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2011年3月

2011年3月31日 (木)

最高の江差追分

尺八伴奏の民謡を中心に色々見てきましたが、浜田喜一(初代)氏の江差追分がyoutubeでも見つかりました。この録音はビクターから出ている民謡ベスト盤(近々アップ予定)にも収録されていますが、「信州の街道を上下する馬子たちに唄われていた馬子唄が、参勤交代の北陸武士や旅人瞽女(ごぜ)等によって越後に伝わり、さらに海辺のメロディーに変化して、船乗りに唄われ北前船で蝦夷地に伝わり謙良節と合流し、荒い波濤の中で哀調を加え、江差追分が生まれた」と表現される江差追分の最高の歌唱の一つでしょう。北海道には行ったことはありませんが、北の海の潮の香りをたっぷり含んだ唄と節回しです。
長崎ぶらぶら節で有名な愛八さんもビクターに江差追分の録音(残念ながら廃盤ですが)を残していましたが、座敷唄風のしっとりとして荘重な趣きのある演奏で、これまた出色の歌唱でした。同じ曲とは思えないような味わいがありました。民謡においても、同曲異演を聞く楽しみは大きいです。
さて、この後はもう少し追分や津軽山唄など尺八伴奏の唄を巡って民族ものに戻る予定です。

江差追分(前唄・本歌・後歌)  浜田喜一(初代)

江差追分 安澤 望

昨日の解説に「アイヌもからんでいた説もあり」とありましたが、こちらは衣装がアイヌ風です。唄はどうでしょうか。

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2011年3月30日 (水)

追分ロード

昨日で記事数1200になってました。いつの間にやらという感じです。さて追分ロードと題して、以下の「日本民謡辞典」(東京堂出版)の解説を参照しながら各地の追分を見てみたいと思います。松坂と言うのは三重県の松坂市のことではなく、越後でかつて歌われた祝唄を指しています。座頭や盲目の女芸人、瞽女(ごぜ)が三味線弾き語りで越後から東北、北海道にまで広めたジャンルとして知られているかと思います。

追分の流動伝播のあとは、今日、常識的には碓井峠の馬子唄が、中山道の浅間三宿(追分、沓掛、軽井沢)の飯盛女の三味線唄〈追分節〉となり、越後に伝わって〈越後追分〉、さらに日本海の舟によって運ばれ、途中に〈酒田追分〉〈本荘追分〉等を定着せしめつつ、北海道まで運ばれて〈江差追分〉を派生したというのが定説になっている。(中略)おそらく〈追分節〉は信濃追分宿が発祥地であろうが、一説には中山道沿いに流れてきた馬子唄が〈小室節〉となり、追分にわって〈追分節〉となったともいい、その他〈江差追分〉には独自にアイヌと義経伝説がからんでいたり、越後の松崎謙良という検校が北海道へ渡り〈越後松坂くずし〉をうたったのを〈ケンリョ節〉と呼んだのが北海道の追分の源流であるとか、その発生にはさまざまの伝えを残している。

越後追分 櫛野節謡

信濃追分 早坂光枝

本荘追分 ゆかり

南部追分(弾き語り) / 小柴昇

これは南部ですから、岩手の追分になります。

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2011年3月29日 (火)

江差追分

そろそろ少しずつ民族音楽の方に戻って行きたいと思いますが、17日の南部牛追唄の時に、この曲だけでなく尺八だけの伴奏の唄には民謡の真髄のような素晴らしい曲が何曲かあると書きました。その王者とも言えるのは、やはり北海道の江差追分でしょう。こちらにも「品格、曲調、難易度、人気、そのいずれをとっても、日本民謡の王座に君臨するにふさわしい唄」とありました。youtubeではその最高の歌唱は出てこないかも知れませんが、何本か見てみて、明日以降追分の道を辿りながら、昔から類似を指摘されていたモンゴルのオルティンドーから、ハンガリーのルーツの地、西シベリアに飛び、ハンガリーに戻るという方向を考えています。

江差追分 唄 佐々木基晴 Esashi Oiwake

江差追分 Esashi Oiwake

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2011年3月28日 (月)

お立ち酒

今日は宮城の民謡で、婚礼などの祝いの席の終わりに唄われる、お立ち酒。これも印象的な唄です。追分節の文句も転用されて歌われ、別れの気分を盛り上げていますが、嫁ぐ娘を送る父の涙を連想させるような哀愁を感じさせます。お立ち酒とは祝儀のしめくくりの別れ酒で、2本目の解説にあるように、「嫁いだ嫁が、二度と実家へ戻ってくることがないようにと、嫁方の人たちと花嫁が縁切りをする儀式で、大きな茶碗に冷酒を注いで­、客はそれを飲み干すと、その茶碗を地面へ叩きつけて帰ってしまう」のが本式だそうです。曲の感じから、江戸時代末期の流行歌という説もあります。

