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2011年8月

2011年8月31日 (水)

夏の名残のサンバ

今日で8月も終わりです。いつも暑さにうんざりしながらも、夏が終わっていくのは何処か寂しいものです。
実はサンバのバトゥカーダのリズムが大好きで、松戸にいた頃はほとんど毎年新松戸と馬橋のサンバを見に行っていました。浅草のカーニヴァルを見に行ったこともあります。一時はバテリアの中に入って叩きたいと思った程で。踊り子のお姉さん目当てという訳ではありませんので(笑) 比較的目立たないけど、歌の素晴らしさも見逃せないです。
パレードが段々と近づいて、去っていくあの感じは、夏に似ています。去った後のサウダーヂ(と言って良いのだろうと思いますが)がたまらないです。ブラジルの大作曲家、ヴィラ=ロボスの作品にも、よく同じような感覚を覚えます。
阿波踊りの追加情報です。26日8時頃NHKで阿波踊り特集番組がありましたが、阿波踊りのルーツとされる津田の盆(ぼに)踊りが出てきて、その一部は例のドキュメンタリーと同じ映像だったと思います。篠笛で「祖谷の粉ひき唄」も出てきました。この曲については4月5日に取り上げました。

サンバ 第30回 浅草サンバカーニバル FullHD

リオのカーニバル最高潮、サンバパレード
やっぱり本場のサンバは凄いです。

別れのサンバ・長谷川きよし

この人の演奏は、30年余り前にスパニッシュ調の曲で驚いたことがありました。つい先日ナツメロ番組で見かけましたが、更にギター独奏に凄みが増していました。こちらも素晴らしい。

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2011年8月30日 (火)

山中節

新潟、富山の民謡を見てきましたので、石川の山中節はいかがでしょうか。おわら、帆柱起し音頭、おけさ、相川音頭(これは数年前ですが)と来ましたので、これでこの辺の民謡名曲が出揃った感があります。山中節は個人的に非常に好きな民謡の一つで、特に三代目米八さんの淡々としながらも艶っぽい歌声が耳に残っています。今日の一本目がその録音ですが、これは日本伝統文化振興財団の決定版 日本の民謡 [Disc 2]に収録されています。
以下解説は「日本民謡辞典」(東京堂出版)より
石川県の南部の福井県寄りに続く温泉郷を中心に歌われる三味線調のお座敷唄。漁師や船頭が北海道から持ち帰った江差追分が変化したなどと言われているが、元来は古くからこの地方にあった盆踊甚句で、七七七五調の三句目以下を繰り返すといった、テンポの速い、節回しの簡単なものであったのが、浴客相手の座敷唄に用いられて変化してきたもの。「薬師山から 湯座屋を見れば シシが髪結うて 身をやつす」は近世の流行俗謡の「高い山から 谷底見れば 瓜や茄子の 花盛り」の類型のひとつ。シシは浴客相手の遊女のことだが、近年猪とこのシシをもじって「鉄砲猪踊」と呼ぶテンポの速い賑やかな唄が酒席の騒唄として用いられだした。

山中節

山中節  小唄勝太郎

東京音頭で有名な勝太郎さんの録音もありました。

うめ吉 "山中節"

現代のお座敷唄の名歌手、うめ吉さんの映像も

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2011年8月29日 (月)

おけさ名唱集

佐渡と言うより、日本民謡の代表的な一曲として知られる佐渡おけさは、元は九州のハイヤ節が越後に伝わったものがルーツと言われます。ですので、越後のおけさというのも節が少し違った形で存在します。幾つかyoutubeを見てみて、歌謡曲~フォークソングの歌手が歌ったものがかなり面白いと思いました。それと古いSP録音にも素晴らしい歌唱がありました。
佐渡おけさは、村田文三さんの歌で一躍広まった民謡で、3枚組の音源も出ていますが、それよりは後の録音でしょう。たまたま先日NHKFMの「日本の民謡」で三隅治雄氏が解説されているのを聞きました。村田さんの声量は凄まじく、何とふすまがびりびりと振動するほどだったそうです。

佐渡おけさ 山崎ハコ

何とあの山崎ハコさんが! しみじみと素晴らしい節を聞かせます。

ちあきなおみ 佐渡おけさ

70年代以降の実力派歌手の一人、ちあきなおみさんも歌っていました。ナツメロになりますが、彼女の「別れの一本杉」なども絶品でした。

俚謠 撰鑛場おけさ(佐渡金山)

