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2008年3月

2008年3月31日 (月)

アリ・アクバル・モラディ

今日は予告しておいたアリ・アクバル・モラディの演奏。現在イランで最高のタンブール名手と言われる人です。以下のyoutubeはシャハラム・ナーゼリーの96年頃のビデオ「Motrebe Mahtab Rou」(綴りは少々異なるかも知れませんが)の後半に収録されていたモラディさんのソロだと思います。(手元にワカメになりかけの現物あり。その後継続して売る程は確保できなかったアイテムです) 当時はビデオで見た感じ、若手名手なのかなと思ったりしていました^^  「Motrebe Mahtab Rou」では伴奏陣の一人としてナーゼリーの名唱を支えています。凄く熱くて最高のアルバムでしたが、現在ではおそらく入手困難。
とにかく、その超絶技巧には驚きました。96年と言えば、エラーヒの仏Chant du mondeからのシリーズも、1枚目が出た後くらいでしょうか。当時はクルドのタンブールについては、ほとんど知られてなかったのでは。フラメンコのラスゲアードを逆回しにしたような、指をばらしたアップストロークは、タンブール独自の奏法。何だこの奏法は!と驚いたものです。この独奏はクルド・マカームからのパラフレーズでしょうか。ただただ驚愕の演奏です。

以下の珠玉の4枚組みの情報は、こちらより。
クルド・マカームを聞くなら、オスタッド・エラーヒのシリーズやナーゼリーのクルド関係諸作と並ぶ必聴盤。色々なシチュエーションで演奏されてきたクルド・マカームのレパートリーが豊富に収録されています。そして、エラーヒはもとより、Mahoorから出ているAmrollâh ShâhebrâhimiやAmir Hayatiの演奏と聞き比べるとまた興味尽きないものがあります。

〓ヤルサンのマカーム儀礼 ~ イランのクルディスタン(4CD)

      アリ・アクバル・モラディ(歌とタンブール)他

 
*11世紀に生まれたヤルサンのタンブールを用いた儀礼音楽を収めた初のアルバム。ヤルサンはAhl-e Haq
q: "People of the Truth"としても知られ、イスラーム以前の古代ペルシアの信仰に起源があると言われるクルディスタンに多く見られる宗教(クルド人口の3~10%)。 モラディはイラン西部ケルマンシャー出身のクルドのタンブールの巨匠。4枚にわたって秘教ヤルサンのマカーム儀礼を収録したイネディならではの注目作で、 特に往年の大巨匠エラーヒ(彼の場合はシーア派にかなり接近)や最近のシャーラム・ナゼリの音楽に感動した方は要チェックです。クルドらしい緊迫感溢れる 世界で、タンブールの3弦とは思えない繊細な音使いは驚異的。

Aliakbar Moradi

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2008年3月30日 (日)

バーバー・ターヘル・アンサンブル

クルド・マカームで用いられるクルドの聖なる楽器、タンブールのソロと合奏を見つけましたので、二本上げておきます。(一本目は埋め込み禁止でした)バーバー・ターヘル・アンサンブル(CDなど欧米盤はなかったように思います)の1995年の演奏から。一本目はSeyyed Khalilの独奏。この独奏、アリ・アクバル・モラディやアリ・レザ・フェイゼ・バシプールの演奏とは大分感じが違うように思いますが、あの特徴的なアップストロークも頻繁にやっています。大変美しい独奏です。スーフィー(イスラーム神秘主義者)のダルヴィーシュ(托鉢僧)としても知られるペルシア中世のルバーイー(四行詩)詩人の名を冠したこのグループ、私は初めて知りました。
モラディさんのビデオ、ないと思っていたら見つかりました。明日上げる予定です^^

Seyyed Khalil Ali Nejad (3/5) - Baba Taher Ensemble

Baba Taher Ensemble (4/5) - Seyyed Khalil Ali Nejad

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2008年3月29日 (土)

ナーゼリーwithアルメニアン・オーケストラ

ナーゼリーの歌ったクルド・マカーム系(タンブール伴奏の)を探していましたが、なかなか見つからず、代わりに珍品を見つけましたので、今日はそれを。何とアルメニアの管弦楽団とコーラスをバックに歌っているビデオ。解説にShahram Nazeri performs a Kurdish song with Armenian Philharmonic Orchestra.とありますが、この特徴のあるリズムとメロディ・ラインは、どう聞いてもアルメニアの歌に聞こえます。イランの舞曲レングをゆったり歌っているようなテンポとリズムです。いずれにしても、とても興味深いクリップであることは確か。

Nazeri

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2008年3月28日 (金)

カムカル・ファミリー

クルド・シリーズが続いていますが、今日はカムカル・アンサンブルのメンバーの演奏をちょっと見てみましょう。1本目と3本目はクルド音楽ではなくペルシア古典音楽の演奏です。ペルシア古典においても彼らは一流のプレーヤー揃いです。

Ardavan Kamkar - Santour Solo

若き名手アルダヴァン・カムカル(1968-)のサントゥール独奏ですが、どことなくクルドのフレーズが感じられるかも?と思いながら聞くとより面白く聞けるようです。ステージ左端にもサントゥール奏者がいますが、おそらく年長のパシャン・カムカル(1951-)でしょう。

Ardeshir Kamkar, Mathaios Tsahouridis and Hussein Zahawi

アルデシール・カムカルのケマンチェとポンティック・リラのMathaios Tsahouridisのデュオ+ダフ伴奏付き。これはクルド的なパッションを感じさせる演奏。

Morgh-e Sahar by Lotfi & Akhavan

トンバクでビジャン・カムカルが参加していますが、まずタール名人のモハンマド・レザ・ロトフィの名前を上げるべきでしょう。現在もアリザーデ、タライと並ぶ巨匠です。ロトフィの髪が黒いこと、女性歌手のヘンガメー・アハヴァン(Hengameh Akhavan)が参加していることから察するに、70年代の演奏でしょうか。曲はシャジャリアンのライヴを前にアップした、マーフール旋法の名タスニーフ「Morgh-e Sahar」です。しかし、いい曲ですね~^^

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2008年3月27日 (木)

