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2011年5月

2011年5月31日 (火)

サハのホムス1

長く厳しい冬を過ごさなくてはいけないサハの人々の感情が高揚する現場に遭遇したようなスパニッシュの後は、いよいよ国民楽器とされるホムスです。口腔内を様々に共鳴させる玄妙な音色は、春の訪れを告げる喜びの表現そのものと言われます。口琴は世界に数あれど、表現力と音色の豊かさではやはり「口琴の王者」なのでしょう。演奏している時の表情や空気感も非常に大事な要素だろうことは、ヤクーツクのホムス大会の映像を見ると分かります。大地のインスピレーションを感じながら、自然に湧き出るような悠揚迫らぬリズムと音色は実に素晴らしいです。ロシア化後も北アジアの大地に生き続ける「シャーマニズムの心」と言えるでしょうか。
93年にイヴァン・アレクセイエフとスピリドン・シシーギンのライヴを聞きに行きましたが、彼らのような大御所の演奏のyoutubeはすぐには見つかりませんでした。ありましたらまた後日アップします。
ヴェトナムのトラン・カン・ハイの妙技も3本目に上げておきます。この人は世界のどの口琴を弾いても驚異の演奏を聞かせますが、さすがにサハの空気感までは表現するのは難しいでしょうね。やはりサハの冴え渡った(行ったことはないので想像ですが)空の下で聞きたい楽器です。音源情報

Khomus player Fiodorova Natalia

Fiodorova Natalia is nominated as "charming sounds khomus player" on competition "Khomus Kuo" in Jakutsk in 2009.

Khomus player Kulichkina Maria

Kulichkina Maria won khomus player competition "Khomus Kuo" in Jakutsk in 2009.

Tran Quang Hai improvizes with the Yakut Khomus Jew's harp

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2011年5月30日 (月)

Virtuosos of Yakutia

サハで見ていて面白い映像がありました。伝統音楽から離れますが、こんな一面もありということで。
「ヤクーティアのヴィルトゥオーソ達」とも呼ばれるサハの女性中心のヴァイオリン・アンサンブルですが、その演奏の何と情熱的なこと! 演目は一曲目がスペインの大作曲家ファリャのスペイン舞曲(歌劇「はかない人生」中で最もよく知られる一曲)、二曲目はアストル・ピアソラのリベルタンゴで、これはもう説明不要でしょう。どちらもスペイン語圏のパッション溢れる音楽です。冬は世界一の厳寒に閉ざされるサハだからこそ、こういう情熱的な曲に憧れがあるのでしょうか。スペイン舞曲はヴァイオリン・ソロ編曲(ピアノ伴奏付き)はよく知られていますが、それをユニゾンで合奏してしまうとは。今日はこの映像に目が釘付けになりました(笑)
比較例として、サハの西隣のクラスノヤルスクの弦楽アンサンブルの演奏も3本目に上げておきます。こちらは全員ロシア人と思われますが、やはりヴァイオリン奏者は立って、しかも暗譜で弾いています。クラスノヤルスク(音楽学校の弦楽発表会でしょうか?)の方はいかにもロシア的なメロディの室内楽ですが、立って暗譜で、という演奏スタイルには共通性を感じます。

Ensemble of Violinists - the Republic of Sakha

"Virtuosos of Yakutia" Astor Piazzolla "Libertango"

Ансамбль скрипачей муз школа 2 г Красноярск

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2011年5月29日 (日)

サハのテュルクらしさ

サハはテュルク系ですが、イスラームは入ってきていないようです。中央アジア以西のテュルク系ではほとんどがイスラームですから、例外的な存在のような気がします。この北のはずれまではイスラームも広まらなかったということでしょうか。彼らは14,15世紀以降に中央アジアから移動したようです。サハの少数民族に同じテュルク系のドルガン人がいますが、彼らはサハ化したサモエードかツングースだと言われているそうです。(「アルタイ語のはなし」参照)
サハの地では、古シベリア諸族由来のシャーマニズムや、中央アジアのテュルク系諸民族に共通する信仰の一つ、テングリ信仰などの上に、ロシア正教が入ってきているという状況で、人々の名前にはロシアのクリスチャンネームが多いようですが、生活の場では伝統的な宗教が生き続けているとのこと。
サハの民族音楽と言えば、まずイメージするのは、シャーマニズム的な面を直ちに連想させる口琴のホムスだと思いますが、今日はテュルクらしさの感じられる歌関係を数本を上げておきます。こういう民謡の名残のある大衆歌謡にもそこはかとないテュルクらしさがあって、郷愁をそそるメロディもなかなか良い感じです。
サハの旧称ヤクートは、ヤクルトの語源ではありませんでした。ヤクルトは、エスペラント語でヨーグルトを意味するヤフルトという言葉が元になっているそうです。