『資料日本民謡集』の解説冊子より引用
佐渡おけさ・選鉱場おけさ
佐渡の西側,それも大佐渡の西端に開けた鉱山町相川の鉱夫たちが,八月十三日より三日間,おこなわれる『鉱山祭』の流し踊りの唄にとうたってきたのが,この「佐渡おけき」­である。
この唄の源流は,九州は天草の牛深生れの「ハィヤ節」で,それが日本海を往来する一枚帆の帆前船の北前船の船乗りたちによって,佐渡の風待ち港であった小木の花柳界へ持込­まれ,酒席の騒ぎ唄である「小木おけさ」となった。しかし当時はまだもちろん「おけさ」などとは呼ばず,単に「ハンヤ節」であった。その小木の「ハンヤ節」が,花柳界へ出入りす­る島民たちによって,佐渡の西側一円に広められ,酒盛り唄として広くうたわれるうち,いつしか鉱夫たちによって相川金山にも持込まれ,鉱石を選り分ける選鉱夫のうたう「選­鉱唄」となった。これがのちの「選鉱場おけさ」である。
ところが明治二十九年十一月に,それまで国営であった相川鉱山が民間に払い下げられることとなり,そのお祝いが翌明治三十年八月十三日より三日間,盛大におこなわれた。そ­の折,先の「選鉱唄」の「ハンヤ節」が,相川鉱山の人々によって「選鉱踊り」と名を改められ,花藺笠を被って町を踊り流す,『鉱山祭』用の唄になった。それ以後,この『鉱­山祭』は恒例化したのである。明治三十二年,尾崎紅葉がこの『鉱山祭』を見物した折は,まだ「選鉱踊り」であったが,それからまもなく,越後側の「おけさ」の人気にあやか­るため,「おけさ流し」と改名,相川町に伝わる「おけさ」という意味で「相川おけさ」とした。
大正十三年六月十日,相川町の有志によって『立浪会』という民謡団体が結成され,「相川音頭」とこの「相川おけさ」の普及にのり出した。その時の唄い手が,相川鉱山の鉱夫­長で,.明治十五年一月一日相川町五丁目浜町生れの村田文蔵であった。そして大正十五年七月,ニッポノホンレコードに先の二曲を吹込む折,レコード関係者が相川という地名­では世間一般への通りが悪いという理由で,「佐渡おけさ」とここに改名した。唄はもちろん村田文蔵であったが,この人がそれまでの「選鉱節」の節廻しに手を加え,今日の「­佐渡おけさ」に整えあげたので,後に,立浪会はこの「佐渡おけさ」の母胎である「選鉱唄」を「選鉱場おけさ」の名で,「佐渡おけさ」のあとに,それも早間の唄にして加え,­演出として,曲に変化をもたせるようにした。それだけに「選鉱場おけさ」は,相川鉱山時代そのままという訳にはいかず,むしろ「佳渡おけさ」を意識して,無理に旧節を作り­あげたようなところがみられる。
そうした「佐渡おけさ」は,その後,立浪会の活躍で,島の盆踊り唄として,広くうたわれるようになっていった。

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2011年8月28日 (日)

佐渡おけさ

26日の首都圏は猛烈なゲリラ豪雨に襲われたようです。こちらでも昨晩は爆弾でも落ちたのかと思うような強烈な雷雨で夜中に起こされました。土日とも昼間は晴れていたのにも関わらず。全く異常な天気だと思います。
気になるのは、この天気の中開催されたラアナーイー・ファミリーの公演。26日と今日28日の二日だったからですが、どうだったのでしょうか。
ラアナーイーも他にはyoutubeが見当たらないので、取り合えず佐渡の代表的な民謡、佐渡おけさをアップしておきましょう。一定の年齢以上の方は、何より笑点のこんぺいさんの歌で記憶に残っているかも知れません(笑) しかし、佐渡と言えばまず第一に名の上がる民謡で、二番手が何年か前に取り上げた相川音頭でしょう。鼓童やその母体の鬼太鼓座も演奏していたのでは。おけさの詳細は、明日また少し。

佐渡おけさ

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2011年8月25日 (木)

ラアナーイー・ファミリー&鼓童 @佐渡

昨日「ウルヴァン」の話が出たところで、突然ですがイラン関係&和太鼓です。突然ではありますが、意外に自然な組み合わせであることが、昨日のエピソードからも、直接今日の映像を見てみても、お分かり頂けるかと思います。
6月12日のブログでアップしました通り、ラアナーイ・ファミリーのコンサートが明日26日と28日に東京であります。その前に行われました、19~21日の新潟・佐渡でのコンサートの模様がユーストリームで月末まで公開されていますので、今日はこちらをアップしておきます。9月以降は見られませんので、ご了承下さい。
今日少し見てみましたが、鼓童の力強い和太鼓の合間にラアナーイー・ファミリー&慶九さんの演奏が所々出てきます。中でも、ナーゼリーのMotrebe Mahtab Rouを思わせるような、パッション溢れるタンブール合奏のクルド・ナンバーに激しく耳が反応しました(笑) 鼓童の演奏も、和太鼓だけでなく、木遣りと思われる無伴奏の独唱や合唱が素晴らしいです。江差追分で有名な浜田喜一(初代)さんが有名にした富山の民謡「帆柱起こし音頭」も聞けました。こちらはおわら節と同じ越中富山で、佐渡の近くと言えます。
今回のツアーですが、先日内子に行った際に愛媛の内子座でも9月に公演があることにチラシを見て知りましたが、出演は鼓童だけでした。やはりラアナーイーも一緒に地方までは来てくれませんね(ToT)
なお、26、27日はブログをお休みします。m(_ _)m  その間、じっくり佐渡公演をお楽しみ下さい。