ナーゼリー親子&カーブーキ

今日の「クルド」は、またイランに戻ります。
Shahram & Hafez Nazeri in Kodak Theater December 2005 と、関連のインタビュー場面のビデオ。おまけでカーブーキ。
アリザーデのNey Navaを思い出させるようなノスタルジックなチェロの独奏に始まり、ペルシアの大詩人ルーミーが創ったトルコのメヴレヴィー教団の旋回舞踏の映像が流れ、その後ナーゼリーの息子ハーフェズ・ナーゼリーのセタール伴奏で、父がルーミーの世界を歌い上げます。いつ聞いても素晴らしいタハリールの技です。
ハーフェズ・ナーゼリーが率いるルーミー・アンサンブルにはチェロ奏者がレギュラー・メンバーとしているようですが、この導入のチェロ独奏良いですね。チェロをいじる者としては、大変に興味深いです。アラブやトルコではそれぞれの古典音楽によくチェロが用いられ、特にオスマン・トルコではチェロのソロも結構盛んでした。有名なタンブーリ・ジェミル・ベイ(Tanburi Cemil Bey)の息子のメスード・ジェミル(Mesut Cemil)もタンブール(撥弦の方)と並んでチェロの名手でした。

Shahram & Hafez Nazeri - In The Path Of Rumi

Shahram Nazeri, the "Iranian Pavarotti" at the Asia Society

「イランのパヴァロッティ」はないだろうと思いますがw

Setar Nazeri

2006年の来日時の2日目の後半でも披露されたセタール弾き語りのクルド・ナンバー「カーブーキ」。来日直後、東京では一部のファンの間でカブキ・レイホーと呼ばれていたように記憶していますw カーブーキとは花嫁という意味ですが、小鳩という解釈もあるようです。これは隠喩でしょうか。この曲、トルコのイッサ(Buzuq奏者の仏Arion盤)や、カムカル・アンアンブルもやっています。相当有名な曲のようです。トルコの曲をイランでやっていたり、その逆もあったり、クルドの世界では柔軟に歌が旅するようです。

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2008年3月26日 (水)

クルド3 Zembilfiros

クルド音楽シリーズ、トルコとイランを行き来していますが、今日はトルコ側の名アシュク(吟遊詩人)、スィヴァン・ペルウェルの輝かしい歌声とその原曲と思われる歌唱。Zembilfirosは、トルコのSes PlakからのシリーズのVol.14冒頭の曲でした。ペルウェル夫人のギュリスタンとのデュエットで、クルドらしいリズムに乗った哀愁味溢れる美しい旋律。いや~良い曲です。CD音源と静止画像のビデオです。動画があると良かったのですが。
打楽器叩き語りと思われる2本目は、そのZembilfirosの原曲ではないかと思われます。よく聞くと断片が似ているのが分かるかと思います。
イラクやシリア、アルメニアなどのクルド関係もあると良いのですが、圧倒的にトルコとイランのものが多いです。もし見つかったら即アップします^^

Sivan Perwer - Zembilfiros

Dengbej Xale Hizni - Zembilfıroş

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2008年3月25日 (火)

ナーゼリー&カムカル +中間?報告

最初に当ブログの中間?報告を^^ 
昨年9月に書き始めまして、記事数が今日で200になりました。アクセスは13500位で、これは多いのか少ないのかよく分かりませんが、グーグルのページランクが半年余りで「3」と言うのは、幾分早いのかも知れません。原稿締め切りやカタログ製作などこれから色々ありますので、たまにアップできない日も出てくるかも知れません。(一応予告まで ^^) 今後ともHP共々、当ブログを宜しくお願い致します。 

クルドの2日目は、イランのクルディスタンを代表する名歌手シャハラーム・ナーゼリーとカムカル一族のアンサンブルの演奏。繊細極まりないペルシアの古典音楽と、熱情的なクルド音楽と、どちらにおいても一流の名手達です。
昨日肝心なことを書き忘れていましたが、クルド語は北西イラン語派の一つで、ペルシア語とも兄弟言語。でもお互いの言葉では全く通じないようです。クルド人は山岳地帯に住んでいたためでしょうか、方言分化が著しく(大きく4つに分かれ更に17の方言があるそうです)、グループが違うと詩のスムーズな理解もなかなか困難なようです。
ちょっと飛躍しますが、北コーカサスのオセチア語(スキタイとも関係のあるイラン語派)との位置関係は?などと言うのも興味深い探り所かも知れません。オセチアのルーツに当たる民族名はアランですが、イランと関係があることは一目瞭然です。アがイになっただけで、ともに「アーリア」に由来する言葉。 さて、余談はこの位にして・・^^

gol neshan

Komazozanarion_2 カムカル・アンサンブルの伴奏でナーゼリーさんが歌っています。この曲、仏Arionから94年に出ていたKoma Zozanというグループのアルバムに収録されていました。Koma Zozanは確かトルコ東部のクルド人グループ。この歌もトルコのクルディスタン民謡では? 2006年の来日インタビューで(9月の4つ目の記事です)、クルドは本来一つだから国境を越えて音楽も通じている、とナーゼリーさんが語っていたのを思い出す例です。

dooram lah yaran

こちらもカムカル・アンサンブルとの共演。蓮の茎のようなマレットで叩いているのはドールでしょうか。来日の時のものとちょっと違うように見えますが、とにかく打楽器陣が強力。こういうタテノリの躍動するクルド・リズムを聞くと、どうしても「剣の舞」を思い出してしまいます^^

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2008年3月24日 (月)

クルドの音楽

アルメニア・シリーズを一応終えましたので、順番では次はアゼルバイジャンですが、先日書きましたように、ナーゼリーさんのライナー執筆(新しいキングWMLの一枚)の件がありますので、下調べを兼ねて今日から月末くらいまでクルド音楽を巡ってみます。今日は歌謡的な所から見てみましょう。コブシ回しの素晴らしい女性ヴォーカル・ビデオがかなり見つかりました。おそらくトルコ側のクルド系歌手の演奏だと思います。
クルド人は古代のメディア王国(BC708-550に存在したイラン史で一番古い王朝)の建設者だったメディア人の末裔と言われているだけあって、その音楽もとても古い伝承を残しています。ペルシアのダストガー音楽のように複雑ではありませんが、現在のクルド・マカームでは、その古風で玄妙な音楽体系を残しています。ダストガーの中にもバヤーテ・コルド(本来はクルドの詩とか歌のような意味)という形で入っています。往年のオスタッド・エラーヒは勿論、シャハラーム・ナーゼリーの音楽にも、現在のクルド・マカーム(一応ペルシアのダストガー音楽とは別物)の形を取って、そのイラン系民族文化の古層を覗かせています。イスラームやスーフィー以前に遡る部分もあるようで、事実エラーヒやアリ・アクバル・モラディの属する宗派ヤルサン(アフレハックとも)は、ササン朝(つまりプレ・イスラム)以前の時代に遡るとも言われています。
クルド人は、現在はトルコ東部、イラン西部、シリア東部、イラク東北部を中心に、南コーカサス(ザカフカス)にもかなり住んでいるようです。ハチャトゥリアンの一番有名な「剣の舞」はクルドの伝統舞踊をイメージして書かれた曲でした。クルドの人口は2000万人近くを数え、国家を持たない最大の民族と言われているようです。各国で独立を求める運動を繰り返し、色々な紛争の火種になっているのは周知の通りです。
その他、色々なデータがありますが、また追々書いていきます。今日はとりあえず以下のビデオをどうぞ。

kurdish song Kijan Ibrahim xayat - maqam

歌も良いですが、ヴァイオリンのかすれたフラジオ混じりの音にとてもクルド的な哀愁を感じます。ウードもなかなか聞かせます。トルコ側の歌手だと思いますが、クルド的な直裁的な熱情は国境を越えたクルディスタン共通のものだと思います。

