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2011年4月

2011年4月29日 (金)

ギリヤーク (ニヴフ)

ギリヤーク(Gilyak)とyoutube検索するとギリヤーク尼ヶ崎という人の映像が先に出てきますので、ギリヤークの自称ニヴフ(Nivkh)と入れるといくつか民俗資料として見れる映像(民謡含む)がありました。伊福部昭の歌曲「ギリヤーク族の古き吟誦歌」やアイヌと北辺の録音に出てくるギリヤーク人の映像を見るのは私は今回初めて。久々の感動です。
ここ数日書きましたが、ギリヤーク語は、シベリア先住の民が多く用いる古シベリア諸語の一つで、この語族の中でも近い言葉はない独立言語のようです。彼らはサハリン(樺太)とアムール川(黒竜江)の下流に住み、伊福部昭(ゴジラの音楽で有名)の歌曲集(カメラータ盤)解説の時点で約4千人ほどという少数民族です。かつては隣あって住んでいたアイヌの文化との関係も注目点です。彼らの民謡に追分的な細かいコブシはなさそうですが、どこか日本の民謡のベースに似た部分があるようにも思います。

Baba Lydia, récits et chants nivkhs.

the unstable language

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2011年4月28日 (木)

カムチャツカの民族

チュクチには口琴や太鼓からシャーマニックな歌唱もこなすパワフルな女性がいましたが、今回は日本との繋がりや何がしかのルーツを探りたいのが主目的ですので、次に行きます。今日はチュクチから南に下がってカムチャツカの先住民の音楽。この半島だけで日本列島より広く、ロシアの広大さを思い知らされます。4000mを越える美しい形の活火山が多いことでも知られていると思います。
民族はイテリメン人(カムチャダール)、エヴェン人、コリャーク人、アレウト人、チュクチ人、ユカギール人とロシア人などがいます。ロシア人以外はチュクチ・カムチャツカ語族に入るようですが、これは古シベリア諸語の一つ(昨日出てきた旧アジア諸語というのは古シベリア諸語の旧称でした)。ロシア人はもちろん、ウラル・アルタイ系民族が来るより前からこの地にいる先住民ということになります。伊福部昭の歌曲で知られる樺太のギリヤーク(ニヴフ)人の言葉もこの古シベリア諸語の一つ。ギリヤークについてはまた明日にでも取り上げます。
1,2本目はカムチャツカの民俗シリーズの内の2本で、3本目は北カムチャツカにいるコリャーク人の踊り。

Kamchatka Part I

Kamchatka x Etnic [part 6]

Koryak People

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2011年4月27日 (水)

チュクチ

大陸と日本の伝統音楽との関連を探るには雲をつかむようなものかも知れませんが、モンゴル~アルタイに固定せず、シベリア東部関係で色々見ている内に何か見えてくるかも知れませんので、少しランダムに当たってみます。今日はシベリアの最東端のチュクチ。アラスカと向かい合っている場所です。この辺りは言語的にはアルタイ系ではなく(もちろんウラルでも)、旧アジア諸語に入ります。シャーマニズムの儀礼が比較的知られているかと思いますが、アルタイ系ではなくても、喉歌や口琴も聞かれます。アイヌとの繋がりが感じられますが、追分のルーツのような歌が聞ける場所ではないようです。
チュクチの音源はPLAYAからありました。Budaのシベリア・シリーズにも若干入っています。プラヤ盤では比較的耳馴染みやすい所もあって、それはロシア化の結果出てきているものでは。

Chukchi Shamanic Ritual from Siberia

Chukchi song "Nunlingran"

Russian Native Siberian Chukchi song

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2011年4月26日 (火)