http://www.ustream.tv/channel/earth-celebration-2011

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2011年8月24日 (水)

urvan→盂蘭盆

お盆の正式名称「盂蘭盆」は、サンスクリットの「ウランバナ」から来ていることは比較的知られていると思いますが、そのまたルーツは、と言うと古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が有力になっているようです。一方、何年か前にTVでソグドの遺跡を取材した番組で出演されていた加藤九祚教授は、ソグド語には「お盆」のルーツに当たる「ウルヴァン」という言葉がある、とクイズの答えとしておっしゃってました。ソグドもイラン系ですから、古代から中世まで中央アジアのイラン系民族の間で使われていたのでしょうか。古代イランのゾロアスター教(拝火教)の文化が仏教に及ぼした影響というのは、勿論これだけではないようです。西のユダヤ教やキリスト教への影響も見逃せないもので、旧・新約聖書の中に表れています。(ここでは触れませんが)
そんな東西の繋がりを遠く感じながら、お盆の大文字焼きなどの送り火や、おわらでの提灯?などを眺めると、確かにしっくりとイメージがわいてきます。例の徳島のドキュメンタリーに出てきた阿波踊りのルーツ、津田の盆(ぼに)踊りでは、確か迎え火が焚かれていました。「おとう、もんといでよ~」と海に向かって叫んでいました。南国徳島でのストレートな愛惜の表現に対して、実に奥ゆかしいというか、リズミカルではないけれど、おわらのストイックなまでの様式美も凄いなと思います。

2009おわら風の盆(深夜の町流し)

おわら風の盆 午前2時

おわら風の盆 午前5時

夜明けの「おわら」

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2011年8月23日 (火)

おわらの節

おわらに関しては、実際に八尾の町を踊り歩いている所や、歌い手や楽器がはっきり見える方が良いと思っていました。そういう映像もありました。若手の素晴らしい歌手です。こういうのを見ると、場の雰囲気がリアルに伝わってきます。
このジェットコースターのような急激な温度変化と熱帯のようなスコールのためでしょうか。今日はここまで書くのが限界でした。夏バテ真っ最中のようです(笑) m(_ _)m

越中おわら節 故・伯育男   唄:寺崎美幸 撮影:川崎百合子

越中おわら節 瑞龍寺にて 川崎百合子 Yuriko Kawasaki

越中おわら風の盆

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2011年8月22日 (月)

越中おわら 風の盆

近頃夏バテ気味で一日飛びました。盆踊りを見ていましたので、時期は少し早いですが、越中おわら風の盆も見ておきましょう。風の盆は毎年9月1~3日に催される富山県八尾の盆踊りで、その盆踊り唄である越中おわら節のメロディもテレビなどで大分知られてきたのでは。個人的に05年までは、新内の会でジョイントコンサートすることもありましたので、間近で見る機会が何度もありました。特徴的なのは胡弓の存在でしょう。日本の音楽で擦弦楽器の胡弓を使うのは、他には一部の地唄くらいだと思います。この独特な艶っぽい音色と、女性の踊り姿の優美さ、それが一番の注目ポイントです。おわら節の甲高い調子と、江戸浄瑠璃の一つ新内節の裏声も多用する高い調子は通じるものがあります。メロディ的には、民謡音階と都節の違いはありますが、どちらも繊細な日本的情緒を湛えた唄です。おわらは、時期的なものでしょうか、どこか涼しい夜風を感じさせます。音源はこちら

富山県八尾町 おわら風の盆 天満町

越中おわら節

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2011年8月19日 (金)

