の手ほどきを受けたのは有名な話。ロシア現代の作曲家グバイドゥーリナはタタールとのハーフです。

何より、ロシアの中にウラルとアルタイの少数民族がいたり、イスラーム世界が内在していることはもっと知られて良いと思います。
youtubeを探してみましたが、チュルク系はかなりありますが、ウラル系はほとんど見当たりません。これは面白い傾向だと思いました。トルコ繋がりでyoutubeも沢山アップされるのでは、と思います。
以上、今回は散漫ですが、非常に興味深いテーマなので、少しずつビデオも参照しながら色んな角度から当たって行ければと思っています。

Zoltán Kodály-Dances of Galánta (Rajkó orchestra)

コダーイの代表作の一つ、ガランタ舞曲をブダペストのユダヤ教会(シナゴーグ)のメンバーが演奏しています。おそらく名高いドハーニ街のシナゴーグでしょう。皆祈祷帽のキパを被っています。ハンガリーはウラル系なので、苗字・名前の順に綴るのが正しいようです。バルトーク・ベラとかコダーイ・ゾルタンのように。

Kodály-zenei

コダーイへのインタビュー。この人とバルトークがいなかったら、その後の民族音楽研究はかなり違ったものになったのでは。ハンガリーは20世紀前半においてはシーンを牽引していたと思います。ヨーロッパとアジアの境であるハンガリーにそのムーヴメントが起こったことは、とても重要なポイントでしょう。

Chuvash Kids On Their Folklore

チュヴァシの民族衣装を着けた少女。

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2007年10月30日 (火)

シュタルケルのコダーイ

昨日予告しましたシュタルケルの代名詞のような曲は・・・

ゾルタン・コダーイ(1882-1967)の無伴奏チェロ・ソナタです。
20世紀最高の無伴奏チェロ曲と言われている名曲ですが、チェロ曲では屈指の難曲として知られ、3楽章の最高音では指板の外まで出るところもあります。調弦も特殊調弦で書かれています。(通常は下からド、ソ、レ、ラですが、シ、ファ♯、レ、ラに変更)

小学校の頃、TVに大映しになったヤーノシュ・シュタルケルが、凄い迫力でこの曲を轟々と弾く様を見て、言いようのない恐怖を覚えましたw  子供には恐い曲でしょうね。  
コダーイは、バルトークと並んで、ハンガリーの民謡研究に大きな足跡を残した作曲家でした。この曲にも、ハンガリーの民族的なメロディや、トランシルヴァニア地方の民族楽器の響きなどが盛り込まれています。
youtubeには何故か第3楽章だけしかアップされてませんので、1楽章は他の演奏家(Marcos Vivesという人)のビデオを上げておきます。シュタルケルの豪快な演奏には負けますがw

Kodaly Sonata for Solo Cello Op. 8, 1st mov. Marcos Vives

Janos Starker - Kodály Solo Sonata - 3rd mvt. excerpt

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2007年10月29日 (月)

シュタルケルのカサド

ペルシア音楽が長く続きましたので、少しクラシックの方にも行ってみましょう。
ペルシア音楽にはまた頻繁に戻る予定ですので。
今日は、ハンガリーの名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの弾く、ガスパール・カサドの無伴奏チェロ組曲の第1楽章。
何故か聞く機会がなく最近初めて聞いた曲ですが、音楽だけでなく、ボウイングとフィンガリングの動きの美しさにも驚きました。さすがチェロの達人から生まれた曲だなぁと思います。シュタルケルの技が素晴らしく映えています。

 以下は、日本のガスパール・カサド(1897-1966)紹介サイトより

ガスパール・カサドは400年にわたるチェロの歴史の中でも最も偉大な演奏家・作曲家の一人ですが、自身 の師でもある同郷の巨匠カザルスの陰となり、残念ながら我が国では一部の愛好家のみに知られる存在となっております。しかし、「無伴奏チェロ組曲」、「ス ペイン古典形式によるソナタ」、「愛の言葉」など彼の残した作品のいくつかが、現代のチェリストにとっても重要なレパートリーとなっていることを考えるに つけ、数多の演奏家・作曲家と共に歴史の中への埋没を許される存在ではないと思います。

Janos Starker - Cassadó: Suite - 1st mvt.

明日は、シュタルケルの代名詞のような、あの曲!

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2007年10月28日 (日)

アブドルワハブ・シャヒーディー

今日は全国的に良い天気のようです。関東は台風一過の晴天では? 
こんな日は極上のマーフールで!w
名男性歌手アブドルワハブ・シャヒーディーをフィーチャーした、氏の自作曲「Negah Garm To」の冒頭部分です。このビデオは私も持っていますが、アーヴァーズ部分を歌う時にウードの音が消えているのが困りものでした。
この曲が70年代初頭に収録され、初めてフランスで出たのはOcora(ラジオ・フランス)でしたが、これは今でも名盤中の名盤で、これだけの超豪華な布陣は今ではまず考えられないと思います。この盤はリーダーのファラマルズ・パイヴァールで知られることが多かったかも知れませんが、彼よりはやはりシャヒーディーのカラーがストレートに出た内容。マーフール旋法の「Negah Garm To」は、米西海岸のレーベルCALTEXから曲名と同名の盤が出ていましたが、内容はテイク違いでした。今回のyoutubeはCALTEXのキャストと同じだと思います。しかし、Ocoraの方がオールスターキャストですよw
  
 アブドルワハブ・シャヒーディー(ウード、歌)、
 ジャリール・シャーナズ(タール)、
 アスガール・バハーリー(ケマンチェ)、
 ファラマルズ・パイヴァール(サントゥール)、
 ハッサン・ナヒッド(ネイ)、
 ホセイン・テヘラーニ(トンバク)  

Abdolvahab Shahidi


Shahidinegahcaltex  Abdolvahab Shahidi : Avaz, Oud
 Faramarz Payvar : santur o tanzim
 Hassan Nahid : ney
 Rahmatollah Badiyi : kamantcheh
 Mohammad Esmaili : tonbak

CALTEX盤

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2007年10月27日 (土)

2002年のアリザーデ作品

今日は2002年初来日の時のアルバム、Birdsのおそらくプロモーション・ビデオ。リリースしているレーベル、BaMusicの出品。
来日の時と同じ3人の演奏で、とても繊細で哀愁に満ちた曲調です。旋法名は載っ ていませんが、ナヴァーやホマーユンあたりの組み合わせではないかと思います。イラン古典の範囲内でありながら、外国の聴衆の心にもストレートに訴えかけ るような素晴らしい演奏。マジッド・ハラジ氏自身のプロデュースで、さすが楽器の特性をよくつかんだ録音も素晴らしいものでした。ホマさんは、98年リリースのRaze Noで、アフサーネ・ラサーイーさんと女性歌唱デュオを受け持っていた人。北イラン出身のようなので、ダシュティ辺りが得意かも。最初のアルバムの仏Buda盤ではダシュティを歌っていました。彼女のしっとりした歌唱が私は結構好きです。ダシュティ旋法の名曲、デイラーマンとか歌って欲しいものですねw

 ホセイン・アリザーデ(セタール)、
 ホマ・ニークナム(歌)、
 マジッド・ハラジ(トンバク、ダイレ、ダフ)
 曲目:Birds, Night Light, Fire, Light as the Butterfly

CD Birds: Hossein Alizadeh, Homa Niknam, Madjid Khaladj

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2007年10月26日 (金)

鴬の声とドゥドゥクの美しき出会い

今日のビデオEndless Visionは、アリザーデ率いるハムアーヴァーヤーンと、イランの北西隣りアルメニアのドゥドゥクの巨匠、ジヴァン・ガスパリアンの注目の共演盤でした。噂を聞いた時、一見奇抜とも思える組み合わせに驚いたものですが、聞いてみてそんな心配は吹き飛びました。隣の 国だから音楽にも似た部分は元々多いのでしょう。アルメニア語はペルシア系と思われていた時期もあった位ですから。「東京の夏」音楽祭で来日した女性Endlessvision_2 歌手二人はアルメニアの 歌も歌い、またこれが実に素晴らしく、ドゥドゥクの音と聞き間違える程。また弦楽器シュールアンギーズの陰影に富んだ音色は、とてもアルメニア音楽向きに聞こ え、タンブールを更に内省的 にしたような音色。弦楽器、ドゥドゥク、歌のいずれも哀感に溢れた絶美の演奏です。ビデオで見て感動を新たにしました。2003年テヘランでのライヴ録音
2007年グラミー賞ワールド・ミュージック部門ノミネート作品

Hossein Alizadeh - Endless Vision (2003)

ホセイン・アリザーデ(Shourangiz)Vlcsnap308523 & ジヴァン・ガスパリアン(Duduk)Vlcsnap310472




Hamavayan
アフサーネ・ラサーイー(Vo) 、ホルシド・ビアーバーニー(Vo) 、
M.アリ・アハディ(Vo) 、アリ・サマドプール(Vo) 、アリ・ブスタン(Shourangiz) 、
M.レザ・エブラヒミ(Oud) 、ベーザード・ミルザーイー(Tombak,Daf,Naghareh) 、
アルメン・ガザリヤン(Duduk) 、ヴァズゲン・マルカリアン(Bass Duduk)

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2007年10月25日 (木)

最近のアリザーデさん1

往年のペルシア音楽の名手を特集していましたが、いつの間にかそれました。
しばらく、現代の名手ホセイン・アリザーデさんの最近の作品を追ってみましょう。
Raze No(「新しい秘密」の意)は2004年の来日公演で披露された曲で、女性歌手アフサーネ・ラッサーイーと男性歌手プーリア・アハヴァス他4人の歌手を中心に、「タハリール合 戦」を繰り広げるかのような集団即興がユニークな作品でした。ハムアーヴァーイー(「声をあRazeno わせて歌う」というような意味)とは「アーヴァーズ」からの造 語。ヒント は西洋古典のポリフォニックな歌唱にもあったようですが、単にハーモニー化することなくイラン版ポリフォニーのように聞こえる斬新さを感じさせた曲です。この曲は98年にCDリリースされていて、イランの内外で高く評価され、アリザーデの創造性がいかんなく発揮された名盤でした。