お立ち酒 大塚有朗

お立ち酒 宮城県民謡 民謡の名曲集

一、おまえお立ちか お名残惜しい 名残り情の くくみ酒
二、今日の目出度い 花嫁すがた 親も見とれて うれし泣き
三、またも来るから 身を大切に はやり風邪など ひかぬように
四、今日は日もよし 天気もよいし 七福神の お酒盛り
五、目出度嬉しや 思うこと叶うた 末は鶴亀 五葉の松
六、目出度めでたの 若松さまよ 枝も栄える 葉も茂る
七、泣いてくれるな 今立つ時に わしの気持ちが 又鈍る

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2011年3月27日 (日)

会津磐梯山

福島方面では94年頃だったか会津周辺に行ったことがありますが、猪苗代湖、磐梯山、裏磐梯の風光明媚さは特筆ものでした。特に裏磐梯から見る磐梯山は表から見るのと全く違っていて不思議な光景でした。すぐ西の会津若松の町では、白虎隊が自刃した飯盛山が一番名高いところでしょう。詩吟でも知られる白虎隊最期の地を訪れ、深く感じ入りました。
会津の民謡として知られる「会津磐梯山」は、小唄勝太郎(東京音頭を最初に歌った人でいわゆる「鶯芸者」の一人)が昭和10年に吹き込んでから全国的に知られるようになりましたが、盆踊り唄として今では、徳島の阿波踊り、富山の越中おわら節と並んで3本指に入るくらいに有名な曲でしょう。会津の宿に泊まった夜は、入れ替わり立ち代り歌い手が替わって会津磐梯山で踊られる中、横では利き酒大会もあったりしました。蕎麦も旨かったし、とにかく良い所です。
原発事故は予断を許さない深刻な状態が続いています。激震プラス原発事故ですから、会津は内陸でかなり離れているとは言え、混乱は免れていないでしょう。一日も早く落ち着きを取り戻して、この唄が再び会津の夜に響き渡ることを願って・・。

会津磐梯山

何で吾妻小富士なんだ、と文句も出ていますが、唄は良いので。

会津磐梯山踊り  2009.9.22

94年も正にこんな光景でした。

会津磐梯山   小唄勝太郎 端唄

藤本二三吉、市丸と並ぶ鶯芸者、勝太郎姐さんの歌声。

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2011年3月25日 (金)

御祝 早池峰神楽

05年の<東京の夏>音楽祭に御祝(ごいわい)の公演がありました。私は残念ながら行けなかったのですが、DVDで「岩手の秘謡 御祝」という公演の記録が残されています。これは遠野市氷口御祝保存会の演奏で、男性が高砂などお馴染みの謡曲を、女性が民謡を同時に歌うという大変珍しい芸能でした。この映像を目にして非常に驚いたものです。
しかし実は御祝とは、遠野だけでなく岩手県各地と青森の八戸でも唄われる祝い唄でした。歌詞と旋律は土地によってかなり異同がありますが、歌詞では神楽歌の形をそのまま踏襲している場合もあるようです。謡曲と合わせる遠野の御祝は、特殊な例なのかも知れません。
岩手県指定無形民俗文化財になっている「御祝」は、この大災害の後にテーマ的にはどうかと思いますが、本来神事に源を持つ祝い歌ですから、力強い復興の唄としても人々に力を与えてくれるのではと思い、今日取り上げてみました。遠野の映像は見当たりませんが、花巻辺りの歌唱がありました。遠野では入ってなかった大きな太鼓が目を引きます。神事面の関連映像として早池峰神楽と宮古の黒森神楽も上げておきます。

笹間地区郷土芸能発表会「御祝」笹間婦人会

花巻 まつり 神輿 蛇神會 御祝い

早池峰神楽 Hayachine Kagura

黒森神楽 Vol.5 岩手県 宮古市 国指定重要無形民俗文化財

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2011年3月24日 (木)