郡上踊り

日本三大盆踊りの3つ目は、岐阜の郡上(ぐじょう)踊り。郡上八幡宮で開催される盆踊りです。こちらも国の重要無形民俗文化財に指定されています。郡上節の由来には、一説には伊勢音頭の流れを汲むところがあるそうです。曲目には〈川崎〉〈春駒〉〈三百〉〈松坂〉〈甚句〉〈騒ぎ〉〈猫の子〉〈ヤッチク〉〈ゲンゲンバラバラ〉の9種類があり、川崎が特に有名。〈松坂〉というのが瞽女さんなどが歌っていた松坂と関係があるのか気になります。〈春駒〉もよく聞く名で、年頭の門付け唄にも春駒がありますが、直接の関係はないようです。
郡上踊りは7月から9月まで盛大に踊られ、特に8月13日~16日は、明け方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会(徹夜踊り)」があって、観光客は数十万人に達するとか。踊りのステップと手の動きは軽快で、ぱっと見はいかにも盆踊りの典型という感じですが、複雑で難しそうです。大勢が踊ると、さぞ壮観なことでしょう。

郡上おどり「かわさき」Gujo Odori - Kawasaki

郡上おどり「春駒」 Gujo Odori - Haru Koma

郡上おどり「松阪」Gujo Odori - Matsusaka

郡上おどり「げんげんばらばら」Gujo Odori - Gen Gen Bala Bala

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2011年8月18日 (木)

西馬音内盆踊り

まず昨日の補足から。瀬戸内寂聴さんが「モラエス恋遍路」という浄瑠璃を書かれていて、単行本も出ています。この人形浄瑠璃、見てみたいものです。youtubeがあればと思いましたが、なかったので、浄瑠璃テキストのリンクを貼って、一まず阿波を後にしようと思います。
日本三大盆踊りは、阿波踊りと、岐阜の郡上(ぐじょう)踊り、秋田の西馬音内(にしもない)盆踊りで、まずは秋田の西馬音内盆踊りから。今回調べるまでは、阿波、郡上と来てもう一つには、富山の越中おわら風の盆が入るのかと思っていました。風の盆は開催が9月に入ってからなのも、外れている理由としてあるのでしょうか。
西馬音内盆踊りは、毎年8月16日頃に秋田県雄勝郡羽後町西馬音内で開催される盆踊りで、国指定の重要無形民俗文化財となっています。女性の編み笠は阿波と違ってほとんど顔を覆っていますが、とりわけ特徴的なのは目以外顔を覆っている黒い頭巾でしょう。これは一目で見る人にミステリアスな印象を与えます。この黒い覆面は、ひこさ(彦三)頭巾と言って、亡者を連想させるものです。笛の音はひゅーっと涼しげで、どこか北国を連想させますし、松明はまず南国では夏に燃やせないですね。逆にどこか東北的に大らかでユーモラスにも聞こえる囃子言葉が、一番全国的に知られているでしょうか。

2009 西馬音内盆踊り(国指定重要無形民俗文化財)

西馬音内盆踊り2010

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2011年8月17日 (水)

モラエスと徳島

モラエスについての映像が2本ありました。例のNHK徳島のドキュメンタリーで旅人として出演されていた藤原正彦氏は、「八甲田山 死の彷徨」などの山岳小説で有名な新田次郎氏の次男ですが、新田氏は未完に終わった『孤愁 サウダーデ』という作品を残していて、その経緯があってのポルトガルと徳島訪問だったようです。新田氏が何故モラエスに関心を持ったのか、も興味深いですが、モラエスはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と並んで、明治・大正期の日本を真に捉え、西洋に紹介した作家ですから、「国家の品格」を書かれた藤原氏としては二重に関心を持たれたのでしょう。絶筆になった父の「孤愁」(何と秀逸な訳語でしょうか!)を完結させることも計画されているようでした。

神戸にいた頃に芸者をしていたおヨネさんを見初めた話、不治の病に苦しんだおヨネさんは臨終の際、しっかりとモラエスの手を握って亡くなったこと、彼女の没後その故郷徳島に移り住み、ヨネの姪である斎藤コハルと暮らすが、コハルさんにも先立たれること、愛する二人を失った後も徳島に残り、時に老いた「西洋乞食」とさげすまれながらも、二人の愛する阿波女性の供養を続け、孤独の内に没したというエピソードに、深く感じ入りました。感動を禁じえなかったです。
現在モラエスとおヨネさん、コハルさんの墓は、徳島市内の潮音寺に並んで立っています。(こちら参照)

『孤愁 サウダーデ』ですが、絶版のようです。モラエスは「徳島の盆踊り―モラエスの日本随​想記」 (講談社学術文庫)という本も書いていますが、これも絶版のようで、残念です。(以下はグーグル・ブックスの書評

徳島の盆踊り: モラエスの日本随想記
本書は、モラエスが終の栖と定めた徳島から祖国ポルトガルの新聞に連載した記事をまとめたもので、一市井人の眼で捉えた大正初期の日本人の生活と死生観が讃嘆をもって語られる。殊に死者を迎える祭り「盆」への憧憬は、孤愁の異邦人に愛しい死者との再会を夢想させる。吉井勇が「日本を恋ぬ悲しきまでに」と詠じたモラエスの「日本」が、現代の日本人の心奥に埋没した魂の響を呼び起こしてくれる。