Kurdish Song Hani - Dlem Tanga Maqam

しかもクルドには目の覚めるような美人が多いようですね^^

Aziz waisi Maqam kurdistan

Khachaturian - Sabre dance

2度目ですが、小沢征爾指揮ベルリン・フィルで「剣の舞」。

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2008年3月23日 (日)

ハヤスタンのラストは・・

伊予では「梅は咲いたか桜はまだかいな」の時期。東京ではもう開花したそうですね。個人的にとても好きな季節ですが、花粉に悩まされる頃です。(伊予では東京よりは濃度が薄いようで助かりますが^^)
さて、また遅めのアップになりましたが、アルメニアも今日で一応ラストにします。代表的な伝統楽器の一つカーヌーン演奏です。アラブやトルコでポピュラーな楽器ですが、漣のような哀感のあるトレモロはアルメニア音楽にもピッタリ。もっと伝統的な独奏とかあれば良かったのですが、youtubeは見当たりませんでした。Hasmik Leyloyanは著名な女流名人のようです。この曲はハチロクの典型的カフカス・リズム。確か有名な曲だったように思います。(ハヤスタンとはアルメニア語での自称)

Hasmik Leyloyan - Memories

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2008年3月22日 (土)

アルメニア正教

今日はアルメニア正教会のビデオを3本。アルメニアはローマ帝国より前の西暦301年にキリスト教を国教に定めた世界最古のキリスト教国で、西洋のどのキリスト教会より古いわけですが、現在の教会で流れている音楽などを聞くと、かなり西洋やビザンティンの教会音楽の影響を受けているのではと思われます。主にオルガンの使用や合唱のハーモニーから来る印象ですが、時折姿を見せる東方的な彫りの深い旋律は、やはり本来のアルメニア的な節かも知れません。エチミアジンの教会の外で流れる独唱、イスタンブールの映像の後半のコーラスには、そんな印象を受けます。
ビデオは、首都エレヴァンにあるアルメニア正教の総本山エチミアジンの礼拝の映像と、トルコのイスタンブール(コンスタンティノープル)のアルメニア教会、イランの古都イスファハーンのアルメニア教会の映像です。テヘランのアルメニア教会は見学もしやすいと聞いたことがありますが、イスファハーンのアルメニア教会はなかなか入れてくれないとか。この映像は貴重なものでしょう。
勿論イコンには数えないでしょうが、ルネサンス期のラファエロの聖母像など西洋の絵画が所々に見えて興味深いです。イスファハーンの映像に出てくる「モーセの十戒」もアルメニア語で書かれていますが、絵はドイツ・ルネサンスの画家デューラーの模倣のようです。

Orthodox church Ech Miyadzin (Armenia)

Armenian Orthodoxy of Constantinople

Vank Cathedral, Isfahan

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2008年3月21日 (金)

アラン・ホヴァネス

先述したようにユダヤ系音楽家と並んで、アルメニア系音楽家もかなり多いわけですが、グルジア生まれのアルメニア人作曲家ハチャトゥリアンのレズギンカをきっかけにコーカサスに入り、昨日はコミタスも見ましたので、更にビデオで見られるのはないかなと思っていました。
ありました。アラン・ホヴァネス(1911-2000)です。
ホヴァネスはアメリカで成功した作曲家ですが、自身のアルメニア・ルーツを常に意識して作曲する内に、徐々に中東からインドの主に印欧語族の神話に 由来する題材に作曲の範囲を広げ、更には韓国の伽椰琴(カヤグム)や日本の楽器までも使った東洋風な曲も作曲するに至った特異な作曲家。以下の曲目を見る だけでも、そのエキゾチックで神秘的な内容が想像できると思います。しかし、世阿弥や大伴家持まで登場してビックリしました。是非聞いてみたいものです。 CD探してみましょう^^

・弦楽合奏曲「アルメニア狂詩曲」(1944年)
・交響曲第9番 「聖ヴァルタン」(1950年)
・交響曲第21番 「エチミアジン」(1970年)
・交響曲第14番 「アララト」(1961年)
・交響曲第19番 「ヴィシュヌ」(1966年)
・管弦楽曲「世阿弥による瞑想」(1964年)
・無伴奏チェロ曲「家持(やかもち)」

今日のビデオは、1959年に北インドのカシミールで書かれたピアノ曲「シャリマール」の演奏で、ピアノ独奏はVictor Manuel Moralesという人。この曲はムガール朝インドがモティーフのようです。アルメニアがモチーフの曲がなかったのが残念ですが。

Shalimar, Suite op.177 (1959) by Alan Hovhaness PART 1

Shalimar, Suite op.177 (1959) by Alan Hovhaness PART 2

序に、以下クラシック音楽のアルメニア系音楽家、有名どころ3人上げてみました。
カラヤンは、知らない方にとってはサプライズかも?w
ヘルベルト・フォン・カラヤン
(説明不要でしょう。20世紀を代表する大指揮者です。ビザンツ帝国時代にギリシア化したアルメニア移民の末裔というのは確かなようです。)
・アイダ・カヴァフィアン
(メシアンなど現代音楽専門のアンサンブル・タッシのメンバーだったヴァイオリニスト)
・キム・カシュカシアン(女性ヴィオリスト。昨日少し紹介しました)

参考文献:「新アルメニア史  ~ 人類の再生と滅亡の地」  
       佐藤信夫著 (泰流社) おそらく絶版

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2008年3月20日 (木)

Komitas Vardapetの音楽

今日は19世紀アルメニア正教会の修道士にして高名な作曲家コミタス・ヴァルダペット(1869-1935)の音楽に行ってみます。彼は合唱指揮者、民族音楽学者でもありました。
サヤト・ノヴァは吟遊詩人でしたが、コミタスは多方面に大きな足跡を残したアルメニア音楽の父と言われる人。精力的に自国の民謡も収集し、蝋管録音も残っています。20世紀初頭のオスマン・トルコによるアルメニア人大虐殺(数百万人とも言われています)から生き延びましたが、その後の20年間を精神病院で過ごしたそうです。「音楽の父」がそのような悲劇的な晩年を送ったことは、アルメニア民族の悲劇を象徴するかのようです。
以下のビデオは、演奏形態がそれぞれ異なり、ドゥドゥク独奏、弦楽四重奏、合唱(おそらくアルメニア正教のもの)の形で演奏されています。このように今でも様々なジャンルでアルメニア系音楽家中心に愛奏されているようです。(例えばECMから出ているヴィオラ奏者Kim Kashkashianのアルバム、若手ヴァイオリニストのCatherine Manoukianのアルバムなどは好盤でした) そして私が一番驚いた一本、コミタス自身の歌声を収録したビデオも見つかりました。

