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2008年1月

2008年1月31日 (木)

ドン・コサック合唱団

コサックとは元々チュルク語で「自由な民、放浪の民」の意味で、カザフと同語源です。15世紀頃までタタール(モンゴルとチュルク)に苦しめられた、所謂「タタールのくびき」後、ロシアでは農奴制が進みましたが、その抑圧から逃れ辺境の地で自治的に暮らした自由民を、またチュルク語で呼んでいるのは興味深い点だと思います。コサックと言えば、日本では中腰で腕を組み足を出し入れする「コサック・ダンス」のステレオ・タイプなイメージが強いと思いますが、実際は踊りもあのステレオ・タイプとは大分異なります。現在伝承されているコサックの民謡も、かなりヴァラエティに富んだものです。(その他、コサックの歴史についての詳細はこちらで)
歌の方では、特に有名な団体が今日のドン・コサック合唱団でしょう。1896年生まれのセルゲイ・ジャーロフが率いた男声のアカペラ合唱団で、リーダーのジャーロフは、ロシア革命ではレーニン率いる革命軍(赤軍)に対抗する帝政ロシア軍(白軍)側についたため、白軍の将校として内戦後はトルコに亡命、1930年代には全団員がアメリカの市民権を取得しました。以来「祖国への望郷の思い」を歌うこの団体は、ロシア民謡の中心的存在でしたが、1974年に彼が引退してからは往年の厚みのある歌声が聞けなくなってしまったようです。この合唱団の特徴は、ファルセット(裏声)の高い声があるかと思えば、チベット聲明並みの超低音まで出ている点でしょう。近世においてコサックの近くにいたグルジア人の男声合唱の影響もコサックの多声音楽には入っているようですが、ドン・コサックの合唱はその最も典型的な例と言えるように思います。赤軍合唱団とは一味違う、帝政ロシアの豊かな響きをお楽しみ下さい。

Don Kosaken Chor Sergej ZHAROV Sergei Jaroff , Berlin 1930

全盛期を築いたセルゲイ・ジャーロフの指揮による1930年代の貴重な映像。ロシア正教の宗教歌を歌っています。

Heintje - Don Kosaken Chor Cossack Serge Jaroff 1

"Mein Bester Freund"から。詳細が不明ですが、ジャーロフが辛うじて現役だった頃の映画出演のワンシーンでしょうか。カリンカが高らかに歌われます。

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2008年1月30日 (水)

悲しき天使

バルバラのシャンソンの洗練された素晴らしさで、もう少しフランスに長居したくなりましたが、取り合えずロシアに戻りましょう。
と言いつつ、今日の歌も一本目はフランスの歌手が歌っていますが、元はロシアの曲。日本では森山良子さんの歌などでお馴染みだと思います。下記の解説にも出ていますが、19世紀以来のジプシー・ロマンス(先日の記事参照)のカラーが出ている歌だと思います。ユダヤのクレズマー風味まであるかどうかは分かりませんが。

Vicky Leandros -Le temps des fleurs

「悲しき天使」はダニエル・ヴィダルなど沢山の歌手が歌っていましたが、このヴィッキーの歌唱もなかなか良いです。赤いブラウスはロシアのルバシカ風。この人は以下の「恋は水色」を最初に歌った人。本題からそれるので、リンクでアップしますが、この歌はポール・モーリアや森山良子の歌でお馴染みですね。ヴィッキーはギリシア系フランス人で、いかにもギリシア系の顔立ち。だからでしょうか、少し訛りがあるように聞こえます。
Vicky Leandros - L'amour est bleu

Ансамбль Российской Армии - Дорогой длинною

同曲をロシアの赤軍合唱団が歌ったビデオ。カメラワークはよくありませんが、珍しい映像です。

歌の由来がウィキペディアに出ていましたので、以下に転載しておきます。メリー・ホプキン版をリンクで入れておきました。

悲しき天使 (Those Were the Days) は、イギリスのメリー・ホプキン(Mary Hopkin)が歌ったヒット・ソング。ビルボード(Billboard)誌では、1968年11 月2日に最高位の第2位を獲得。ビルボード誌1968年年間ランキングでは第17位。原題は、直訳すると「あの頃は……の日々だった」という意味であり、歌詞の大意は、壮年期の人間が、青春時代を思い返してロマンティックに美化するというものである。したがって、日本語訳の名称は、英語歌詞の内容とは何の関係もない。
イギリスで活躍したアメリカ合衆国出身の歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲とされているが、正確に言えば、ロシアもしくはウクライナの歌謡曲をラスキンが編曲したものにほかならない。
より厳密に言うならば、コンスタンチン・ポドレフスキー(Konstantin Podrevsky)の詩にボリス・フォーミン(Boris Fomin, 1908年~1948年)が、クレツマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌“Дорогой длинною”(この道に沿って、この道を)にほかならない。ソビエト連邦からの亡命者によって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになったらしい。

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2008年1月29日 (火)

フォーレとデュパルク

バルバラは当初クラシック音楽を学んでいたそうですが、その中で彼女のシャンソンにも少なからず影響を与えたのではと思われる、フォーレとデュパルクの作品を見てましょう。昨日参考文献に上げた「聴かせてよ、愛の歌を」のバルバラについての記事に、この二人の名前が上がっていました。(寄り道ついでに^^ 明日からはロシアへ戻ります)

フォーレは、ドビュッシーやラヴェルの先輩世代の19世紀フランスの作曲家。独特な詩情は他の作曲家作品では得られないものです。最も有名なのはレクイエムや、シシリエンヌ、パヴァーヌ辺りでしょうか。歌曲、室内楽を中心に名曲を沢山書いた人です。

デュパルクはセザール・フランクの弟子で、フランス後期ロマン派の伝統に立脚しつつ、静謐な叙情性をたたえた作品を書いた作曲家。寡作ですが、底光りを放つフランス歌曲の名品を残しました。その中で一曲と言われれば、筆頭に上がるのが「旅への誘い」でしょう。

Piatigorsky plays Faure Elegie  ピアティゴルスキー/フォーレのエレジー

カザルスとロストロポーヴィチの間の世代ではフルニエと並び立つチェロの名手。ホロヴィッツやハイフェッツなどとよく共演していた人です。映像は初めて見ましたが、演奏、フォーム(特にフィンガリング)とも実に美しいです。

グレゴール・ピアティゴルスキー(Gregor Piatigorsky) 1903-1976
ピアティゴルスキーはその甘美で詩情あふれる表現により「ロマンティック・チェリスト」と讃えられ、カザルス以降のに現れた20世紀最大のチェリストとの敬意を込めて「ロシアのカザルス」と例えられたチェロの名手。(ウィキペディアより)

Gérard Souzay, baryton Dalton Baldwin piano, H. Duparc  旅への誘い

デュパルクの歌曲「旅への誘い」。ボードレールの「悪の華」の一篇に付けられた名曲です。ジェラール・スゼーのバリトンとダルトン・ボールドウィンのピアノ。スゼーよりパンゼラがあれば良かったのですが、さすがにyoutubeは見当たりません。

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2008年1月28日 (月)