Sakha Republic of Russia

Suollar (Roads) by Anatoly Burnashev

Varya Larionova - Kyndy Kihim - (Ysyakh)

Yakut Sakha Türk ULUS IRKI Yakutia yaxchileri

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2011年5月27日 (金)

サハとブリヤート

シベリア北東部に位置するサハは、ソ連時代にはヤクートと呼ばれていました。たぶんヤクルトの語源なのだろうと思います。世界最寒冷地として有名で、ベルホヤンスクでの最低気温は70年代には世界一でしたが、今はどうでしょうか。
サハと言えば口琴のメッカとして有名ですが、サハ語がテュルク系に属していることは余り知られていないように思います。今日はサハの初回ですので、ブリヤートとの美観大会ということで、北の大地の余りに美しい景色をどうぞ。バックの音楽も、どちらもそれぞれの民謡調で良い感じです。ブリヤートの国土は35万平方キロでしたが、これは日本より2万平方キロ程小さいだけでした。ブリヤートだけで、ほとんど日本と同じ面積と言って良い位で、改めてシベリアの広大さに驚かされます。

Republic of Sakha (Yakutia)

いくつかの写真はエヴェンキ族のようです。

Buryatia/Бурятия

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2011年5月26日 (木)

ブリヤートのチベット仏教

ブリヤートでは最も古くからのシャーマニズムも盛んなようですが、モンゴル系と言えばすぐに連想するチベット仏教(ラマ教)が盛んなことでも知られていると思います。しかし、ブリヤートはバイカル湖周辺のロシア連邦内の国。シベリアでチベット仏教というのは、いささか一般的なイメージから離れているかも知れません。(隣のトゥヴァにも多いことを知ってる方は不思議には思わないでしょうが) youtubeが幾つかありましたので、アップしておきます。
昨日の「ブリヤートは日本人のルーツと深い繋がりがあったのでは、という記事が散見される」という点ですが、ウィキペディアのブリヤート人の記事には以下のように出ていました。「北米先住民(ネイティブ・アメリカン)や縄文人の遺伝子に近い特徴を持つといわれ、日本人のルーツの一つとして近年注目を集めている。」
追分のような節回しだけでなく、歌の背後にある詫び寂びのような感性は、日本人の感覚にぴったり来るものだろうと思います。それらも遺伝子の近さから来ているのでしょうか。昨日の一本目Gorgeous Buryatia でのブリヤート・フォーク・グループBadma HandaのAba Ezhiin Zakhyaという歌も、実に詫び寂び感たっぷりでした。

New year at Buddhist temple In Buryatia

Medvedev visits Buddhist temple in Buryatia - NTV 082409

Buddhist temple Ivolginsky Datsan in Buryatia

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2011年5月25日 (水)

ブリヤートと日本

ブリヤートは日本人のルーツと深い繋がりがあったのではという記事がネット上に結構あります。音楽的にもモンゴルよりストレートに入ってくる部分が大きいように思いますが、いかがでしょうか。大帝国を築いたモンゴルの、音楽の大きさ、豪快さよりも、ブリヤートではどこか憂いがかっている所とか、ノスタルジックなメロディとか、その辺りが日本人好みのように思います。そんな彼らのルーツは、ハンガリー(マジャール)とも近縁のサモエードで、後にテュルク化、モンゴル化を経て、今はロシア人に囲まれて暮らしているというプロフィール自体が、非常に面白いです。
豪快な芸の方になるでしょうか、倍音唱法がモンゴル化の結果だとしたら、一つ古いテュルク化の段階の共通点はサハとの間に見出せるのかも知れません。一番古い層のサモエード的な面まで見えてきたら、と思いますが、youtube上でそこまで見つかるでしょうか?

Gorgeous Buryatia

Buriad song

Buryad Mongoloi baatarlig huvuud.