以下はラーゼ・ノウではありませんが、同じハムアーヴァーヤン・アンサンブルとしての今年、2007年のライヴです。ベルリンとオランダのユトレヒトでの映像。中央のアリザーデさんの左に座っているプーリア・アハヴァスさん(右はアフサーネさん)、東イランのバルチスタンでよく用いられる擦弦楽器ゲイチャクを弾きながら歌っています。パキスタンのサーリンダなどに似た、8の字型の胴が特徴的です。右端のケマンチェとロバーブ奏者の二人はアリザーデさんの息子さん。お二人には頑張って欲しいですね。
この映像を見て思うのは、セタール奏者を置いて本人はシュルアンギズを弾いていること、ゲイチャク、ロバーブのような東イランの楽器が目立つことなど、興味深いポイントだと思います。ハラジさんのトンバクも東っぽいかも。

Hamavayan Ensemble in Berlin 2007

Hamavayan Ensemble-Hossein Alizadeh

Hossein Alizadeh, shuranghiz
Afsaneh Rassai, vocals
Madjid Khaladj, tombak & daf
Ali Boustan, setar
Pouria Akhavas, vocals
Nima Alizadeh, robab
Saba Alizadeh, kamancheh

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2007年10月24日 (水)

最近のパリサー

今日は最近のパリサーの映像を一本。行く先々でスタンディング・オヴェーションを巻き起こしたという新プロジェクト、Gol-e Beheshtから。Network Medienからの同名のアルバムの1枚目に収録されている曲(Ab-e Zolal)です。2005年のツアーの映像。

Parissa & Dastan

ハミド・モテバッセム(タール、セタール)、ホセイン・ベールズニアー(バルバット)、
サイード・ファラジプーリ(ケマンチェ)、ペジマン・ハダディ(トンバク)、ベーナム・サマニ(ダフ)

Ab-e Zolalは、ルーミー(モウラヴィー)の詩によるタスニーフ。
愛と陶酔、そしてカタルシスを呼び起こす魔法の歌声を味わえるライヴです。旋法はイスファハーンで、リーダーのモテバッセムによる作曲。聞いているとぞくぞくしてくるような素晴らしい曲ですね。師匠のマームード・キャリーミーから「あらゆる旋法を歌いこなし、イラン音楽の演奏者に求められるものを全て持っている。私の最高の教え子である。」と折り紙付きだったという名歌手パリサー。若い頃の輝かしい歌唱は勿論ですが、年齢を重ねた円熟の歌声も実に素敵です。
(師匠のキャリーミのビデオも捜索中w  なさそうですが・・)
同じアンサンブル・ダスタンとの共演で、パリのライヴも出ています。
カメラが遠いのがちょっと残念。客席からこっそり録ったのでしょうw

Concert Parissa et Dastan à Paris
http://www.youtube.com/watch?v=DyDNXvPjKg4
http://www.youtube.com/watch?v=CtKq17342UU

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2007年10月23日 (火)

パリサーのあのタスニーフ!

今日もファーテメ・パリサーの映像を一本。
ビクターJVCから出ていた「ペルシア絶唱」の1曲目、マーフール旋法の演奏の終わりに出てきたあの曲です。雨後の虹のように美しいタスニーフ(歌曲)です。詩はシェイーヒ・バハーイー、作曲はシェイダー。

Parisa, Mahour

 いつまで汝唯一なる者との合一を求めて
 まつげ1本1本から我が涙が
 洪水のごとく流れ落ちるのか

 皆それぞれの言葉で汝に感謝を表現している
 ナイティンゲールは恋歌を歌い
 きじばとはタラネー(小歌)を歌って

  (羽田享一訳 ビクター「ペルシャ絶唱/イスラム神秘主義の歌声」より)

バックは Dariush Talaiのタール、Parviz Meshkatianのサントゥール、ケマンチェとカーヌーン、トンバク奏者は不明。ケマンチェが2本なのが珍しいでしょう。爪弾く方の琴のような楽器カーヌーンも、当時はしばしば使われていたようです。東京でのライヴとはメンバーが異なります。ダリウーシュ・タライは、アリザーデと並び称される現代のタール&セタールの名手。パリサーが少し不調な気もしますが、貴重なビデオです。
78年東京ライヴの方も、誰かアップしてくれないものでしょうか(笑)

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2007年10月22日 (月)

パリサー&アリザーデ 1977

昨日転載した文章で触れたライヴですが、何と先月にビデオがアップされていました。
イランでTV放映されたのを誰かがビデオに録っていた映像ではないかと思われます。
CDと全く同じナヴァーの演奏です。も~~う、最高です。あのタハリール(特に一本目)を映像で見られます! 若き日のパリサーとアリザーデの珠玉のデュエットを、どうぞご堪能下さい。

Parisa, Nava, Saz-o-Avaz

Parisa, Nava, Tasnif (Pir-e Farzaneh)

Alizadeh(タール)、Meshkatian(サントゥール)、Parisa(アーヴァーズ)、Shekarchi(ケマンチェ)、Kianinejad(ネイ)、Morteza Ayan(トンバク)

この演奏は、1977年シーラーズのハーフェズィエ(詩人ハーフェズの廟があるペルシア庭園)で行われた、第11回芸術祭のイラン古典音楽演奏会の実況録画です。
音源は、キングの旧ワールドミュージックライブラリーに入っていた「ペルシア追想」に収録されていました。現在は「イランの音楽~栄光のペルシア」に収録されています。

リーダーはサントゥールのメシュカティアンでしょうか。翌年の78年日本でのライヴ(ビクターJVCの「ペルシア絶唱」に収録)は、セタールとタールがアリザーデではなく、ジャラール・ゾルフォヌン(おそらくリーダー)、ネイはモハンマド・ムーサヴィー、トンバクは同じモルタザー・アーヤーン、という編成でした。
これは勝手な想像ですが、ローテーションや演目によっては、もしかしたらアリザーデとの来日と言うのもありだったのかも知れませんね。

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2007年10月21日 (日)

アリーザーデとパリサー

今日はいきなり時代を下って、現代の巨匠ホセイン・アリーザーデ。
彼については、もう説明不要な気もしますが、拙稿を下記に転載しておきます。
ビデオは、めちゃくちゃ映像が悪い上に、前半はチューニングが延々続きますが、現在もペルシア音楽界随一の歌姫であるファーテメ・パリサーの伴奏を、アリザーデ他の楽団が受け持っている大変貴重なビデオです。収録は77年前後くらいでしょうか。アリザーデさん、若い! (下記では言いなれた「アリザーデ」で通していますw)

Parisa_I

 2度来日公演を果たし、日本でも大分知名度が上がってきたイランのタール&セタール奏者のホセイン・アリザーデ。05年には2002年初来日公演を収めたDVDも国内発売された。鮮明な映像で画面に映し出される名手の妙技。長年のファンの一人として感慨もひとしおである。
 ほとんどフリーリズム演奏に変容しているパッショネートな弦楽器の超絶技巧に、これまた当意即妙に応じるマジッド・ハラジのトンバク(ザルブ)も実に素晴らしい。昔ながらのチャハールメズラブやレングなどの、イラン古典の定型リズムに則った演奏からみると、自由奔放と言えるのかも知れないが、それが非イラン人の聴衆にもダイレクトなインパクトを与えていることは確かだろう。北イラン出身の女性歌手ホマ・ニークナムの清楚な歌唱も好感が持てる。2人の即興はKereshmeh盤やBudaの2枚組みなどでファンの間では既にお馴染みのスタイルだったが、それが遂に日本で見られるとなって大興奮の内に会場に出かけたものだった。
 アリザーデは歌も交えた作品でも注目作を連発している。2004年東京の夏音楽祭で披露されたRaze Noは、タハリール(鶯の声と訳されるヴォーカル・テクニック)を利かせたアーヴァーズを複数重ね合わせるというこれまでに例を見ないものだった。ヒントは西洋古典のポリフォニックな歌唱にもあったが、単にハーモニー化することなくイラン版ポリフォニーのように聞こえる斬新さを感じさせた。イスラーム以前のゾロアスター教時代を想起させるコンセプトと衣装も興味深かった。
 更にアルメニアの至宝、ドゥドゥク奏者のジヴァン・ガスパリアンとの共演作が05年発表された。イランの北西部に接し同じ印欧語族で、昔はイラン系と思われていたこともあるアルメニア。Raze Noに出演した2人の女性歌手がアルメニアの歌も歌っているが、これもとても美しい。奇抜な組み合わせに終わらない深さを感じさせる作品だった。