ブリヤートの音楽

更にモンゴルの北に位置するブリヤートの音楽を見てみました。ブリヤートはロシア連邦内の共和国の一つで、バイカル湖南部周辺辺りになります。シベリア屈指の大きな都市イルクーツクはすぐ北隣になります。
ウィキペディアによると、ブリヤート人は「元来はウラル語派(諸語)に属する南サモイェード諸族であり、シベリアから南下してテュルク化し、最終的にはモンゴル化したという民族で、現在もテュルク諸族に属するヤクート(サハ)人に近い種族といえる」そうです。モンゴル系のイメージを強く持っていましたが、ここでも複雑な来歴が明らかになりました。
つまりハンガリーとも遠縁になるようなルーツを持ちながら、現在はモンゴル化しているということですから、もしや追分的なコブシも聞かれるのでは、というのが関心の的ではあります。いくつか見た感じでは、器楽面ではモンゴルをベースにかなり中国的な趣とロシアの合奏形式の影響が入っているような印象を持ちました。肝心な歌ですが、確かに少し日本の民謡に似ています。
追分的な歌唱はやはり大陸から来たものなのでしょうか。追分は長野・新潟より東が中心ですから、東北が日本(大和朝廷)ではなく、蝦夷だった頃に伝わったのかも知れない、などと想像してみるのは、非常に楽しい空想ではあります。証拠を見つけるのは難しいでしょうが。

Buryatia concert ensemble"Bayar"

Buryatia Folk

Buryat Music

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2011年4月25日 (月)

オルティンドー 追分 馬子唄

いよいよ大陸の音楽との比較です。モンゴルの歌唱では倍音唱法のホーミーが一番有名ですが、その次がオルティン・ドー(「長い歌」の意味)でしょう。拍節のない、コブシ豊かに朗々と聞かせる歌は、しばしば日本の追分や馬子唄に酷似していると言われてきました。対照的に拍節のある歌のことをボギノ・ドーと言いますが、やはりモンゴルの歌と言えば、大らかな遊牧風景が目に浮かぶオルティン・ドーが素晴らしいと思います。オルティン・ドーでは、何度も来日したノロヴバンザドさんが有名です。今日の一本目は小泉文夫氏による世界民族音楽体系収録の映像だったと思います。(埋め込み禁止ですが)
併せて江差以外の追分として、今日は被災地・岩手の猊鼻追分(南部追分系か?)と南部牛追唄を猊鼻渓の船頭さんの唄で、馬子唄の代表的な一曲として、信州の小諸馬子唄を上げておきます。猊鼻渓は北上川沿いの町、一関の景勝地で、私も近くまでは行きましたが、舟には乗らなかったので、残念ながら実演では聞いていないです。

Amazing voice: Norovbanzad

Norovbanzad

小諸馬子唄

名勝 げいび渓舟下り 岩手県一関市

船頭さんの唄うのは猊鼻追分だそうです。囃子文句は江差追分と共通している部分があります。

日本百景 猊鼻渓  船頭さんの南部牛追い歌

震災後何度も取り上げた岩手民謡の代表曲。

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2011年4月24日 (日)

三門順子 追分、白虎隊

一週間ブログを休んだら、すっかり腰が重くなってしまいました(笑) 予定通り、追分~オルティンドーのラインでちょっと見ていましたら、とても懐かしい歌手の映像を見つけました。
三門順子さんは長唄や端唄、詩吟のような邦楽の素養のある歌手で、この凛とした歌い方が私は結構好きです。戦前戦中の歌手で若くして亡くなっていますから、ナツメロ・ファンでも知っている人は少ないかも知れません。4曲の中でNo.1ヒットは「忠義ざくら」ですが、会津の誇りを象徴する白虎隊を歌った2曲目は、タイムリーな内容でしょうか。
詩吟と言うのは、最近の若い方はほとんど知ってる人も少ないのではと思いますが、明治生まれの私の祖父母の世代ではとても人気があって、中でも「鞭声粛々~」で始まる川中島や白虎隊の話はよく聞きました。
三門さんの歌声には古めかしい印象を持つ人が多いと思いますが、それが新鮮と思う方もいらっしゃるのではと思いアップしてみました。こういう歌い方をする人は現在では皆無です。追分月夜は、民謡の追分と言うよりは、リンゴ追分のようなタイプで、忠烈白虎隊と忠義ざくらでは歌詞の間に詩吟が挿まれ、香に迷うは端唄・俗曲そのものです。