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2011年5月24日 (火)

ブリヤートの喉歌と追分風歌唱

ありました! ブリヤートの倍音唱法とオルティンドー的なコブシを聞かせた追分に似た歌声です。追分のルーツと言われてきたモンゴルのオルティンドーよりも、何かもっと日本の民謡に近く感じます。ブリヤートについては4月26日にも少し触れましたので、併せてご参照下さい。
ふと思いましたが、ラマ教(チベット仏教)の盛んな地域(モンゴル、ブリヤート)で追分的な歌唱が聞かれるようですから、もしかしたらチベットにルーツがあったりするのでしょうか。コブシ面はともかく、チベットの民謡にもそう言えば近いメロディラインがありました。と言う訳で、今後はしばらくブリヤートの北のサハ、南のチベットなど、アジア中央部を追分の幻影?を探し求めて彷徨ってみたいと思っています。
演歌のルーツと言って良いでしょうが、古賀メロディの名曲には3拍子が多く、ナツメロ枠で前述したようにメロディ・ラインとテーマでは新内的でも、拍子では韓国の音楽との共通性も見え隠れするようにも思います。こちら方面も平行して検証してみようと思います。

Buryat

buryat duu

Buryat Singer : Amar Mende - "Bridle Ringing" (near Mongolia and China and Tuva)

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2011年5月23日 (月)

モンゴルのウズベク 追分ロード

ホーミーとオルティンドー、馬頭琴ばかりが有名なモンゴルですが、とても大きな国ですから、舞踊においては特に色々なヴァリエーションが見えるようです。今日は内モンゴルのものと思われる団体の舞台と、モンゴルの少数民族ウズベク族のものと思われる踊りを。後者ではペルシアのレングのような8分の6拍子の形が聞こえますし、一本目も昨日の遊牧民的な踊りとはかなり感じが異なります。頭上にお椀状の器を載せている点では、ウイグルとも共通しています。
追分ロードの件ですが、小泉文夫氏がイメージしていたのは、モンゴルのオルティンドーから西へは、中央アジア、北インド、ペルシア、トルコと、シルクロードの中心部に分布するコブシ豊かな歌を指していたのでしょうか。北東アジアで探す限りは、ほとんど近い歌唱技法を見出せないように思いました。日本の追分と、例えばペルシアのタハリール唱法などは、音楽的にはかなり違うと思いますが、コブシを多用するという点においては共通するとも言えそうです。前に奄美島唄のRikkiが世界のコブシを訪ねる番組で、イランでタハリールに触れるシーンがあったのを思い出しました。奄美島唄では裏声を多用するので、その点は共通していると言えるでしょうか。

Mongolian Dance - A Blessing from the Prairie 草原的祝福

This is a Mongolian Dance performed by HAN Chinese(few of them are Mongolian Chinese) in Chinese central television.という書き込みがありました。そういうことなのでしょうか。

Mongolian dance - Uzbek

こちらにはMongolia has an Uzbek minority in her western provinces, especially old times Khovd town. They were called "Chantuu"-s or "Sartuul"s.と書き込みがありました。音楽共々非常に興味深いです。

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2011年5月22日 (日)

モンゴル舞踊

ウイグルの類似の旋回舞踊につきましては、3年ほど前に集中的に見ましたので、そちらをご参照下さい。最近の主目的は、シベリアの諸民族の音楽に耳を傾けながらハンガリー(マジャール)のルーツの西シベリアへ向かう、追分ロードを確認する、の2点でした。後者は結局モンゴルのオルティンドーしかないのかも知れません。(ブリヤートを丹念に調べれば見当たるような気もしています) これが似てるよというのがありましたら、ご教示頂けると嬉しい限りです。
先日ルーマニアのTVRを見ていたら、素朴な農村の民謡(おそらくエルデーイの)が日本の民謡にそっくりに聞こえました。追分のような細かい装飾の入ったテクニカルな歌唱でなくても、音階や発声などで似ている歌唱は意外な場所で見つかります。
今日はモンゴルでまだ見ていなかった舞踊関係です。2本目のユネスコの映像が一番ルーツに近いでしょうか。一本目はバックの楽団の音は中国的に聞こえます。モンゴル語を聞いていて感じるのは、トルコ語と音が似ているなという漠然とした印象です。アルタイ系の3つの柱のもう一つのグループ、ツングース系の言葉はどうなのでしょうか。