 アリザーデと言えば、筆者が彼の音楽にめぐり合ったのは偶然だった。91年頃だったか、FM放送された彼のネイ・ナヴァーが最初であった。弦楽の透明な響きの上にネイの音がたゆたう、侘び寂びとノスタルジーが絶妙にブレンドしたような大変美しい曲である。解説は当時の気鋭のイスラーム学者、故・五十嵐一氏。氏は「雅びということを感じますですねー」と語っていた。筆者はイランの古典音楽には長年関心を持ち続けていたが、その時点では「アリザーデ」は未知の存在。むしろ五十嵐さんの名前に惹かれて聞いた番組であった。
 その後94年頃だったか、都内にあった某専門店在籍時に、リスト上でアメリカのイラン音楽専門レーベルKereshmehからのHamnava'iに始まる一連の作品を発見し、アリザーデの名前にこれまた偶然再会。入れてみて驚いた。ネイ・ナヴァーのような、西洋音楽との折衷作品ばかりかと思っていたら、タール2本とトンバクの作品(Hamnava`i)や、あのか細くも思えるセタール一本でドラマティックに展開する作品(Torkaman)など、目を見張るような斬新な作品群を耳にすることになった。そして私とお得意様の間でいつしか話題騒然のアーティストになっていた。ペルシアの古典音楽を正統に受け継ぎながら、更に消化しきった上で独創的な息吹を吹き込んでいる、現代ペルシア音楽界の鬼才なのだということが徐々に分かってきたのだ。ケレシュメ諸作品の衝撃もあっただろうし、欧米へのコンサート・ツアーで注目度が急上昇したのだろう。それから数年の内に、BudaやWergoなど、欧米の有名レーベルから次々とアルバムが登場。
 CDで彼の名が初めて登場したのは、キングの旧ワールドミュージックライブラリーに入っていた「ペルシア追想」(現在は「イランの音楽~栄光のペルシア」に収録)だったろうか。1977年シーラーズでのコンサート録音で、名歌手パリサーの伴奏でタールを弾いている。この時の演奏もナヴァーだった。パリサーの歌声はもちろん素晴らしいが、タールで淡々と導入を弾き始める彼の音の何と美しかったことだろうか。ぞくぞくっとするような音だった。
 ペルシアの旋法は大きく分けて12あり、ホマーユンやエスファハーンのような他の短調系旋法にも名演は多いが、アリザーデは妙にナヴァーが似合う人だ。侘び寂びとノスタルジーに、彼独特の熱いメッセージが込められ、中空に放たれる。2004年の来日時に芸大と早稲田大学でのレクチャーで聞いた彼のソロは、あのナヴァーをすぐに思い出させた。女性歌手アフサーネ・ラサーイー他の独唱とのからみも聞かれ、それはもう絶品以外の何ものでもなく、気が付くと感涙を流す自分がいた。 

Hossein Alizadeh=1951年テヘラン生まれ、フーシャング・ザリフ、アリ・アクバル・シャーナズィー、ヌールアリ・ボルーマンド、マームード・キャリーミ、アブドッラー・ダヴァーミ、ユーセフ・フォルタン、サイェード・ホルモズィ他、往年のペルシア音楽の巨匠達に師事。70年代からイラン国立放送管弦楽団の指揮者兼ソリストとしてイランの内外で活躍。一方伝統音楽アンサンブルのアーレフを設立。アンサンブル・シェイダーの活動にも参加し、いつも現代イラン音楽界の前線にいた。海外での目立った活動では、70年代にモーリス・ベジャールのバレエ「Gulistan」の音楽に関わっていたり、モフセン・マフマルバフ監督の映画音楽もいくつか担当している。

以上、06年5月発行のPop BizのFree Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #03の拙稿を転載

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2007年10月20日 (土)

サイェード・ホルモズィ

今日は往年のセタール名人、サイェード・ホルモズィ(1897-1976)。
アーガー・ホセイン・ゴリーの高弟だったダルヴィーシュ・ハーンに師事しラディーフを勉強。師匠の死後、アリ・アクバル・シャーナズィーについて続きを学んだようですが、二人の師匠の間でラディーフは異なっていたそうです。
このリラックスした姿勢でのマーフールのように、どこか飄々と孤高のイメージがある演奏家。録音はセタール独奏がほとんどのようで、職人肌の名手と言えそうです。
彼の演奏は、iTuneのRadio Darvish(ダルヴィーシュ・ハーンの名に由来)でも頻繁にかかっています。この映像は、Mahoor Institutから出ているアルバム「Setaar」に、おまけのデータとして付いているビデオ。元より画質は落ちていますが、その枯淡の芸風はよく分かります。

Saeed Hormozi (Setar)

http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iranvintage.html#Anchor951247

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2007年10月19日 (金)

ハッサン・キャサイー2

ネイの巨匠ハッサン・キャサイーの映像、昨日はきりがないので、と書きましたが、ものはついでですからURL中心で載せておきましょう。ウィンドウで入るとPCに負担をかけてしまいますから。しかし、余りに沢山あって困ってしまいます。キャサイーのネイ・ソロは、昨日極めつけの一本をあげてありますので、そちらをご覧下さい。昨日の一本にそっくりの(1)~(3)がありますが、分けてアップしているだけのようです。

Ostaad Kasai play Setar

セタールのソロだけウィンドウ付きで上げておきます。あのネイ名人がこんなにセタールも上手かったなんてビックリ!

Kasaee "Agha Hassan" va Taj
http://www.youtube.com/watch?v=vRxWzVwfHd8
名歌手ジャラール・タージ・エスファハーニとのデュエット。この人の全盛時代のアーヴァーズは、A Century of Avazの2枚目で聞けます。旋法はホマーユン。(このデュエットもホマーユンだと思います)

Atashe Del
http://www.youtube.com/watch?v=WlL9rF_0uPc
上記のタージ・エスファハーニとペルシアの楽士達。ネイはハッサン・キャサイー、タールはジャリール・シャーナーズ、トンバクは不明です。場所は、ハーフェズ廟でしょうか。

Kasaee play ney solo / HarmonyTalk.com
http://www.youtube.com/watch?v=RlFIk5Kw28Q
これはシューシタリーか? ワビサビの音色が堪りません。

Kasaee "Agha Hassan" Khodaye Nay
http://www.youtube.com/watch?v=oXYLfAYDFVo
ネイを吹いたり歌ったりの一本。解説にAvaze Mahalli ba Nayとあります。このシリーズは他にも2本くらいあるようです。

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2007年10月18日 (木)

ハッサン・キャサイー

ペルシア音楽の巨匠シリーズ、第3弾はネイの名人ハッサン・キャサイー(1928-)。
彼のものは、短いビデオが他にもありますが、1本目が極めつけなので、取り合えずこれだけにしておきます。2本目はセタールの稽古をつけている所。セタールと歌もかなりのものだと思います。セタール演奏のビデオもありますが、きりがないのでw  一番下は手に入りやすい彼のフランス盤のレビュー。

Persian NEY

Persian Music Lesson from Master Kassai

〓ハッサン・キャサイ~イランのネイ    仏PLAYA SOUND
 ダストガー:シュールとマーフール  ジャハンギール・ベヘシュティ(トンバク)
Kasaiplaya *ネイは葦で出来ていて、吹き口は切ったままの状態に真鍮の筒をはめた、極めてシンプルな縦笛。構えは大体髭で見えにくいが、歯の隙間と舌を有効に利用している模様。トルコのネイと似ているが吹き口が違う。丸い筒のままなので、音を出すだけでも至難の技。そしてこのシンプルさが手伝って、イランではとてつもない名人芸が生まれた。この盤はイスファハーンの往年の巨匠の唯一のまとまった録音。苦悩のパッションを描き出すシュールと、雨後の虹のように美しく晴れやかなマーフールの対照的な組み合わせがまた良い。拍節のある部分では一部トンバク(ザルブ)伴奏が入る。現代の名手にはこの人の影響を受けた奏者が非常に多い。余りに凄演!
  (音楽之友社「世界の民族音楽ディスクガイド」掲載の拙稿)
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iranvintage.html#Anchor953041

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2007年10月17日 (水)

ペルシア音楽の巨人たち 2 ~ アフマッド・エバーディー

昨日予告しましたアフマッド・エバーディー(1906-1992)の映像です。彼は かの有名なミルザー・アブドゥッラー(1845?-1918)の末っ子で、19世紀のカージャール朝ペルシア古典音楽直系のセタールの巨匠。
iTuneのRadio Darvishで流れていても、すぐに、あっエバーディーだ、と分かります。その位、パンチの効いた華のある即興演奏をする人だと思います。
シャーナズィーより更に映像は劣悪ですが、大変に貴重なビデオです。2曲目はマーフールかラストパンジガーか? 一曲目は不明。左手のフィンガリングだけでなく、右手薬指でのヴィブラートなど、小技も確認できます。(ネクタイの柄がサイケかも?w)

Setar Ostad Ahmad Ebadi

Ostaad Ahmad Ebady

イランのMahoor Institutから出ている2枚のCD(下記リンク参照)は、録音状態も良く、そのインパクトのある妙技を捉えた貴重な録音です。CALTEXからもありましたが、現在は入手困難。Radio Darvishでは、アブドルワハブ・シャヒーディーとのデュエットもしばしば耳にします。早く入れねば!w

http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iranvintage.html#Anchor951247

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2007年10月16日 (火)

ペルシア音楽の巨人たち 1 ~ シャーナズィー 

しばらく見ない間に、往年のペルシア音楽の巨匠たちの秘蔵映像が沢山出てきていて、正直驚きました。どこに眠っていたのでしょうか。最近は、宝の山状態です。
と言うわけで、しばらくペルシア音楽をシリーズでやってみましょうか。

まずは、特に素晴らしいと思ったアリ・アクバル・シャーナズィーから。
ほとんど手元を見ず繰り広げられる演奏には、鳥肌が立ちました。ただただ凄い!
右手の激しく、かつ繊細なメズラブさばきは、神技のように思えます。ボディを叩いてトンバク風なリズムを取るのも、おそらく彼独自で面白い技です。
Enigmatic Noise Trobadourの異名を取っていたミュージシャンのHKさんも、彼のCDについてはどれも大絶賛でした。
演奏しているのはエスファハーン。哀愁味のある旋法で、(年配の?)日本人には特に人気があるとか。父と叔父が極めたタール演奏を引き継いだカージャール朝宮廷楽士直系の名演です。

アリ・アクバル・シャーナズィー(1897-1984)は、叔父のミルザー・アブドゥッラーと並んで現代ペルシア音楽の直接の始祖と言われるアーガー・ホセイン・ゴリー(ミルザー・アブドゥッラーの兄)の実子。ミルザー・アブドゥッラーは、後日紹介予定のセタール奏者、アフマド・エバーディーの父。

Ali Akbar Khan Shahnazi (1)

Ali Akbar Khan Shahnazi (2)


参考盤はこちらで
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iranvintage.html#Anchor951247

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2007年10月15日 (月)

謡曲と新内

 昨日はかなり過激な内容だったかも知れません。しかし一歩ずつでも、アイデンティティを見直す方向に行ければ、何かが変わってくると思いますが、いかがでしょうか。
さて、今日はまたまた古い記事ですが、96年に書いた(もはや化石のようなw)記事から抜粋しつつ、もう一下り私的邦楽歴を追ってみたいと思います。実は、謡いの稽古に通えたのも95年だけで、その後はなかなか大変になってしまいました。隣町の松山は謡曲の盛んな所なので、いつか再開したいものです。