追分月夜 三門順子

忠烈白虎隊  三門順子

忠義ざくら 三門順子

香に迷う 三門順子

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2011年4月15日 (金)

新日本紀行

一ヶ月程続けた東北の民謡シリーズ、今日で一まず終えようと思います。最後に、初めて聞く若い方でもどこか懐かしく感じられるであろう名曲を。NHKで1963~82年まで放映されていた新日本紀行のテーマ曲ですが、中学頃からよく見ていた番組ですので、私の場合二重三重に懐かしく、この郷愁を誘う調べにはいつも心打たれます。この困難な時期だからこそ、思わず涙も溢れました。冨田勲氏は故郷の風景を思い浮かべてこの曲を書いたそうですが、メロディとオーケストレーションの素晴らしさは勿論、遠くから聞こえるような拍子木の音が絶妙です。最近はこういう秀逸なドキュメンタリーがほとんどなくなってしまいました。寂しいことです。数年前に放映された「新日本紀行ふたたび」では瞽女さんが特集された回もあったようです。
昔から敬愛する日本文学者ドナルド・キーン氏が、今日TVで「日本国籍を取得し永住することになった」と話されていました。キーンさんは東日本大震災の被害に心を痛め、「大好きな日本に住み続けたい」と決意したそうです。「日本はこの困難を乗り越え、更に素晴らしい国になることでしょう」と語っていて、とても勇気付けられました。千年に一度の大災害とも言われますが、千年前にもそんな修羅場を先人達は潜り抜けてきている訳ですから、私達も出来ないはずはありません。
この曲が描写するような、豊かな田園風景が一日も早く東北に甦ることを祈念して。
明日から数日ブログをお休みしてから、心機一転、民族音楽の方に移動する予定です。

新日本紀行   テーマ曲    冨田勲

新日本紀行のテーマ

新日本紀行 BGM用

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2011年4月14日 (木)

現代の瞽女唄うたい

瞽女関係もいつの間にか色々出てきていますので、少しまとめて上げておきます。現代の瞽女唄うたいとして知られるのは、昨日の3,4本目に出ていた萱森直子さんと、今日の1,2本目の若手民謡家・月岡祐紀子さんでしょう。大分前に月岡笙蘭の名前で瞽女唄「葛の葉の子別れ」他収録の自主盤カセットがありました。「葛の葉の子別れ」は、最後の高田瞽女、小林ハルさん、杉本シズさん直伝の三味線弾き語りでした。「盲目の女旅芸人」瞽女の心をもとめ、数年前に四国八十八カ所霊場を巡礼し、各寺で瞽女唄を奉納されたそうです。(うちの近所にも八十八カ所の幾つかがありまして・・)
しかし、今年2月のライヴ映像を見て、瞽女唄の伝道者振りに更に磨きがかかったなと思いました。盲目の女旅芸人の歌った「日本のブルース」に耳が吸い寄せられます。

20110212瞽女ライブ 0001

20110212瞽女ライブ2 0001

「はなれ瞽女おりん」    岩下志麻, 原田芳雄 ...歌;坂本冬美

映像は瞽女さんについての唯一の映画でしょうか? 瞽女さんを歌った歌謡曲がこの曲以外にも何曲かありました。

瞽女 - Hommage an die Blinden

唄と三味線は月岡さんでしょうか?

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2011年4月13日 (水)

瞽女さん

これまで当ブログに何度も出てきた瞽女についてもyoutubeが色々上がっていましたので、今日は瞽女さんの唄を少し。民謡の伝達者の役割を結果的に果たした瞽女さんは、盲目の女芸人。村々を回って門付けしながら旅をした瞽女さん達や、検校、座頭がいなければ、追分なども全国的に広まらなかったでしょう。東欧の音楽におけるジプシーやユダヤの楽士のような役割を果たしたと言えるのかも知れません。現在も活動する瞽女さんはいなくなってしまったようですが、幸い越後の長岡や高田の瞽女さんの録音が何点か残されていますので、彼女ら「最後の瞽女」の唄をじっくり味わうことも可能です。「葛の葉子別れ」などの段物での瞽女さんの強靭な撥音には、特に驚かされます。筋金入りとはこのことでしょう。