塩釜甚句

今日は塩釜甚句。宮城の民謡で紹介できそうなのはこの辺りまでです。囃子のハットセというのが耳につく唄で、「ハットセ節」と呼ばれることもあるそうです。
町田佳声(邦楽研究家で例のキンカンの民謡番組の初代審査委員長)によれば、おそらく九州辺りのハイヤ節が日本海を北上し、太平洋に入って南部アイヤ節となり、南下して塩釜甚句となり、唄の初めのハイヤとかアイヤという囃子を捨ててしまったのでは、とのこと。
港町塩釜にも往時は遊郭が栄え、特に奥州一の宮の塩釜神社の門前町として妓楼が立ち並び、その遊郭で船頭や漁師相手に歌われたのが塩釜甚句でした。そんな艶っぽいイメージよりは、歯切れよさが勝っているのは、船頭衆が持ち込んだ唄だからでしょうか。(2曲目のSPの方はなかなか艶っぽい感じです) この唄が更に南下して潮来甚句や下田節を生んだと推測されるようです。
参考文献は今回も「日本民謡辞典」(東京堂出版)

塩釜甚句

俚謠 ハツトセ

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2011年3月23日 (水)

北上夜曲

後は遠野の御祝(ごいわい)か、塩釜甚句か、と思いましたが、今日は岩手の故郷の歌として名高い北上夜曲にしました。岩手県民でなくとも、ジーンと心に沁み渡る歌です。「思い出すのは~」のリフレインは特にグッと来ますが、この哀愁味極まるメロディと、3拍子にその秘密があるように思います。小林旭やダークダックスが歌っていたからでしょうか、惜別の歌(島崎藤村の若菜集から)とセットで思い出す歌です。
この曲を初めて聞いたのは宇宙戦艦ヤマト(初代のTV版)で、岩手出身の乗組員が他の星で懐かしい故郷の幻影を見るようなシーンだったと思います。96年に車で岩手を回った際に、一関~盛岡~龍泉洞から三陸海岸に抜けた後、釜石~遠野~北上市というルートで帰り、北上川の夜景を見た時、ここがあの歌の生まれた場所かと感慨を覚えました。平泉~宮沢賢治の旧跡~日本一の鍾乳洞~三陸のウミネコと記念撮影~田老町のチリ地震の津波跡見学~どこか妖気を感じる遠野の夜景~北上の夜風を味わって帰るという欲張りな旅で、8月15日でしたが、龍泉洞近くのドライブインでは何とストーブを焚いていて、非常に驚いたものです。今回の未曾有の大災害で石巻は大きな被害を受けましたが、この町が河口に当たります。

北上夜曲 野路由紀子

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2011年3月22日 (火)

さんさ時雨

今回東北民謡を取り上げてみて、17日の南部牛追唄は震災の犠牲者を哀悼するレクイエムのように、21日の大漁唄い込みは復興への応援歌のようにも聞こえてきます。
宮城の民謡で他に有名な曲と言えば、「さんさ時雨」があります。上記2曲のような作業唄ではなく、仙台の花柳界で磨きがかけられた祝儀唄で、現在でも建前でうたわれることもあるそうです。祝儀という内容から今回は控えておこうかとも思いましたが、やはりこの曲だけ外すのも片手落ちですので、今日上げておきます。例のキンカンの民謡番組でも頻繁に唄われていたように記憶しています。
お座敷三味線唄の優美な印象が強い民謡ですが、実際には手拍子だけの素唄いで唄うのが本式のようです。三味線の手が付いたのは明治の初年頃で、以来仙台の花柳界で歌い継がれました。宮城だけでなく、岩手、福島でも広く歌われているようです。
この曲のルーツは、戦国時代の伊達政宗一族の伊達五郎重宗の詠んだ即興歌に感じた政宗が改詩し、軍兵たちに歌わせたのが始まりとする説もあるようですが、これは伝説の域を出ないのかも知れません。歌詞や囃子言葉から見て、江戸中期以降に流行した歌謡がいつしか仙台地方に伝播したものだろうと言われています。(「さんさ」と端唄の「さのさ」は関係ありでしょうか?)

さんさ時雨

さんさ時雨 俚謠

さんさ時雨
松元木兆
尺八 菊池淡水

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2011年3月21日 (月)

大漁唄い込み

東北民謡4日目です。宮城の民謡ではこの曲は外せません。おそらく北海道のソーラン節と並んで最もよく知られた民謡でしょう。この唄でうたわれる威勢の良い遠洋漁業が早く復活して、美味しいマグロが早く食べられますように。寿司、蕎麦、日本酒を好む者としては岩手~宮城~福島は天国で、岩手の蕎麦と松島で食べた寿司の旨さは忘れられません。
この曲でも鈴木正夫の節が現代の正調になっているようです。SPの方はかなり譜割りが違っています。

