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2007年11月24日 (土)

北コーカサス4 北オセチア

今日はイラン系の北オセチア。カバルディン・バルカルとイングーシの間の国です。
何でこの場所にイラン系民族が、と思いますが、オセチア人(オセット人とも)はコーカサスの北方にいた古代のイラン系遊牧騎馬民族サルマタイの流れを汲むアラン人の末裔と言われています。その名にちなんで、オセチアはアラニアという雅称で呼ばれることもあるようです。ペルシア帝国の最大版図の時の末裔かと思いましたが、もっとずっと古いイラン系民族の子孫でした。
紀元前4,5世紀頃から、現在のウクライナ南部から中央アジアにかけてイラン系遊牧民がいました。黒海北岸にいたのが有名なスキタイ(紀元前8~3世紀頃)、その東にサルマタイ、そのまた東の中央アジアにサカ族と、イラン系民族が並んでいた訳ですね。
それより前の紀元前11世紀頃に、インド・イラン系民族(いわゆるアーリア人)が、彼らの故地である中央アジアからそれぞれ南へ移動し、イラン人の祖先はコーカサスを通ってイラン高原に入ったと言われていますから、オセチアはその集団とは別に黒海、カスピ海北岸の辺りに長く留まっていたイラン系民族の一派の末裔と言うことになります。

大相撲の露鵬と白露山兄弟、若ノ鵬が北オセチアの首都ウラジカフカス(ロシア語で「カフカスの征服」の意)出身なのは有名だと思います。この国はイスラムだけでなくロシア正教の住民がかなりいるそうですが、彼らは(お尻を出して)相撲を取っているくらいですから、イスラムではなくクリスチャンの方なのでしょうね。3人ともロシア人ではなく、オセチア人のようです。

北オセチアの舞踊は、所作といい衣装といい音楽といい、北コーカサス的なものですが、歌声と顔立ちを見ると、あーやっぱりイラン系なのかなぁと思います。
コーカサス系のイングーシとは犬猿の仲らしく、国境問題を巡るソ連崩壊後の紛争は凄惨を極めたようです。どちらかといえば親ロシアの立場に立つ国なので、チェチェン紛争におけるロシア軍の拠点にもなっているようです。04年のチェチェン独立派によるベスランの小学校占拠事件の悲劇は、記憶に新しい出来事です。

North Ossetian State Academic dance ensemble ALAN

北オセチア民族舞踊団アランの公演。盾を持って剣を交わす踊りは、もしかしたら古代のアラニアをイメージしたものかも。

Ossetian dance with knifes

北コーカサス一帯に見られる男性の「短剣の踊り」のオセチア版。レズギンカのような求愛型舞踊と共に代表的な戦闘舞踊の典型。

Ossetian Folk Song

Alla Khadikovaという女性歌手中心に舞踊も交えたステージ。オセチアの歌が聞ける嬉しいクリップ。

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