瞽女さんの唄が聞こえる

瞽女(ごぜ)うた6

越後瞽女唄鑑賞会(2010.10.2)

瞽女(ごぜ)うた3

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2011年4月12日 (火)

岡本新内 岡本文弥さん

岡本新内という秋田の民謡がありますが、この名ですぐ連想するのは、100歳過ぎまで活動した新内名人の岡本文弥さんです。江戸浄瑠璃の一つ、新内節はその哀婉極まりない節回しで知られます。岡本新内は新内節に似ているということでこの名が付いたとも言われますが、別な説では、二上り新内に曲調が似ていることから明治になってから命名されたとも言われています。二上り新内とは、江戸後期に流行した俗曲の曲名で、これまた新内節とは直接の関係はなく、新内節に似た情緒を持つため付けられたようです。そもそも新内で二上り(三味線の調弦法の一つ)は上調子(枷で音を上げた三味線)以外ではほとんど出てきませんし、音階的には新内とは随分感じが違います。
これらの諸説や、往年の江差追分にも新内が挿入されることがあったことなどを聞くにつけ、俗曲や民謡において新内というのは何か特別な価値のある音曲と見られていた節があるのでは、と思ったりします。通好みの音曲のイメージは間違いなくあります。何故「岡本」の名が付いているのかも不明のようですが、岡本坊という座頭が歌いだしたためという説が一番有力なようです
youtubeにはこの異色の曲(と言って良いように思いますが)の解説はそこそこ聞けても、岡本新内の全体が収録されている映像がないため、全体像が確認できずもどかしいのですが、2本上げておきます。3本目は岡本文弥さんの語った新内名曲の一つ「明烏」から。
参考文献:正調民謡集一 町田佳声編 (邦楽社)

岡本新内動画(市川団之丞に伝え・・・保存会より)

岡本新内動画(次の世代へ・・・伝承会より)

岡本文弥/新内節・明烏夢花雪 Bunya Okamoto/Shinnai-Bushi

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2011年4月11日 (月)

姉こもさ

悪夢のような大震災から一ヶ月経ちました。午後2時46分に犠牲者に黙祷を捧げたと思ったら、夕方にまたもや震度6弱の地震がよりによって原発の近くで起こりました。一体どこまで不運が重なるのでしょうか。困ったものです。
今回の民謡シリーズは一体いつ終わるのかという流れになってきました。この震災後、東北への、そして日本への愛惜の念が沸々と湧き上がり、民族音楽の方へ戻れないままでおります。追分辺りを手掛かりにそろそろ、とは考えていますが、 今しばらくお付き合い頂けましたら幸いです。
秋田の民謡には、特筆すべき旋律美の曲がいくつかあります。今日の「姉こもさ」もその一つでしょう。有名どころでは、秋田出身の演歌歌手藤あや子さんや、香西かおりさんがよく歌っていました。どういう内容の唄なのか、歌詞からはよく分かりませんが、例の「日本民謡辞典」(東京堂出版)に詳しく載っていましたので、転載しておきます。

姉こもさ
秋田県仙北郡地方のたたら作業の唄。仙北地方の鉱山の採掘は江戸時代から明治にかけてさかんに行われ、同時に製錬作業も行われたが、その時、製錬の人々の間で歌われたのがこの唄だという。床屋と呼ばれる製錬場で作業員がフイゴを吹きながら、その仕事のリズムに乗って唄をうたう。唄は、相手と文句を掛け合わせる掛け唄形式のもので、詞形は神楽唄のそれと通じる。元唄は、岩手県南部地方の鉱山でうたわれた銭吹唄であるらしく、その点では、宮城県の〈気仙坂〉(鋳銭坂)や〈斎太郎節〉などと母体を一つにする。〈姉こもさ〉の曲名は、冒頭の文句から生まれたものである。現在、作業にこの曲をうたうことはなくなったが、踊が生まれて、こちらの方で人気を集めている。すなわち、踊は、すわったまま、左足を前に伸ばして、右手でフイゴを吹くといったタタラ師の動作を振に生かしたもので、座興の芸として人々に愛好されている。
 「日本民謡辞典」(東京堂出版)より