大漁唄い込み
昭和二年頃、仙台の後藤桃水が巡業の途次、桃生郡雄勝町で〈銭吹唄〉と〈ドヤ節〉を聞いたのが機縁で、桃水は門弟の八木寿永と二人で〈銭吹唄〉を改作した〈斎太郎節〉をこしらえ、さらに〈ドヤ節〉を前唄に、〈斎太郎節〉を中唄に、〈遠島甚句〉を後唄に構成した一種の組唄〈大漁唄い込み〉を作った。のち、〈ドヤ節〉の部分が廃れ、今日では〈斎太郎節〉と〈遠島甚句〉の組み合わせたものが一般にうたわれている。
「日本民謡辞典」(東京堂出版)より

大漁唄い込み

大漁唄い込み

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2011年3月20日 (日)

相馬の民謡

東北の民謡3日目。岩手、宮城でまだまだ候補がありますが、今日は福島の太平洋側、相馬の民謡です。津波に加え原発事故がすぐ南で発生し、一躍全国的に有名になってしまいましたが、福島の代表的な民謡を生んだ土地として知られています。今回は哀調に富んだ新相馬節だけにしておこうかとも思いましたが、一番有名な相馬盆唄も上げておきます。現在の被災状況では空しく響きかねない曲調ではありますが、原発事故が一刻も早く終息し、この賑やかな相馬盆唄が歌われる夏の日が早く訪れることを祈って、今日上げておきます。
曲目解説は、これまでと同じで「日本民謡辞典」(東京堂出版)からです。この本は1972年初出のようですが、平成8年に新装版で出ていました。現在は入手難になっているようですが。「全国的に広まった」というのは72年頃の話ですので、現在では大分変わってきているでしょうか。私の個人的な経験でも、確かに72年頃は盆踊りも盛んだったなぁと思います。

新相馬節

新相馬節 藤あや子 Huji Ayako

藤さんが一節唄っている映像がありました。

新相馬節
在来の民謡を合成して作られた比較的新しいもの。第二次世界大戦後、福島県相馬市中村町飯豊の堀内秀之進が、相馬地方に古くから歌われていた〈草刈唄〉((相馬草刈唄)〈相馬節〉〈ナンダコラヨ~節〉とも)を基礎に、宮城県から福島県にかけて歌われていた〈石投甚句〉を入れて編曲した。これを鈴木正夫が独特の節回しで歌い始めて一躍全国的に広まった。品格の漂う中にも、哀調の溢れた唄である。うたい出しの「ハアー」は、〈石投甚句〉から来ているが、最近この部分を非常に長く伸ばして、技巧を加えるばかりか、全体的にもゆっくり歌う傾向がある。

民謡 相馬盆唄  鈴木正夫

相馬盆唄
福島県の代表的な民謡として全国的に有名な唄である。もともと秋田の甚句の系統を引いており、山形県の庄内、村山地方を通って福島県中通り、浜通り一帯にうたわれ、その系統が関東地方につながって栃木県の〈日光和楽踊〉、埼玉県の〈秩父音頭〉に及ぶ。相馬という土地が東北地方と言っても地理的にむしろ関東に近く、東北の南部、津軽のものとは違っていることを感じさせる。もっともこの盆踊唄も、地元出身の民謡歌手鈴木正夫が編曲してから派手なものとなり、自身レコードに吹き込んで大当たりを取って全国的に普及した。以後は鈴木正夫調が〈相馬盆踊唄〉の正調となった。

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2011年3月18日 (金)

長持唄

東北民謡(特に岩手、宮城、福島)シリーズ、2日目は長持唄。この唄も美しいメロディと細かい節回しが特徴的で、曲目解説にあるように、宮城の長持唄が秋田長持唄などの雛形になっているようです。尺八だけの伴奏の無拍の詠唱は東北にも他にいくつかありますが、いずれも名曲です。(昨日の南部牛追唄、津軽の津軽山唄など)三味線が入ると端唄・俗曲に近い印象になることも多いですが、尺八だけの伴奏はしっとりと心に沁みこむ節で、実に味わい深いものだと思います。
秋田長持唄は、演歌歌手の香西かおりさんと藤あや子さん(お二人とも民謡出身の歌手)もよく歌っていて、TVで何度か見かけました。

長持唄(ながもちうた)
嫁入りの道中に、嫁入道具の長持をかついだ連中がうたう往来唄。作業唄の一種だが、生産に伴うものでなく、往来唄のうち運搬の仕事に伴う唄の一類である。宮城県の〈仙北長持唄〉が特に有名で、歌詞、節回し共に美しいが、全国的に歌詞も共通し、節も大同小異であるのは、元来、たとえば参勤交代の大名行列などの長持かつぎにやとわれた農村の人たちが長持をかつぎながらうたったのを村へ持ち帰って、婚礼の荷物運びに転用したようなことから伝播したということであろう。(中略)もっとも近年はその風習がすたれると共に長持唄は道中唄としてうたわれるチャンスは少なく、祝唄としてうたわれる場合が多くなってきている。
「日本民謡辞典」(東京堂出版)より