モラエス館 - 地域情報動画サイト 街ログ

モラエス

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2011年8月16日 (火)

娯茶平

今年の阿波踊りは15日で終わりました。阿波踊りでもサンバでも、祭の終わりにはサウダーヂのような、火が消えたような寂しい気持ちを覚えてしまいますが、皆さんはいかがでしょうか。「ぞめき弐」に入っていた蜂須賀連以外の連も少し見ておこうかと思いました。王者とも言われる、娯茶平(ごじゃへい)他、幾つかの連が出ていますが、きりがないので今回は一まず娯茶平のみにしておきます。彼らの演奏は、打楽器のみに偏ることなく、一本目など見るとステージ芸術として出来上がっているなと思います。長唄「勧進帳」の三味線が出てきたり、邦楽ファンをニヤリとさせる趣向が埋め込まれている所もあります。

娯茶平

21年11月17日、阿波踊り会館。連員300人を超える大きな連です。正調のお囃子に低い姿勢ですり足で踊るのが特徴です。ピチチピチの女性のはっぴ踊りはちびっこのと­きから踊っているので20歳台でキャリア20年を超える人もいます。いやはや、すごいです。

2011 はなはるフェスタ 娯茶平連

冒頭に「さくらさくら」、3分過ぎに勧進帳のあの派手な三味線、後半には徳島の新民謡「阿波風景」の一節が登場。

阿波踊り2009_娯茶平

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2011年8月14日 (日)

蜂須賀連

時々アップが飛ぶかもと言いながら、11日から全く書く余裕がありませんでした。この間にカタログ発行完了し無事投函しました。お送りしているお客様で、数日中にもし届かなかったらご連絡下さい。
夏休み中ですが、ちょっと時間が取れましたので、さっとアップしておきます。
本場徳島では今正に阿波踊りが開催されています。例のキング盤ですが、私が持っているのは97年リリース盤ですが、同じ音源が00年と02年に出ているようです。CD自体に録音日付がないので97年が初出だったのかどうかは不明です。そのキング盤とぞめきシリーズの両方に出ているのが、今日の動画の蜂須賀連。正調の阿波踊りを伝える連として知られています。奥ゆかしい、しっとりした女踊りに魅了されます。
youtubeのコメントに「蜂須賀家の家紋は卍(仏教の記号)で、カギ十字とは反対向きです­。でも、ヨーロッパ遠征の時は、誤解を避ける為に衣装から卍を外し­て行ったとか・・・・」とありました。確かに着物にマンジが入っています。

徳島 阿波おどり 蜂須賀連(1) 2010.08.14

徳島 阿波おどり 蜂須賀連(2) 2010.08.15

阿波踊り(Awaodori)~2009年徳島 蜂須賀連 女踊り~

阿波踊りの華、女踊り。

はちすか連・フィナーレ

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2011年8月10日 (水)

津田の盆(ぼに)踊り2

盆踊り本来の形をとどめる「津田の盆(ぼに)踊り」は、阿波踊りのルーツと見られていて、リズムから楽器の手から何からそっくりですが、「阿波踊り」とは言わないようです。「よしこの」のような高く張り上げる唄でない所は確かに違います。youtubeには4本ほどありましたので、残りをアップしておきます。
昨日の一本で歌っていたご婦人ですが、おそらく「徳島阿波おどり 正調連 ぞめき弐」に収録されていた津田の盆踊りの歌手と同じ方ではないかと思われます。モラエスのドキュメンタリーに出てきたのも同じ人だったような気がします。
今日の一本目のコメントにこんな興味深い意見がありました。「昔、津田は漁師町で、漁師が岸(オカ)に上がると、どうしよ­うもない者が多く、九州からしっかりした嫁を世話してもらっていた­家が多かった関係で、ルーツは琉球>牛深>津田>阿波踊り と勝手に思っています。」
一本目は映像の状態は良くないですが、今日の3本の中で一番良いと思いました。「おとー、もんてこいよ~」(お父さん、帰ってきてよ~)の、涙腺を直撃する言葉は聞こえませんが、そこはかとなく映像から伝わってきます。

2007徳島阿波踊り 津田盆踊り

津田の盆(ぼに)おどり

津田盆(ぼに)踊り

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2011年8月 9日 (火)