Mongolian Dance - Saalichin Bujig

Mongol Biyelgee: Mongolian traditional folk dance

Mongolia dance 长歌长情

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2011年5月20日 (金)

Hungarian-Uyghur folk dance

元はと言えば、震災前はハンガリーの音楽を巡っていました。ウラル・アルタイ繋がりで徐々にハンガリー人のルーツの地、ウラル山脈の東まで回る予定で、大分近づいては来ていますが、一足飛びに俯瞰するような内容の映像を一本目に上げておきます。満州やシボの伝統音楽に関しては、やはり余り資料もないので昨日で切り上げて、シベリア伝いに西シベリアへ回る予定です。
昨日のウイグル・ポップスを見て大分前に上げた秀逸なウイグル舞踊(同じようにお椀を頭に載せて踊る女性の群舞)をまた見たくなりました。今日の二本目は前回と同じ曲ですが、より精細な映像です。ハンガリーとウイグルの舞踊の共通性を指摘する一本目は、とても興味深い設定です。ただ最初のミイラ?が気になります。

Hungarian-Uyghur folk dance

Beautiful Uyghur Dance

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2011年5月19日 (木)

満州語とシボ

満州語とシボ族のポップスらしき映像を上げておきます。満州語の映像は語学レッスン風景です。満州文字はアラム系の文字にルーツはあっても、右から左に横書きするのではなく、モンゴル文字と同じで縦書きするのが特徴。シボの踊り子らしき女性が出てくる映像は、表向きはウイグル・ポップスだと思いますが、この女性がウイグルの少数民族である満州系のシボ族(錫伯族)だとしたら、かなり興味深い映像です。オリエンタルな動きが見られます。
今日はすっかり時間がなくなりましたので、また明日m(_ _)m

Conversational Manchurian Lesson 1

Manchu language lecture (demo) 满文讲义录像

歌舞《巴郎仔》佟丽娅 艾尔肯乐队 Tong LiYa(Xibo girl), Uigur, Uighur, Uygur Music

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2011年5月18日 (水)

満州語の歌

満州の民謡と書かれた映像は結構ありますが、タイトルにそう書かれていても、中国民歌風の歌が多く、メロディも中国的なものが多いようです。満州族は一千万いても、ツングース系の満州語の話者は現在では極めて少なく、消滅の危機に瀕していることと大きく関係していると思います。ですので、なかなか満州語の歌の映像は少ないのですが、若干見つかりました。音の感じでも、シベリアのツングースよりも、モンゴルや中央アジアとの繋がりの方が強く感じられます。一言で言えば、やはり遊牧的と言えるでしょうか。中国語とは全く異なる言葉の響きが聞き取れると思います。
満州文字はモンゴル文字に似ていますが、これはモンゴル文字から作られたためで、この系統を遡れば西アジアのフェニキアやカナンの文字にまで行き着きます。モンゴル文字の元はウイグル文字ですが、ウイグル文字を遡れば、ソグド文字~シリア文字~アラム文字~フェニキア文字~原カナン文字となるからです。
前にウイグルの時に少し触れましたが、新疆ウイグル自治区に現在も住んでいる女真族系統のシボ族(錫伯族)が、満州文字を改良したシボ文字を今も使用しています。

Manchu language song "arki ucun" audio with subtitle

Manchu Song - Profound Affections 白山黑水情意长

こちらはかなり中国的ですが。

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2011年5月17日 (火)

満州族の歌舞

中国の漢民族はシナ・チベット語族、清朝の支配層だった中国東北部の満州族(古くは女真族と呼ばれました)はツングース系で、言葉から見れば全く別系統になります。
満州族の映像はないかと探してみました。予想した通りですが、やはり歌舞は相当に漢化されていて、元のツングース的な所はほとんど残っていないのかも知れません。長い清朝の間に中国化されたのも大きいでしょうが、満族の民族色があってもはっきりと出せないという側面も、大きいのだろうと思います。ウィキペディアに「2000年の人口調査では満族人口は10,682,263人」とありました。遼寧省に過半数が住んでいるようです。(仏Budaから遼南吹打楽の音源が出ていますが満族の音源だったかも知れません)中国の中では少数民族でも、やはりツングース系の中では最大の民族でした。
難しいとは思いますが、シベリアのツングース系との共通性も探ってみたいと思います。