 (以下96年刊の雑誌「Etcetera」より抜粋)

1.謡いとの出会い (抜粋)
 謡いをやって気がついたのは、伝承はかなり口承によっていることである。謡本にはゴマ節(喜多流の場合の名称)という音の上げ下げ、節回しの記号がついているが、西洋音楽のように音高を確定するものではなく、相対的な音程関係のめじるし程度のもので、細かいことは稽古の場で決まってくる。グレゴリオ聖歌のネウマ譜や、ユダヤのトーラー(モーセ五書)朗唱にはタアメイ・ハミクラアと言う記号があるが、全体にはそれらの伝承方法と似ていると思った。謡い方は弱吟(和吟)、強吟、語りの部分の3通りあるが、音程関係が明瞭なのは弱吟だけで、強吟は記号どうりには解析できない難しい謡い方だ。
 前に述べたように、能楽は日本音楽における「Bach」的な役割を果たしたと思う。それ以前の仏教声楽等からの影響を統合し、それ以降の浄瑠璃やその他の三味線音楽の流れに深い影響を与えている。日本文学研究者のドナルド・キーン氏も「前に能がなかったならば、浄瑠璃の出現は考えられない。」(「日本の文学」 中公文庫)と語っている。

   2.江戸遊里の音曲・新内節  

 謡いをやって日本音楽(特に語り物)の面白さに目覚めた私は、新内という浄瑠璃についての小泉さんの言葉を思い出した。浄瑠璃には古い順に義太夫節、一中節、豊後節、宮園節、常磐津節、新内節、清元節等があるが、ではその中でなぜ新内なのか。新内を聴いたことのなかった私は、常磐津をやっている同じ職場のE君に聞いてみた。生で聞いた経験がある彼によると「常磐津や清元とは違う特殊な音楽」という風な返事だったと思う。関心を持った私は以下の一枚を買って帰って聞いてみた。
3misin  それは「蘭蝶」と「明烏」の新内2大名曲の聞き所を納めたCDだが、富士松鶴千代、富士松小照の2大女流名人による悲哀に満ちた語り(浄瑠璃)は、絶妙なタイミングで撥を下ろすリード三味線(?)と上調子(カポタストのような枷を付け音を上げた三味線)に支えられ、テンションの高い、密度の濃い、それでいて飽くまで粋な空間を作り出す。
 常磐津や清元と音楽的に違うところは、曲調のテンションによって「間」(リズム)が伸びたり縮んだりする、常間でない音楽だと言うことだ。節回しも表の声と裏声を連続して使う上に、テンポはゆったりだが産み字(母音)を細かく処理する難しい歌唱法だ。歌舞伎の舞踊音楽として発達した先の二者と違い、吉原を中心とした遊廓の座敷芸、あるいは流しの音楽として伝承されてきた新内は、テーマとしては遊女の悲恋物語、心中物が多い。新内節の親に当たる京都出身の豊後節では、やはり心中物が中心で心中事件が増えるとの理由で、幕府から江戸での演奏禁止令を出されている。新内でも「明烏」を聞いて遊女が心中して困ると、楼主から苦情が出ていたそうだ。情死など現在の吉原では考えられない話だが、当時は「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳が読まれるほど悲惨な境遇だったのだ。
「客にとっても遊女にとっても深みにはまりこそすれ、這いあがることの出来ないように仕組まれた世界、自由のない境涯、そこを抜け出て真実の愛に生きようと念ずる者たちにとって、新内節は呪術的とも言ってよいほどこ惑耽溺の節調であろう。やるせなさ、脆さ、切なさ、儚なさに沈りんしている陋巷の人々の耳朶をうつ、素裸の人生の深奥の叫びであったに違いない。」(関光三「いきの源流-江戸音曲における゛いき″の研究」六興出版)
また新内界現役最長老(96年当時101歳! 同年死去されました)の岡本文弥氏は次のように語る。 
「新内に描かれる世界は、廓(くるわ)の女たちの哀切なんです。だから新内は、楼主やそこから利益を受けている人間には迷惑な存在だった。だから新内は反権力の芸能だと私は考えています。...」(岡本文弥 朝日新聞「聞く」より 日付け不明)
新内古曲だけにとどまることなく、左翼的な新内を作曲演奏し、樋口一葉や泉鏡花の小説に作曲したオリジナル曲を発表するなど、文弥さんは停滞していた新内を活性化した。

 ペルシアの太鼓を叩きながらも、新内の門を叩かずにいられないところまですっかり盛り上がってしまった。小泉さんが「新内や義太夫は専門的訓練を経なければ、その面白さの片鱗も表せないという難しい三味線音楽です。」と言っていたにもかかわらず。また、新内は大体遊女がヒロイン(?)なので、女流の方が良いと思いながら。
(最近は岡本文弥氏のCDをよく聞いているのと、そもそも新内の元祖は鶴賀若狭じょうという男性だと言う事実から必ずしもそうではないと思うようになった。)
 そしてとうとう富士松鶴千代さんに入門した。「蘭蝶」の方は百回くらい聞いていたので、有名な「四谷の段」などは節も文句もすっかり覚えていて、いきなり師匠の三味線と合わせていただいた。
 「名にし負う 隅田に添いし流れの身 名に流れたる桜川...四谷で初めて逢うた時   好いたらしいと思うたが 因果な縁の糸車 廻る紋日や常の日も
 新造禿にねだらせて...」
隅田川を渡ったり、四谷を通るとつい頭に浮かんでしまう。
「謡いと新内は対極にある」と師匠は言われたが、平井澄子さんの例もあるので、私も合わせて見ていきたいと思っている。

  3.新内ゆかりの地を歩く 

 新内ゆかりの場所は、台東区に多い。特に浅草から三ノ輪(箕輪)にかけての交通の便の良くない場所に固まっている。その中央に吉原があって、今でも地図で見ると廓(くるわ)の外周を巡っていたお歯黒どぶ(遊女の逃亡を防ぐために張り巡らされた溝)の跡がはっきり分かる。その中央の道が吉原仲の町で、遊廓の頃はメイン・ストリートで桜の名所だったが、今はソープランド街になっている。北東部にある入り口は吉原大門跡、出ると衣紋坂(えもんざか)という曲がった道になっていて、江戸時代にはここに歌麻呂や写楽を送りだした蔦屋重三郎の店があった。隅田川から山谷堀に船で入って、待乳山聖天を見ながら日本堤を北西の方に行くと、三ノ輪の浄閑寺に出る。永井荷風が断腸亭日乗でしばしばふれている浄土宗の寺だ。別名投げ込み寺とも言われ、吉原遊廓で死んだ遊女が2万5千人くらい葬られているという。荷風は遊女の哀れな死を悼み、しばしばこの寺を訪れ、死んだらこの寺に葬って欲しいと語っていた。結局、彼の墓はそこには建たなかったが、毎年4月30日の荷風忌はこの寺で行われている。寺内の新吉原総霊塔には、前述の「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の川柳が刻まれている。               

 「びんのほつれは枕のとがよ それをおまえにうたぐられ つとめじゃエエ
  苦界じゃ ゆるしゃんせ」
                         小唄「びんのほつれ」

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2007年10月14日 (日)

謡いのすすめ

Take3 今日のは99年頃に、ある書籍の記事として書きましたが、色々経緯があってお蔵入りになっていたものです。古いのでその後状況は色々変わっていますが、問題提起としては今でも有効かと思います。ご意見、お待ちしております。

<邦楽教育の必要性-謡のすすめ>
 座敷の床には掛け軸、あとは見台とその上の謡本のみ、手には扇を持って師匠と差し向かいで謡(うたい)に集中する。これが大変に良いものである。まず、謡曲は美しい日本語の見本のようなもの。平家物語、源氏物語をはじめとする中世古典文学のパッチワークなのだから。また五七、七五調の8拍子は、誠に日本語を美しく響かせる。
 この良さはやってみないと絶対に分からない、と思う。ただ、初めは何となく照れくさい。発声練習に狂言の太郎冠者のセリフをやったりするものだから、最初はばかばかしく思ったりするのも無理もない。現代人は地声で大声を出すことはほとんど無くなってしまっているから。結婚式で良く聞かされる「高砂や~」(脚注)のイメージ通りで、私も始める直前まで何となく爺臭いイメージをはっきり言って持っていた。しかし、やってみて大変に驚いた。この音楽が持つ独特のリズムの魅力にいつしか虜になっていた。トリップしてしまったと言っても良いかもしれない。とにかく、眠っていたDNAが呼び覚まされた思いだった。これは日本人にとってトランス・ミュージックになりうるかも。(実は、これが店名の由来でもありまして)
 個人的には、どちらかと言えば、洋楽・クラシック、さらに民族音楽を少しかじったことがある者だが、少しかじったから余計にそうなるのかもしれないが、気がつくと心はどっぷり漬かっていた。特に無本(つまり暗譜のこと)が超おすすめ。謡曲特有のリズムがあるので文句も意外なほどに覚えやすく、平家物語などの話がスッと頭に入ってくる。主人公の心が乗り移ったようになることもある。歌舞伎など後の芝居の元になっている曲も多いので、同名の長唄版などを聴くときに大変興味深い。とにかく、良いことずくめである。
 歌い慣れてくるうちに これは医学的に見ても大変に体に良いことだと気がつく。何しろ、一つのものに集中し、腹式呼吸で歌うわけだから。精神修養にもなること請け合いである。小学校で英会話を教えるのも良いが、併せて謡曲や邦楽器などやらせたらどうだろう。日本語の乱れが指摘される昨今、有効な対策だと思うのだが。言葉の乱れはあらゆる所に悪影響を及ぼす。
 また、新しい教育要綱には邦楽器の実習が入っているようだが、今度は純邦楽を教えられる教師が足りないらしい。長く続いた西洋音楽偏重の後遺症は余りに大きいようだ。
 自国の伝統音楽や文化を何も知らないと、外に出ても「日本人て何なの?」ということになるのは目に見えている。グローバルスタンダードは結構だが、根っこにアイデンティティを持っていないと根無し草になってしまう。以上のような理由から、事態は急務だと思うのだが。
Photo  現代人のほとんどは謡曲など忘れてしまったようだが、ほんの数十年前まではその伝統ははっきりと生き続けていた。私の師匠も40年謡を続けた人である。昔の著名な文人たちの中には、夏目漱石や高浜虚子のように謡に大変のめり込む人がいたようだ。また、往年の名優、嵐寛十郎の映画などを見ると鞍馬天狗の一節を謡っていたりする。またこれが渋くてカッコイイことこの上ない。謡曲は時代劇俳優として、当時は必須教養の一つだったのだろう。
 謡曲の節にはそれ以前の声明等の仏教声楽や雅楽、平曲の節が流れ込んでいると言われる。また、能楽以降の浄瑠璃は、謡曲の語りの伝統が無ければ生まれなかったのではないかとも言われる。このようなことから、能楽は西洋音楽史に当てはめればJ.S.バッハ的な役割を果たしたと言えるのではないだろうか。それ以前の要素を統合し、後の音楽の主流の骨格になったという点で。よく言われるように声明がグレゴリオ聖歌なら、観阿弥・世阿弥はバッハ的存在と言えるのかも。
 小学校から三味線、琴もいいが、楽器と違って「歌」は文化そのものにストレートに関わってくる。だから「歌」は押さえておくべきだろう。特に日本の音楽は歌と語りが中心なのだから。そして、ピアノの初学者がバッハのインヴェンションを習うように、まず謡曲から入ってみるのも大変意義深いことに思える。

