塩釜甚句
今日は塩釜甚句。宮城の民謡で紹介できそうなのはこの辺りまでです。囃子のハットセというのが耳につく唄で、「ハットセ節」と呼ばれることもあるそうです。
町田佳声(邦楽研究家で例のキンカンの民謡番組の初代審査委員長)によれば、おそらく九州辺りのハイヤ節が日本海を北上し、太平洋に入って南部アイヤ節となり、南下して塩釜甚句となり、唄の初めのハイヤとかアイヤという囃子を捨ててしまったのでは、とのこと。
港町塩釜にも往時は遊郭が栄え、特に奥州一の宮の塩釜神社の門前町として妓楼が立ち並び、その遊郭で船頭や漁師相手に歌われたのが塩釜甚句でした。そんな艶っぽいイメージよりは、歯切れよさが勝っているのは、船頭衆が持ち込んだ唄だからでしょうか。(2曲目のSPの方はなかなか艶っぽい感じです) この唄が更に南下して潮来甚句や下田節を生んだと推測されるようです。
参考文献は今回も「日本民謡辞典」(東京堂出版)
塩釜甚句
俚謠 ハツトセ
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