おけさ名唱集
佐渡と言うより、日本民謡の代表的な一曲として知られる佐渡おけさは、元は九州のハイヤ節が越後に伝わったものがルーツと言われます。ですので、越後のおけさというのも節が少し違った形で存在します。幾つかyoutubeを見てみて、歌謡曲~フォークソングの歌手が歌ったものがかなり面白いと思いました。それと古いSP録音にも素晴らしい歌唱がありました。
佐渡おけさは、村田文三さんの歌で一躍広まった民謡で、3枚組の音源も出ていますが、それよりは後の録音でしょう。たまたま先日NHKFMの「日本の民謡」で三隅治雄氏が解説されているのを聞きました。村田さんの声量は凄まじく、何とふすまがびりびりと振動するほどだったそうです。
佐渡おけさ 山崎ハコ
何とあの山崎ハコさんが! しみじみと素晴らしい節を聞かせます。
ちあきなおみ 佐渡おけさ
70年代以降の実力派歌手の一人、ちあきなおみさんも歌っていました。ナツメロになりますが、彼女の「別れの一本杉」なども絶品でした。
俚謠 撰鑛場おけさ(佐渡金山)
『資料日本民謡集』の解説冊子より引用
佐渡おけさ・選鉱場おけさ
佐渡の西側,それも大佐渡の西端に開けた鉱山町相川の鉱夫たちが,八月十三日より三日間,おこなわれる『鉱山祭』の流し踊りの唄にとうたってきたのが,この「佐渡おけき」である。
この唄の源流は,九州は天草の牛深生れの「ハィヤ節」で,それが日本海を往来する一枚帆の帆前船の北前船の船乗りたちによって,佐渡の風待ち港であった小木の花柳界へ持込まれ,酒席の騒ぎ唄である「小木おけさ」となった。しかし当時はまだもちろん「おけさ」などとは呼ばず,単に「ハンヤ節」であった。その小木の「ハンヤ節」が,花柳界へ出入りする島民たちによって,佐渡の西側一円に広められ,酒盛り唄として広くうたわれるうち,いつしか鉱夫たちによって相川金山にも持込まれ,鉱石を選り分ける選鉱夫のうたう「選鉱唄」となった。これがのちの「選鉱場おけさ」である。
ところが明治二十九年十一月に,それまで国営であった相川鉱山が民間に払い下げられることとなり,そのお祝いが翌明治三十年八月十三日より三日間,盛大におこなわれた。その折,先の「選鉱唄」の「ハンヤ節」が,相川鉱山の人々によって「選鉱踊り」と名を改められ,花藺笠を被って町を踊り流す,『鉱山祭』用の唄になった。それ以後,この『鉱山祭』は恒例化したのである。明治三十二年,尾崎紅葉がこの『鉱山祭』を見物した折は,まだ「選鉱踊り」であったが,それからまもなく,越後側の「おけさ」の人気にあやかるため,「おけさ流し」と改名,相川町に伝わる「おけさ」という意味で「相川おけさ」とした。
大正十三年六月十日,相川町の有志によって『立浪会』という民謡団体が結成され,「相川音頭」とこの「相川おけさ」の普及にのり出した。その時の唄い手が,相川鉱山の鉱夫長で,.明治十五年一月一日相川町五丁目浜町生れの村田文蔵であった。そして大正十五年七月,ニッポノホンレコードに先の二曲を吹込む折,レコード関係者が相川という地名では世間一般への通りが悪いという理由で,「佐渡おけさ」とここに改名した。唄はもちろん村田文蔵であったが,この人がそれまでの「選鉱節」の節廻しに手を加え,今日の「佐渡おけさ」に整えあげたので,後に,立浪会はこの「佐渡おけさ」の母胎である「選鉱唄」を「選鉱場おけさ」の名で,「佐渡おけさ」のあとに,それも早間の唄にして加え,演出として,曲に変化をもたせるようにした。それだけに「選鉱場おけさ」は,相川鉱山時代そのままという訳にはいかず,むしろ「佳渡おけさ」を意識して,無理に旧節を作りあげたようなところがみられる。
そうした「佐渡おけさ」は,その後,立浪会の活躍で,島の盆踊り唄として,広くうたわれるようになっていった。
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コメント
佐渡おけさは、「佐渡でも」盆踊りの歌なのですね。
山崎ハコさんの佐渡おけさ、実に久しぶりで聴きました。このライヴアルバムが出た時に何度も何度も聴いて、ハコさんの声で、民謡をたくさん知りました。
勢いついて、「きょうだい心中」もききました。
このころの人たちは、語り物の歌を作って唄う人がいましたね。さだまさしとかも。
投稿: 百本八本 | 2011年8月30日 (火) 22時01分
百本八本様
山崎ハコさんの歌がきっかけだったのでしょうか。昨日初めて彼女のおけさを聞きましたが、かなり衝撃を受けました。
余りに真に迫っていて、もしかして佐渡の生まれ?と思う程でしたが、九州のご出身だったのを代表曲を聞いて思い出しました。
投稿: Homayun | 2011年8月31日 (水) 00時32分