長持唄 宮城県民謡

ビクターに録音のある鈴木茂氏の歌唱だと思います。最高の節回しです。

秋田長持唄  因幡晃

秋田出身のフォークシンガー、因幡晃氏の歌唱。

香西かおり 藤あや子 「秋田長持唄」

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2011年3月17日 (木)

南部牛追唄

未曾有の大災害から一週間経ちました。涙が枯れるほど悲しい出来事に呆然とするばかり。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。当ブログは東欧シリーズの途中でしたが、しばらく中断して、東北民謡(特に岩手、宮城、福島)の名曲の数々を鎮魂の曲として取り上げてみたいと思います。東北は民謡の宝庫として知られていて、筆者も子供の頃に明治生まれの祖父とキンカン素人民謡名人戦を並んで見ていたのもあって、耳馴染みの歌は多いです。
今日の南部牛追唄は、岩手でも秋田寄りの所の民謡ですが、牛追唄の代表曲として岩手だけでなく全国的に親しまれています。尺八だけの伴奏でしっとりと無拍で歌われる節は、現代人の耳にもしみじみとした味わい深いものだと思います。この唄に歌われる東北の豊かな田園風景が、一日も早く取り戻されることを祈って。
以下の曲目解説は、「日本民謡辞典」(東京堂出版)より

南部牛追唄
岩手県和賀郡地方の牛方の道中唄
南部地方は馬の産地であるばかりでなく、牛の放牧も盛んである。昔、南部藩の米倉地帯である沢内地方の米を運ぶのはもちろん、鉄道が敷けるまで、荷物の運搬は主に牛の役目となっていた。荷物を背にした七、八頭の牛を追っての旅に牛方たちがうたった道中唄がこれで、北上山地(九戸郡地方)で、放牧してある牛を追う時にうたう放牧唄(九戸牛追唄)とは別のものである。沢内村付近でよくうたわれたことから、沢内牛追唄とも呼ばれた。その起源については明確でないが、南部守行から利直のころの、三戸全盛時代にまでさかのぼるという。現在ではこの南部牛追唄が牛追唄の代名詞となるほど全国的に有名になっている。

南部牛追唄

南部牛追唄・Werner Müller

こちらはモダンな装いの演奏。

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2011年3月11日 (金)

大地震

ついに来てしまったかという大地震です。現実の出来事とは思えないTVの大津波の映像には言葉を失います。関東以東の皆様には心よりお見舞い申し上げます。関東方面には電話も繋がりません。スカイプも通信が不安定になっているようですが、mixiのツイッターなどは連絡に役立っているようです。
私は震度5弱は3回経験(関東で2回、愛媛で1回)がありますが、今回は東京でもそんなレベルではなかったようです。愛媛の東予にも午後7時過ぎに津波が到達すると予測されていました。
地震が起きた時は、ちょうど銀行に行った後で、車中で国会中継を聞いていたら緊急警報がけたたましくなり番組は中断。NHKのアナウンサーが聞いたことのないような緊迫した声で地震を伝えました。これは只事ではないとラジオを聞いてすぐさま思いました。これだけの広範囲ですから、被害の全貌が明らかになるまでには大分かかるでしょう。多くの人が無事であることを祈るばかりです。
しばらくは民族関係の動画を見ている場合ではないと思いますし(今日はアクセスも激減しているようです)、仕事も立て込んでいますので、明日から15日頃までブログをお休みします。m(_ _)m

March 11, 2011 Japan. Sendai Tsunami

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2011年3月10日 (木)

カールマン・バログのホラとマジャール

ハンガリーのツィンバロム名手バログ・カールマンの演奏に戻ります。彼はハンガリーの演奏家ですが、レパートリーはハンガリー、ルーマニアにまたがっています。ヴァイオリンでははっきりと両国の音楽の演奏スタイルが分かれる傾向が強いと思いますが、ツィンバロムの場合は意外な程にフレキシブル。ツィンバロム奏者と言うのは絶対数がヴァイオリンよりはるかに少ないと思うので、自然とこういう傾向があるのかも。つまり、引っ張りだこなのでしょうか(笑) しかし、カールマンほどの腕前を持っている人だからこそ、これほど多彩な活動も可能なのでしょう。