Krunk Komitas Albert VArdanyan Duduk.com Armenian Duduk

ドゥドゥクの泣きの音色はやはりアルメニアの旋律にピッタリ。Krunkというのが曲名のようです。Albert Vardanyanの演奏。

KOMITAS-Aslamazyan

アルメニアのSimonian-Quartetによる2004年の演奏。弦楽四重奏の一章ではなく単品の曲でしょうか。Aslamazyanというのが曲名のようです。アルメニア色のよく出た音楽です。

The voice of Komitas Vartabed

何とコミタス自身の歌声を収めた貴重映像。何とも味わい深い独唱です。

gomidas 333 Komitas Armenian music Ermeni Armenien Musica nv

これは彼の音楽と生涯を綴ったドキュメンタリー番組の一コマでしょうか。これも貴重映像です。

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2008年3月19日 (水)

アルメニアのドール

昨日は夜の7時半から今朝11時までココログのメンテナンスが入ったため、アップできませんでした。確かメンテのお知らせメールとか来てなかったような気がします。突然のメンテで一日ずれましたが、今日はアルメニアの打楽器ドール(ドホルとした方が近いかも)。アルメニアも長くなりましたが、あと2,3日の予定です。
北コーカサスの太鼓と作りは同じように見えますが、リズムはペルシア音楽のレングを思わせるような8分の6拍子が多いように思います。この太鼓、ペルシアのトンバクのように重厚感のある作りではなく、スネア・ドラムに近いような軽い素材で出来ているように見えます。ペルシア音楽のリーズ(以前のトンバクの記事ご参照下さい)のような奏法が入りますが、イランのように指自体を独立させて細かく使うのではなく、両手4指合わせて細かく叩き分けているように見受けられますが、どうでしょうか。

Armenian Dhol Solo - 6 beats, slow

これは比較的明瞭に聞こえるビデオですが、残念ながら演奏風景なしです。こういう6拍のリズム・パターンが多いのは、コーカサス~イランにかけて共通しています。

DHOL DYNAMICS - An Armenian Dhol Solo

これも6拍のリズム・パターンを複雑にした即興演奏。

Armenian Dhol Solo - slow, 4 beats

こちらは4拍のパターン。アクセントの入れ方がトルコの軍楽やベリーダンスのあるリズム形に似ています。

Rustavi Dance Group - Georgian Doli (dhol) Player's

こちらはグルジアのドーリのトリオ。有名なルスタヴィの舞踊団のメンバーの演奏。このようにグルジアでは曲芸的に見せることも多いようですが、奏法自体は多分アルメニアとそんなに違わないのではと思います。

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2008年3月17日 (月)

アルメニア Shoghaken Ensemble

カフカス周辺諸国の擦弦楽器が続きましたが、アルメニアに戻ります。
今日のビデオはアルメニア屈指の民族音楽アンサンブル、Shoghaken Armenian Folk Ensembleの演奏。Traditional Crossroadsからこの団体関連のCDが2枚ありました。
http://homepage1.nifty.com/zeami/m-tua_k.html#Anchor817390
ショガケンと読んでいましたが、ショハケンと発音するのが近いようです。ハは喉から出すハの音のようです。男女の歌手、器楽演奏ともに粒ぞろい。

Shoghaken Armenian Folk Ensemble

これは最後の演目かアンコール・ピースでしょう。楽器はドゥドゥク2本、カーヌーン、カマンチャ、ドール他。右から2番目の楽器、何でしょう。これだけ不明。ドゥドゥク奏者のほっぺたは、まるでディジー・ガレスピー(往年の名ジャズ・トランペッター)のほっぺ状態で、フタコブラクダのようです^^

Shoghaken Armenian Folk Ensemble

女性歌手ハスミク・ハルテュニアンの歌うラメント(哀歌)でしょうか。ドゥドゥク中心の伴奏での悲哀に満ちた美しい調べです。

Armenian folk music

おそらく上のビデオのリハーサル風景。

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2008年3月16日 (日)

アラビアのラバーバ

今日は所用でアップが遅くなりました。今晩の擦弦楽器はアラブのラバーバ。ベドウィン(アラブの遊牧民)などが好んで弾く楽器です。あたかも砂漠の風紋を思わせるような、狭い音域で淡々と語られる詩の吟唱。これは紛れもない砂漠の音楽です。渋くてつかみ所がない感じで、私は結構好きな音楽ですが、いかがでしょうか。古いアラビア語で語られていることも多いようですし(アルジェリアの場合はそうらしいです)、アラブ文化のルーツの一つがこの中にあるのかも知れません。
擦弦シリーズは一応今日までにして、明日からアルメニアに戻ります^^

RABABA

これはサウディ・アラビアの映像のようです。

فـن الرباب

rachid mussa rababa rashid homs sahleh rammadan syria

シリアのラバーバと歌。エコーの使い方が不思議。

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2008年3月15日 (土)

クレタのリラ

昨日はトルコ東北部のギリシア文化の残存する地方のクリップを見ましたので、今日は予告しておいたクレタ島のリラへ。リラはオスマン古典に使われるケメンチェより少し大振りな洋ナシ型のボディの擦弦楽器。ラウートと一緒に強靭な地中海のリズムを刻む様はとてもインパクトがあります。
クレタと言えば、ギリシアでも最も古いミノア文明が栄えたところ。現在のギリシアの住民はトルコ人やスラヴ人との混血が多いわけですが、クレタなど島嶼部の伝統音楽にはトルコが入ってくる前の古いギリシアを感じる音が多いように思えます。明らかに昨日のトルコ北東部の音楽と似ていると思いますが、どうでしょうか。

Crete Music Vasilis Skoulas Lyra

クレタのリラ奏者兼歌手のヴァシリス・スクーラスの歌うクレタの歌。ラウートのかき鳴らし伴奏で、一種ミニマルなフレーズを反復するのが典型的なイメージです。

PSARANTONIS-MALEBIZIOTIS

クレタのジミ・ヘンとの異名を取るプサランドニスの楽団の演奏。ラウートを左右に配置した強力なリズム編成。しかしこのリズム、凄く地中海を感じます。

Ross Daly Live in Berlin 1994

様々な音楽を遍歴した後、クレタ音楽に行き着いたというアイルランド系の音楽家、ロス・ダリ(真ん中の人)のライヴ演奏。彼は地中海の色々な楽器を操るマルチ・インストゥルマンタリストでもあります。左にイランのトンバク奏者ケイヴァン・シェミラーニを迎え、サブ・リラ奏者も従えた演奏。無国籍音楽風に聞こえますが、クレタ音楽から構成した曲のようです。

