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2009年1月 6日 (火)

ゲイシャ・ワルツ

新内と言えば、思い出してしまう流行り歌が、昭和27年の芸者ワルツ。神楽坂はん子さんの最大のヒット曲でした。4番の歌詞の「遠く泣いてる 新内流し、 恋の辛さが 身にしみるのよ」の箇所をどうしても思い出してしまうのは、私だけでしょうか(笑) 「新内は究極の邦楽」(三味線音楽と言った方が良いかも知れませんが)と、よく私の師匠が言っていましたが、恋愛の艶と哀切さを粋に表現する点において、確かに並ぶ音曲はないかも知れません。それにあのフリーリズムと裏声を多用する難しい唱法は、確かにペルシア声楽に通じる難しさと美しさがあります。もちろんゲイシャワルツは、直接には新内と関係ないですが、新内にも通じる哀切さを、コミカルさと三拍子で包んだ秀逸な流行り歌だと思います。

この歌のビデオを見ていていつも不思議に思うのが、三拍子なのに聴衆が一拍ごとに手拍子していること。だから最初の小節では一拍目と三拍目、次は二拍目に手拍子が入ります(笑) 何で一拍目に入らないのか不思議でしたが、思えばこれは日本人にとって三拍子が把握し難いことの現われかも知れません。

[Geisya] ゲイシャ・ワルツ(神楽坂はん子)

ゲイシャ・ワルツ
【作曲】古賀政男【作詞】西条八十【歌手】神楽坂はん子

神楽坂はん子:東京都出身。両親の反対を押し切り、神楽坂で芸者をしていたところに作 曲家の古賀政男がやってきて、「私、芸術家って大嫌い」と発言したり、その竹を割ったような性格が気に入られ、コロムビアへスカウトされた。昭和27年に古賀作品の「こんな私じゃなかったに」でデビューする。同年の、江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「ゲイシャ・ワルツ」が大ヒット。一躍スター歌手となる。その後も「見ないで頂戴お月様」「こんなベッピン見たことない」などのヒット曲を放つ。ビクターからは神楽坂浮子という歌手も登場するほどの人気ぶりだったが、昭和30年に身許引受人 の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
あなたのリードで 島田もゆれる
チークダンスの なやましさ
みだれる裾も はずかしうれし
芸者ワルツは 思い出ワルツ

空には三日月 お座敷帰り
恋に重たい 舞扇
逢わなきゃよかった 今夜のあなた
これが苦労の はじめでしょうか

あなたのお顔を 見たうれしさに
呑んだら酔ったわ 踊ったわ
今夜はせめて 介抱してね
どうせ一緒にゃ くらせぬ身体

気強くあきらめ 帰した夜は
更けて涙の 通り雨
遠く泣いてる 新内流し
恋の辛さが 身にしみるのよ

芸者ワルツ

映像は小暮美千代と若き日の若尾文子が主演した「祇園囃子」のようです。

ゲイシャ・ワルツ(1972)神楽坂はん子

神楽坂はん子(1972年、なつかしの歌声)

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