津田の盆(ぼに)踊り

例のモラエスのドキュメンタリーで見た、亡き夫の霊を「もんてこいよ~」と呼んでいた阿波踊り唄が、何とも切なく忘れられなくて、探してみましたら、ありました。そのドキュメンタリーと同じ映像ではないと思いますが。今日は時間がなくなったので、また明日続きを書きたいと思います。
なお蛇足ながら、モラエスと言うと音楽ファンの方は、まずボサノヴァの巨匠ヴィニシウス・モラエスを思い浮かべると思いますが、明治~大正期に日本に赴任し、最愛の日本人妻「おヨネ」さんの故郷、徳島で亡くなった外交官、文筆家のヴェンセスラウ・デ・モラエスのことです。私も最初ヴィニシウスかと思った一人でしたが、徳島ではおそらく誰も知らない人がいない程有名でしょう。おヨネさんとの出会いから最期を看取った話にも深く感銘を受けました。この話も出来れば続きを後日。
もう一つ、昨日の内容の訂正ですが「21年位前にクラウンから阿波踊りの現地実況録音」と書きましたが、現物が出てきまして、メーカーはキングで1997年のリリースでした。(ねぶたの方のデータは合っていました) タイトルは「現地録音 長編 阿波踊り」ですが、何分古いのでおそらく廃盤でしょう。
最後にお知らせです。13~15日の正にお盆の間ですが、当ブログはお休み致します。また、28日くらいまでは、他にも急にアップが飛ぶ日があるかも知れません。一言お知らせしておきます。 m(_ _)m

津田の盆(ぼに)踊り

津田の盆踊り
撮影は2010年8月津田中学校で行われた子ども夏祭り大会での様子です。

夫を海で亡くした妻が人形を背負い、海岸に行き迎え火を焚き「おとー、ぼに(盆)が来たぞ~ もんてこいよ~」との声かけ合図で踊り始めます
ご存じの阿波踊りのルーツ的なぼに踊りですから、徳島市指定無形民俗文化財に選ばれております。

金太郎が現在住んでる津田町は漁業の町で、この地伝わる盆踊り、沖で遭難した人に捧げる精霊踊りです。

今年も8月15日
徳島市立徳島城博物館内、旧徳島城表御殿庭園で踊り夜は津田町内でも踊ります。

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2011年8月 8日 (月)

よしこの節

阿波踊りと言えば、鉦や太鼓の作り出すリズムも魅力ですが、三味線のシンプルな動きと絶妙に絡まる唄「よしこの」の魅力も大きいと思います。ほとんど三味線と関係ないようにすら聞こえる飛躍した音程で甲高く、長~い音符でコブシを入れて歌われる歌は、非常に印象的なものです。こういう型破りな民謡は他に記憶もありません。
youtubeには「よしこの」を明瞭に捉えた映像が意外に見つかりません。ぞめきシリーズも隈なくは聞けてないのですが、21年位前にクラウンから阿波踊りの現地実況録音(同シリーズで「青森のねぶた&弘前のねぷた」も出ていて手元にありましたが、阿波踊りの方が行方不明)が出ていましたので、それには入っていたと思います。古い名歌手の録音と、ミディで三味線と「よしこの」の節を抽出したものが辛うじてありましたので、それをアップしておきます。ミディの方は少し節が違うように思いますが。思えば、サンバでも踊り子と各種打楽器隊の派手さに目が行き勝ちですが、カヴァキーニョ伴奏の歌が中心にあるのではないかと思いますので、ここでも相似的に似ていると言えるのかも知れません。
以下の阿波踊りの解説文は、3月にも頻繁に引用しました「日本民謡辞典」(東京堂出版)から。

阿波踊り 徳島県一帯の盆踊唄。「阿波よしこの節」「気違い踊」とも言われる。

天正十五年(1587年)、蜂須賀家政が阿波の国主として入城した折、それを祝って領民達が踊り始めたと伝えられるが、形から言えば、盆の精霊送りの行進の踊りが基のようだ。毎年月遅れの盆の八月十四日から三日間、徳島市中を踊り歩く。唄は、明和(1764~71年)から寛政(1789~1800年)にかけて常陸の潮来地方からはやり出した「潮来節」の変化した「よしこの節」が基で、それを京、大阪に出張した藍商人が持ち帰ったものと伝える。急調の三下りの三味線のリズムと、落ち着いた「よしこの節」が組み合わさって、独特な味を持つ曲で、太鼓・笛・鉦などが加わり、その浮き立つような囃子に乗って、男女の踊り子の集団(連と呼ぶ)が縦隊になって町中を練り歩く。なお、別に流しと言って各連(徳島市内なら芸妓)が、各戸をめぐって門口で踊りや唄を披露する慣わしもある。

『阿波よしこの』の第一人者、お鯉さんの名演@阿波おどり会館

「風がそよそよ~♪」からが該当箇所。

阿波よしこの.wmv

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2011年8月 7日 (日)