バルバラ

昨日名前が出ましたので、今日は名歌手バルバラ(1930-97)のビデオを見てみましょう。寄り道は一応今日までの予定です^^
バルバラと言えば、日本ではシャンソン歌手クミコがカバーした「我が麗しき恋物語」で一番広く知られている人でしょう。 youtubeに往年の名唱が何本か出ていましたので、一挙にアップします。昔からのファンとしては、動くバルバラを見れて、ちょっと興奮してしまいました^^
いずれも、黒ずくめの衣装、モノクロ・フィルムなど、イメージ的にバルバラの世界を見事に表している映像だと思います。しかしこうして見るといかにもユダヤ系の面立ちですね。そのために戦時中は筆舌に尽くせない辛酸をなめたようで、しばしば歌の中でも歌われています。「私は朝から晩まで絶望している女ではない。黒い服は喪服ではない。」と繰り返していたようですが、過去の辛い体験が彼女の歌に暗い影を落としていることは間違いないようです。
最近1954年のブリュッセルでの無名時代の録音が登場しました。まだ「黒の美学」?が確立する前ですが、語るように歌う歌唱を聞くと、後のバルバラの歌の萌芽が見えると共に、やはりイヴェット・ギルベール(ロートレックの絵にも描かれた名歌手)など、往年の大歌手たちの流れを汲む人なんだなぁと改めて思いました。まだ蕾ではあるのでしょうが、若き日の瑞々しい歌声には、やはりファンとしてはとても感動しました。(近々HPにアップ予定)
※以下の曲目の解説では、LP「黒いワシ」の永田文夫氏の解説文と、蒲田耕二氏の近著「聴かせてよ、愛の歌を」を参照しました。

Barbara - Ma Plus Belle Histoire d'Amour 我が麗しき恋物語

初恋の思い出がしみじみと歌われる1966年の名歌。歌手と聴衆の関係を恋愛にたとえ、恋の相手は彼女の聴衆。よく知りませんが、クミコ版はテーマが少し違ったような・・・

Barbara - Göttingen パリとゲッティンゲン

バルバラのピアノ弾き語りに、アコーディオン、コントラバス(ブラッサンスの伴奏者だったピエール・ニコラのようです)、チェロという、バルバラらしい低弦室内楽編成はこの頃から。1965年発表のバルバラの美学満開の名曲。

Barbara - Nantes ナントに雨が降る

父親の死を物語る、悲しくも美しい1964年の名歌。

Barbara - L'Aigle Noir 黒いワシ

1970年の大ヒット曲で、岸洋子他のカヴァーでも有名。彼女の№1ヒットはやはりこの曲。

Maurice Bejart

故モーリス・ベジャールの20世紀バレエ団の舞台から。テーマはバルバラの「黒いワシ」。もしかしたらバルバラ追悼公演の映像かも。

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2008年1月27日 (日)

ブリジット・フォンテーヌ

昨日のカンプローヴァの記事で引き合いに出しましたので、ロシアから離れますが、今日はそのブリジット・フォンテーヌを見てみましょうか。カンブローヴァの歌は、フォンテーヌやバルバラのロシア版に聞こえて仕方ありません。私的には前に取り上げたブラッサンスやバルバラ、フォンテーヌ辺りは、シャンソンの中では一番思い入れの強い歌手です。
ブリジット・フォンテーヌと言えば、70年前後に出たSaravahからの4枚のアルバムが特に有名で、その中でも2枚目の「ラジオのように」の登場は衝撃的でした。間章(Aquirax Aida) 氏のライナーノーツも鮮烈な印象を残しました。(私が初めて聞いたのは83年頃ですが)

2本目のEternalは、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事をミクシィに転載したものの再登場。ミクシィの設定を変えたら前の記事が消えてしまいましたので。

Brigitte Fontaine - Le Nougat

1988年のアルバム「フレンチ・コラソン」から。1989年の初来日は聞きに行きましたが、このヌガーでは特に盛り上がっていました。

faun fables - eternal @ London & Krishenbaum

60~70年代にブリジット・フォンテーヌという歌手がいました。
ピエール・バルーのSaravahレーベルに代表作がある女性歌手です。
前衛的なシャンソンを歌う人で、フリージャズのアート・アンサンブル・オブ・シカゴや、アルジェリア出身のアレスキー(Vo, Perc.)との共演が有名ですが、eternal(永遠の)は1枚目の「Brigitte Fontaine est...」から。まだエキセントリックな世界は萌芽の状態ですが、返って瑞々しくリリカルな躍動感が溢れ出るような、素晴らしい曲です。
ユーチューブにもフォンテーヌ自身の昔の映像はほとんどないので、eternalをアメリカ西海岸のFaun Fablesというグループが演奏したものをアップしました。ヒッピー・カルチャーの新種か? そんな雰囲気を感じます。2007年3月のイスラエル・ツアーでの映像。
これ演奏自体なかなか楽しいし、イスラエルの放送局の司会者がノリノリで笑ってしまいますw

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2008年1月26日 (土)

エレナ・カムブローヴァ

ロシアの吟遊詩人、3人目は女性歌手のエレナ・カムブローヴァ。と言っても彼女は吟遊詩人(バルド)ではないようですが、ちょっと風変わりで懐かしげな歌を歌う人で、いずれ是非取り上げたいと思っていました。youtubeも13本見つかりました。
この人、ロシアでは名歌手として知られ、女優でもあるようです。ロシアのレーベルBohemeから、70年代リリースと思われるCDが2枚出ていました。以下の「手品師」と「リトル・プリンス」共に、その内の一枚のアルバム、カプリ・ダトスカヴァ・カラリャ(Капли датского короля)からの2曲。最初の2本が昔の(1970年)映像、3本目は2006年の歌唱で「手品師」。
最初聞いた時には、彼女のセンスィティヴで少々エキセントリックな歌の世界は、初期のブリジット・フォンテーヌに似ているなぁと思ったものです。遠いロシアの往年の歌手なのに、何か懐かしげな感じが漂うのが不思議です。

Елена Камбурова - Фокусник(手品師)

Елена Камбурова - Маленький принц(リトル・プリンス)

Елена Камбурова - "Фокусник" Новеллы Матвеевой

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2008年1月25日 (金)

真夜中のトロリーバス

今日は初期のオクジャワの有名な曲の一つ「真夜中のトロリーバス」。
もの悲しいけど暖かい、オクジャワの歌の世界をよく表した一曲です。
乗り合わせた乗客たちが無言の内に都会の孤独を束の間癒す深夜のトロリーバス。オクジャワの暖かいまなざしが感じられる歌です。ソ連時代にはそんな素直な表現自体が新鮮で、ソ連社会で熱烈に支持された秘密はその辺りにあったようです。
2本目の前半は、昨日アップした「ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて」のライヴ盤。晩年の映像でしょうか。この頃の枯淡の味わいは格別です。
(訳詩:沼野充義 NHKラジオロシア語講座テキスト「吟遊詩人オクジャワの世界」より)

Булат Окуджава - Последний троллейбус

不幸に打ち克つことができないとき
絶望が忍び寄ってくるとき
ぼくは青いトロリーバスに飛び乗る
最終の、たまたま通りかかったトロリーバスに

最終のトロリーバス、町を突っ走れ
並木道をぐるっと回って
夜中に難破してしまった人たちをみな
拾い上げるんだ

最終のトロリーバス、ドアを開けてくれ!
寒さが身にしみる真夜中には
お前の乗客、お前の水夫たちが
救助にかけつけてくれるのをぼくは知っている

一度ならずぼくは彼らとともに不幸を逃れ
彼らに肩で触れたもの・・・
どれほどの、そう、ぬくもりが
沈黙の中にあることだろう

最終のトロリーバスはモスクワを漂い
モスクワは川のように静まっていく
そしてムクドリのひなのようにこめかみを打っていた痛みも
おさまっていく

 

Булат Окуджава  ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて 他

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2008年1月24日 (木)

オクジャワ名唱集

昨日に続いてロシアの吟遊詩人、ブラート・オクジャワの名唱を二つ。今日の2曲も染み入りますよ^^

Булат Окуджава Грузинская песня  グルジアの歌

オクジャワの父方の出身地は南コーカサスのグルジア。少年時代を過ごした「心の故郷」に捧げる歌です。スターリン体制下で両親は逮捕され、平和な少年時代は終わりを告げました。後年になってのどかなグルジアでの楽しい思い出を振り返った切ない歌。オクジャワの歌で最も愛されている曲の一つ。