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2008年3月14日 (金)

ホロンのケメンチェ

昨日に続いてトルコのビデオですが、今日は古典音楽ではなく、トルコ東北部辺りの伝統舞踊ホロンで用いられるケメンチェの音をたっぷりと。トラブゾン周辺になるのでしょうか、黒海に面した東北部の踊りで、その名ですぐ分かりますが、バルカンやルーマニアのホラと繋がりのある踊りではないかと思われます。いずれもルーツはギリシアでしょう。
ケメンチェは古典音楽の洋ナシ形と違って、細長い形で音も甲高く、無窮動的に、あるいは一種ミニマル的に反復される音形からは、ギリシア音楽の影響を強く感じさせます。エーゲ海のクレタやその周辺の島嶼部の擦弦楽器の音にかなり似た部分があります。
トルコ北東部はギリシアの植民地だった時期が長い地方で、ギリシア文化の残存する地帯はグルジア辺りまで伸びています。そう言えば、アルメニア生まれの神秘思想家グルジェフの父方はギリシア系でした。

Akçaabat Erkek Horonu

ケマンチャの時に、ふぁどさんから教えていただいたホロンのクリップ。この踊り、何とも楽しげですが、テンポが速いのでとても難しいそうです。

kemence,kemençe.horon,sıksara

ケメンチェ独奏。カラデニズ(黒海)のケメンチェとか、ポントス(この地方にあった古代王国)のケメンチェとか、そんな呼称をどこかで見た様な記憶がありますが・・思い出せません。こういう古風なフレーズの反復を聞いてすぐ思い出すのは、クレタのリラです。明日取り上げます^^

7 Year old plays Pontian Lyra/kemence

ケメンチェ弾き語り少年。この地方に住んでいたギリシア人はPontian Greekと言われていたようです。現在の住民がやはりギリシア系なのかどうか不明ですが。このTV映像はギリシアのもの。

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2008年3月13日 (木)

オスマン古典音楽の2つの擦弦楽器

コーカサスからちょっと離れて擦弦楽器シリーズが続いております。
今日はオスマン・トルコの古典音楽で用いられた2つの擦弦楽器のビデオに行ってみます。一つはケメンチェ、もう一つはヤイル・タンブールです。タンブールは撥弦楽器としてよく知られていますが、ヤイル・タンブールはそれを立てて弾く楽器(構造は少し違うと思いますが)。ケメンチェは洋ナシ形の小さなボディの楽器ですが、とてもオスマン的な音色の楽器。タンブール奏者のタンブーリ・ジェミル・ベイなど、他の楽器の名演奏家も好んで弾いていました。

Derya Türkan - Serkan Çağrı - Tavas Zeybeği

トルコのケメンチェは、左手指が指板に付いていなくて宙に浮いているように見えるのですが、どうなのでしょうか。その浮いた状態で発音されるからでしょうか、独特な浮遊感のある柔らかい音色が生まれています。極めてオスマン的な音色の楽器に思えます。若手名手Derya Türkanの演奏。

Konya Musiki Derneği

混声合唱の入ったスタイルのファスル(古典組曲)の合間で演奏されたケメンチェのタクシーム。Esra Çelik という人の演奏。

Uğur Varol - "Yaylı Tanbur" [1/5]

これはフラジオ音が入ったような音が多い演奏ですが、細かいフレットがよく確認できるクリップです。トルコ音楽特有の9分の1(例えばドからレの間を9つに分けるということです)という超微小音程を表現するため、フレットが非常に細かく付いています。上のフレットには手が届かないのではと思われるほど長い棹です。Uğur Varolの独奏。

yaylı tanbur hüzzam taksim

耳障りに聞こえるかも知れないフラジオ音が少なく太い音で聞こえますが、映像がちょっと不鮮明。ヒュッザム旋法のタクシーム(即興)。Mehmet Ünal の独奏。

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2008年3月12日 (水)

アゼリのもう一人の名手とシリア・カマンチャ

擦弦楽器シリーズの続きです。アゼリのケマンチャ名手の演奏と、シリアのアッシリア系?若手演奏家。前者は9月頃イランのケマンチェとの比較で一度アップしたファイル、後者は初アップで、北欧で活動している人のようです。ムニス・シャリフォフさん、凄いです。昨日のハビル・アリエフ翁だけでない、アゼルバイジャン楽界の層の厚さをひしひしと実感させます。

Munis Sharifov, Azeri Kamanche Player

アゼルバイジャンのムニス・シャリフォフの至芸。2度目の登場ですが、何度見ても素晴らしいです。終わりの辺りなど、思わず唸ってしまいます^^

Josef Özer - Li Qritho Kamanca (Suryoyo Sat)

音階や装飾の入れ方が、先日のクルドのケマンチェ少年とかなり似ています。言葉は現代のアラム語でしょうか。ヘブライ語に代わって古代パレスティナでも話されていたセム系のアラム語の現在形で、おそらくイエス・キリストはアラム語で話していただろうと考えられています。

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2008年3月11日 (火)

アゼルバイジャンのケマンチャ

アルメニアは後数日続きますが、近隣国の弓奏楽器(擦弦楽器とも)でちょっとしばらく国を超えて見てみようかと思います。今日はアゼルバイジャンのケマンチャ。昨日触れた名手ハビル・アリエフ(1927-)の至芸です。キングのワールドミュージックライブラリーの中の「カスピ海の旋律」に彼の弾くバヤーテ・シーラーズが収録されていて、90年代にNHKFM「世界の民族音楽」のテーマ曲になっていました。各ビデオ結構長いですが、お時間の許す限りアゼルバイジャン共和国人民芸術家の称号を持つ名手の妙技をご堪能下さい。

Azerbaycan Musiqisi Habil Eliyev 5

この人の語りかけるような演奏は絶品です。この楽器は低音が豊かなので、少し大きいかも知れません。

Azerbaycan Musiqisi Habil Eliyev 6

打楽器伴奏が付いた演奏。80歳記念演奏?のようです。

Great maestro Shajarian & maestro Habil Aliov, Morghe sahar

大分前(確か9月)にシャジャリアンやアリザーデ他のバム震災のチャリティーコンサートの演奏をアップしましたが、同じMorghe saharをハビル・アリエフと一緒に演奏しています。この曲はやっぱりマーフール旋法の中でも屈指の名タスニーフだと思います。20年くらい前の映像でしょうか。解説にTalare Roudaki, Tasnife morghe sahar とありますが、ペルシアの詩聖たちの中では一番古いルーダキーの詩だったのでしょうか。驚きです。