Balogh Kálmán: Hora

前半はルーマニアの舞曲ホラのホットな演奏。後半はハンガリーのチャールダーシュのフリッス(フリスカ)の部分。

Balogh Kalman Gipsy Cimbalom Band - Dunarol.mp4

バルトークがピアノ曲に使ったことでも知られる、いかにもマジャール的な民謡を元にした演奏。かなりジャズよりな感じです。

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2011年3月 9日 (水)

Sanie cu zurgalai色々

今日もサニエ・ク・ズルガライの映像。3日連続です(笑) 他にも楽しめる映像が一杯で、万華鏡を見ているかのように飽きさせません。
ウィキペディアのレス・ポールの記事で作曲者とされているRichard Steinという人ですが、昨日書き忘れていましたが、ドイツ語圏ならリヒャルト・シュタイン、英語圏ならリチャード・スタインと発音されるでしょうが、シュタインという名前がまずユダヤ人に多い名前であることと(ex.アインシュタイン、ウィトゲンシュタイン等)、リヒャルトもクリスチャン・ネームとは限定されない名前だと思いますので、ユダヤ人の可能性が高いのではと思った次第です。
この曲からルーマニアに入っていますが、バログ・カールマンの続きと、他にも何コマか予定していましたので、また少しハンガリーに戻った後にルーマニアに移動する予定です。

MARIANA RISIPITU SI MARCEL RAT " SANIE CU ZURGALAI"-CEA MAI NOUA VARIANTA

ルーマニアのロマ音楽の典型的なスタイルでしょう。タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのツィンバロム奏者Cristinel Turturicaが参加しています。

Aura Urziceanu - Sanie cu zurgalai

高速のツィンバロムの上で息の長い旋律を歌うのは、ルーマニア音楽の典型的なスタイルの一つ。

Liliana si Maria Ciobanu - Sanie cu zurgalai (Arhiva Tvr)

往年の姉妹民謡歌手のデュエットでしょうか。これも素晴らしい。TVRの民族音楽番組tezaur folcloric(民族の宝)の映像のようです。Maria si Liliana Ciobanu, doua nume monumentale ale muzicii romanesti si internationale.Imagini din arhiva Tvr.

Sanie cu zurgalai

こちらはクレズマー~ロマ音楽スタイル。Traditional Roumanian folksong also known as "Johnny is the boy for me" Bert Smits: violin, Juul Beerda: accordeon, Manito: guitar, Hans de Louter: bass

Vaya con dios - Johnny

ベルギーのヴァイア・コン・ディオスの演奏。フランス語に聞こえますが、ワロン語でしょうか。同名タイトルのレス・ポールのヒット曲もありました。

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2011年3月 8日 (火)

Sanie cu zurgalai と レスポール

昨日はコメントしませんでしたが、昨日の一本目のアーティスト名はLes Paul & Mary Fordとありましたから、もしや?と思っていました。調べてみたらやはり推測通りで、エレキ・ギターのレスポールの生みの親、レス・ポール氏でした。2009年に94歳の高齢で亡くなったのも記憶に新しいところです。Johnniy is the boy for meは、彼と当時の妻だったカントリー&ウェスタン歌手のメアリー・フォードの共演でした。ウィキペディアには以下のように出ていました。
Composer Richard Stein (1909–1992) sued Paul for plagiarism, charging that Paul's "Johnny (Is the Boy for Me)" was taken from Stein's 1937 song "Sanie cu zurgălăi" (Romanian for "Sledge with Bells"). A 2000 cover version of "Johnny" by Belgian musical group Vaya Con Dios that credited Paul prompted another action by the Romanian Musical Performing and Mechanical Rights Society.
Richard Steinという人はアメリカ人なのかルーマニアのユダヤ人かザクセン人か、分かりませんが、おそらくどちらかでしょう。昨日のyoutubeには「ルーマニアの古い民謡」とありましたが、上記英文にはSanie cu zurgalai(鐘の付いた橇)はRichard Steinの1937年の作曲とあります。Richard Steinは、盗作でレス・ポール氏を訴えたとのこと。このように、どうも謎の多い曲ですが、ロックン・ロールが一世を風靡する前夜に、ユダヤ系音楽家(レス・ポールもユダヤ系)が東欧の音楽をアメリカに流行らせたということは確かなようです。欧州からアメリカに膨大な東欧のレパートリーを持ち込んだ20世紀初頭のクレズマーを思い出させるようなエピソードです。
今日は他のSanie cu zurgalaiの演奏を2本。ロマのブラスとエディット・ピアフの歌唱です。

Sanie Cu Zurgalai

ファンファラ・ヴァガボントゥの演奏と歌。ファンファーレ・チョカリーアと同じモルドヴァのグループでしょうか?