葡萄の種を暖かい大地に埋めよう
つるに口づけし、熟れた房を取ろう
そして友人たちを呼び、心に愛を呼び起こそう
そうでなかったら、この永遠の大地に生きるかいがあるだろうか

さあ、客人たち、集まってください、私のもてなしに
面と向かって、私の評判を聞かせてください
天の神が罪の赦しを私に送ってくださるだろう
そうでなかったら、この永遠の大地に生きるかいがあるだろうか

暗い赤の服を着て私のために歌うのは私のダリ
白と黒の服を着て私は彼女の前に首を垂れる
そして歌に聞きほれ、愛しさと悲しみのあまり死ぬだろう
そうでなかったら、この永遠の大地に生きるかいがあるだろうか

そして夕焼けが立ち上り、くまなく隅々まで舞い込んでくるとき
目の前をまざまざと何度も何度も
青い水牛や、白いワシや、金色のマスが泳いでいきますように
そうでなかったら、この永遠の大地に生きるかいがあるだろうか

(訳詩:沼野充義 NHKラジオロシア語講座テキスト「吟遊詩人オクジャワの世界」より)

Булат Окуджава О Володе Высоцком  ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて

俳優で歌手のウラディーミル・ヴィソーツキーの早すぎた死を悼んで作られた歌。妻のマリナ・ヴラディに捧げられました。ヴォロージャとはウラディーミルの愛称。

ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて僕は歌を作ることにした
また一人、行軍から家に帰って来られないのだから
あいつは罪を犯した、ろうそくを消すのが早すぎたと言う・・・
彼は生きられるように生きただけのこと、この世界には罪を知らない人間などいない

別れのほんのしばらく、せいぜい一瞬だけのこと、それから
僕たちも彼のすぐ後を追って出発する定め
モスクワの上空には彼のしわがれたバリトンが舞うがいい
そして、僕たちは彼と一緒にちょっと笑い、泣こう

ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて僕は歌を作りたかった
でも手は震え、メロディは詩に合わなかった・・・
モスクワの白いコウノトリが白い空に舞い上がった
モスクワの黒いコウノトリが黒い大地に降りてきた

(訳詩:沼野充義 NHKラジオロシア語講座テキスト「吟遊詩人オクジャワの世界」より)

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2008年1月23日 (水)

ロシアの吟遊詩人~オクジャワ

ロシアのバード(吟遊詩人)の二人目は、ヴィソーツキーの先輩格に当たるブラート・オクジャワ。哀調を帯びた親しみやすい歌声を聞かせる吟遊詩人です。激情型のヴィソーツキーとは対照的な切なく優しい歌声。しかし懐の深い、骨太な歌を歌う人です。歌詞は一見平易そうですが、微妙なアイロニーとユーモアが潜んでいることも多く、じっくり読み込むと味わいが深まる本物の詩作品になっています。事実、歌と離れた詩集も色々出ています。
一本目は曲名が不明でしたが、彼が弾き語っている映像は余りないので貴重です。この曲良いですね。今度原文をあたってみましょう^^
二本目は彼の代表曲の一つ。この歌は「フランソワ・ヴィヨンの祈り」と呼ばれていたようですが、ソヴィエト時代は個人の宗教的な祈りはご法度の時代ですから、フランス中世の「牢獄につながれた詩人」が神に祈るという設定にさせられていたようです。そんな設定の束縛など乗り越えて、心に染み入ってくる名曲です。

Булат Окуджава

Bulat Okudzhava   Molitva(祈り)

地球がまだ回っているうちに、日の光がまだ明るいうちに
主よ、人々が持たないものを皆に与えたまえ
賢者には頭を、臆病者には馬を与えたまえ
幸せ者には金を・・・  そして私のこともお忘れなく

地球がまだ回っているうちに - 主よ、御心のままに! -
権力を欲しがる者には権力を思う存分ふるわせ
気前のいい者にはせめて一日が終わるまで一休みさせ
カインには後悔させたまえ・・・  そして私のこともお忘れなく

私は知っている あなたは何でもできる あなたの賢さを信じている
殺された兵士が、自分は天国に暮らしていると信じるように
どんな耳もあなたの静かなお言葉を信じるように
私たち自身も、自分のしていることが分からないまま信じるように

おお主よ、緑の目をした私の神よ! 地球がまだ回っているうちに 
- それは地球自身にとっても不思議なことだが
地球にまだ時間と火が足りているうちに
皆に少しずつ与えたまえ・・・  そして私のこともお忘れなく

(訳詩:沼野充義 NHKラジオロシア語講座テキスト「吟遊詩人オクジャワの世界」より)

ブラート・シャルヴォヴィッチ・オクジャワ(Булат Шалвович Окуджава、1924年5月9日モスクワ - 1997年6月12日パリ)はソ連・ロシアの詩人、歌手(シンガーソングライター)、小説家。200曲ほどの歌を遺し、ロシア語でавторская песня(作者の唄)と呼ばれるジャンルの確立者の一人として有名。これはギターを弾きながら歌う、フランスのシャンソニエとロシア民謡の影響を受けた独特の様式で、彼らはバルド(бард、元来ケルトの吟遊詩人のこと)とも呼ばれる。
グルジア系の父とアルメニア系の母の間に生まれた。第二次世界大戦に応召し、戦後は教師、ついで出版社に勤務し、かたわら詩作を行った。
1950年代後半(スターリン批判後)から自作の詩を歌い、主に知識階級の間で注目されるようになった。彼は国民的人気を勝ち得ながら政治を題材にすることはなく、それでもソ連の文化政策にそぐわないジャンルであったことから、国家による公認を受けたのは晩年になってからだった。また詩人を自らの本分と考えたこともあり、レコーディングされたのは1980年頃になってからである。
1991年に国民的詩人としてソ連芸術賞を受賞。1980年代からは小説にも力を入れ 1994年に「シーポフの冒険」でロシア・ブッカー賞を受賞した。生前住んでいたモスクワ・アルバート通りには記念像が建てられている。小惑星帯の小惑星の一つの「オクジャワ」は彼の名前からとられた。
(以上バイオグラフィはウィキペディアより)

お薦めリンク http://byeryoza.com/topic/log2005/okujava.htm

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2008年1月22日 (火)

今日もヴィソーツキー

昨日に続いてヴィソーツキー名唱集ということで、今日は2曲。
新星堂からのアルバムタイトルにもなっていた「大地の歌」と、「愛の歌」です。
LPではペスニャ・ア・ゼムリェ(大地の歌)となっていますが、youtubeのタイトルはバッラーダ・ア・ゼムリェで、訳せば「大地のバラード」となります。彼の歌ではペスニャ(歌)とバッラーダが同義のようになっているのでしょうか。2曲目も本来なら「愛のバラード」でしょうが、「愛の歌」としておきました。
どちらもTV番組「モノローグ」の映像で、これだけ良い画質で見られるのは他になさそうです。収録は70年代後半位でしょうか。彼が弾いているギターは、数日前ジプシー音楽の所でちょっと触れたロシアの7弦ギターです。大分チューニングが狂っているように聞こえますが、それも味です。何よりこの激情の迸る歌声の素晴らしさ。ヴォトカを呷りたくなるような歌です^^ 2曲目はLPに収録されていないので、訳詩はありません。想像しながら聞いてみて下さい。