※最後に、昨日クルドのジプシーのケマンチェ演奏のビデオをアップしましたが、そのビデオについて、マイミクのふぁどさんからメッセージを頂きました。ふぁどさん、いつも有難うございます。
ビデオの解説にzigeuner junge(若いジプシー)とあったのでジプシーかと思いましたが、彼はヌサイビン(トルコのシリア国境に近い町)のベヤズスというところで有名なケメンチェ弾きの少年のようです。クルド人らしいです。ふぁどさんはトルコ各地を初め、アゼルバイジャン、ダゲスタン、キルギスなどのトルコ世界のフィールド調査をされていたので、ヌサイビン辺りにも行かれたそうです。前に書いた通りで、モスクワからは何故かブログにコメントできないようですので、私が代弁しておきました^^

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2008年3月10日 (月)

アルメニアのカマンチャ

イランの場合でも、最も琴線に触れてくる楽器の一つであるケマンチェ。
アルメニアのケマンチェ(カマンチャと言われるようですが)のファイルを見つけましたので、今日はそれを行きます。Kemancheではなく、Kamanchaで見つかりました。
ケマンチェは中国の胡弓とも繋がりのある弓奏楽器。右手はブラブラ状態の毛(おそらく馬の尻尾)の張り具合を調節しつつ弓奏しますが、やはり左手の細かい指使いが「命」の楽器でしょう。その装飾の入れ方はイランの場合と似ていますが、アルメニアの憂い節が演奏される時、この楽器はドゥドゥクに並ぶ程の雄弁な楽器になると思います。移弦はイランの場合と同じで、ボディを回転させて行います。
アゼルバイジャンでも主要楽器の一つで、90年代のNHKFM「世界の民族音楽」のテーマ曲がアゼルバイジャンのこの楽器の演奏でした。アゼルバイジャンに入ったら大々的に取り上げます。

One Minute '2004: Kamancha (Karine Hayrapetian)

まだ20しかアクセスがないクリップですが、なかなかの泣きの音色を聞かせてくれます。

The Kamancha Man

レストランでのカマンチャ奏者のソロ。かなりエモーショナルなプレイです。

karaci kiriko,kamanca

ジプシーの子供が演奏していますが、これは興味深いクリップ。彼?が演奏しているのはクルドの音楽で、アルメニアの泣き節と何と異なることでしょうか。

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2008年3月 9日 (日)

アズナヴーリアンなど 歌もの

アルメニアの4日目。民謡の歌唱を何本かアップしてみました。ドローンを中心に動くのは昨日のドゥドゥクと一緒ですが、陰影に富んだ声色で歌われる歌がまず先にあってのことで、ドゥドゥクはそれを模倣しているのでしょう。リズムもコーカサス~ペルシアに多い8分の6拍子がやはり多く見られます。

Armenian folk song - Adanai Voghb@ - sang by Lusine Hakobyan

ドゥドゥクのドローンをバックに女性歌手が歌う民謡。アルメニアらしい憂い節です。

HAZAR DARI GE SBASEM - BADALIAN H. - ARMENIAN FOLK SONG

ホヴァネス・バダリアン HOVHANNES BADALIAN (1924-2001)の歌唱。往年の名歌手のようです。バックの民族楽団の音色もとてもアルメニア的。

Aznavour - Yes Ko Ghimetn Chim Gidi - Sayat Nova

アルメニア系のシャンソン歌手、シャルル・アズナヴールの歌うアルメニアン・ソング。二人で歌っていますが、艶と深みのある声がアズナヴールさんです。詩はサヤト・ノヴァでしょうか。彼の本名はアズナヴーリアンで、しっかり「イアン」が入っています^^

 

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2008年3月 8日 (土)

ジヴァン・ガスパリアン

アルメニアの音楽と言えば、この人は絶対に忘れてはいけません。ジヴァン・ガスパリアンはドゥドゥクで一番の名手。アルメニアの人間国宝級の音楽家です。ドゥドゥクは日本の篳篥とも親戚関係にあるダブルリードの笛。「世界一哀しい音色」とよく形容されたりします。とりわけガスパリアンの音色は、離散・流亡のアルメニア民族の悲しみを最も色濃く映し出していると思います。
私は見逃してしまいましたが、数年前に来日公演もありました。

Djivan Gasparyan-Eshkhemed

odar ammayi- djivan gasparyan

静止画像ですが、このクリップが一番クリアで自然に聞こえます。

Endless Vision- Masters Hossein Alizadeh and Jivan Gasparyan

イランのホセイン・アリザーデ率いる声楽アンサンブルのハムアーヴァーヤーンとの共演で、HermesからCDが出ていたプロジェクトのライヴ映像。アルメニア語がイラン語派に入れられていたことがあったと一昨日書きましたが、言葉の近さは音楽の近さでもあると思います。このアイデアはアリザーデさんからのものでしょうか? アルメニアの音楽に合わせた演奏ですが、何と自然に聞こえることでしょうか。ペルシア古典音楽とドゥドゥクの美しき出会いでした。

※今後の予定
そろそろ一巡して当ブログをスタートしたイランが見えつつあります^^  この後はアゼルバイジャン(出来るだけムガーム以外も)~イランのクルド(夏にキングレコードから出る新しいWMLシリーズ中の2006年のナーゼリーさん東京ライヴ音源のライナーノーツを担当することになりましたので、下準備も兼ねて)、イランの地方音楽(ホラサーン、ギーラーンなど)、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタン・・・その後は・・・トルコに廻って、黒海~カスピ海を八の字に廻り続けるかw、またはハンガリーに戻りヨーロッパを南下する予定です。

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2008年3月 7日 (金)

ざくろの色 サヤト・ノヴァ

今日はグルジア出身のアルメニア人映画監督、セルゲイ・パラジャーノフの「ざくろの色」と関連ビデオです。このセリフのほとんどない鮮烈な映像詩は、18世紀アルメニアの吟遊詩人サヤト・ノヴァへのオマージュ作品で、散逸した68年の「サヤト・ノヴァ」のフィルムからセルゲイ・ユトケーヴィチ監督が再編集したもの。流れている音楽はどちらかと言えばアゼルバイジャン色の強いものですが、歌はサヤト・ノヴァの詩に付けられた曲でしょうか。

Sayat Nova

1971年の「ざくろの色」の第2章「詩人の青年時代」から。「宮廷詩人になったサヤト・ノヴァは王妃と恋をする。彼は琴の才に秀で、愛の詩を捧げる。」(コロムビアのDVD「ざくろの色」より引用) この美青年はどこか若い頃の美輪さんに似ています^^