EDITH PIAF- johnny , tu n'es pas un ange

往年のシャンソン歌手エディット・ピアフが歌っていたとは驚き!

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2011年3月 7日 (月)

Johnnie is the boy for me (Sanie cu zurgalai)

昨日のウングレアヌの床運動の曲、すぐに分かりました。例のイスラエル・ゾハルのアルバム「黄金のニグニーム(ニグニーム・シェル・ザハヴ)」の6曲目に収録されていて、今日のタイトルJohnnie is the boy for meがその曲名。
意味ありげなタイトルが気になりますが、早速youtube検索したところ、3本ほどこのタイトルで発見。更には元のルーマニア語タイトルもSanie cu zurgalai(鐘の付いたソリ)と分かりました。英訳が広まっているということは、ロシアの「悲しき天使」のように、英語圏でも歌われてきたのでしょうか。原題では何と425件ものyoutubeがありまして、その中のトップの方からめぼしいところを今日は上げておきます。民謡歌手だけでなく、ブラス・バンドの演奏や、ルーマニア出身のソプラノ歌手アンジェラ・ゲオルギウも歌っていたりと、かなり有名な曲のようです。
この曲、典型的なホラのリズムということになると思いますが、だからクレズマー達も好んで取り上げるのでしょう。ルーマニアン・ホラ特有の躍動感と哀愁味の溢れる良いメロディです。
1本目の解説にあるように、往年のシャンソン歌手エディット・ピアフも歌っていたとのこと。これも非常に気になります。その中で Les Paul & Mary Fordの演奏が英語圏でのオリジナルなのでしょうか。実に素晴らしいです。(歌詞の英訳がyoutube自体にありますので気になる方は直接どうぞ)
往年の大歌手マリア・タナセ辺りも歌ってそうな気もしますが、現在のディスコグラフィをざっと見たところでは見当たりませんでした。

Johnny Is The Boy For Me - Les Paul & Mary Ford (1953)

This is an old Romanian song. The original title is ''Sanie cu zurgalai'' (Romanian for "Sledge with Bells"). Under the the title ''Johnny tu n'es pas un ange" It was also performed by Edith Piaf , Vaya con Dios, Gilda Giuliani, Chantal Câlin, Charlotte Yanni , Candan Erçetin etc. (Information from Romanisipunctum )

Maria Lataretu- Sanie cu zurgalai

民謡歌手マリア・ラタレトゥの歌唱。原題通りの映像です。

MARIA CIOBANU - Sanie cu zurgălăi

ルーマニアの放送局TVRの映像でしょうか。ライブ放送をかけていると、こういう民謡番組をよく見かけます。

Maria Ciobanu (live) - Sanie cu zurgălăi

同じマリア・チオバヌの歌唱ですが、ラウタルの楽団がバックに入った演奏。

Angela GHEORGHIU - Sanie cu zurgălăi (Romanian folk song)

ルーマニア生まれの名ソプラノ、ゲオルギウも歌ってました。

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2011年3月 6日 (日)

ナディアとテオドーラ

ざっとコマネチ関係を見てみましたが、例のCalusul Danceは見当たりませんでした。確かモントリオール五輪後の試合でこの曲を聴いた記憶があります。同じ頃の床運動にルーマニアの選手がよく使っていたもう一つの曲がありましたので、今日はそちらを。この床運動の選手はナディア・コマネチと同じ頃に活躍していたテオドーラ・ウングレアヌです。35年も前のことですが、この2曲は民族色が強く、とても印象に残ったものです。同世代ですから、アイドル的存在として見ていた部分ももちろんありましたが(笑)
今日の曲はルーマニアの民族曲だと思いますが、クレズマーの演奏で聞くことも多い一曲です。クレズマーですとイスラエル・ゾハルの演奏が印象的でした。彼の演奏は前にユダヤ音楽の時にアップしたと思いますが、すぐに見つからなかったので、今日は体操の映像だけですが。

Teodora Ungureanu Floor Ex 1976

Nadia Comaneci Tribute - Nadia's Theme

この音楽は、当時放映されたコマネチのドキュメンタリー番組のテーマ曲でした。これも個人的には非常に懐かしいものです。

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2011年3月 4日 (金)