Высоцкий - Баллада о земле  大地の歌

誰が言ったのだ、全ては焼け尽きた
もう太陽に種子を播いても無駄だなどと
誰が言った、大地は息尽きたなどと
違う - 大地は一時息をひそめたのだ

母なるものは大地から奪えない
取り去れない、海を汲み尽くせないように
誰が信じたのだ、大地が燃え尽きたなどと
違う - 大地は黒ずんだのだ、悲しみのあまり

切り傷のように塹壕が横たわり
爆撃の後は、傷口が開いたまま
むき出しにされた大地の神経は
この世ならぬ苦しみを知っている

大地は全てを堪え、時を待つ
大地を片輪者だと片付けるな
誰が言ったのだ、大地はもう歌わないなどと
大地は永遠に口をつぐんだなどと

違う - 大地は鳴り響く、うめきを抑え
傷口のすべて、はけ口のすべてを使って
だって大地とはわれらの心
軍靴が心を踏み潰すことはできない

(訳詩:宮沢俊一)

Высоцкий - Баллада о любви  愛の歌

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2008年1月21日 (月)

ロシアの吟遊詩人~ヴィソーツキー

これから数日、ロシアのバード(吟遊詩人)の歌を見てみましょう。1回目は余りに有名なウラディーミル・ヴィソーツキー。今日のビデオクリップは、彼の自作弾き語りの「奴は戦闘から戻らなかった」ですが、この曲は80年代に新星堂から2枚組みLP「大地の歌」が出た時に、冒頭に収録されていた曲。なので、個人的にはとてもインパクトの強かった歌です。ちょうどyoutubeも見つかりましたので。
ウラディミール・ヴィソツキーと表記されることも多いようですが、原語の発音に近いのは「ウラディーミル・ヴィソーツキー」です。彼の奥さんは女優のマリナ・ヴラディですが、彼女はJ.L.ゴダールの映画(「彼女について私が知っている2,3の事柄」他)などへの出演でも知られています。夫婦でデュエットしたアルバムも出ていますので、興味のある方は是非聞いてみて下さい。こちら 以下のロシア語歌詞はyoutubeから、訳詩は新星堂の「大地の歌」からの転載です。

visotsky - tolko on ne vernulsya iz boya  奴は戦闘から戻らなかった

Почему все не так? Вроде все как всегда:
То же небо - опять голубое,
Тот же лес, тот же воздух и та же вода,
Только он не вернулся из боя.
Мне теперь не понять, кто же прав был из нас
В наших спорах без сна и покоя.
Мне не стало хватать его только сейчас,
Когда он не вернулся из боя.
Он молчал невпопад и не в такт подпевал,
Он всегда говорил про другое,
Он мне спать не давал, он с восходом вставал,
А вчера не вернулся из боя.
То, что пусто теперь, - не про то разговор,
Вдруг заметил я - нас было двое.
Для меня будто ветром задуло костер,
Когда он не вернулся из боя.
Нынче вырвалась, будто из плена, весна,
По ошибке окликнул его я:
- Друг, оставь покурить! - А в ответ - тишина:
Он вчера не вернулся из боя.
Наши мертвые нас не оставят в беде,
Наши павшие - как часовые.
Отражается небо в лесу, как в воде,
И деревья стоят голубые.
Нам и места в землянке хватало вполне,
Нам и время текло для обоих.
Все теперь одному. Только кажется мне,
Это я не вернулся из боя.

なぜどこが違うのか、大体はいつもの通りなのに
空も同じ、また晴れている
森も同じ、空気も同じ、水も同じなのに
ただ奴だけが戦闘から戻らなかった

俺には今や分からない - 俺たちのどっちが正しかったのか
よく夜を徹して論じ合ったものだったが
俺ははじめて奴の存在を感じてる
奴が戦闘から戻らなかった今になって

調子っぱずれに黙り込んだり
調子っぱずれに歌をあわせたりした奴
いつも人と違うことを喋りだす奴だった
奴は俺を眠らせてくれず、太陽と同じ早起きだった
それなのに、昨日は戦闘から戻らなかった

今は空虚になった - そんなことじゃないんだ
急に俺には分かったんだ - 俺たちが二人だったことが
俺にとっちゃ、焚火が風で吹き飛ばされたようなものだ
奴が戦闘から戻らなかったことは

急に解き放たれたように、あたりは春めいてきた
間違って俺はつい声を掛けてしまったよ
「おい、そのタバコ俺にも吸わせろ」、でも返事はない
だって奴、戦闘から戻らなかったんだ

俺たちの死者は、俺たちを不幸にさせない
俺たちの戦死者は、番兵のようなもの
空は森に映っている、水に映るように
そしてそびえ立つ木々は青い

塹壕は俺たちには十分広かった
時間は俺たち二人のために流れていた
それがみんな一人用になって、俺には思えるんだ
戦闘から戻らなかったのは俺じゃないかと

訳詩:宮沢俊一

以下http://www.geocities.jp/f4_ttm/vis1.htmlより

Владимир Высоцки
ヴラジミール・ヴィソツキー(1938~1980、旧ソ連)
詩人、俳優。シンガーソングライター。生前には、1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにも拘わらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたという。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の20万人の人々が許可なく集まり、夭折を惜しんだ。代表作に「奴らは戦場から戻らなかった」「狼狩り」「大地の歌」「俺はマガダンに行った」「07」等。俳優としては「ハムレット」「ガリレイ」が代表作。日本では、LP「いまだ日が落ちず」「大地の歌」が発売されている他、90~91年にかけてTV-CMに「暗闇で」が使われ話題となった。NHKでは五木寛之氏をホストに「モスクワは忘れない~吟遊詩人ヴィソツキーの歌」を放映。
(以上、VHSを販売した(株)クエストの紹介文から引用)

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2008年1月20日 (日)

現代ロシアのジプシー音楽

ユル・ブリンナーに続いて、今日は最近のロシアのジプシー音楽界隈を見てみましょう。Network MedienやARC盤などでお馴染みのロイコとタリスマンのビデオが見つかりました。
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-tor-slav.html#Russian%20Gypsy

Talisman Group

ヴァイオリン、ギター、アコーディオン(バヤン)のトリオ編成。タンゴ風アレンジからルーマニアのひばり、アイリッシュまで飛び出すフュージョン振りと超絶テクですが、歌もの中心にももっと見たい気がします。タリスマンは、Loykoの初期メンバーであるVadim Kulitskiがリーダー。

Malyarkitsa by Loyko( Russian Gypsy)

こちらがそのロイコの伴奏のジプシー舞踊。ロイコのビデオもありましたが、滅茶苦茶音が悪い上に音量も小さいので外しました。演奏風景が見えないのが残念ですが、タリスマンのようにヴァイオリンの名人芸が光っているグループです。New York Gypsyfest 2006でのJulia Kulakovaの踊り。

The Queen of the Gypsies: Rada (Табор уходит в небо, 1976)

ロシア、ハンガリー国境付近を舞台にした76年のソヴィエト映画のようです。ロイコやタリスマンのような音楽が絶えず聞こえてきます。ロシアン・ジプシーの風俗が多少とも確認できて、興味深い映像です。(以下ビデオの解説英文)
A Goddess, the summit of beauty and love. Rada was her name (Svetlana Toma)...
Freedom and crime, love and death... All of these things are in the impressive drama made in 1976 after Maksim Gorky stories. The action takes place in a region near the border of the Russian and Austro-Hungarian Empires, right where Dracula and Sacher-Masoch came from. The film tells a story of a beautiful Gypsy Rada, who appears to have magic powers, a bold horse-stealer Loyko Zobar and their fatal love. There is transgression, tantra, pagan cults, dionysism, dark magic. This story can be named as well a Russian Carmen. Brilliant performance of Emil Lotjanu / Loteanu (director), Eugene Doga (music), Serguey Vronsky (photography), Svetlana Toma (awarded as the best Soviet actress of the year for the part of Rada), Grigore Grigoriu(Zobar), Borislav Brondukov (Buca) and others. Great art of a great civilization. Enjoy it and fuck Hollywood shit.