姉こもさ ⁄ 私が歌う民謡・三村美智岡⑩

三味線社長【姉こもさ】

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2011年4月10日 (日)

喜代節

秋田の民謡にはとてもきれいなメロディの曲がいくつかあります。代表的な曲をいくつか上げておきます。その内の一曲、喜代節は「庭に松竹」の箇所の転調が特に美しいと思います。この箇所を聞くといつも、新内名曲「蘭蝶」の四谷の「四谷で初めて逢うた時、好いたらしいと思うたが」の「たが」の節回しを思い出します。三味線弾き語りでしっとり唄うと、この曲特有の高雅なお座敷唄のイメージが高まるように思います。

「喜代節」(秋田)  日本の民謡より
《床に掛け物 七福神 庭に松竹 鶴と亀 これの座敷に 舞い遊ぶ 祝いましたや 鶴の声》
仙北郡の祝い唄。一同、威儀を正し、手拍子を打って斉唱した。元唄は「ざっくら節」と呼ばれた唄で、既に応永年間(1394-1428)に唄われていた。
佐藤松子は、お座敷唄を唄わせるとうまく、しっとりとした情緒がよい。川崎千恵子は民謡調で格調高く唄う。早坂はオーケストラ伴奏で元気よく唄い、桜田誠一(1935-)の編曲が成功しているものの、声に濁りがあり、高音が抜けない。オーケストラ伴奏で唄う民謡は、音域が広くて、声の澄んだ歌手によるものがよい。

喜代節

Japanese Classical Dance Kiyobusi

藤間伊勢掬 喜代節  撮影:松岡竹童

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2011年4月 8日 (金)

秋田荷方節

津軽三味線との競演盤があったように、秋田三味線でも負けず劣らずの華麗な技を聞かせます。そのクラウンの盤ですが、津軽は高橋竹山、秋田は浅野梅若で、ほぼ同世代の名手同士の競演でした。津軽の方は冬の日本海を思わせるような峻厳な雰囲気があるのに対して、秋田の方はどこか大らかでおっとりした感じ、と言えるでしょうか。しかし、秋田荷方節だけは津軽三味線並みのテクニックが盛り込まれた曲だと思います。
この曲のルーツですが、実は新潟にあり、それは荷方という言葉に表れています。元々新潟節だったのが訛って、にかた節となり、荷方という字が当てられたとのこと。原曲は越後松坂で、越後新発田の検校・松波謙良が各地に伝え歩き、遠く江差追分にも関連してくるそうです。津軽の謙良節は、その名の通りで、秋田や富山などに伝えられる荷方節と同じ系統に入るようです。一方、新潟、福島、宮城では松坂の名のまま伝わっていたり、検校が広めたことから検校節の名で広まっている地方もあるそうで、民謡の伝承、伝播の面白さを感じさせるエピソードです。
この曲では、何と言っても浅野梅若の演奏が最高だと思いますが、youtubeはないので、近いイメージの演奏を上げておきます。

高橋希脩 秋田荷方節 唄:小野花子 akitanikatabusi takahasi kisyu

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2011年4月 7日 (木)

あいやとよされ

じょんからを見ましたので、津軽の三つ物と言われる後の2曲、津軽あいや節と津軽よされ節も竹山さんの演奏でアップしておきます。あいやは唄の技巧、よされは、三味線の華麗な技が映える曲だと思います。よされは、同じく三味線が華麗な秋田荷方節と比較したくなる曲です。以下の曲目解説は日本の民謡から。何度か引用している素晴らしい民謡の情報サイトです。よされには新内がアンコとして入れられたらしい点、津軽三つ物の解釈が異なっているのも興味深いです。あいやは人によって外れることもある、ということでしょうか。
先ほど大きな余震が東北でありました。とても心配です。