(註)「高砂や~この浦舟に帆を上げて~」の部分ような、声の勢いや謡い特有の抑揚を重視する強吟(つよぎん)の部分はテクニック的に難しいので、旋律のはっきりした弱吟(よわぎん)の部分を歌えばボロが出ないのにと思ってしまう。

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2007年10月13日 (土)

トルコの楽譜

便利なサイトを見つけましたので、貼っておきます。旋法別のネイの独奏に合わせて楽譜が確認できます。タクシーム(即興演奏)を採譜したもので、細かいニュアンスまでは記譜できないと思いますが、大いに参考になります。
もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、9分の1音の記号表を見ると分かりますが、イランやアラブの4分音の辺りの音は使わず、西洋の全音と半音を低め、あるいは高めに取る、ということですから、それ程難解に考えなくても良いのかも知れませんね。

まずは昨日の旋法のマーフール。演奏はスュレイマン・ヤルドゥム。

Mahur Taksim 01

次に最もポピュラーなマカームの一つ、ニハーヴェント。演奏は、往年の名手アカ・ギュンデュズ・クトバイ。

Nihavend Taksim 01

アカ・ギュンデュズは、グルジェフの伝記映画「注目すべき人々との出会い」に、クツィ・エルグネル等と出ていました。仏PLAYA SOUNDからソロ・アルバムがありましたが、残念ながら廃盤。
以下はその映画「注目すべき人々との出会い」から

aka gunduz kutbay-ney taksim

ニハーヴェントで有名な曲と言えば、これでしょう。江利チエミさんも歌っていた・・・ウシュクダラ(ユスキュダール)です。これは古典音楽ではなく、イスタンブールの民謡ですが。江利さんが直接モデルにしたeartha kitt自身の歌のようです。

Üsküdar'a giderken - Katibim

歌詞
Üsküdar'a gider iken aldi da bi yagmur
Kâtibimin setresi uzun etegi çamur
Kâtip uykudan uyanmis gözleri mahmur
Kâtip benim ben kâtibin el ne karisir
Kâtibime kolali da gömlek ne güzel yarasir

Üsküdar'a gider iken bir mendil buldum
Mendilimin içine de lokum doldurdum
Kâtibimi arar iken yanimda buldum
Kâtip benim ben kâtibin el ne karisir
Kâtibime kolali da gömlek ne güzel yarasir

※今日の記事を書いている間に、友人の愛犬が亡くなった知らせが来ました。
2日に会った時はやっと膝に上がってくれたのに・・・  悲しい、悲しすぎます。
ということで、今日はこれまでにします。

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2007年10月12日 (金)

クリミア・タタールの軍人作曲家

オスマン・トルコ音楽名曲選の第2弾は、長調系のマーフール旋法。この曲は、オスマン朝の長い太平の世を音で表現したらこんな感じかな、と思わせるゆったりと雅やかな調べです。現在はウクライナ領になっているクリミアで、こんな「オスマンな」曲が生まれたとは、ただただ驚き。(例のUd Metodに楽譜有り)

ガジ・ギレイ・ハーン(1554-1607)が書いたとても古い曲で、これまで何度か出てきたKudsi Ergunerの父Ulvi Erguner(1924-74)が、代々口承されてきたこの古いペシュレヴを、編曲&再生したようです。活動停止したレーベルAl Surの初期アイテムで出ていた彼のCDの冒頭を飾っていました。
 Ensemble Ulvi Erguner / Enderun  (Ottoman Court Music)
ガジ・ギレイ・ハーンは、クリミア半島にいたチンギス・ハーンの末裔のクリミア・ハーン王族出身の軍人兼作曲家。クリミア・ハーンは、キプチャク・ハーン国の分家に当たります。ロシアから見れば、所謂「ダッタン人」ということでしょう。現在もクリミア半島に少数民族として居住し、ウラル~ヴォルガ地方のタタール人とも近いのでしょう。
彼は、アラビア語、ペルシア語、Catagay語(アジア・トルコ語)、オスマン語で作詩、作曲し、たくさんの楽器を操り、カリグラファーとしても知られるインテリ君主だったようです。

クリミア・タタールについて (ウィキペディア)

Mahur Pesrevi - Gazi Giray Han
Didem Aydemir - Aydemir Tuncer

TRT-Gazi Giray Han'ın Mahur Peşrevi
http://www.youtube.com/watch?v=HwbNBfJ4Fo4

一本目は、長い棹のリュート系弦楽器タンブールと、擦弦楽器ケメンチェのデュエット。タンブールは、例の9分の1音を出すために、細かいフレットが数え切れないほど、びっしりあります。ケメンチェは、ケマンチェとは違って、指板から浮いた状態で発音しているようなので、独特な浮遊感のある音色が何物にも変えがたく特徴的です。クレタ島のリラやブルガリアのガドゥルカなどは、同系の楽器。

2本目はファスル(古典組曲)の前奏として演奏されているようです。出来たら合唱も聞きたいものですね。  埋め込み禁止のため、URLでアップしました。

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2007年10月11日 (木)

トルコ古典名曲集①

トルコ古典音楽の名曲を思い出す範囲でちょっと探してみたら、いくつか見つかりました。今日は短調系の名曲選。

Hicaz Hümâyun Peşrevi-Beste:Veli Dede
http://www.youtube.com/watch?v=LilRa9057tQ
ヴェリ・デデが書いた非常によく耳にするペシュレヴ。ペシュレヴとは器楽による前奏曲のようなものです(アラビア語ではバシュラフ)。旋法(マカーム)は、ヒジャーズ・フマーユン。アラブ音楽で最も有名でアラブらしいと言われるマカームの一つ、ヒジャーズと、ペルシア音楽の蠱惑的なホマーユンが結びついたようなマカーム、ということでしょうか。ネイの名手クツィ・エルグネルが、自身の楽団でのAuvidis Ethnicからの90年のアルバム「Fasl」で冒頭に演奏していました。例のUd Metodにも楽譜が載っています。 埋め込み禁止なので、URLで載せました。

TÜRK SANAT MÜZİĞİ KOROSU -- Fikrimin İnce Gülü
http://www.youtube.com/watch?v=zRKJL8DFNGM
おそらく上のヒジャーズ・フマーユンに続いて演奏されたものだと思います。ファスル(古典組曲)のメインとしては、こういう混声合唱が今日でもポピュラーなようです。しかし、デデ・エフェンディ(1778-1846)とかが活躍した19世紀にもあったのか、それは不明ですが。楽団は、タンブール、カーヌーン、ネイ、ケメンチェなどのトルコの民族楽器と、ヴァイオリン、チェロなど西洋楽器の混成。チェロはタンブール(明日紹介予定)奏者がよくサブ楽器で弾いているのを見かけます。同じ低音域の楽器だからでしょうか。 埋め込み禁止なので、URLで載せました。

Ferafeza Peshrev

このウード奏者は名前が不明。エジプト的なタクシーム(即興演奏)で挿むような形で、オスマントルコの名曲ペシュレヴを弾いています(1分40秒位から)。タクシームに盛り込もうとした結果か、間を崩した演奏になってます。このフェラフェザ旋法のペシュレヴを書いたイスマイル・ハック・ベイ(1866-1927)も、とても有名な作曲家。この曲はUnescoからのクツィ・エルグネルのメヴレヴィー音楽としての演奏が非常に素晴らしいかったのをよく覚えています。同じフェラフェザのタクシームから入り、このペシュレヴに流れ込む辺りは正に絶品で、ぞくぞくするような名演でした。(ユーチューブは残念ながらないようです。CDも今ではほぼ廃盤状態)

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2007年10月10日 (水)

トルコの軍楽

昨日はバルカン・ブラスを聞きましたので、今日はトルコの軍楽に行ってみましょうか。
バルカン半島各地でロマのブラスバンドが盛んなのは、オスマン帝国時代の軍楽隊の名残りだと見られているようです。
この曲は、中高年以上の方はTVなどで耳にされた方が多いはず。向田邦子原作のドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲に使われた、ジェッディン・デデです。 Cはトルコ語では通常濁音になります。キングレコードのワールドミュージック・ライブラリーからのCDは、民族音楽では異例のヒットになったよう です。

