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2008年8月 7日 (木)

ウイグルとマニ教、仏教

今日はウイグルの歴史を簡単に辿ってみたいと思います。以下の年表と波線まではウィキペディアの「ウイグル」「天山ウイグル王国」からのペースト。(今日はビデオは無しです^^)

  • 5世紀以前 - モンゴル高原北部のセレンゲ川上流域に興る。
  • 6-7世紀 - オルホン川、トラ川流域で東突厥の支配下に置かれる。
  • 8世紀前半 - 東突厥の滅亡後、唐に服属する有力部族連合のひとつとして台頭する。
  • 744 - 懐仁可汗が可汗を称し、遊牧ウイグル帝国(744-840)を興す。
  • 745 - 突厥を滅ぼす。
  • 757-763 - 安史の乱に介入。援軍を送ってを助け、定住文化導入の契機をもたらす。
  • 763 - 第3代牟羽可汗がマニ教に帰依。この頃、ウイグルは繁栄を極め、吐蕃(チベット)と並んで唐の辺境を脅かす。 
  • 779 - 内紛により牟羽可汗が殺され、以降、幼く在位の短い可汗が続く。
  • 795 - 宰相クトルグ・サングンが自ら擁立した幼い第6代可汗に代わって可汗に即位(懐信可汗)。
  • 8世紀初め - 遊牧ウイグル帝国が最盛期を迎え、西はシル・ダリヤアム・ダリヤ両河まで、南は高昌まで版図とし、天山東部の領有を吐蕃と争った。
  • 830年代 - 天災やハン位継承の内紛により混乱。
  • 840 - キルギスの侵入により、ウイグル帝国が滅亡。一部のウイグル人は中央アジアや河西回廊に移住し、天山ウイグル、甘州ウイグルを形成。また、別の一部は中国に逃れて唐や契丹に服属した。
  • 1026 - 甘州ウイグルが西夏に滅ぼされる。
  • 12世紀前半 - 天山ウイグル王国、契丹人の西遼に服属。
  • 1209年 - 西遼の介入に反発したウイグル王国内の勢力が西遼から派遣されてきた総督を殺害し、モンゴル帝国チンギス・ハーンと結ぶ。
  • 1211年 - ウイグル国王(イディクト)バルチュク・アルト・テギン、チンギスの招請に応じて自らモンゴル宮廷を訪れ、モンゴル帝国に服属する。
  • 13世紀後半 - カイドゥの乱勃発により、元とカイドゥの両勢力の最前線に位置したウイグル王国は圧迫を受け、王家が甘粛に移住。王国は事実上消滅する。

<天山ウイグル王国の文化面についての解説から>
19-20世紀に各国の探検隊が敦煌トゥルファンから持ち帰った出土文書の中には、ウイグル文字やウイグル語で 書かれた仏典も多数含まれている。これらの研究より、天山ウイグル王国で信仰された仏教は、マニ教の強い影響を受けつつ、トカラ仏教・敦煌仏教・ソグド仏 教など東西の諸要素を混在させた独特のものであったことが分かってきている。天山ウイグル王国はマニ教文献の宝庫であり、マニ教国教時代にはソグド文字マニ教文字ウイグル文字漢文などで書かれたソグド語パフラヴィー語パルティア語ウイグル語漢語の資料が多数発掘されている。これらの資料は宗教学としてマニ教そのものの究明だけでなく中期イラン語諸語の重要な資料として言語学的にも貴重である。

<引用箇所が不明になりましたが、以下もウィキペディアから>
ウイグル人は、次第に定住化して従来からの定住民と一体化していったため、彼らの支配した天山・タリム盆地一帯は言語のテュルク語化が進み、テュルク人の土地(東トルキスタン)と呼ばれるようになる。

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年表が上記で終わっているのが残念ですが、何故かと言うと、これ以降はモンゴル帝国(元)時代を経てチャガタイ・ウルスのもとで15世紀頃からイスラーム化が進展し、現在に至る訳ですが、古代~中世のマニ教~仏教を中心としたウイグル文化は、イスラーム化の波に飲まれて消滅したためのようです。20世紀に「ウイグル」の名前が復興されるまでは、狭義のウイグルではなくなっていたということでしょうか。
12ムカムが生まれた16~18世紀頃は、華やかなイスラーム王朝文化の時代になりますが、その中には本当にマニ教や仏教の痕跡は皆無なのか? 前からそれが最大の疑問でした。当ブログでは、その点にこだわってみたいと思います。もし何かビデオとかが見つかったらアップするつもりです^^

私が特に面白いと思うのは、イスラーム化以前では以下の点。

・古代においてタリム盆地にイラン系の先住民?がいたこと。(ソグドとは別な集団? 古代トゥルファンのイラン系トカラとは関係ありか?) 印欧系の定住民と一体化してテュルク化していったため、容貌のバラエティが豊富になったのでしょう。イラン人と間違えそうな人や、更にドイツ人かと思うような顔立ちのウイグル人にも新松戸の祭で会いました。

Photo ・現在は直系の人は残っていないとされる、古代中央アジアのイラン系ソグド人の影響で、マニ教やゾロアスター教がウイグルに入ってきて、遊牧ウイグル帝国時代の8世紀頃から勢力を伸ばし、マニ教は国教的な位置にまでなったこと。ササン朝ペルシア領だったバビロニア(現イラク)で生まれたマニ教が、ウイグルで国教にまでなったというのは、最大の驚き。(マニ教については上記リンク参照)  明教(これはマニ教そのもののようです)、白蓮教、義和団などに形を変えて、中国でも近世までマニ教の影響が残存していました。第四の世界宗教と見なされながら、歴史の波に消えたグノーシス的な宗教への素朴な興味です。(左の写真はこちらから)

・天山ウイグル王国時代の仏教は、日本にも伝わってきたか? 来たとしたら浄土系でしょうか。イメージ的にはそれ以外にないような気がしますが。 (この辺は70年代のNHKシルクロードを読めば出てきそうな話しですが)

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