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写真は今日の今治郊外の鈍川温泉の雪景色。この辺りでは滅多に見られない雪化粧が見られました。渓谷の雪景色は綺麗でしたが、帰りが心配で早めの下山。先程何とか帰り着けました^^; そのため今日は遅めのアップです。皆さん明日は足元に気をつけましょう。

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2008年1月19日 (土)

ユル・ブリンナーのジプシー歌謡

今日はロシアのジプシー民謡の名曲「二つのギター」。歌うのはハリウッド映画のスターとして有名なユル・ブリンナーです。これは前から上げておかねばと思っていたビデオです^^ 
「二つのギター」は、19世紀中葉に流行した「ジプシー・ロマンス」の伝統を感じさせるメランコリックで芳醇な味わいの佳曲。ジプシー民謡自体は、ソ連時代に入ってからは不健全で退廃的であるとして、亡命ロシア人音楽家などによって演奏されることがほとんどだったようです。先日のシャリアピンも帝政時代が全盛期だった歌手ですから、「黒い瞳」も歌っていたのでしょう。ジプシー・ロマンスは一部ロシアの詩人の活動とも共鳴しあい、一種の都市歌謡として大いに流行ったそうです。非ジプシーの詩人たちの筆から生まれたロマンス(「物語詩」のように理解すれば良いのでは)を、ジプシーが演奏して民謡化するというパターンも多く見られ、「二つのギター」もその中の一曲です。ロシアにギターを持ち込んだのはジプシーと言われていますから、ギター伴奏が大体入りますが、多くはロシアのみに見られる7弦の特殊なギターが使用されます。
ユル・ブリンナーは、映画「荒野の七人」「十戒」「王様と私」等で知られるスキンヘッドの俳優。ロシア出身でジプシーの血が入っているらしいと聞いていましたが(ウィキペディアによるとジプシーの血は引いてないようです)、こんなに見事な歌声を披露していたとは驚き。相方のアリョーシャ・ドミートリエヴィッチは、おそらくジプシー系でしょう。

以下ウィキペディアより
ユル・ブリンナー(Yul Brynner,1920年7月11日 - 1985年10月10日)はロシアのウラジオストック出身の俳優。
当初はサハリン生まれのスイス人と日本人のハーフと称していたが、実際にはスイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間にウラジオストックで生まれた。幼少時代は中国やフランスで育った。パリでナイトクラブのミュージシャンやブランコ曲芸師として働いていたが、俳優を志すようになり、1941年にアメリカに移り演技の勉強をした。ラジオやテレビシリーズに出演するようになり、1950年代中盤からアクション映画や歴史大作でエキゾチックな魅力を発揮するようになった。

Yul Brynner sing «Two guitars»

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2008年1月18日 (金)

ドムラとドンブラ

三角形が特徴的なバラライカのアンサンブルでよく一緒に演奏される弦楽器に、胴の丸いドムラがあります。こちらはストレートにカザフのドンブラ直系の楽器だと分かる名前です。バラライカのような右手の自由自在なストロークではなく、マンドリンのようにピックを使って弾かれるようです。名前はドムラの方が似ていますが、音色や奏法はバラライカの方が色濃く受け継いでいるように見えます。

Balalaika. QUARTET "SKAZ" - "Moscow nights", song

ドムラとバラライカのカルテットと歌で、有名な「モスクワ郊外の夕べ」。夏の夜に語り明かす若者を描いた美しい叙情歌ですが、モスクワ放送のコールサインに長年使われていることで有名でしょう。ソロヴィヨフ・セドイ作曲のソヴィエト歌曲です。

Tamara Volskaia domra Tchaikovsky Danse russe

ドムラとピアノによるチャイコフスキーのロシアの踊り。高いパートの小さいドムラのようですが、マンドリン的な奏法なのがはっきり分かります。

Mayra

今日も一本カザフのドンブラ演奏をアップしておきます。Gauharというカザフの女性によるドンブラ弾き語りで民謡マイラ。これは見つけた時、非常に驚いたクリップです。なぜかというと、20年余り前に偶然北京放送で聞いたことのあるウイグル民謡と同じ旋律と曲名だったからです。カザフスタンは広大な国で、東は中国のウイグル、西はヨーロッパ・ロシアに接しているので、東の方ではウイグルのメロディも入ってきているのかも知れません。

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2008年1月17日 (木)

バラライカとドンブラ

ロシアの代表的な楽器と言えば、まず何よりもバラライカです。今日はバラライカのソロやアンサンブルでよく演奏される「月は輝く」(一本目)を見てみましょう。演奏はAlex Siniavski(バラライカ)とMikhail Smirnov(ギター)。3弦の素朴な作りですが、多彩な名人芸が可能な奥の深い弦楽器です。後半の指をばらしてアップで弾く奏法は、イラン西部クルディスタンのタンブールの奏法を思い出させます。
バラライカは19世紀末までは農民の楽器として貴族階級などからは蔑視されていたようです。そこに「バラライカの父」と呼ばれるV.アンドリエフが登場して、多様な表現を可能にし、芸術的に高めました。彼は低音バラライカ(アルト、バス、コントラバス)を開発し、アンサンブル演奏を可能にしました。チャイコフスキーは1888年の歴史的なコンサートを見て、その音色の美しさを絶賛したそうです。
この楽器は古来漂泊の楽士たちから愛されていたようですが、何と起源は4世紀に遡るという説もあるようです。漂泊楽士は伝統的な器楽だけでなく、民謡や口承文芸などの様々なロシア文化のルーツを生み出してきた存在。前から薄々感じていたことですが、やはりこの楽器のルーツはカザフスタンのドンブラにあるようです。漂泊楽士たちはカザフから伝来した楽器を、自分たち用に改良してきたのでしょう。一方ツィターに似た弦楽器のグースリーはヴォルガ流域のウラル系民族にも愛好されてきたようですから、漂泊楽士はロシア人だけではなかったのかも知れません。いや、きっとそうでしょうね。ルーツのエピソードというのは、ロシアの場合もとりわけ興味深いものです。

RUSSIAN BALALAIKA DUO

Anatole, true maestro of the balalaika!
http://www.youtube.com/watch?v=HU7oqkJeItQ
こちらも素晴らしい独奏です。埋め込み禁止のためリンクでのアップ。

kazakh music

いずれカザフの音楽も巡る予定ですが、参考までに一本。カザフはチュルク系民族で、日本人に似た風貌の人も多いです。

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2008年1月16日 (水)

シャリアピン名唱集

昨日は不世出のバス歌手フョードル・シャリアピンの「ヴォルガの舟歌」を見ましたが、他にも名唱が色々聞けますので、今日はいくつかアップしましょう。

Chaliapin "black eyes"

まずはロシア・ジプシーの歌の中で最も有名な「黒い瞳」。ロシア語でオチ・チョルニア。妖しい魅力を放つジプシー娘への恋心を歌った歌。

Chaliapin  Russian folk song - Luchinushka

この曲のイメージは、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」などで静かに流れるロシア民謡の独唱とか、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」の終盤で、アッシェンバッハの死を予感するかのように静かに歌われるムソルグスキーの歌曲辺りでしょうか。このLuchinushkaも同じように、茫洋としたロシア平原が目に浮かぶような旋律です。これも本物の「ロシアの民謡」です。

Chaliapin  Russian folk song-Vniz po matushke po Volge

1963年のソヴィエト映画「春の娘たち」のワン・シーン。ヴォルガ流域を巡りながら流れるシャリアピンの歌声。これも素晴らしいです。これは「ポーリュシカ・ポーレ」のような、コサック歌謡的な音の重ね方。女性の歌声はクラシック的な発声ですが、ドラマチックでなかなか良いです。邦題は確か「母なるヴォルガを下りて」だったと思います。

Feodor Chaliapin- Chanson de la puce

ムソルグスキー作曲の有名な歌曲「蚤の歌」。ゲーテのファウストが出典。この曲もシャリアピンの名唱で有名になりました。ムソルグスキーはロシアやユダヤの民謡をよく研究していたようです。彼の最も有名な「展覧会の絵」などにも随所に思い当たるところがあります。これはSP盤所有者によるビデオ。

Feodor Chaliapin - Boris Godunov - escéne du carillon

シャリアピンが名声を確立したムソルグスキーの最高傑作、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」から。

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2008年1月15日 (火)

エイコーラ!

