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2008年12月 3日 (水)

カザフの踊りはダッタンの踊り?

ロシアのカテゴリーで、1月17日と18日にロシアのバラライカやドムラと、カザフのドンブラの関係について触れました。また、カザフとコサックが同語源であることも、ロシアからウクライナにかけての記事で何度か取り上げました。ロシア史において13~16世紀頃までは「タタールのくびき」と言われ、タタール人の圧政に苦しめられた時期として記憶されていますが、こと音楽や文化に関しては、上記のように少なからずタタールの影響が見られるようです。ロシア音楽史では、上記の楽器を手にするのが漂泊の楽士だったことと無関係ではないと思います。余談ですが、キオスクというロシア語も、テュルク系の言葉から入った単語のようです。

タタール(タルタル・ソースの語源)またはダッタン(韃靼)と呼ばれる、キプチャク汗国時代のモンゴル~タタール系民族の末裔は、基本的にカザフになるようです。キプチャク汗国の頃はモンゴル人と言って良かったのかも知れませんが、言語的にテュルク(トルコ)化、宗教的にはイスラーム化して、現在のカザフ民族に至っています。

タタール人のイメージで切っても切り離せないクラシック音楽に、ボロディン作曲の歌劇「イーゴリ公」の中の「ダッタン人の踊り」がありますが、ボロディンがイメージしたものは、カザフの先祖の踊りだったのでしょうか。今日は現在のカザフの踊り2本と、ボロディンの「ダッタン人の踊り」を合わせてアップしてみました。

Yesevi Sanat Topluluğu "Kımız Dansı"

Yesevi Sanat Topluluğu nun 21 nisan 2006 daki Ankara Büyük Tüyatro daki gösterisi. Kımız Dansı

Казак эл бийи/The Kazakh national dance

Traditional Kazakh dance from "Manastyn Kyzdary"Ансамбль танца "Манастын кыздары"

Polovetsian Dances (「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊りと合唱」)

The Polovetsian Dances (or Polovtsian Dances) are perhaps the best known selections from Alexander Borodin's opera Prince Igor.
「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊りと合唱」
指揮:飯森範親
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部

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コメント

遊牧民は離合集散を繰り返してきましたから、単純にAの子孫がBというのは難しいと思います。キプチャク・ハン国を構成していたテュルク系もしくはテュルク化したモンゴル系の人々の一部がカザフ人の一部となったという事実はあっても、すべてのカザフ人がそうというわけではありません。『イーゴリ公』の踊りがどの民族のものをイメージしているかというのは、面白い問題ですね。

投稿: hasuge | 2008年12月 4日 (木) 09時10分

こんにちは。

>キオスクというロシア語も、テュルク系の言葉から入
>った単語のようです。

 タタール語から入っているはずなんですが、大本を辿ればペルシア語ではなかったかと思います。

 それとですね、伝統的にロシアで歴史的に用いられてきた「タタール」と漢語の「韃靼」は別物だと考えた方が良いと思います。まず、「タタール」の方は現在のタタール人のみならず、テュルク系諸民族に対する「総称」であり、例えば現在のアゼルバイジャン人も、革命前には「カフカスのタタール人」と呼ばれていました。

 一方、「韃靼」は本来モンゴル高原に住んでいた「タタル」部族のことですが、14世紀の東アジアに明朝が出現した際には北方でなお王朝を維持していたモンゴル人たちに対して使われるようになりました。というのは、彼らを「モンゴル」と呼ぶと、元朝から中華王朝としての「正統性」を受け継いでいるのは向こうだということになりかねないからだったとか。

 まあ、「タタール」の語も、西征したモンゴル軍団の中にあった「タタル」部族に由来するというので、まったく無関係というわけでもないのですが、明治期の日本でこの「タタール」に「韃靼」の当て字が使われたことが、全ての混乱の元では無かったかと思うのです。
  
 ちなみに、「イーゴリ公」創作の下敷きになっている歴史書「イーゴリ公軍記」に出てくる「ダッタン人」というのは、当時黒海の北岸を勢力圏にしていたクマンとかポロヴェッツなどと呼ばれるテュルク系の遊牧民のことです。彼らの言語については、当時のカトリック教会が布教のために作ったラテン語対応の辞書みたいなものが残っておりまして、それによると、どうやらキプチャク系の言葉だったようです。だから言語に関して言えば、今のタタール語やカザフ語、クルグズ語に近い言葉を話していたことになります。

 ただ、彼らはその後ジュチ・ウルス(キプチャク・ハン)の大集団に包摂されてしまうので、血統に関しては誰が末裔かなんて特定できないのではないでしょうか。宗教とか言語は異なりますが、ある意味、ウクライナとかあの辺のコサックなんかも末裔には違いないと思うのです。

投稿: karategin | 2008年12月 5日 (金) 02時01分

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