Ceddin Dede

Mehter takımı performansı: CEDDİN DEDE

1本目はイスタンブールの名所を見ながらのクリップ。演奏はとてもオーソドックスで立派なものです。2本目は演奏は普通だと思いますが、観客が一緒に歌っているのか、音が外れて聞こえますw  演奏風景が比較的よく見えるので、併せて載せました。

モーツァルト(ピアノ・ソナタやヴァイオリン協奏曲)やベートーヴェンらが強烈なインパクトを受けて「トルコ行進曲」を書いたのは余りに有名です。メロディは西洋的になっていますが、リズムはここで聞かれるものと全く同じです。
すぐに聞けるようにミディ・サイトを一つ貼っておきます。
http://www.geocities.jp/manamana_net/main/dur_k_331.html

98年に葛飾のホールで生演奏を見ました。演奏の迫力もなかなかでしたが、歌の魅力に改めて気づきました。メンバーの中には、コーランやアザーンを唱えるムエッズィンも兼ねている歌手もいたようです。旋回舞踏で有名な、スーフィー(イスラーム神秘主義)音楽系のメヴレヴィー音楽と兼業?の人もいたかも知れませんね。そういう感じはありました。

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2007年10月 9日 (火)

デデ・エフェンディの訳詩とエデルレジ

昨日アップした名シャルク Yine bir Gülnihal の訳を、トルコ語が堪能なモスクワ在住のマイミクさん、ふぁどさんに5年程前(当時はキルギス在住でした)にお願いしたことがありまして、そのデータが見つかりましたので、載せておきます。ふぁどさん、その節は有難うございました。 しかし、甘~い内容の歌でしたw

☆ Yine bir Gülnihal ☆
---
またひとつ愛しい薔薇のつぼみが
わたしの心を奪ってしまった
すべらかな肌 クローバーのような口元
その美しさに並ぶものはない
激しい炎が焼き焦がした このわたしの心
甘く魅了され 苦痛に苛まれている
(あの人は)これほど小さいのに
これほど美しい

出会ったことなどなかった
こんなにも愛しいと思える人には
その眉 その瞳 その手 その顔
恋する胸の哀しみに
この目は濡れる(涙はこぼれる)
あぁ 愛しい人よ
いつも変わらず美しくあれ

---
※NOTE (ふぁどさんのトルコ人の知人による説明)

「薔薇のつぼみ」とは、彼が恋した娘のことで、彼女が花開く前の薔薇のように美しく、また若いことを意味します。
「クローバーのような口元」とは、小さくてかわいらしい口元のたとえです。

Turk_muzik

左の図は、例のトルコ音楽の音符記号一覧です。シャープ系、フラット系で10個あります。  Turk Musikisi Dersleri (Zeki Yilmaz)からの引用


それから昨日最後に曲名を上げたエデルレジは、以下の曲です。バルカン・ロマ(ジプシー)のAnthemだとの形容もありました。哀愁味溢れる、いい歌です。この曲、例の微小音程を意識して聞くとワビサビ感が増すと思いませんか?w  確か原曲はアルバニア辺りのロマ民謡だったように記憶しています。
あわせて、「ジプシーの時」と同じ、エミール・クストリッツァ監督&ゴラン・ブレゴヴィッチ(音楽)のコンビの有名曲を2つ載せておきます。どちらも大ブレイクしたバルカン・ブラスの最大のヒット曲でした。2曲とも映画「アンダーグラウンド」からで、ルーマニアのファンファーレ・チョカリーアがやっているカラシニコフでは、お国ものの「ひばり」が引用されています。メセチナではブレゴヴィッチのバンドにブルガリアの女性コーラスが参加しています。

Ederlezi - Goran Bregovic

Goran Bregovic - Mesecina

Kalashnikov

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2007年10月 8日 (月)

デデ・エフェンディの名曲

今日はオスマン・トルコの大作曲家イスマイル・デデ・エフェンディが書いた、ラスト旋法のシャルク(古典歌曲)の名曲 Yine bir Gülnihal。 
パックス・オットマニカ (オスマン帝国の平和) を彷彿とさせる名調子です。

1本目はÇankaya大学のトルコ古典音楽合唱団とアンサンブルの演奏。
2本目は、サナート(軽古典音楽)の女性歌手、セチル・アクの歌唱。

Çankaya Üniversitesi Türk Sanat Müziği Korosu

Yine bir Gülnihal(seçil ak)

Ud_metodu

Yine_bir_gulnihal この曲の楽譜を添付しておきました。Mutlu Torunの定評あるウードの教本からです。調性が変わって何度も出てきます。ユーチューブにも、合唱や独唱だけでなく、ギターでの演奏など、様々なクリップがあって、今でもとても愛好されている曲のようです。

トルコの古典音楽では理論上1音(例えばドからレの間)を9つに分けますが、180度反対のフラットは、シから9分の1音下げた音、シャープは9分の4なので、通常の半音より少し低めです。このように、オスマン音楽ではとても微妙な音程が使われています。微妙に下がったり上がったりする音から、オスマン音楽らしい芳醇な味わいが生まれると思います。1音を4つに分けるイランやアラブより更に細かくしたのは、2つの偉大な先輩文化へのライバル意識もどこかにあったのでしょうか。

<この曲が入った参考盤>
Dede Efendi / Fasil   (Buyuk Bestekarlar Serisi 5)   Kemal Gurses (Sef)
COSKUN    CD 105
Dedefendicoskun ファスル(古典組曲)は爛熟期オスマン文化の粋のような形式である。混声合唱の陰影に富んだ表情が実に素晴らしい。ユニゾンで動くメリスマティックな合唱(西洋的では絶対にない)を中心に、トルコ古典楽器の総出演。間に各楽器ごとのタクシーム(即興)も挿まれる。このジャンルは欧米盤ではUnesco位にしか見当たらないが、トルコでは10枚位のシリーズで幾つも出ている。まだまだオスマン帝国時代に生まれた人も多いトルコでは、年輩を中心に根強い人気があるようだ。この盤は作曲家別シリーズの1枚で、19世紀の大作曲家イスマイル・デデ・エフェンディの作品。優美で感傷的な3拍子の佳曲Yine Bir Gur Nihalを初め、極めつけの名演。
※音楽之友社刊 「世界の民族音楽ディスク・ガイド」の拙稿から

常々バルカンの民謡には「9分の1音下げる音」が残っているように感じていました。トルコ領だった時の名残でしょうか。例えば、クストリッツァの「ジプ シーの時」の印象的な挿入歌Eerleziとかにも。終わりから3つ目の音を微妙に低めに取っていると思いますが、いかがでしょうか。その微妙な音程が、 歌の寂寥感を増すように聞こえます。

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2007年10月 7日 (日)

燻し銀のペルシア音楽

mixiのペルシア音楽コミュで、cheraghさんから教えて頂いたクリップ。往年の巨匠たちの演奏が、たっぷり堪能できます。 しかも、ダストガー(旋法)はホマーユンw

Live in Shiraz Festival in Hafezieh (Hafez tomb) - 1971
The authentic Masters - Assatid (1/3)
Homayun Dastgah : Payvar's pishdaramad ; 4mezrab and avaz (tar)

The authentic Masters - Assatid (2/3)
Homayun Dastgah : 4mezrab and avaz (kamancheh)

The authentic Masters - Assatid (3/3)
Homayun Dastgah : zarbi and avaz (santur) ; Payvar's reng

Musiquepersaneメンバーは、
Faramarz PAYVAR (santur) -
Asghar BAHARI (kamancheh) -
Hosseyn TEHRANI (tonbak) -
Jalil SHAHNAZ (tar)

これは、Ocoraから一番最初に出たペルシア音楽のアルバム、musique persane(cf.↓)と同じパーソネルです。ヴォーカル&ウードのAbdolwahab ShahidiとネイのHassan Nahidが抜けていますが。
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-iranvintage.html#Anchor949401

バハーリーとテヘラーニは前に個別に紹介しました。70年頃はこのメンバーでよく活動していたのでしょう。 しかしバハーリーのケマンチェには泣きました。もう、最高です。(涙腺肥大?w)

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2007年10月 6日 (土)

トルクメン・バフシー

Turkmen milli aydym-sazynyn jadylayan, joshduryan, alyp gacyan... owazyndan ganmak isleyanlere

先日マイミクのウィリアムさんの日記でちょいと話題になった、トルクメニスタンの吟遊詩人バフシーのドゥタール弾き語り。この情熱的なかけあい、実にすさまじいものがありますが、驚いたことに低音で倍音が入る部分があります。倍音唱法と言えば、ホーミーやホーメイが有名ですが、どちらかといえばトゥヴァの低い声のホーメイに似ています。
やはりマイミクのりーずさん(セタール、タンブールの研鑽のためイランに留学中)の日記でバフシーが話題に上ったことがありまして、その時私が例に上げたのが以下のユネスコの一枚。女性バフシーのInedit盤などと違って、ほぼ廃盤状態(おそらくレーベル自体での在庫限り)ですが、倍音唱法になっている部分が確かにありました。耳を疑いましたが、このユーチューブでトルクメンに確かにあることが証明されましたw  トゥヴァもトルクメンも同じトルコ系民族ですから、驚くことはないのかも知れませんが。

Turkmen_epic_singing Turkmen Epic Singing / Koroglu
Ayismammet Geldimammedov etc.
UNESCO  D 8213

トルクメンの語り部として知られるバフシー。この録音はタシャウズ地方の語りのようで、伴奏にはドタールと擦弦のギジャクが用いられる。この地域の英雄叙事詩の朗唱(ダスタン)で最も好まれる古いトルコの英雄叙事詩ケロウルが語られている。感じとしてはトルコのアシュク、ホラサーンのバード(吟遊詩人)、アフガニスタンの語りにも近いものがあるが、声がホーミーの寸前まで行っている凄い語り手もいる。ドタールの響きは遠くカザフやキルギスも連想させるが、ここでは旋律のラインでギジャクが出てくるので、ドタールはどちらかと言えば、リズム担当の要素が強く聞こえる。 
※音楽之友社刊 「世界の民族音楽ディスク・ガイド」の拙稿から