Manchuria

Manchu folk dance traditional minority people ethnic group

Beauty of Manchurian Culture

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2011年5月16日 (月)

離れて遠き滿洲の

昨日はロシアのマンチュリアン・ワルツを上げましたが、日本にも日露戦争中に生まれた有名な軍歌「戦友」があります。この歌でも満州が戦場になっていますから、どうしても対で思い出します。こちらは無数の戦死者への鎮魂曲ではありませんが、兵士の悲しみをリアルに映すメロディと、詩の素晴らしさも特筆ものです。私の場合、明治生まれの祖母が昔よく鼻歌で歌っていて子供の頃から耳に残っていましたが、後に「戦友」という軍歌だと知りました。この歌詞の内容を知った時は衝撃を受けたものです。

不幸な戦争が二度と繰り返されないためにも、この2曲の悲嘆はいつまでも記憶されるべきだろうと思います。

戦友

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2011年5月15日 (日)

Manchurian waltz

ツングース繋がりで満州関係も見てみようと思いますが、その前に、ちょっと?わき道にそれますが、「満州の丘に立ちて」(Manchurian waltz)を見てみます。大分前にロシア枠でアップしたように思いますが、日露戦争の戦死者への鎮魂のワルツとして生まれ、現在もロシアの吹奏楽でよく演奏されている曲です。歌詞がつけられて歌われてもいます。この哀愁に満ちたメロディには、ロシア人でなくとも一聴して忘れられない印象を持つと思いますがいかがでしょうか。クレズマーやジプシー音楽の演奏でもたまに耳にします。
何故この曲を思いついたかと言いますと、実は昨日(5/14)ジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子さんが今治でライヴをされるので聞きに行きまして、予想通り大変感銘を受けましたが、帰ってからyoutubeを見ていたらManchurian waltzの断片らしきフレーズが出てきたからでした。続いてツィゴイネルワイゼン風なフレーズも聞こえます。寺井さんはクラシックの完璧なテクニックを身につけた上で、目くるめくようなモダン・ジャズを展開する稀有な存在で、ジャンゴ・ナンバーや各種スペイン系音楽、タンゴ、シャンソンなどを素材にアドリブで演奏されますが、今日のyoutubeでは珍しく東欧のメロディの断片が聞こえます。東欧やジプシーの音楽を素材に彼女が演奏したらどんな風になるのか、是非今後はこちら方面も聞いてみたいものです。

naoko terai Appassionata
序奏部分にその箇所が出てきます。埋め込み禁止でした

На сопках Манчжурии

"On the Manchurian Hills" (I. Shatrov)

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2011年5月13日 (金)

シベリアのシャーマン

エヴェンキの周辺にはシベリアに特徴的なものが色々出てきます。特に目を引くのは、彼らの天幕状の住居、シベリアン・タイガー、バイカル湖周辺の絶景などでしょう。それらを幾つか上げておきます。シャーマンという言葉がツングースから出ていると言う事は、シベリアはシャーマニズムの発祥地と見て良いのでしょうか。2本目のシャーマンの歌はもしかしたらエヴェンキの映像ではないのかも知れません。(ブリヤートでしょうか?)

Pjotr Starkov - Tanec Slunce (Evenská píseň)

Evenskáの歌とありますので、エヴェンキでななくエヴェンスではと思われます。いかにもシャーマン的な歌です。SlunceがСолнце(ソンツェ=太陽)だとしたら、「太陽の踊り」という意味になると思います。

SHAMANs from Russian Baikal

Reindeer breeders of Northern Baikal. Эвенки на Северном Байкале

北バイカルのエヴェンキ族のトナカイ飼育の様子。彼らの天幕住居が出てきます。30秒辺りの息を呑むような絶景には驚きました。

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2011年5月12日 (木)

Эвенки

ツングースとは、モンゴル、テュルク(トルコ)と並んで、アルタイ系3諸族の一つ。モンゴル高原に西から順にテュルク、モンゴル、ツングース(トゥングースとも)と並んでいて、離合・集散を繰り返していました。テュルクは多くが西へ向かい現在のトルコまで到達しましたが、ツングースは元々いたモンゴル高原とその東の興安嶺の辺りに現在も多くが住んでいるようです。
シベリアで最も人口の多いツングース系民族はエヴェンキのようですが、彼らは現在ではツングースの代名詞的な存在のようです。エヴェンキ自治管区は中部シベリアの非常に大きな面積を占めています。中国東北部のツングース系の満州族はもっと多いのではと思いますが、余り情報が表に出てこないように思います。
今日はエヴェンキの映像を見てみます。彼らは少数ながら中国東北部や、サハリンと日本にも住んでいるようです。彼らの音源は仏Budaのシベリア・シリーズにありました。非常に広大な領域に散らばって住んでいるので、エリアによって音楽もかなり差が出てきているようです。