ロシアの歌といえば、この曲は外せません。「ヴォルガの舟歌」(エイ・ウフニェム)です。
ドリフターズがエイコーラ!と歌って大ヒット?した曲、と言えば通りが良いでしょうか。往年の名歌手フョードル・シャリアピンのビデオが見つかりましたので、今日はこの曲で。
ロシア五人組みの一人、バラキレフがニージニイ=ノヴゴロドで採録した歌で、これこそ歌謡ではなく「ロシア民謡」です。エイ・ウフニェム(エイコーラ)と掛け声をかけてヴォルガの流れを遡って舟を引く男達(ブルラーク)の歌。苛酷な労働の中で生まれた民謡ですが、「母なるヴォルガ」への深い愛と畏敬の念が感じられます。

Feodor Chaliapin - Song of Volga Boatmen 1922

フョードル・イワノヴィッチ・シャリアピン(Фёдор Ива́нович Шаля́пин、Fyodor Ivanovich Chaliapin、1873年2月13日(露暦2月1日)- 1938年4月12日)は、ロシア出身の20世紀前半における最も有名なオペラ歌手(バス)のひとり。力に満ち溢れ、柔らかな美声とともに、舞台人としての精神、心理的描写に卓越した表現法は観客を魅了し「歌う俳優」とも呼ばれた。シャリアピンは、オペラの歴史において偉大な名手のひとりと目され、オペラにおける自然な演技の伝統的様式を洗練させたと見做される。(Wikipediaより)

Song of Volga Boatman

赤軍合唱団のバス独唱と合唱。

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2008年1月14日 (月)

コロブチカ

今日取り上げたコロブチカは、日本ではフォークダンスの曲として、マイム・マイム(イスラエルの曲)と並んで有名だと思います。古い話しですが、魔法使いサリーの学芸会のシーンでかかっていたように記憶しています。
コロブチカは19世紀ロシアの詩人ネクラーソフの長編詩の一節に曲付けされた歌で、行商人と訳されています。赤軍合唱団もレパートリーにしていますが、youtubeは見当たりませんでした。日本のフォークダンス版とは、音はほぼ一緒ですが、リズムが少し違います。

Korobushka - Russian folk song - Mikhail Smirnov and Barynya

まずはオーソドックスなバラライカとガルモンなどのアンサンブルで。balalaika-contrabass - Leonid Bruk, balalaika - Alex Siniavski, garmoshka, vocal - Mikhail Smirnov, Singers: Alexander Menshikov, Victoria Pichurova.

Korobushka Live in Asia

ビジュアル系ガールズ・カルテット、Bondのライヴ演奏。

KOROBUSHKA DANCILLA.COM

コロブチカのフォーク・ダンス。日本版とメロディも踊りも少し違います。

mahou tsukai sally op

アニメ「魔法使いサリー」(1966~68年)のオープニング・テーマ。小林亜星さんの作曲。サリーはオープニングからしてロシアっぽかったですね。当時は歌声運動の真っ只中でしたから、音楽の教科書にも「ロシア民謡」は多かったように思います。

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2008年1月13日 (日)

ルースカヤ・ペスニャ~聖戦とカチューシャ

ロシアの歌(ルースカヤ・ペスニャ)の2回目、今日も戦時歌謡と軍歌。
聖戦(スヴャシェンナヤ・ヴァイナー)は、1941年のドイツ軍進撃を受けて作られた赤軍の軍歌。ナチス・ドイツとの戦闘の激しさを物語る歌です。初代の指揮者アレクサンドル・アレクサンドロフの作曲。一本目が現在の赤軍合唱団の合唱ですが、残念ながら埋め込み禁止のためリンクでのアップです。

Russian Red Army Choir -The Sacred War
http://www.youtube.com/watch?v=gjdeYCfE6M8&feature=related

The Sacred War - Священная война - Svyaschennaya voina

こちらは、ソヴィエト映画「Bitva za Moskvu」のワン・シーン。

もう一曲、ロシアの歌ではおろらく一番有名だろうと思われる「カチューシャ」。
ブランテルという人が作曲した、やはり戦時歌謡です。
昨日のポーリュシカ・ポーレが「露営の歌」(勝って来るぞといさましく~)なら、カチューシャは愛染かつらの「旅の夜風」(花も嵐も踏み越えて~)に例えられるのでは、と常々思っていました。テーマ的には似ていますが、ルースキー・ペスニャの哀愁味はまた格別です。混声の赤軍合唱団の合唱でどうぞ。(これも埋め込み禁止)

Red Russian Army Choir - Katjusha
http://www.youtube.com/watch?v=IHlq_P5CI18

Ирина Билык - Катюша

イリーナ・ビルィクという女性歌手と兵士たち。歌姫が戦地の慰問に訪れたところか。これも映画かドラマのワン・シーンでしょう。

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2008年1月12日 (土)

ルースカヤ・ペスニャ~兵隊ソング

昨日に続き残業のため遅めのアップです^^;  
ロシア・マイナー巡りを一休みして、突然ですが今日はロシア・メジャーの方へ!  
ロシアの男気系の歌、というか兵隊ソング(軍歌)ですね。 実は結構好きなもので^^

「ポーリュシカ・ポーレ」(英訳はMeadowland)は、いわゆる「ロシア民謡」としてよく知られていますが、厳密に言えばロシア民謡ではなく、ロシアの戦時歌謡です。第一次世界大戦後にクニッペル(確かショスタコーヴィチの弟子筋)という人が作曲した曲で、出征する男と別れを悲しむ妻(または恋人)のやりとりを歌った内容。この歌、大昔に木下恵介アワーのテーマ曲に使われていたような気がします。似た歌を日本で探すと、「露営の歌」あたりでしょうか。

歌っている合唱団は赤星赤軍合唱団。アレクサンドロフ親子が指揮した有名な赤軍合唱団(現在はアレクサンドロフ・アンサンブル)とは別の団体で、92年のモスクワ・ライヴです。
ところで、「赤軍」だからって左がかってきたわけではありませんw
ロシアの歌の圧倒的な熱情と、広大なロシア平原が目に浮かぶような、独特な侘び寂び感に惹かれているだけです。この侘び寂びも、アジアに近いからかなぁと思ったりもしますが、どうでしょうか。(今日の記事は、ほぼ地元SNSイマソウにアップしていた記事の転載)

Red Army Chorus - Meadowland (ポーリュシカ・ポーレ)

Red Army Chorus - On the march (兵士の旅路)

