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2011年4月 6日 (水)

津軽じょんから節

津軽山唄を見たついでに、津軽民謡の他の映像もちょっと見てみましょうか。
98年に奈良光枝さんの21周忌で弘前を訪ねた際、津軽三味線名人の山田千里氏の経営する民謡酒場「山唄」に寄りました。御大・山田さんの演奏は見ることができなかったのですが、奥様の福士りつさんの歌唱は聞けました。ここで見たライヴは今まで見た津軽民謡の中でやっぱり一番でした。その後、山田さんは亡くなられたので、あの時何とかして聞いておくべきでしたが、バスの時間に遅れるため残念ながら叶いませんでした。
しかし津軽三味線と言えば、山田さんよりも誰よりも、やはり初代高橋竹山が有名です。彼の尺八だけでなく、三味線の方も少し上げておきます。曲は津軽民謡で最も有名なじょんから節です。
津軽民謡の枠を越えて器楽的な可能性を追求するようなここ10年余りの動きには余り興味が持てないのですが、多くの人がイメージする「叩く三味線」に対し「弾き三味線」と形容される竹山さんの深みのある唄う三味線の音には本当に魅了されます。3本目のドキュメンタリーは亡くなった直後だったか、TVで見たことのある映像でした。竹山さんは各国の民族音楽にも大きな関心を持っていたことがよく分かります。



津軽じょんから節  日本の民謡より
越後の瞽女や座頭などが、新潟県の「新保広大寺くずし」を津軽へ持ち込んだ。津軽坊など、盲目の芸人たちがその唄を磨き上げ、さらに黒川桃太郎(1886-1931)、梅田豊月(1885-1952)、白川軍八郎(1909-1962)、高橋竹山(1910-1998)、木田林松栄(1911-1979)などの三味線の名手たちが伴奏を華麗なものとした。明治20(1883)年頃までの節を旧節、昭和初期までの節を中節、昭和3(1928)4年頃から唄い始めたのを新節と呼んでいる。曲名のいわれは不明だが、一説によると、慶長2(1597)年、大浦城主で津軽藩初代藩主為信は、南津軽の浅瀬石(あぜし)城主・千徳政氏(まさうじ)を滅ぼした。為信は、千徳家の墓まであばこうとしたため、菩提寺の僧・常縁(じょうえん)は激しく抗議した。常縁は追われる身となり、遂に浅瀬石川に身を投じて果てる。村人たちは同情して、この悲劇を唄にした。常縁が身を投げた場所を常縁河原と呼び、それが上河原になり、じょんからになったと伝えている。華麗に語る面白さが特徴。

 

津軽じょんがら節 Tsugaru Jongara Bushi 唄 須藤雲栄、三味線 高橋竹山

三味線じょんから(新節)/(初代)高橋 竹山 Samisen-jyonkara / Takahasi Tikuzan Ⅰ

【盲目の津軽三味線演奏家】 高橋竹山

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コメント

ドキュメンタリーで紹介されていたので、「岩木」をユーチューブで探して、聴きました。
紹介していただいて、知ることが出来て、よかったです。

投稿: 百本八本 | 2011年4月 7日 (木) 22時48分

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