収録曲
1. Kheiran Eiledi (3:39)
2. Ovazy Geldi (4:14)
3. Airylymadymy? (4:41)
4. Ovezdzhan (4:36)
5. Gummur-Gummulendi (4:41)
6. Getirgin (3:15)
7. Chapar Arlaya-Arlaya (3:57)
8. Soltanym (4:47)
9. Mama Seni (3:13)
10. Bar-Da, Mama Dzhan, Khabaryng Ber (3:08)
11. Uchup Geldim (3:59)
12. Bezirgen (4:18)
13. Agam Seni (6:11)
14. Geldingmi? (4:51)

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2007年10月 5日 (金)

悪い噂

ブラッサンス特集、ひとまず今日までにします。
7曲目は、デビュー当時の代表曲「悪い噂」を2ヴァージョン。これは絶対忘れてはいけない曲。

La mauvaise reputation - Georges Brassens (Live)

La mauvaise reputation - Georges Brassens

画一的でない、自由な生き方を愛するブラッサンスの所信表明のような曲で、最初のアルバムの表題にもなっています。20年ほど前にLPを手に入れて一番最初に聞いたのがこの曲でしたが、それ以来忘れられないシャンソンです。
「ローマへは通じない道を歩いているだけなのに~」の高い音に上がる辺り素晴らしいです。

 悪い噂          La mauvaise reputation   1952

゙  村じゃ どうういう訳か
  俺は評判良くない
  何かにつけて
  えたいの知れない男で通ってるらしい            
  俺は誰も欺かずに
  平凡な善人で生きてるつもりだが
  律義な連中は
  そこが変わり者だとご機嫌ななめだ
  みんな俺を悪し様に言う
  無論 口のきけない人は別だが

  七月十四日の祭りの日                   
  パレードの楽隊なんて
  関係ないと
  ベッドにふかふか寝そべって
  俺は誰も欺かずに
  けたたましいラッパにウンザリしてるだけなのに
  律義な連中は
  そこが変わり者だとご機嫌ななめだ
  みんな俺に後ろ指をさす
  無論 手のない人は別だが

  百姓に追っかけられている
  ヘマな泥棒に出くわして
  正直なとこ足で一寸かばったら
  追手が地面にひっくりかえった
  俺はだれも欺かずに
  リンゴ泥棒を逃がしてやっただけなのに
  律義な連中は
  そこが変わり者だとご機嫌ななめだ
  みんな俺におどりかかる
  無論 歩けない人は別だが

  ジェレミじゃなくったって
  自分の行く末は解る
  手ごろな縄が見付ったら
  奴等は俺の首に掛けるだろう
  俺は誰も欺かずに
  ローマへは通じない道を歩いているだけなのに
  律義な連中は
  そこが変わり者だとご機嫌ななめだ
  みんな俺が吊るされるのを見に来る
  無論 目のみえない人は別だが

 1952年から53年にかけて、パタシュの店にブラッサンスなる男登場。そして初めての客演がトロワ・ボーデ。歌い出した、いやむしろブチかましたのが 『悪い噂』だった。舞台へ出る態度が独特。この男、内心とはうらはらに傲慢無礼で、「気にいらなきゃドアは開いてるよ。閉めたきゃ勝手にどうぞ。プログラ ム?そんなものはないよ」といった具合。<俺は誰も欺かずに リンゴ泥棒を逃がしてやっただけなのに>
 <七月十四日の祭りの日 ベッドにふかふか寝そべって>まさにむくつけき仏頂面。<村じゃどういう訳か俺は評判良くない> これがトロワ・ボーデの小さなホールで妙に受けた。帰ったお客がまたやって来る。そして無論『悪い噂』をご所望と来た。 解説:ルネ・ファレ

(注)
・「パタシュの店」 モンマルトルのテルトル広場の近くにある、小さなレストラン
・キャバレー。菓子屋のおかみだったパタシュが余技の唄で始めた店。歌わないお客のネクタイをチョン切って、世界中の著名人のネクタイのコレクションで有名。パタシュは下町風の伝法な歌手で、ブラッサンスの発見者の一人。
・「トロワ・ボーデ」 三匹の驢馬の意。モンマルトルにあったシャンソンの小屋。経営者のジャック・カネッティがパタシュの店で歌うブラッサンスを見出して出演させた。
・「ジェレミ」 イスラエルの四大預言者の一人、エレミア。

"Au village, sans pretention,
J'ai mauvaise reputation.
Qu'je m'demene ou qu'je reste coi
Je pass' pour un je-ne-sais-quoi!
Je ne fait pourtant de tort a personne
En suivant mon chemin de petit bonhomme.
Mais les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Non les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Tout le monde medit de moi,
Sauf les muets, ca va de soi.

Le jour du Quatorze Juillet
Je reste dans mon lit douillet.
La musique qui marche au pas,
Cela ne me regarde pas.
Je ne fais pourtant de tort a personne,
En n'ecoutant pas le clairon qui sonne.
Mais les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Non les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Tout le monde me montre du doigt
Sauf les manchots, ca va de soi.

Quand j'croise un voleur malchanceux,
Poursuivi par un cul-terreux;
J'lance la patte et pourquoi le taire,
Le cul-terreux s'retrouv' par terre
Je ne fait pourtant de tort a personne,
En laissant courir les voleurs de pommes.
Mais les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Non les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Tout le monde se rue sur moi,
Sauf les culs-de-jatte, ca va de soi.

Pas besoin d'etre Jeremie,
Pour d'viner l'sort qui m'est promis,
S'ils trouv'nt une corde a leur gout,
Ils me la passeront au cou,
Je ne fait pourtant de tort a personne,
En suivant les ch'mins qui n'menent pas a Rome,
Mais les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Non les brav's gens n'aiment pas que
L'on suive une autre route qu'eux,
Tout l'mond' viendra me voir pendu,
Sauf les aveugles, bien entendu."

訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
原題の横の数字は、発表年
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年10月 4日 (木)

公衆ベンチの恋人たち

ブラッサンス第6弾、この曲も耳に残る良い曲です。

一体いつまで続けるんじゃい、という声が聞こえそうですがw (あと数曲!)

幾分童謡的にも聞こえるメロディに乗せて、恋愛の真実をブラッサンスらしいニヒルさでもって、さりげなく歌っています。

Georges Brassens - Les amoureux des bancs publics

公衆ベンチの恋人たち   Les amoureux des bancs publics  1952   

   歩道でよく見かけるあの緑色のベンチ
   あれは足の不自由な人や腹の出っぱった人のために
   置かれてるんだと
   はためには見える
   だがそれは見当違いだ
   と言うのは実は
   あれがあそこにあるのは まぎれもなく
   うぶな恋人たちを暫くもてなすためなのだ

   ルフラン あの公衆ベンチでそっと接吻しあう恋人たち
         公衆ベンチで 公衆ベンチで
         乙に澄ました通行人にじろじろ見られる         
         バツの悪さなさなど気にしないで
         あの公衆ベンチでそっと接吻しあう恋人たち
         公衆ベンチで 公衆ベンチで
         感じのいい可愛いい顔をして
         「好きだ」 「好きよ」と言い交わしながら

   彼等が手を取り合って
   話すことと言えば未来のこと
   寝室の壁に貼るのは
   空色の壁紙がいいとか
   夢見心地で話はつきない
   きちんとした幸せな暮し
   縫い物してる彼女 煙草ふかしてる彼
   初めての赤ん坊の名前まで選んだりして

   ルフラン

   信心に凝り固まったみたいな家族連れが
   通りすがりに二人を見て
   やれ慎みのないことと
   聞こえよがしに言葉を投げかける
   家族だれでも
   親爺もお袋も娘も息子も
   彼等みたいに振舞えたらと
   内心思ってるはずなのに

   ルフラン

   何年かが過ぎ
   燃え上がってた
   美しい夢が消えた時
   彼等の空をどんよりした雲がおおう時
   彼等はしみじみ気付くだろう
   二人が一番素晴らしい恋をしたのは
   あの道端にあった
   素敵なベンチに腰掛けてだったのを

   ルフラン

 1939年にパリに出てルノーの工場でしばらく働いてた頃、ブラッサンスはよく街をぶらついた。彼のシャンソンのいくつかには、十四区つまりモンパルナス界隈の訛りが感じられる。『公衆ベンチの恋人たち』もまさにそのひとつだ。このベンチがパリ以外のものとは、まず考えられない。追悼者の頭文字「行け兄弟よ」の足許では、昔も今もつつましい恋が生まれる。だがブラッサンスが描く恋人たちには、ペイネの絵の恋人たちが夢みる幸せな未来はない。<乙に済ました通行人にじろじろ見られるバツの悪さなど気にしないで>どんなに固く抱き合ったところで、その恋は彼らの手すり抜けて行く。トレネの「パリの小鳥達」は、ブラッサンスの空の下で翼を失う。

(注)
・「行け兄弟」 パリのどこかの街角にある何かの記念碑かも知れない。友人のパリジェンヌは知らないと言っていた。
・「ペイネ」  レイモン・ペイネ (1908-1999)フランスのイラスト画家。若い芸術家とその恋人を描くナイーブでロマンチックな作風で知られている。日本でも人気が高くて、彼の生前に世界で始めてのペイネ美術館が軽井沢に出来た。
・「パリの小鳥達」 シャルル・トレネのシャンソンの一つ。小鳥に寄せてパリへの郷愁を歌っている。


訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年10月 3日 (水)

Il n 'y a pas d 'amour heureux

ブラッサンス特集の第5弾。今日のはビデオとしてはこれまでで一番の傑作だと思いますが、余りにもペシミスティックな歌詞。 訳を載せて良いものかどうか・・・躊躇いました。
ルネ・ファレ氏の解説で、あの「暗い日曜日(Sombre Dimanche)」が対比されるほど。
なので、フランス語だけにしようかと思いましたが、、、訳詩も載せてしまいましたw
シュールレアリストのアラゴンが、こんな詩を書いていたとは驚き。

