ブラッサンス「オーヴェルニュ人に捧げる歌」
フラメンコ・ギターの巨匠マニタス・デ・プラタが1921年セート生まれ(カマルグではなく)だったと言うことで、思い出しました。同じ1921年にセートに生まれた名歌手に、ジョルジュ・ブラッサンスがいました。後に「フランス人の〈生まれ変わったらなりたい人〉のベスト1」に選ばれたと言うブラッサンスも、南仏の地中海岸の町セートからパリに出てきた頃は、まだ世に認められてなくて、飢えや渇きの心配なく詩の勉強にいそしむことが出来たのは、下宿先のオーヴェルニュ人夫婦のくれた僅かな薪とパン、「悲しげな微笑」の有り難さだったことを、しみじみと歌っています。
Georges Brassens - Chanson Pour L'Auvergnat
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