津軽あいや節 Tsugaru Aiya Bushi 唄 須藤雲栄、三味線 高橋竹山

「津軽あいや節」(青森)
《唄が流れる 津軽の唄が よされ じょんから あいや節》
江戸時代、熊本県牛深(うしぶか)港で唄われていたハイヤ節は、北前船の船頭たちによって各地の港に伝えられた。北前船は大阪から下関を回り、北海道の松前に向かう。「ハイヤ節」は、津軽領では鯵ヶ沢や青森、野辺地(のへじ)などの港へ移入され、港の女たちが酒席で盛んに唄っていた。アイヤは、唄い出しのハイヤがなまったもの。初めは「南部アイヤ節」程度の素朴なものであったが、津軽三味線の伴奏に助けられ、技巧的な唄になっていった。「津軽じょんから節」「津軽よされ節」と共に、津軽の三つ物といわれる。

津軽よされ節 Tsugaru Yosare Bushi 唄 成田雲百合、三味線 高橋竹山

津軽よされ節 Tsugaru Yosarebushi/高橋竹山Takahashi Chikuzan

「津軽よされ節」(青森)
《りんご畑で 別れてきたが 顔が夜空に ちらついて 思い切る気を 迷わせる 未練月夜は 薄曇り》
唄の終わりに”ヨサレソラヨイヤー”と付ける。もとは「黒石よされ」のような七五七五調の短い詩型の唄だった。この種の唄が秋田県鹿角市方面へ入ると、二つ合わせて七七七五調の唄に変えられ、「南部よしゃれ」に発展。それが再び津軽に逆輸入された。瞽女や座頭にとって、七七七五では短かすぎて座が持たないため、字余りの長編ものにした。大正の初め、新内入りと称してアンコ入りの「字あまりよされ節」を嘉瀬の桃太郎が作る。これが現在の「津軽よされ節」で、長編の「よされ節」の場合は”調子変わりのよされ節”と枕を付けてから唄っていた。よされ、おはら、じょんからを津軽の三つものと呼ぶ。津軽三味線に一歩も譲らず、歯切れのよい津軽弁をぶつけていくところが三つものの魅力。東北各地によされ節があり、地名を付けて区別しているが、いずれも津軽地方を巡り歩く遊芸人が唄っていたもの。

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2011年4月 6日 (水)

津軽じょんから節

津軽山唄を見たついでに、津軽民謡の他の映像もちょっと見てみましょうか。
98年に奈良光枝さんの21周忌で弘前を訪ねた際、津軽三味線名人の山田千里氏の経営する民謡酒場「山唄」に寄りました。御大・山田さんの演奏は見ることができなかったのですが、奥様の福士りつさんの歌唱は聞けました。ここで見たライヴは今まで見た津軽民謡の中でやっぱり一番でした。その後、山田さんは亡くなられたので、あの時何とかして聞いておくべきでしたが、バスの時間に遅れるため残念ながら叶いませんでした。
しかし津軽三味線と言えば、山田さんよりも誰よりも、やはり初代高橋竹山が有名です。彼の尺八だけでなく、三味線の方も少し上げておきます。曲は津軽民謡で最も有名なじょんから節です。
津軽民謡の枠を越えて器楽的な可能性を追求するようなここ10年余りの動きには余り興味が持てないのですが、多くの人がイメージする「叩く三味線」に対し「弾き三味線」と形容される竹山さんの深みのある唄う三味線の音には本当に魅了されます。3本目のドキュメンタリーは亡くなった直後だったか、TVで見たことのある映像でした。竹山さんは各国の民族音楽にも大きな関心を持っていたことがよく分かります。