Georges Brassens - Il n'y a pas d'amour heureux

 <ギターのひと節にどれだけすすり泣かずには居れないことか> 
ブラッサンスが舞台で『幸せな愛はない』を歌うと、我々はジーンと胸を締め付けられたものだった。彼はアラゴンのこの詩に、あまりにもぴったりの様子だった。「あれは演技なんだろうか、それとも?」ひどく悲しげな彼の大きな眼を見て、演技ではないと、ひとは思うのだった。『幸せな愛はない』、この絶望は「暗い日曜日」のように、この唄のどの節でも繰り返される。悲哀の詩がこれ程切々と歌われたことは無かった。だがそれはディスクの上だけのことにして、彼が誰のために歌ったのかは詮索しないことにしよう。さもなくば男女を問わず誰もが疑念の対象になりかねない。  解説:ルネ・ファレ

幸せな愛はない   Il n 'y a pas d 'amour heureux 1954

         ルイ・アラゴン詩
   人間に得られるものは何もありはしない
   その強さもその弱さもその心も 
   自分では腕を広げていると思っても落とす影は十字架を描いている
   幸せを掴もうと思いながらそれを引き裂いているのだ
   生きるということは奇妙な苦しい別れなのだ
   幸せな愛はない

   生きるということは武器のないこの兵士たちに似ている
   あらぬ運命のために服を着せられ
   朝起きることが彼等の何に役立つというのだ
   夕方には捕らわれの身となりなすことも無く寄る辺ない彼等
   「我が人生」とそう呟いて涙をこらえるがいい
   幸せな愛はない

   私の美しい愛よ いとしい愛よ 私の痛みよ
   私はお前を傷ついた小鳥のように私の中に持ち運ぶ
   そんなことも知らずに彼等は私たちが通り過ぎるのを眺め
   つきまとうように私の編み出した言葉を繰り返す
   お前の大きな目に見つめられてたちまち死に絶えたあの言葉を
   幸せな愛はない

   生きることを学ぶにはもう時が遅すぎる
   声を合わせて私たちの心は夜もすがらどれだけ泣くことか
   何でもないない小唄にどれだけ心痛み
   喜びに震えた償いに悔恨がどれだけ身を攻め
   ギターのひと節にどれだけすすり泣かずには居れないことか
   幸せな愛はない

(注)
・「ルイ・アラゴン」 (1897-1982)パリ生まれの詩人・作家。シュールリアリスムを離れてコミュニスムに徹し、のちに抵抗派の国民詩人として大成した。妻に捧げた詩「エルザの瞳」はシャンソンとして歌われ有名。

Rien n'est jamais acquis a l'homme. N... Rien n'est jamais acquis a
l'homme. Ni sa force
Ni sa faiblesse ni son coeur. Et quand il croit
Ouvrir ses bras son ombre est celle d'une croix
Et quand il croit serrer son bonheur il le broie
Sa vie est un etrange et douloureux divorce

Il n'y a pas d'amour heureux

Sa vie elle ressemble a ces soldats sans armes
Qu'on avait habilles pour un autre destin
A quoi peut leur servir de ce lever matin
Eux qu'on retrouve au soir desarmes incertains
Dites ces mots ma vie et retenez vos larmes

Il n'y a pas d'amour heureux

Mon bel amour mon cher amour ma dechirure
Je te porte dans moi comme un oiseau blesse
Et ceux-la sans savoir nous regardent passer
Repetant apres moi les mots que j'ai tresses
Et qui pour tes grands yeux tout aussitot moururent

Il n'y a pas d'amour heureux

Le temps d'apprendre a vivre il est deja trop tard
Que pleurent dans la nuit nos coeurs a l'unisson
Ce qu'il faut de malheur pour la moindre chanson
Ce qu'il faut de regrets pour payer un frisson
Ce qu'il faut de sanglots pour un air de guitare

Il n'y a pas d'amour heureux

Il n'y a pas d'amour qui ne soit a douleur
Il n'y a pas d'amour dont on ne soit meurtri
Il n'y a pas d'amour dont on ne soit fletri
Et pas plus que de toi l'amour de la patrie
Il n'y a pas d'amour qui ne vive de pleurs

Il n'y a pas d'amour heureux
Mais c'est notre amour a tous deux

訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年10月 2日 (火)

通行人

今日のブラッサンス、ボードレールの「悪の華」の中の「通り過ぎる女」にも似た、アントワーヌ・ポル作の詩に付けられたシャンソンです。詩に対して少々映像は刺激的かも知れませんが。 このビデオ、フランスの放送局で放送されたもののようです。

Georges Brassens - Les passantes

Georges Brassens - Les passantes

2つ目は同曲のライヴ・ヴァージョン。白いジャケットの人はマフィア役なんかで出ていたリノ・ヴァンチュラか? ベースの弓弾きもしみじみとして良いですね。日本人は「神田川」を連想してしまうかも知れませんが。
しかし、ブラッサンスがまた渋くてカッコイイですね。ブラッサンスは、フランス人の「生まれ変わったらなりたい人」のベスト1だったとか。

通行人   

この詩を捧げたい
神聖なしばしの瞬間
愛される全ての女に
知り合ったかと思うと
異なる運命が運び去って
二度と会うことのない女に

窓辺に束の間
現れては
たちまち姿を消した女
でもそのすらりとした姿が
とても優美で華奢で
後々までも心喜ばせてくれる女に

旅の道連れの
その瞳が魅力的な景色となって
道のりを短く思わせ
解ってあげられるのはきっと僕だけなのに
手に触れることもないまま
降りて行った女に

既に誰かのものになって
およそ合わない人の傍らで
灰色の時を生き
徒らなことなのに 
どうしようもない未来の
メランコリーを垣間見せてくれた女に

一瞬見かけた愛しいイマージュ
空しく終わった或る日の希望
明日は忘れてしまってもいい
思い掛けぬ幸福が僅かでも訪れてくれるなら
通りすがりのエピソードを
滅多に思い出しはしないのだから

でも人生をやり損なうと
少しは本気に思ってみる
そうした束の間の幸せを
しないでしまった口付けを
今も自分を待っているはずの心を
二度と見なかった眼差しを

そして疲れた夜などに
追憶の幻で
孤独をふくらませながら
今はない唇を惜しむのだ
引き留めることの出来なかった
あのすべての女たちの

翻訳:油谷耕吉

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年10月 1日 (月)

娼婦の嘆き唄

今日もブラッサンスで、第3弾。 ブラッサンスにはこんな歌もあります。
生涯パリの下町に住み、アナーキーな生き方をした彼らしいテーマ。
辛い仕事に携わる女性たちへの温かいまなざしを感じます。
江戸系浄瑠璃の新内(しんない)とかにも通じるものがありそう。
対比に、と思いましたが、youtubeは見当たらず。

Complainte des Filles de Joie

 娼婦の嘆き唄     La complainte des filles de joie 1962

   ブルジョア野郎のろくでなしらが(二回)
   浮かれ女などと呼んでくれるが(二回)
   伊達で笑っている訳じゃない
   そうよ浮かれている訳じゃない
   伊達で笑っている訳じゃない

   街の女は足が元手と(二回)
   客を漁って街うろつけば(二回)
   足にゃこたえる客にゃあぶれる
   そうよそうとも客にゃあぶれる
   足にゃこたえる客にゃあぶれる

   まめに歩けば足たここさえ(二回)
   足まめこさえてまだその上(二回)
   靴のすりへる事と言ったら
   そうよそうともまだその上に
   靴のすりへる事と言ったら

   客のなかにも色々あって(二回)
   湯にも入らぬ男も居るが(二回)
   それでも色気は売らねばならぬ
   そうともそうとも売らねばならぬ 
   それでも色気は売らねばならぬ

   ほんの束の間手を添えてやる(二回)
   第七天国タダではないが(二回)
   盗みゃしないよビタ一文も
   そうともそうともビタ一文も
   盗みゃしないよビタ一文も

   世間の人らにゃ後指さされ(二回)
   お巡りさんらにゃ突き飛ばされて(二回)
   怖い病気にゃ怯えっぱなし
   そうともそうとも怯えっぱなし
   怖い病気にゃ怯えっぱなし

   一生好いたの惚れたの言うて(二回)
   日に二十回抱かれていても(二回) 
   嫁にゆくなど夢のまた夢
   そうともそうとも夢のまた夢
   嫁に行くなど夢のまた夢    

   ちょいと兄さん淋病持ちかい(二回)
   哀れなヴィーナス笑うでないよ(二回) 
   落ちるとこまで落ちゃ下はない
   そうともそうとも落ちゃ下はない
   落ちるとこまで落ちゃ下はない

   あんたがいちゃつくその相方が(二回)
   あんたのお袋さんじゃないのは(二回)
   めぐり合わせさ、ただそれだけさ
   そうともそうとも、ただそれだけさ
   めぐり合わせさ、ただそれだけさ 

 『娼婦の嘆き唄』はいわゆる嘆き唄そのものではなく、いわば拡大された嘆き唄である。ラルースによれれば嘆き唄とは悲劇的なあるいは敬虔な主題の俗謡とある。このシャンソンは冒頭の<ブルジョア野郎の食わせ物らが>という詩句からして、古ぼけた水切り籠みたいにのっけからどこもかも軋みっぱなしである。サン・ドニ通りのこの現場検証は文章構成のお手本と言ってもいい。微笑みを装っていたブラッサンスの同情が、突如爆発して拳をふりかざす。<あんたのお袋さんじゃないのはめぐり合わせさただそれだけさ>と。    解説:ルネ・ファレ

(注)
・「ラルース」 古くから定評のあるフランスの百科事典。何種類もの版が出ている。
・「サン・ドニ」 パリ北郊の古い町。サン・ドニ僧院で有名だが街娼とヒモの多いことでも有名。

訳詩とルネ・ファレ氏の解説はジョルジュ・ブラッサンス全集より
解説はいかにも本場のフランス人らしい視点。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k_ogawa/

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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