Прекрасная Аолугуя

Ewenki / Evenks Song 鄂温克族民歌 - 毛傲吉坎河

Evenk round dance : delehintcho

Нелькан1-Эвенки.avi

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2011年5月11日 (水)

オロチ

シベリアのツングース系少数民族の居住地を見てみると、オロチョンは中国の内モンゴルと黒竜江省、オロッコ(ウィルタ)はサハリンと日本(にもいるらしいです)でしたが、ロシアのハバロフスク周辺にはオロチという民族もいて、名前の類似性には誰でも気がつくでしょう。オロッコだけは日本やアイヌからの蔑称のようなものだったようですが。
オロチ(ロシア語でО́рочи)の映像はないか、調べてみました。あったのはロシア人らしきメンバーが演じる現代的なフォークロア風な音楽のみでしたが、解説にИз проекта "Нада биани" (по мотивам орочского фольклора).とありまして、()の中は「オロチの民族音楽のモティーフによる」と確かに書かれています。使われている枠太鼓もオロチのものでしょう。

Амимпи

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2011年5月10日 (火)

オロッコ(ウィルタ)

オロチョンに関しては中国語で鄂倫春族とつづるということだけ分かりましたが、youtubeで資料として見られそうなものは見当たりませんでした。そっくりな名前の民族にオロッコ族がいて、日本伝統文化振興財団の「アイヌ・北方民族の芸能」にもギリヤークと並んで収録されています。解説によると、樺太だけでなく北海道にも若干のオロッコ人がいたそうで、アイヌの隣人として住んでいたことは確かなようです。オロッコは別名ウィルタ族と言って、やはりツングース系の民族。映像は残念ながら音なしでした。併せて伊福部さんの歌曲を参考曲として上げておきます。

樺太オロッコ

伊福部昭 『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』(1949)

この曲は伊福部昭さんが1949年に発表されました大変に美しい歌曲で『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』という曲です。

伊福部昭氏の話によると、サハリン島(樺太)には衰退の一途をたどる土着の先住民が複数いて、そのそれぞれが古い伝承の子守唄を持っているとのことで、この『サハリン島先­住民の三つの揺籃歌』の曲の中ではその内のキーリン、ギリヤーク、オロッコの三種族のものを採り上げて、このような美しい歌曲にしてみたとのことです。

『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』(1949)

1「ブールー ブールー」
2「ブップン ルー」
3「ウムプリ ヤーヤー」

作曲:伊福部昭
ソプラノ:平田恭子
ピアノ:井上直幸

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2011年5月 9日 (月)

オロチョン

アイヌの周辺の北辺の民族にはギリヤークのような古シベリア系だけでなく、ツングース系が多いのですが、オロチョン族もその一つ。ツングース系の代表的な民族は、と言えば、満州族やエヴェンキ族でしょう。
「イヨマンテの夜」と同じ伊藤久男さんが「オロチョンの火祭り」という歌を歌っていましたが、「イヨマンテの夜」がほとんどアイヌ伝統音楽の要素を留めていないのと同様、「オロチョンの火祭り」も元々の中国やロシア領内に居住するツングース系のオロチョンからはかけ離れた歌のようです。オロチョンは「北方民族」を指す言葉として用いられた時期があり、その名残からオロチョンの火祭りと命名されたそうです。オロチョン族自体に火祭りの儀式も無いそうです。
北辺の諸民族と日本との関係を調べていると、たまにこういう不思議なエピソードを見かけるように思います。アイヌの周辺にエヴェンキは確かにいましたが、オロチョンはもしかしたら大分離れていたのかも知れません。