「兵士の旅路」はアンコール・ピースでよく歌われるようです。この曲盛り上がりますからね。年配のロシア人が会場で大喜びで唱和しているのをどこかで見ました。ソ連時代は遠くなっても、ポーリュシカ・ポーレなどにオールド世代は熱くなるようです。ナツメロ・軍歌の類ですから。

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2008年1月11日 (金)

クリミア・タタールの舞踊

クリミア・タタール関係はビデオが山のようにありますので、もう一日追ってみましょう。
非常に踊りの盛んな民族のようです。コサック・ダンスやユダヤのクレズマーとの類似性もありますが、同じトルコ系だからでしょうか、ウズベクやウイグルの胡旋舞にも似て見えます(特に2本目3本目)。北コーカサスがごく近い割りに、ダゲスタンのチュルク系民族以外とはほとんど類似点がないように思います。
これらの映像は、ロシアのヴォルガ中流域だけでなく、ウクライナ南部もヨーロッパ離れした「アジア性」を内包した土地であることを証明しています。

Ağır Ava ve Qaytarma

変拍子になっていますが、冒頭部分のメロディ、どこかで聞いた覚えがありますが・・・。思い出しましたw  東欧系ユダヤの典礼歌「コル・ニドレ」の一節に似ています。ユダヤ新年のヨム・キプールの時にだけ歌われる歌で、ヨーロッパのクラシック(マックス・ブルッフのチェロ曲「コル・ニドライ」。ドイツ語風にKol Nidreiのeiはアイと発音されます。)にも取り入れられてよく知られています。空似の可能性が高いとは思いますが、面白い類似です。

Tım Tım

kırımtatar milli dansı

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2008年1月10日 (木)

クリミア・タタールの追加

11月6日のタタール特集の時に、クリミア・タタールについても少し触れました。その後色々興味深い映像が見つかりましたので、今日はそれをアップしましょう。昨日のカライムについては、余りに興味深いテーマですので、何か良いサンプルが見つかりましたら、またアップする予定です。11月からバッハとナツメロを除いて、ロシア・マイナーばかり巡っていますが、公平にロシア・メジャーの秀逸ビデオも紹介する予定です。(以下11月の記事のペーストで済みません^^)

Photoクリミア汗国はモンゴルの後継王朝にしてオスマン朝の保護国で、黒海の北部に突き出たクリミア半島(現在はウクライナ領)が中心でした。クリミアについては、前にトルコ音楽の軍人作曲家ガジ・ギレイ・ハーンの時に少し触れました。
首都だったバフチサライ(半島南部にあり、「ヤルタ会談」で有名なヤルタBlack_sea_17cにも近い)にあるハーン宮殿(写真)は、アルハンブラ宮殿(現スペイン)、トプカ プ宮殿(現トルコ)と並ぶ、三大イスラーム建築の一つにも数えられるそうです。踊る女性たちの衣装も煌びやかで優美ですね。音楽はクレズマーとかジャズ風 なアレンジが入っているように聞こえます。第2次大戦中 にナチスに協力した懲罰として、15万人ものクリミア・タタール人が、ウズベクやシベリアに移住させられたそうですが、今でも少数民族としているとか。(左の黒海の地図はWikipediaより)

Kırım Tatar

クリミア・タタールの伝統音楽アンサンブルでしょうか? バルカンのブラス・バンドや、ユダヤのクレズマーに、何と似ていることでしょうか。

Crimean tatar music-5

クリミアのレストランでの観光客向けの演奏か。女性でも朗々とした歌を聞かせる伝統があるのでしょうか。

KIRIM BAHÇESARAY

映像で巡るバフチサライ。美しいイスラーム建築とクリミアの絶景にため息。流れているのは、この地のタタール歌謡か?

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2008年1月 9日 (水)

リトアニアのチュルク系 カライム

ロシアのウラル・アルタイ大シリーズの中のチュルク(トルコ)系シリーズの続編で、今日は5回目です。リトアニアの古都トラカイに多くが住むというカライム人は、その名の通りカライ派のユダヤ教を奉じるチュルク系少数民族。現在の正確な数字は不明ですが、1980年頃でカライム語の話し手が700人ほどしかいなかったようです。そして97年で257人ですから、更に減っていっているようですね。謎に満ちたハザールとからんでくるので、観光の目玉の一つになっているようです。
彼らの起源は、8世紀頃ペルシアに生まれた、タルムードを捨て、旧約聖書のみを取った、特別なユダヤ教団に発しているようです。しかし彼らが話すのは、バシキール語、タタール語、チュヴァシ語などと同じキプチャク系チュルク語で、中世のハザールの言語にも近いそうです。ユダヤ教徒、トルコ系というキーワードが揃っていますので、彼らこそ謎のハザール帝国の生き残りなのかも知れませんが、ペルシア出身なのに何でペルシア系の言葉じゃないのだろうとか謎が謎を呼びます。ハザールには西突厥の末裔(彼らもおそらくトルコ系)も流れ込んだだろうと考えられるので、もしかしたらカライムが彼らを教化し、多数派のチュルク系の言葉を採用した、ということなのでしょうか。カライム語はチュルク系言語ですがヘブライ文字で右から左に書かれるようです。とにかく謎だらけの大変に興味深い少数民族です。
14世紀まではクリミア半島辺りにいたからでしょうか、ビデオで見られる女性の舞踊の衣装は、現在のクリミア・タタールのものに酷似しています。

リンク
http://litabi.com/karaimai.html

Karay Türkleri / Bölüm - 1

Karay Türkleri / Bölüm - 2

John Zorn / MASADA - Karaim

ニューヨークのアヴァンギャルド音楽シーンの中心的存在、ジョン・ゾーンのクレズマー・グループ、マサダの演奏で「カライム」のライヴ演奏。この頃からカライムを入れていたなんて、JZさんやっぱり目を付けるのが早いですねw  DIWからのマサダ10枚シリーズの3枚目(ギメル)に収録されていました。因みに1枚目(アレフ)のライナーノーツは、私Homayunが担当いたしました。94年にジョン・ゾーン本人から依頼を受けての執筆でした。まだ六本木の某店にいた頃のことです。

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2008年1月 8日 (火)

黒海北岸のチュルク系4

11月8日の記事に続いて、黒海北岸のチュルク系4~ガガウズ。大分間に別なシリーズが入りましたので、私自身記憶が薄れましたが、頑張って行きましょう^^
ガウガズと前に書いてしまいましたが、誤りで、Gagauzでした。

ガガウズ人は、主にモルドヴァ共和国(ルーマニアと兄弟民族のラテン系)やウクライナの港町オデッサ辺りに住んでいるチュルク(トルコ)系の少数民族で、イスラームではなくギリシア正教を奉じているため、言葉がトルコ系だと認識されるのが遅れたそうです。人口は30万人ほどとのこと。ルーマニアやブルガリア、カザフスタンにも散らばって住んでいるようです。
民族の起源については諸説あり、キプチャク系の中央アジアから来たチュルク系民族にルーツを求める説もあるようですが、彼らが話す言葉はアナトリアのトルコ語に近く、クリミア・タタールやリトアニア・タタール(カライム)の言葉とは系統が違うようです。

アコーディオンが前面に出た所からは、ロシアに近い印象を持ちますが、バックにはウードやタール、サズなどのイスラーム圏の弦楽器が並び、枠太鼓などの打楽器も西アジア伝来のものです。何よりお聞きの通り、リズムに変拍子が多い所がトルコ系そのものと言っていいように思います。

Gagauz Türküsü - Şefo'nun evi

Gagauz türkücü 'Maria Kısa' : Kalk Mari kız' türküsü

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2008年1月 7日 (月)