おんまく花火 阿波踊り

今日は地元のおんまく花火を見てきて、和の気分が盛り上がってきましたので、しばらくお盆特集に移ります。被災地の東北では続々と夏祭りが開催されているようで、東北以外で祭の自粛が相次いでいる中、大変素晴らしいことだと思います。盆踊りには元々鎮魂の行事の意味合いがある訳ですから、こんな時こそ、どんどんやるべきだと思います。開催することで復興への結束も固まることでしょう。
阿波踊りの本場徳島は同じ四国ですし、地元から車で2時間ほどなので、行こうと思えばいつでも行けるのですが、諸事情でなかなか実現できていません。まだ関東にいた頃、12年ほど前に阿波踊りの実況録画が夜中に放送されていたのを何年か続けて見ました。ゲストには吉右衛門さんとかが出られてました。(最近は「まるごと~県」という番組がなくなってしまったようで、気になります)
1年ほど前には、日本に定住した外交官モラエスの徳島での足跡を数学者の藤原正彦氏(「国家の品格」の著者)が訪ねる番組がNHKでありましたが、その中で阿波踊りの鎮魂の行事の側面のドキュメントも放映され、とても感銘を受けました。
祖国を離れて幾年経ったモラエスのサウダーヂ(ポルトガル語圏の「郷愁」のような概念)と、鎮魂の阿波踊りから迸り出るサウダーヂがオーバーラップする素晴らしい番組でした。NHK徳島の制作でしたので、もしかしたら全国には流れていないのかも知れません。私自身途中からしか見れてないので、再放送を期待していますが、その後見かけません。
阿波踊りはここ数年久保田麻琴氏のぞめきシリーズで火が付いて爆発的に注目度が高まっているようです。阿波踊りについて少し続けて、その後日本中の盆踊り唄を中心にアップしてみたいと思います。

'08 Tokushima Awa Odori9-1 / 徳島阿波おどり9-1〜阿呆連@市役所前演舞場1

女性の踊りと衣装の粋と艶やかさ、男踊りの豪快さが見所。

おんまく花火

4年前のものですが、私が携帯で撮ってきてアップしていた映像です。

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2011年8月 5日 (金)

コクレとカンクレ

フィンランドのカンテレを初めとして、ロシアのグースリ、マリのキースリェ、エストニアのカネルを見ましたので、同じツィター系弦楽器のラトヴィアのコクレとリトアニアのカンクレも見ておきましょう。ラトヴィアとリトアニアは、フィン・ウゴル系ではなくバルト語派になります。この語派は現在使われているインド・ヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われます。ラトヴィアとリトアニアは東バルト語群に入りますが、では西バルトは何かと言うと、現在では死語になっているプロシア語が入ります。ドイツ語圏かポーランド語圏に元話者の末裔がいるのでしょうか。バルト語派というのは、ロシアなどのスラヴ語と最も近いようですが、スラヴ、ゲルマン、ラテン、ケルトのヨーロッパの主なグループのどれにも属さない古いグループで、この2ヶ国語のみ生き残っているという点に、強く興味をそそられます。
しかし、バルト海周辺に見られるこの系統の楽器のリリカルな音色は語派を越えたもので、ハープやツィター、カーヌーンのような奏法が中心かと思えば、ギターのような掻き鳴らしも多く見られます。サントゥールなどと違うなと思ったのは、台形の短い面、つまり高い音の弦を手前にすることで、低音の時は手を伸ばして弾いているポーズが特徴的に見えました。今日は3本ずつ上げましたが、素朴で優美なカンクレに対し、意外にアグレシッヴに掻き鳴らされることもあるコクレ、それぞれなかなか個性的です。

Laima Jansone - Traditional Latvian kokle variation 2

Laima Jansone (folkBALTICA 2010)

Latvian folk song whit Kokle.

Lithuanian folk instrument kankles. Leonas Puskunigis. Folk dance ''Kudlius''.

Linkin Park - Numb (performed with kankles - Lithuanian folk instrument)

Kankles Demo & Vidury Lauke.wmv

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2011年8月 4日 (木)

タリンの町

今日は音楽から離れますが、エストニアの首都タリンの町を見てみましょうか。市街が世界遺産『タリン歴史地区』に指定されていると言う、まるでメルヘンの世界を見るような美しい町です。しかし、ロシア、ドイツ、スカンジナビアの間にあって、常にそれら大国に翻弄されてきた歴史を持ちます。
歌の盛んな国らしいエピソードがウィキペディアに載っていました。ソ連崩壊当時にどこかで聞いたような覚えがあります。とても感動的な話です。(以下その引用)
1980年代後半、ソ連の崩壊の兆しとともに独立の気運が高まり、1988年、タリン近郊の「歌の原」に約30万人(当時エストニア全土の人口は約150万人)が集い、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件があった。これによりますます独立の気運は高まり、1989年にはタリン、リガ、ヴィリニュスのバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動に100万人が参加した。1991年に独立を達成。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがある。