オロチョンの火祭り   伊藤久男

オロチョン娘 三門順子

三門さんがこんな歌を歌っていました。作曲は「同期の桜」の作曲で有名な大村能章

ウデゲ族の村にて

オロチョン族の映像が見当たらないので、アイヌとの共通性も見出されるウデゲ族の映像を一本上げておきます。(以下はビデオの解説)
ドルミンの森のベースからスノーモービルで確か1時間のところ。グバシュウギ村を訪れました。車でもいけないことはないのですが、2-3倍の時間がかかるため、スノーモー­ビルでタイガの冬の森を走り、この村に辿り着きました。
ウデゲ族はナナイ族同様、この周辺のツングース系民族と言われ、日本のアイヌと近い風習を持っています。私はアメリカ・インディアンを想像しました。まさか現在に向かいな­がらの生活が残っているとは思えませんが、何らかの発見を求めてこの地への旅をリクエストしました。

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2011年5月 8日 (日)

コタンの口笛

アイヌ関係を見ている内に、子供の頃に読んだ「コタンの口笛」をふと思い出しました。「アイヌ」と言えば、何よりも先に思い出す話です。小さい頃に読んだ児童文学ですから、詳細はよく思い出せませんが、もの哀しいイメージだけはしっかり刻まれています。
ウィキペディアに解説がありました。
1957年(昭和32年)に発表。アイヌを主人公とした物語であり、日本人(和人)による差別と彼らとの和解などを描いている。 石森延男は当小説で第1回未明文学賞と第5回産経児童出版文化賞を受賞している。
こちらで更に詳しくレポートされています。
映画化もされていて、伊福部昭氏が音楽を書いていました。原作のイメージにぴったりな音楽で驚きました。

伊福部昭 『コタンの口笛』 (1959)

『コタンの口笛』 メイン・タイトル

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2011年5月 6日 (金)

アイヌと縄文 安東ウメ子のウポポ

アイヌの伝承歌はウポポと呼ばれますが、ウポポとムックリの名手として知られた安東ウメ子さんの芸を少し見てみます。ウポポ・サンケなど現代的感性も交えた秀作を残した方ですが、04年に亡くなられました。淡々とした旋律の内に大自然の森羅万象を表現しているような、そんなイメージの浮かぶ歌声です。
アイヌ民族は縄文人の末裔であるという説が有力とされながらも、諸説あって決着はしていませんが、例え違ったとしても、蝦夷の地で隣り合って住んでいたことは確かでしょう。1本目はアイヌと縄文の音楽を合わせる試み。しかし、古代の蝦夷(現在の東北以北の日本)に住んでいたのは誰だったのか、非常に興味深いテーマです。

縄文鼓とアイヌ音楽/土取利行、安東ウメ子、オキ

■立光学舎ミュージックアーカイブ
縄文鼓とアイヌ音楽/土取利行、安東ウメ子、オキ
2002年、香川県県民文化会館で催された「縄文鼓の世界/アイヌソングとの響宴」より
土取利行(縄文鼓) 安東ウメ子(歌) オキ(トンコリ)

安東ウメ子(Umeko Ando) ウタリ オブンパレワ

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2011年5月 5日 (木)

ムックリとトンコリ

今日はアイヌの楽器編。代表的なのは、やはり口琴ムックリと先日登場した弦楽器トンコリでしょう。ムックリは現物が一つ手元にありますが、ハンガリーなどの口琴と違って紐が付いていて、それを引っ張って鳴らすのが特徴で、弁を直接弾くのよりも難しいように思いました。その不自由さがカムイ・ユカラ的な世界を表現できる秘訣でしょうか。
一方トンコリの涼しげな音色を聞くと、いつもマダガスカルのヴァリハ(竹筒琴)を思い出します。この楽器の音色もアイヌの世界観をよく表しているように思います。素朴な楽器にもかかわらず、オキさんの音楽のように、ロックを取り入れた同時代の音楽性にもしっかり馴染む楽器です。

アイヌ民族博物館 アイヌの唄

ムックリ♪アイヌ民族楽器

居壁 太 ムックリソロ

居壁 太 トンコリソロ

とんこり アイヌ民族楽器 OKI

SAKHALIN ROCK

"SAKHALIN ROCK" BY OKI DUB AINU BAND!