白鷺三味線と・・

仕事始めでばたばたしている方が多いとは思いますが、一応今日までは松の内。
ナツメロ・シリーズの締めは、こーちゃんこと高田浩吉さん(1911-1998)。古臭いなんて、言わないで下さいねw  長唄や新内のフレーヴァーを感じさせる名曲2曲で、「大江戸出世小唄」が昭和10年、「白鷺三味線」は昭和30年の大ヒット曲。着流しに吉原被りの新内流しの格好が粋です。うちの祖父は市丸さんの、祖母は高田浩吉さんのファンだったそうです。生前に本人から直接聞いてもいないのに、孫も結局同じ歌手に興味を持っています。不思議ですね~。

白鷺三味線

大江戸出世小唄

美しき天然

おまけでもう一本。 サーカスの音楽や演歌師の演奏で有名な「美しき天然」です。日本初の3拍子の名曲とも言われるようです。往年のテノール歌手、田谷力三(1899-1988)さんの歌唱、強烈ですw

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2008年1月 6日 (日)

奈良さん映像追加

今晩も奈良光枝さんの秘蔵映像をいくつか。今の所11しかないので、ほぼこれで全部です。明日は公平に男性の歌手をアップして「松の内ナツメロ・シリーズ」を締める予定です^^

青い山脈

昭和44年大晦日の映像。映画以外で1970年以前のものは初めて見ました。若々しく溌剌として、とてもbeautifulです^^  この頃からか、よくルバートをかけるので、バックコーラスと所々ずれていますが、それも味。このビデオは昨年末にアップされていました。

白樺の宿/奈良光枝

昭和27年のラジオ歌謡。叙情味溢れる佳曲です。

悲しき竹笛

これが例の昭和21年の映画「或る夜の接吻」からの映像で、主題歌「悲しき竹笛」を歌うワンシーン。

雨の夜汽車/奈良光枝

近江敏郎のナンバーワンヒット「湯の町エレジー」のB面にカップリングされた古賀メロディ。昭和23年リリース。これと次の「愛の灯かげ」は、晩年に近い頃の映像のような気がします。すでに病魔(癌性腹膜炎)が忍び寄っていたのかもと思うと痛々しいです。

愛の灯かげ/奈良光枝

映画「愛よもう一度」の挿入歌。原作は舟橋聖一。主人公の若い戦争未亡人の心を歌った古賀メロディ。昭和23年リリース。

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2008年1月 5日 (土)

至上の「悲しき竹笛」

昨日は日本が誇るべきディーヴァの一人(と私は確信します)、奈良光枝さんの「悲しき竹笛」他、代表曲をアップしましたが、今日のビデオがまさにその近江敏郎とのデュエット(コロンビアトップさん、ジュエットって言ってますw)で、昭和46年の映像です。実はこの映像で、猛烈に奈良ワールドに惹き込まれたのでした。その後で昭和40年代のコロンビア盤を聞きました。

儚げに揺れる歌唱と、気品溢れる美しい立ち姿に驚愕しましたね。この歌手は一体誰?と。youtubeでは残念ながら映像がクリアではありませんが、何とこの映像、昨日アップされていました。何という偶然!

sabuichi67さんのナツメロ・サイト
http://www.youtube.com/profile_videos?user=sabuichi67

あの美空ひばりが、デビュー前にNHKのど自慢に出た時に「悲しき竹笛」を歌ったそうですが、「もっと子供らしい歌を」と言われ、鐘が鳴らなかったそうです。彼女の最初の大ヒットが「悲しき口笛」だったのは、その時の悔しさの表れではと言う見方もあるようです。

悲しき竹笛

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2008年1月 4日 (金)

悲しき竹笛

新年の邦楽第2弾です。松の内は邦楽で、と書きましたが、純邦楽の良いビデオが何とyoutubeには少ないことでしょうか。困ってしまいました。越中おわら節などの盆踊り関係とか、季節外れのビデオなら見つかりますが、プロの演奏で正月にふさわしいものは、ほとんど皆無です。
という訳で、またナツメロです。ナツメロはかなり充実してきています。

今回の奈良光枝さんは、戦後すぐに大流行した「リンゴの歌」の後に大ヒットした「悲しき竹笛」で一躍人気が出た女性歌手。歌声の素晴らしさは勿論ですが、美人歌手の誉れ高かった人です。

奈良光枝  1923年(大正12年)6月13日~1977年(昭和52年)5月14日

昭和21の「悲しき竹笛」は故・近江敏郎とのデュエット曲でしたが、昭和24年の「青い山脈」は、故・藤山一郎とのデュエットでした。佳人薄命そのもののような人生で、77年に53歳で亡くなったので、若い世代には「青い山脈」は藤山さんだけの歌だと思われているかも知れませんね。

出世作の「悲しき竹笛」は、作曲が古賀政男、作詞は西条八十という黄金コンビによる歌。いわゆる古賀メロディーの名曲の一つで、映画「或る夜の接吻」の主題歌でした。私はこの歌を昭和40年代の録音で最初に聞きましたが、佳人云々よりも、その歌声に一聴して魅了されました。若い頃のまだ固さの残る歌声よりも、40代の中年婦人になってからの何とも言えない深みのある美しさと哀しみの歌は、とにかく最高でした。98年の21周忌には、彼女の故郷の青森県弘前市まで夜行バスに乗って行き、お墓の前で奈良さんの同級生のお婆ちゃんたちと「青い山脈」を合唱してきました^^ 
そんな無謀なことをさせる程、魅力のある歌声でした。その時は、ついでに津軽民謡のライブハウス「山唄」にも寄って、名人山田千里と福士りつ夫妻の妙技も堪能。日帰りの強行軍で帰ったらフラフラでしたが、一生忘れられない思い出になりました。

悲しき竹笛/奈良光枝

冒頭が映画「或る夜の接吻」のラスト・シーン。ヒロインは奈良さん自身でした。

青い山脈

これは珍しい奈良さん独唱版の「青い山脈」

赤い靴のタンゴ

イギリス映画『赤い靴』の日本公開を記念して作られた昭和25年のヒット曲。グラシェラ・スサーナなど、後輩歌手たちもカヴァーしていました。

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2008年1月 1日 (火)

市丸姐さん

080101_07430001あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
昨日までは長い間バッハ特集でしたが、正月ということで、いきなり転換します。松の内の間は「和」で行きましょうか^^ 
ていうか、2日3日はブログをお休みします。9月以来初です。ZeAmi自体ほぼ完全にお休みですので。
※写真は今朝撮った我が家から見た初日の出。雲の上からですが。
今朝も能の「翁」とのセットで見れました。2年連続^^

能で良いのがあればよかったのですが、祝儀ものでは意外に見つからないので、今日は昭和初期の鶯芸者の一人、市丸さん(1906-97)の昭和8年の大ヒット曲「天竜下れば」。
中山晋平作曲の名調子です。曲や節回しは勿論ですが、この歌詞も最高。流行り歌ではありますが、粋ということを強く感じる歌です。
市丸さんは、端唄~俗曲や小唄の名人でもあった粋筋の方ですが、あの「東京音頭」のオリジナルを歌った小唄勝太郎(女性)や、端唄の名歌手の藤本二三吉(ふみきちさんも女性^^)、赤坂小梅らと、戦前に「鶯芸者」として一世を風靡しました。この歌でビクターの看板歌手になりましたが、美人画のモデルにも起用されるほどの美貌でも有名。確かに^^
「天竜下れば」を聞くと、何故か昔々その昔に祖父に連れて行ってもらった温泉地の渓谷の風景を思い出し、今は亡き祖父を思い出してウルウルしてしまう節です。爺さん子でしたから。^^;
最近父に聞いた話では、若い頃市丸さんのファンだったとか。これには驚きました。

天竜下れば

天竜下れば

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