Estonia - Tallinn

Estonia - Tallinn 2

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2011年8月 3日 (水)

セトの女声ポリフォニー

昨日の2本目の類のコーラスは、youtubeがかなりありました。OcoraからCDも出ているエストニアのセトの女声合唱です。古い歌の伝承は主に女性が伝えているのはロシアなどと同様で、セトの歌も、長い長い年月を経て、まるで鍾乳石のように形成されたのでしょうか。喜びや悲しみを広く深く刻み込んできた歌声なのでしょう。
こういう女性の合唱は、最も広く知られているブルガリアを始めとして、スラヴ世界に特に多いように思います。エストニアもルーツはフィン・ウゴルでも、その点においてはスラヴと通じています。ステップの音が入るタイプは、他で余り聞かない面白いアイデアです。
大相撲の把瑠都はどちらかと言うとフィン・ウゴルから遠ざかったノルディーデ(スウェーデンなどの北方系)の風貌に見えますが、エストニアでも西部にノルディーデが多いようです。セト地方は一本目によると南東部に位置し、エストニアとロシア連邦にまたがっているようです。

Seto Leelo, Seto polyphonic singing tradition

英語ナレーション入り

Setu Choir Video1

Setomaa. Песни земли Сето

Seto Leelo, Seto polyphonic singing tradition

XV Setomaa Küningriik

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2011年8月 2日 (火)

エストニアの歌と踊り

昨日はエストニアの代表的な楽器であるカネルを見ましたので、今日は歌と踊り中心に。色々聞けば聞く程、ロシア東欧と言うよりスカンディナビア、あるいは西ヨーロッパにも近いものを強く感じさせます。しかし、エストニアと言えば、あのアルヴォ・ペルトを生んだ国。のどかなポルカとかだけでない、多面的な音楽が埋蔵されているのではと思います。

PEPT 2007 - Estonian folk song

エストニアはじめバルト三国は合唱が盛んなことでも知られています。この若い女性達の凛とした歌声も良いです。フィドルも聞いてみたいものです。

Leiko - Setu folklore ensemble - Baltica 2006

これはOcoraのセトの音楽に収録されているものと同種の民謡でしょう。

エストニアのフォークダンス(2) / Estonian Folk Dance(2)

Estonian folk song

Musuda erka ules-estonian folk song
The "Efroni" choir
Emek Hefer
Israel
と解説にあります。歌っているのは本当にエストニア人か?

Estonian Folk Singers

民謡が大衆化したものでしょうか?

estonian music: neo-folk

バグパイプとサックス、伝統的な?打楽器の共演。北欧はジャズが盛んなので、その影響でしょうか。

Korobochka estonian or russian?

何とロシア民謡のコロブチカ(行商人)の演奏がありました。

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2011年8月 1日 (月)

Estonian Kannel

バルト三国の一番北側の国エストニアに移ります。印欧語族に属するバルト語派のラトヴィア、リトアニアに対して、唯一フィン・ウゴル系のエストニアは、日本では大相撲の把瑠都の活躍で注目度アップしたのでは? バルトで総称される3国ですが、エストニアだけはバルト語派ではないので、何かエストニアに因んだ名前が本当はぴったりなのかも知れません。
フィンランドのカンテレと同属の弦楽器がエストニアにもありまして、カネルと呼ばれています。バルト系の2国にも同種楽器があって、ラトヴィアではコクレ、リトアニアではカンクレという名前です。今日はそのカネルを見てみましょう。この国の踊りなどには、どちらかと言うとスカンディナビア色が色濃く、旧ソ連と言うのが信じられない程です。エストニアのルーツのフィン・ウゴル的な音はカネルや素朴な語り物などに残っているのかも知れません。例のフィン・ウゴル系の故地とも言われるサンクトペテルブルク付近のイングリアは、エストニアとフィンランド、ロシア連邦のカレリアの中間ですから、この辺りがフィン系の中心地であったことは間違いないのでしょう。(一方、ハンガリーなどのウゴル系の方もこの辺がルーツと言う説はどうも信じがたいのですが・・)

Estonian traditional - Kas mäletad kevadet õites

このジャケットのOcora盤は廃盤になっていたかも知れません。現在確実に生きているのは同じオコラからのセトの音楽です。

Estonian harp ehk KANNEL

これはツィターっぽく聞こえますが、意外とエストニアの曲を弾いている映像がないもので。エストニア曲以外では、アルベニスのアストゥーリアスや、古楽のチェンバロ風な演奏などもありました。エストニア伝統曲ではないので、今回は外しました。

Estonian Kannel (1)

一瞬ですが、これはエストニアの曲でしょう。

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