バログ・カールマン plays コマネチのダンス

次はツィンバロムの映像も見てみようかと思います。この楽器はペルシアのサントゥールが西進してヨーロッパに根付いた楽器の一つで、同じ打弦楽器ですが、サントゥールよりずっと弦は多そうです。ただし調律はペルシアのように4分の1音はないのではと思われます。東欧ではハンガリーとルーマニアが中心ですが、中間に位置するエルデーイでは比較的使われることが少ないようにも見受けられます。この楽器の名手は両国に数多いですが、ハンガリーではCDも沢山出ているバログ・カールマンが第一人者として知られています。
Calusul Danceは、1976年頃に体操選手のコマネチが床運動に使っていた曲です。ビデオの解説によると、ルーマニア南部ワラキアの中のオルテニア地方の曲とのこと。タラフ・ドゥ・ハイドゥークスもこの曲を演奏していたと思います。

Căluşul / Spring time dance ritual

Călușul oltenesc / Ritual dance

ルーマニアの楽士Dumitru Zamfiraによるpipe ("fluier")演奏。タラフの笛の名前もこれでは?

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2011年3月 3日 (木)

ヴォイヴォディナ出身

ライコー・フェーリクス&ヒズ・バンドのライナーノーツ(関口義人氏)を参照しましたら、ライコー・フェーリクスはセルビア北部のヴォイヴォディナ出身ということが分かりました。セルビアの時に書きましたが、ヴォイヴォディナは、ルーマニアのトランシルヴァニアやスロヴァキアの一部と並んで、20世紀初頭までオーストリア・ハンガリー帝国領だったことから、今でもハンガリー系住民の多い所として知られています。シャコンヌをチェロで弾いていたイムレ・カールマンさんもこの地方出身かも知れません。弦楽器名手の多い所なのでしょうか。
ライコー・フェーリクスは、古くはピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団や、日本の田中泯の舞踏の音楽を担当したりと、演劇や舞踏の音楽に関わることが多かったそうです。だからでしょうか、80年代の日本でも大いに流行った(飽くまで一部にですが)この辺の雰囲気を強く感じました。ピナ・バウシュはステージ(「春の祭典」の時)を見たこともあるので、個人的に妙に懐かしい感じを覚えます。
という訳で、3日連続になりますが、今日も彼のヴァイオリン演奏をどうぞ。この人、クラシックの基礎がしっかりあるな、という印象を持ちました。特にスケール(音階)を高速で即興フレーズに織り交ぜるところでしょうか。伴奏のヴィオラ奏者の腕前も驚異的だと思います。リズム・ギターならぬリズム・ヴィオラです(笑)

Lajkó Félix Tokajban

Lajko Felix, Kamfest 2009

Lajkó Félix solo in Wuppertal

ピナ・バウシュの舞台の音楽かどうか分かりませんが、ヴッパタールでの演奏。

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2011年3月 2日 (水)

LAJKO FELIX2

さて今日はブログを書いている時間がほとんどなくなってしまいましたので、昨日に続いてライコー・フェーリクスの映像を色々上げておきます。しかし何でこういうアグレッシヴな音楽をやるようになったのか、そこの所に興味あります。単にハンガリー・トラッドのニューウェーヴのような存在ということなのでしょうか。インタビューに表れている人柄にも鍵がありそうな気もします。ヴァイオリンだけでなく、ツィテラ(ツィター?)を弾いている映像もかなりあって今日はそれらが中心ですが、こちらも同じく猛スピードで駆け抜けるようなプレイ。

Lajko Felix - Scouwling

Oromkoncert 4.3

Lajkó Félix- A madárnak

Lajkó Félix_Remény#08-A pék

Felix Lajko es zenekara - Játék 1

Lajkó Félix interjú

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2011年3月 1日 (火)

LAJKO FELIX

ライコー・フェーリクスは、ハンガリー伝統音楽の革新派、超絶ヴァイオリニストとして名高い人。タンツハーズの流れとは少し外れた存在だと思いますが、やはりこのムーヴメントから出てきた人なのでしょうか? 非常に気になるところです。「禁断のヴァイオリン奏者」などというコメントもありました。どう「禁断」なのか検証できてきませんが(笑)
ノイジーな早弾きの中にブルース的なフィーリングが混じったり、3本目のようにチャールダーシュとタンゴが合わさったような憂い節を聞かせたり、毎回新作が出る度に、まずはチェックせねばと思わせるような、アグレッシヴで魅力的な音楽世界を聞かせる人です。1,2本目は最近作のA bokorbólからのようです。

Lajkó Félix: A bokorból

Lajko Felix - track09 - A Bokorbol / From The Bush

Lajko Felix - El Cavillo

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