Sayat Nova (1960)

パラジャーノフにもサヤト・ノヴァという映画がありますが、オリジナル・フィルムは散逸してしまったそうです。この同名のTV映画は1960年製作のもの。サヤト・ノヴァはアルメニアの詩だけでなく伝統音楽の父のような存在だったのでは。以下映画の詳細 Kim Arzumanyan (director), Sayat Nova (music)、Director: Kim Arzumanyan、Script: H. Muradyan、Camera: S. Martirosyan、Music: Sayat Nova, Aram Merangulyan、Cast: Avet Avetyan, Babken Nersesian, G. Harutyunyan  Produced by: Armenian National TV, 1960

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2008年3月 6日 (木)

アルメニアへ

今日からグルジアの南隣のアルメニアに行ってみます。グルジア、アゼルバイジャン、イラン、トルコの4ヶ国に囲まれた国土の広さは九州くらいでしょうか。昔は国土がもっと広く、現在はトルコに含まれるアララト山もアルメニア領でした。この山は旧約聖書中のノアの方舟が流れ着いたという伝説で有名ですが、今でもアルメニア民族のシンボルとされています。
昨日の話の関連で言えば、アルメニアはインド・ヨーロッパ語族の中のアルメニア語派になり、アルメニア語だけで一つのグループを成しています。ヨーロッパの言葉のルーツの一つであるラテン語とインドのサンスクリットを比較する場合、間にアルメニア語を入れて比較するとはっきり繋がりが見えてくるそうです。イランのペルシア語も印欧語ですが、昔はアルメニア語がイラン語派に入れられていた時期もあったようです。
アルメニアは4世紀にキリスト教を国教に定めた古い文化を誇る国ですが、イスラームやモンゴル、トルコの台頭から後は悲劇の歴史が繰り返され、流亡の民として悲劇的なイメージが付いて廻ります。アルメニアに住んでいるアルメニア人は全体の何パーセントか分かりませんが、多分かなり低いでしょう。一方アルメニア人が住んでいない欧米の国はないのではと思われるほどです。(苗字の末尾に「イアン」が付く海外の有名人は枚挙に暇がありません)彼らが流亡の民のイメージだけでなく、商売と芸術に長けているという点では、ユダヤ人と似ているのかも知れません。
ビデオですが、まずは舞踊から見てみましょう。

Armenian Dance - Barekamutiun Dance Studio

男女のソリストによる舞踊。バックの歌ですが曲名を覚えていませんが、とても有名な歌だったと思います。ダブルリード管楽器のドゥドゥクと太鼓のドールの伴奏。典型的なアルメニア民謡の一曲です。

ARAKS KARAPETYAN - Tsirane Chaluia - www.HamovHotov.com

女性歌手ARAKS KARAPETYANの歌と、伝統舞踊。こちらも伴奏はドゥドゥクとドール。ドゥドゥクは、ドローン(持続音)とその上で動くメロディを2人の奏者が吹いています。これはまたアルメニア美人登場^^

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2008年3月 5日 (水)

イベロ・カフカースの話し

グルジアは一応今日で終わりにします。最後に素晴らしい男声合唱を一本。裏声のクリマンチュリが入っているタイプではありませんが、山々に響き渡るグルジアのオヤジたちの幽玄でアルカイックな歌声は忘れ難いものです。クリマンチュリが入るのは、アジャリアに近い南西部の地方のみのようです。
さて今日のタイトルのイベロ・カフカースです。11月にも書きましたがグルジア語やチェチェン語などのコーカサス(カフカス)諸語は、インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)、セム系諸語、チュルク諸語など、周辺のいずれの語族にも属さない、とても古い独立の語族。スペイン北東部からフランス南部にかけてのバスク地方も同様で、やはり周りのヨーロッパの言葉と全く関係がない言語島です。彼らは印欧語族(ラテン、ゲルマン、スラヴなど全て)がヨーロッパの地に入る前からいるヨーロッパの原住民ですね。ギリシアだけは例外でしょうか。
何とこの遠く離れた二つの語族が関係があるらしいという説があります。説というかほぼ確定のようで、言語的な検証もかなり進んでいるようです。カフカス諸語はイベロ・カフカース語族とも言われ、イベロは文字通りスペインとポルトガルがあるイベリア半島と関係があります。カフカス地方は古代ギリシア人から「イベリア」と呼ばれていたようですが、その名残は今も残っていて、例えばグルジア語のアルファベットは「イベリアのアルファベット」と言われています。
そしてカフカスにいたイベリア人の一部が、紀元前3000年頃に現在のスペインの方に移動したらしいのです。印欧語族が侵入するはるか前です。そのイベリア人がバスク人の祖先に当たり、そのためこの地がイベリア半島と呼ばれるようになったようです。

მაყრული/Mak'ruli

Basque flok dance

現在のグルジアとバスクの音楽や踊りが似ている訳ではありませんが、バスクのフォークダンス映像を一本。妙に軽やかですね^^  バスクと言えばベレー帽ですが、やっぱり被っていましたw

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2008年3月 4日 (火)

アブハジアと・・

今日はグルジアの中にある自治共和国について見てみます。地図はこちらで。
北海道くらいの国と言っても、グルジアは一枚岩ではなく、イスラム系アブハズ人の多い北西部のアブハジア、イラン系民族の南オセチア、イスラム系グルジア人が多い南西部のアジャリアの3つがあり、アブハジアと南オセチアは国際的に承認されてないものの、現在では事実上独立状態のようです。独立するということは壮絶な独立闘争があった訳で、特にアブハジアのソ連崩壊前後の紛争は苛烈を極めました。(詳細は上記の国名リンクで)
古代のスキタイとも関係のあるイラン系のオセチア人(オセット人とも)については、11月に北オセチアの回で紹介しました。南オセチアは、タタールの侵略から逃れてグルジアに移住したオセット人の末裔ですが、ソ連時代に入って、スターリンの政敵だった「グルジア反対派」を抑え付けるために、南オセチア自治州が設置されたようです。
さて、歴史の話しはこれくらいにしてビデオにしましょう。さすがに南オセチアとアジャリアのクリップはないようですが、アブハジアのものは舞踊中心にかなりアップされています。

Abhazian Dance - Абхазский танец - Апсуа къашъо

アディゲの民族舞踊団ナルメスによるアブハジアの踊り。アブハジアはグルジアよりも言語的にはアディゲ、チェルケス、カバルダのグループ(サーカシアン)に近いそうです。だからナルメスもアブハジアの踊りをやるのでしょう。被り物にアブハズの特徴が見えるように思います。