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2011年5月 4日 (水)

アイヌのユカラ

岩波文庫から知里幸恵さんの編訳で「アイヌ神謡集」が出ていますが、そのアイヌ民族叙事詩、カムイ・ユカラの日本語朗読がありました。同じ箇所ではありませんが、3、4本目はアイヌ語でのカムイユカラ。アイヌ語の語感と、朗誦のリズムと抑揚がよく分かります。
「銀の滴、降る降るまわりに」が繰り返される下りはとても有名で、忘れ去られようとしたアイヌ口承文学の遺産を日本語訳した功績は計り知れないものがあります。知里幸恵さんは、1922年に翻訳完成と同時に心臓病のため、19歳の若さで亡くなりました。彼女が命と引き換えに完成させた「アイヌ神謡集」は、「アイヌの心」を知るには必須の名作です。

アイヌ神謡集

カムイ・ユーカラの語り

アイヌ語の物語 カムイユカラ いわかほれver.2.flv

カムイユカラ

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2011年5月 3日 (火)

イオマンテとアイヌ・ドキュメンタリー

イヨマンテ(熊送り)は、より正確な発音はイオマンテとなるようです。イオマンテの儀式そのものの映像も結構ありました。「イヨマンテの夜」よりずっと淡々とした印象ではあります。映像で見る限り様々な趣向で執り行われるようです。
熊送りの儀礼はオホーツク文化圏の他民族(ギリヤーク等)から受け継いだようですが、アイヌ語というのは近縁の言葉の存在しない言語で、周囲の日本語、アルタイ系、ツングース系、古シベリア諸語のいずれとも系統の異なる独立言語です。彫が深く髭の濃い風貌から、アイヌ・コーカソイド説まで飛び出す程、外見的な面でも周辺民族と隔たっています。
アイヌ語には文字がないので、口承のユカラに叙事詩語りのような形で言語的、文学的伝統が継承されています。故・萱野茂氏等の録音が何点か出ています。(アイヌWRML)縄文人の末裔とも言われる彼らは、東北以北が蝦夷と呼ばれていた頃に北海道やサハリンを中心に住んでいて、東北にもアイヌ語起源の地名などが沢山残っていると言われます。「津軽」という地名もその一つとどこかで読んだ記憶があります。

Fire Festival Hokkaido of Iomante イオマンテの火祭り

イオマンテ<1>

熊送りの話「イヨマンテ」

イヨマンテリムセ

Ainu, First People of Japan, The Original & First Japanese

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2011年5月 2日 (月)

イヨマンテ

やはり熊祭り(熊送り)の伝統はギリヤーク(ニヴフ)にもあるようですので、昨日の一本目は関連映像ではと思われます。イヨマンテ(熊祭り)と言えば、伊藤久男氏の「イヨマンテの夜」をまず思い出してしまいますが、これは世代かも知れません(笑) 昔の歌謡番組でよく見かけましたが、もの凄い声量に驚いたものです。今日の一本目に、作曲者・古関裕而氏自身の指揮で。古関さんは日本の歌謡名曲を沢山書いた人です。70年代にオールスター家族対抗歌合戦の審査員として、近江俊郎氏などと一緒に出演されていました。今思えば、日本歌謡界の重鎮が揃っていました。
併せてアイヌ民謡を二本上げておきます。3本目はアイヌの伝統楽器トンコリの弾き語りです。
追分のルーツ探訪とはずれましたが、アイヌやその他の北辺の諸民族を当たりながら徐々に西へ移動する予定です。

伊藤久男イヨマンテの夜1975

アイヌ民謡

Ainu Village - Girl singing

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2011年5月 1日 (日)

Нивхи(ニヴヒ)

ギリヤーク(ニヴフ)について、ロシア語で検索するともっと素晴らしい映像がありました。ギリヤークは昔は北海道にも若干住んでいたようですし、縄文人~蝦夷人~アイヌを介して、日本のルーツに入り込んでいる部分もあったりするのだろうか、と思ってしまうような、一部の日本の「ふるさとの伝承」に似通っている部分があるように思えてなりません。縄文時代~古代蝦夷のことは文献も全くないでしょうから、例証は難しいでしょうが。一本目は、アイヌのイヨマンテ(熊祭り)を連想させる映像です。
村上春樹の『1Q84』にギリヤークが登場しているようですが、直接ではなく、登場人物がギリヤークが出てくるチェーホフの『サハリン島』を朗読する、というかたちで登場するそうです。確かヤナーチェクも出てきていたようですし、これは一つ読んでみようかなと思わせるエピソードでした。
Нивхи(ニヴヒ)は、ニヴフのロシア語複数形です。

Нивхи

Nivkhi final

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