津軽じょんから節  日本の民謡より
越後の瞽女や座頭などが、新潟県の「新保広大寺くずし」を津軽へ持ち込んだ。津軽坊など、盲目の芸人たちがその唄を磨き上げ、さらに黒川桃太郎(1886-1931)、梅田豊月(1885-1952)、白川軍八郎(1909-1962)、高橋竹山(1910-1998)、木田林松栄(1911-1979)などの三味線の名手たちが伴奏を華麗なものとした。明治20(1883)年頃までの節を旧節、昭和初期までの節を中節、昭和3(1928)4年頃から唄い始めたのを新節と呼んでいる。曲名のいわれは不明だが、一説によると、慶長2(1597)年、大浦城主で津軽藩初代藩主為信は、南津軽の浅瀬石(あぜし)城主・千徳政氏(まさうじ)を滅ぼした。為信は、千徳家の墓まであばこうとしたため、菩提寺の僧・常縁(じょうえん)は激しく抗議した。常縁は追われる身となり、遂に浅瀬石川に身を投じて果てる。村人たちは同情して、この悲劇を唄にした。常縁が身を投げた場所を常縁河原と呼び、それが上河原になり、じょんからになったと伝えている。華麗に語る面白さが特徴。

 

津軽じょんがら節 Tsugaru Jongara Bushi 唄 須藤雲栄、三味線 高橋竹山

三味線じょんから(新節)/(初代)高橋 竹山 Samisen-jyonkara / Takahasi Tikuzan Ⅰ

【盲目の津軽三味線演奏家】 高橋竹山

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2011年4月 5日 (火)

祖谷の粉ひき唄

今日は採血したからでしょうか、何か猛烈に眠いので、ブログにも力が入りません。ちょっと私の地元に近い所の民謡名曲を一つ上げておきます。徳島西部祖谷地方の民謡「祖谷の粉ひき唄」は、子供の頃に地元のTVで、魚井の御膳味噌のCMに使われていました。かずら橋を渡るお婆ちゃんがこの唄を一人口ずさみ、その後に「帰りたいなぁ~」という男性のナレーションが入ります。個人的に、前田のドライ餡子のCMと並んで、激しく懐かしさを覚えるCMです。(ローカルな話で済みません)この曲はメロディの美しさから全国区で知られている民謡で、島倉千代子さん他、演歌歌手もかなり歌っていたと思います。数年前に実際にかずら橋に行きましたが、川から相当高く、かずらは太い網状ですから、渡りきるのにかなり勇気が要りました(笑)

祖谷の粉ひき唄

うおいの御膳味噌

何とそのCM映像がアップされていました!

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2011年4月 4日 (月)

津軽山唄

津軽山唄は、岩木川などの奥山から伐り出した木を流す時に樵夫(きこり)たちがうたった唄と伝えられています。岩木川の東と西で旋律が異なり、日本民謡辞典(東京堂出版)では、共に陰旋法のメロディとありますが、今日のyoutubeで聞けるように西通りの方が陰旋法(四七抜き短音階)、東通りは二六抜き短音階(ブルースに似た感じ)では、と思います。西通りは少し吟詠(詩吟)の節に似ているようにも思います。一方、東通りの方は細かい縮緬のようなコブシが入り、どこか把握しがたく西通り以上に極めて難しい唄ではないでしょうか。より古風な東通りと、吟詠のような哀愁を感じさせる西通り。それぞれ個性的で、同じ民謡とは思えないほどです。雲竹さんの例のアルバムでは東と西の節を分かりやすく唄い分け、解説されていました。西通りの方は、有名な演歌歌手が歌った映像もありますので、併せて上げておきます。
南部牛追唄以来、尺八伴奏の独唱にこだわって見ていますが、思い出すのは例えばイランの古典声楽で、繊細なアーヴァーズに最も肉迫できる点で、尺八にも似たネイに優る楽器はないのではということです。(イランの場合は擦弦のケマンチェもよく使われ非常に歌に合っていますが)共に、それぞれの音楽の最高の部分を表現できるスタイルだと思います。残念ながら雲竹&竹山コンビの演奏はyoutubeには見当たりませんが、尺八が竹山さんの演奏はありました。