Abkhazian Folk Dance Group-Gos Ensemble

こちらはアブハジアの舞踊団のビデオ。男女のソリストによる舞踊で、イスラメイのアブハズ版のように見えます。

Gos Ensemble ABKHAZIA - Avrasha (Abhaz Dansı Avraşa)

カフカスらしい男声合唱の入った踊り。チェチェンでは古来スーフィズムが根強かった訳ですが、このビデオでも途中スーフィーの歌の様な掛け合いが出てきます。

Abkhazian Folk Dance Ensemble-SHARATIN-Шаратын 80s

別なアブハジアの団体による群舞で、80年代の映像。まだ平和だった頃でしょう。踊り手の表情にも余裕があるように見えます。

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2008年3月 3日 (月)

レラ・タタライゼ

昨日出てきた女性歌手レラ・タタライゼさんのクリップが結構ありますので、今日はそれを見てみたいと思います。終わりに「ゼ」が付く名前は、「シヴィリ」と並んでグルジアに多い名前。政治家のシュワルナゼさんは一番有名でしょう。隣のアルメニアの場合は圧倒的に末尾が「イアン」です。カフカスでは名前でどこの人か大体分かります。
タタライゼさんのプロフィールがよく分からないのですが、オランダのユネスコ的なレーベル、PanからCDが出ているくらいですから、かなり名前の通った名歌手なのでしょう。タタルと入っているからと言って、タタール系が入っている訳ではないでしょうが。
3本目がパンドゥーリ弾き語り、他はアコーディオン弾き語りです。優しく滋味溢れる歌声が良いです。カフカスの絶景やイコンを眺めながら、グルジアの卓越した語り部の声に耳を傾けていると、やはりワインが頂きたくなるのは私だけでしょうか^^ (しかしワインの発祥地と言われるグルジアのワインは、ネット通販じゃないとなかなか手に入りませんね)  

LELA TATARAIDZE ♥ TUSHETI ♥ GEORGIA - რა ლამაზია თუშეთი

Lela Tataraidze dabadeba

Lela Tataraidze: Lomo, She Lomis Moklulo

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2008年3月 2日 (日)

パンドゥーリとチョングリ

今日はグルジアの代表的な弦楽器、パンドゥーリとチョングリに行ってみます。この二つはほとんど同じように見える3弦の楽器で、地方によって呼び方が違うだけか、どこか細部が違うのか、どちらかでしょう。現物を見たことがないので、判別が付きません。詳しい方、コメント宜しくお願い致します。しかしカフカスのレズギンカ型の「タンタ、タタタ」というリズムを刻むのに、これほどふさわしい楽器はないように思えます。柔らかく哀愁味がありながらも軽快な音色がとても良いです。

LELA TATARAIDZE--TUSHURI SACEKVAO

オランダのPanからソロ・アルバムが出ていた女性歌手にしてアコーディオン&パンドゥーリ奏者でもある、レラ・タタライゼさんの演奏。この二つの楽器が出てきますが、おそらく多重録音ではなく他の奏者がいるのでしょう。風光明媚な景色と古い建物も非常に印象的です。

GELA DAIAURI -sacekvao

昔の演奏家でしょうか。写真だと仙人のように見えますがw 最初はクルドのタンブールに似た感じで始まりますが、テンポがアップしてくる辺り、カフカス的な盛り上げが素晴らしい演奏。

KELAPTARI_tushuri sakhumaro

パンドゥーリ中心の合奏と合唱。グルジア・ムードを満喫できる一本。ベース・パンドゥーリ?もありました^^

Georgian & Chechen music / Грузинская и Чеченская музыка

Collection of Georgian and Chechen melodies on the panduri with: Arxoto, Chechen anthem, Kisturi, Mtiuluri Kaxuri and Lezginka.ということで、グルジアとチェチェンの曲を混ぜて演奏しています。なかなかに達者な演奏だと思います。これだけアップで見れるのが嬉しい所です。

Adiga dance

同じ人の演奏で、アディゲの踊り。だそうですが、この曲は聞くのが初です^^

※最後に、先日のカフカスの山岳ユダヤの時に出ていた疑問にお答えを頂きましたので、ここでお知らせしておきます。"Gorskie"は、「山の」という意味のロシア語で、Juhuroと合わせて「カフカスの山岳ユダヤ人」を指すようです。Gorskieは何故か私の辞書に載っておりませんでした(TOT)
また、ダゲスタンのある民族舞踊団のディレクター兼振付師(Iosif Mataev)は、その名の通り(イスラム系のユースフではなくヨスィフとなっているので)ユダヤ人だったそうです。カフカスでも歌舞音曲の世界ではユダヤ人は結構幅を利かせているようですね。 以上、モスクワ在住のマイミクさん、ふぁどさんからの情報でした。ふぁどさん、いつも有難うございます。バリショーエ・スパスィーバ!

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2008年3月 1日 (土)

スリコ

グルジアの歌と言えば、やはりこの曲が一番有名でしょう。戦死した兵士スリコを恋人が偲ぶ歌ですが、こんな透明感のある爽やかな歌声で表現するとは。サカルトベロ(グルジア)がロシアの支配下に入ったのは19世紀ですが、その頃に生まれた歌。何百年前から伝わる古い民謡とは違う趣きですが、透明な諦念がグルジアらしく素晴らしいと思います。グルジア語では上記の通りですが、ロシア語訳では死んだのが女性の方になっています。そちらの訳を載せておきます。(山之内重美訳)

 心もうつろに あてもなくさまよう
 あの娘はどこへ行ったやら いとしいスリコ

 夕べの城跡に 孤児ら遊ぶ
 どこかにスリコはいやせぬか 忘られぬスリコ

 森のうぐいすに 私は呼びかけた
 「お前は知らぬか鶯よ、スリコの墓を」

 優しい鶯は 私にささやいた
 「あなたの立ってるその土が スリコの墓よ」

SULIKO

前半がスリコで、後半は伝統的な多声民謡。スリコが全曲男声合唱で聞けるのはこれだけのようです。なかなか素晴らしい演奏です。
グルジア正教はヨーロッパのキリスト教とは直接繋がりがない非常に古い一派。アルメニアについで4~6世紀頃に国教化したようです。しかし、後半のような合唱を聞く限りでは、ビザンツ聖歌の影響もかなり受けているのではとも思えます。

Basiani

昨日アップしたBasianiによるスリコですが、何故か15秒しか収録されていません。このグループは2000年に結成されたようです。独立後こういうアンサンブルは沢山生まれたようです。

Stalin Pictures

恐怖の独裁政治を行ったスターリンですが、グルジア出身ということでこんなクリップがありました。歌うのは赤軍合唱団。ソ連時代からロシアでも盛んに歌われていました。

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