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2008年12月12日 (金)

アレヴィー派女性のバグラマとハザラ人のドゥタール

数日前のドンブラのビデオにSaz/ Baglama/ Dutar/ Kopuz/ Deyiş/ Shamanism/ Alevismというタイトルの類似楽器(長棹リュート系)のシリーズがありました。今日はその中からトルコとアフガニスタンの2本を見てみたいと思います。中央アジア・シリーズは一応昨日で終わりましたが、今日もそれ程変りありませんね(笑) 

Saz/ Baglama/ Dutar/ Kopuz/ Deyiş/ Shamanism/ Alevism "4"

Baglama by Turcoman (Alevi) girl. と解説にあります。トルコのTurcomanの女性によるバグラマと歌。旋回舞踏で有名なメヴレヴィー教団とは別な神秘主義教団の一つ、アレヴィー派の人のようです。バグラマのスティール弦の音色と繊細な音使いも良いですが、歌に華があって良いですね。途中で終わってしまいますが。Turcomanというのは、イランで言うトルカマンのことでは。遊牧生活を守りながらイスラムへ改宗したテュルク系遊牧部族のことをペルシア語でトゥルクマーンと呼ぶ、とウィキペディアにあります。中世までアナトリアにあったビザンツ帝国のギリシア人がテュルク化した現在のトルコ人と(多分このグループが一番多いのでは)、中央アジアからやってきたトルクメン系のトルコ人、一目で見分けるのは可能なのでしょうか。かなり難しそうですが、後者はペルシア系の血を多く引いているのかも知れません。

Saz/ Baglama/ Dutar/ Kopuz/ Deyiş/ Shamanism/ Alevism "8"

Turko-Mongol HAZARA playing Dutar (persian language)と解説にありますので、アフガニスタンのモンゴル系民族ハザラ人のドゥタール奏者のようです。前に出てきたアフガンのドゥタール(多分パシュトゥーン人では?)は随分立てて構えていましたが、こちらはノーマルな構え。張りぼてのように大きな胴から出る音色は独特。歌声にはどこかインド的なニュアンスが感じられます。

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コメント

>現在のトルコ人と(多分このグループが一番多いので
>は)、中央アジアからやってきたトルクメン系のトル
>コ人、一目で見分けるのは可能なのでしょうか。

 1000年前から混交が続いてるので、無理でしょう。あそこは血統的に言えばギリシア系以外にもアルメニアとかクルドとかアラブとかスラヴとかカフカスとか色んなものが混ざっているはずなので、容貌だけではルーツは特定できないのではないかと。ただ、蒙古斑の出る新生児が多いと言う話はあります。


 アナトリアの東部は昔はアルメニア人が多く、さらにクルド系やらアラブ系みたいな諸民族とも血統的に複雑に混ざり合っているはずなので、

投稿: karategin | 2008年12月14日 (日) 16時51分

>karategin様
いつも有難うございます。ビザンティン時代にもアナトリアは色々入り混じっていたのでしょうね。その頃と今のトルコは人種的にはほとんど変ってないのでしょうか。だとするとオスマンの支配民族であるテュルク民族は、少数派だったのでしょうか。

投稿: Homayun | 2008年12月15日 (月) 00時30分

>Homayun bey
>その頃と今のトルコは人種的にはほとんど変ってないの
>でしょうか。

 19-20世紀に大幅に変わっているはずです。まず、オスマン帝国の縮小によって、かつてその版図に住んでいたバルカン半島のスラヴ系ムスリムや北カフカスのムスリムが大勢移住してきました。さらに、「計画的なジェノサイド」か「第一次大戦時の偶発的な戦災」か未だに議論は続いていますが、オスマン帝国時代末期の大規模な虐殺と強制移住で、アナトリア東部のアルメニア人がほとんどいなくなってしまい、そこに大勢のクルド人が流入しました。

 トルコ共和国が成立してからは、ギリシアとの間に「住民交換」が行われ、数十万のギリシャ正教徒をギリシアに「強制帰国」させる一方で、ほぼ同数のギリシア領内に住んでいたムスリムが流入しました。この際は言語よりも宗教が重視されたようです。

 ちなみに、そうした流入者の内、北カフカス系の人々などは言語的にはトルコ化したものの、未だにそういうアイデンティティを失っていないと言う人は結構多いようで、何ヶ月か前にロシアがアブハジアの独立を承認したときは、トルコ政府に対しても同様の行動を求めるデモがイスタンブルで起こっています。
http://jp.youtube.com/watch?v=3ktFw-9CBec&feature=channel_page

それと、
>オスマンの支配民族であるテュルク民族は、少数派だ
>ったのでしょうか。

 オスマン帝国はあくまで「ムスリムの国」であって、「トルコ人の国」ではありませんでした。大体スルタンからして、子を産ませる相手は代々スラヴ系や北カフカス系の寵妃であったほどで。現在の狭義の「トルコ民族」は、トルコ共和国がアナトリアの人々を一つの集団に纏め上げるために、80年間に渡って作り上げてきた意外と真新しい産物です。

投稿: karategin | 2008年12月15日 (月) 02時12分

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