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2011年6月15日 (水)

スキト=シベリア(スキタイ~シベリア)

突然のクルド~ペルシア音楽の前はシベリアを巡っていました。この展開は唐突な感じはあると思いますが、スキト=シベリア文化(ウィキペディア明夜航記)という古代の東西の繋がりがあったことを思えば、驚くほどではないかも知れません。スキト=シベリア文化とはいかにもスキタイ~シベリアの略のような用語ですが、「広義のスキタイ文化」を指します。一般にスキタイはヘロドトス以来、イラン系として知られている古代の遊牧騎馬民族で(近年モンゴル系説も出てきたようです)、現在のウクライナからトゥヴァ辺りの南シベリアにかけて勢力を広げていました。隣り合っていた同じイラン系のサルマタイは、後のアラン人や現在の南北オセチアのオセット人とも繋がりがあることは、前に北カフカスの時に触れた通りです。
そのイラン系と思っていたスキタイの文化が、シベリアのアルタイ系諸族の地にまで広まっていたと知った時は非常に驚いたものです。上記リンクのサイトの地図にあるように、東方ではアルタイ系遊牧民(テュルク、モンゴル、ツングース)、西方では印欧語系遊牧民が担っていました。因みに「シベリア」という言葉は、15世紀のジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国とほぼ同じ)の流れを汲むテュルク系民族中心のシビル・ハン国から来ています。
イラン人やインド人の祖先も元はほとんど同じ場所にいた訳で、スキタイ人は南下した彼らアーリア人達より長く(あるいはそのまま?)中央アジアに残っていたグループということになるでしょうか。神秘思想家グルジェフの伝記映画「注目すべき人々との出会い」では、時代は遥かに下りますがこれら東西地域の楽士の競演がありました。イラン、トルコ、モンゴル、ユダヤなどの楽士の競演でした。現在は旧ソ連邦にほとんどが属する旧スキト=シベリア諸民族のそのような交流は、現在でも興味尽きないシーンを形成するように思います。カージャール朝以降、高度に洗練されたペルシア古典音楽よりも、イランの地方音楽やクルド音楽との繋がりはよりはっきり見えるようです。逆に、現在のようにテュルク~モンゴル化される前のアルタイ系民族達は、古代スキタイの文化をも享受していたのでしょうか。その頃にはホーミーや口琴はなかったのかも知れません。

Sarmatians and Scythians - Ancient Iranic peoples



古代のサルマタイとスキタイを描いたドキュメンタリー映画でしょうか。

side khalil alinjad : tanbuorali



このタンブール演奏と歌唱、素晴らしいです。クルド人の祖先は、クルドの間では古代のメディア人とされているようです。古代イランにおいてメディア人はペルシア人と並んで中心的なイラン系民族。同時代ですから、スキタイとの関わりも色々あったようです。

Bolot Bairyshev - Pazırık



アルタイ側の代表として、来日もされたアルタイ共和国のボロット・バイルシェフの演奏を。

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