津軽山唄(東通り山唄)  唄 工藤 竹風 尺八 高橋 竹山

津軽山唄(西通り山唄) Tsugaru Yamauta 唄 白取雲道、尺八 高橋竹山

正調・正統派の津軽山唄(西通り山唄)。唄 白取雲道、尺八 高橋竹山。「津軽山唄」は、「謙良節」と並び青森県も西部の山村で歌われてきた祝い唄です。山の仕事を生業とする人達は、この山唄を歌って山の神に身の安全を祈り、山の木­を伐らせていただいたのでしょう。
「津軽山唄」には「東通り」と「西通り」があります。岩木川を中心とした東西の違いでしょう。「東通り山唄」の方が古くからあるもので、大変古風なメロディです。「西通り­山唄」は、「東通り」を洗練して、ますます哀調を帯びたもので、現在よく耳にするのは、こちらの方です。
歌詞は「ヤァイデァ 津軽 津軽富士ヤエー 大沢小沢の 流れ 流れヤエー 津軽田んぼの 水 水鏡ヤエー 秋の稔りに 頭 頭さがる ヤエー」

細川たかし - 津軽山唄

津軽山唄 美空ひばり

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2011年4月 3日 (日)

成田雲竹 / 高橋竹山

津軽山唄を初めとして津軽民謡の数々を世に出した成田雲竹(1888-1974)さんの貴重映像がありました。彼の動画は初めて見ました。津軽小原節だけですが、山唄に行く前にじっくり味わって頂きたいと思いまして今日は1本だけです。三味線はもちろん雲竹さんが見出した高橋竹山(初代)。津軽三味線という楽器を一躍有名にした人です。
雲竹&竹山の黄金コンビの録音はコロンビアから5枚、キングから1枚ありましたが、いずれも残念ながら廃盤になっています。前者はRAB青森放送のラジオ番組「民謡教室」の音源で、昭和30~44年頃の録音。竹山さんは尺八の演奏も絶品で、津軽山唄でも素晴らしい吹奏を聞かせていました。津軽民謡だけでなく日本中の民謡を唄い解説する雲竹さんの津軽訛りも味があって、廃盤が非常に惜しまれます。

津軽小原節 成田雲竹 / 高橋竹山

八戸辺りで唄われていた〈塩釜甚句〉が津軽地方に伝わって口説(くどき)調になったのが津軽小原節と言われています。

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2011年4月 1日 (金)

南部牛追唄 再び

もう一つの東北民謡の名歌、津軽山唄へ行く前に、岩手の故郷の歌「南部牛追唄」をもう一度見ておきたいと思います。17日に書いたように三陸の物資を運ぶ牛と牛方の旅路を慰める唄だったそうですから、釜石や遠野などはこの唄の中心地ということになるのでしょうか。何度聞いても心に染み入る唄です。
今晩ニュースで聞きましたが、「東日本大震災」と正式名称が決まったそうです。この未曾有の大災害の映像を見ていると、ここまで日本が苦境に立たされているのが不条理にさえ思えます。しかし、非常用ディーゼル発電機の燃料が津波に流されやすいところにあったために、これ程までの大きな被害が出たのも事実のようです。女川原発や福島第二ではより震源に近かったにも関わらず、非常電源の設備が完全だったため、福島第一のようなトラブルは起きませんでした。等々と、このようなことを書くブログではありませんので、本題に戻します。
先日TVで千昌夫さん(陸前高田出身)が、お母様がご無事だったことを涙ながらに語っていました。新沼謙治さん(大船渡出身)のお母様も無事だったそうです。本当に良かったと思いました。しかし、これらの町では沢山の尊い人命が失われてしまいました。行ったことのある所だけに、胸が張り裂けそうな思いです。再度深く哀悼の意を込めて、岩手の心の唄をアップしておきます。民謡名曲ですから、色々な演歌歌手が歌っています。

南部牛追い唄 千昌夫 ( 歌詞漢字譯 )

瞼のふるさと(南部牛追唄)/三橋美智也

南部牛追唄 森昌子 Mori Masako

日本百景 猊鼻渓  船頭さんの南部牛追い歌

舟には乗らなかったけど、猊鼻渓のある一関には行きました。

南部牛追唄

畠山孝一氏の名唱を最後にもう一度。 「東北地方に、復興への祈りを込めて…。」というコメントが早速寄せられています。

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