続いて、オランダのレーベルPanから出ていたMother Volgaにもヴォルガ・フィン語派の音源がありますので、その中から再度チェレミス(マリ)の民謡でAn old slow songと言う女性の重唱をどうぞ。アコーディオンと打楽器の伴奏で歌われています。この辺の人々の風貌共々、やはり東洋か西洋か、判別の難しい音楽です。
<Mother Volga - Music of the Volga Ugrians ~An old slow song 3分37秒>
<Mother Volga - Music of the Volga Ugrians ~Lyrical Wedding Melody, Lyrical Wedding Song 2分5秒、1分32秒>
では、最後にアルタイ系のタタールスタンの女性歌手F.スレイマノヴァの独唱を聞きながら今回はお別れです。露Melodiyaから最近出たヴォルガ・タタールの民謡2枚組の冒頭を飾る東洋的な美しい旋律です。タイトルのSahralardaは、英訳ではIn the fieldsとありました。スレイマノヴァの名前の通りでタタールではイスラム教徒が多く、一方それ以外のアルタイ系とウラル系ではキリスト教徒が多いようです。
ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週
<Folk Songs of Volga Tatars ~F.Suleymanova / Sahralarda(In the fields) >
火曜はラジオの準備、水曜は収録と大量の入荷処理、そして木曜は今日こそと思いましたが何故かココログに繋がらず、結局月曜以降ブログは書けませんでした。昼は店に出ているので、どうしてもこうなってしまいます。ヴィソーツキー特集は一応今日までという事で、「愛し切れなかった」と「俺はマガダンに行ったぜ」を原文で調べたら、ありました。どちらもそれぞれの「大地の歌」収録の音源とは別のようですが、別テイクでかつ貴重映像が見れて嬉しい限り。面白いのはリンクに複数見えるМой друг уехал в Магаданと言う曲の存在で、Я(私)がМой друг(私の友達)に代わっています。「俺の友はマガダンに行ったぜ」となるでしょうか。この曲のヴァリエーションを書くきっかけは何だったのでしょうか。ヴィソーツキーと言えば、「こうのとり」や「大地の歌」「オオカミ狩り」なども取り上げたいところですが、またの機会にします。
ゼアミdeワールド47回目の放送、日曜夕方に終りました。3月8日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。
これまではロシア民謡と言いながらも、ソ連時代から知られる割と耳当りの良いアレンジの入った民謡や戦時歌謡、軍歌が多かった訳ですが、本当はもっと泥臭い地味な民謡がありまして、今回はそちらに焦点を当ててみたいと思います。ソ連時代には聞こえてこなかったそう言う本当の民謡が聴けるようになったのは、やはりソ連が崩壊した91年以降のように思います。それらは80年代にワールドミュージック界隈で人気を集めたブルガリアン・ヴォイスのような地声の合唱が多いのが特徴です。ロシアのレーベルBohemeに地方別の凄い集成がありますので、それらのディープな音源も交えながら進めたいと思います。
まずは、特に女性の歌に本来の民謡らしい地声のコーラスの聴けるピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団の歌唱からかけてみます。彼らは2000年に来日しまして、東京公演を見に行きましたが、色鮮やかな衣装と楽しい舞台にすっかり魅了されました。彼らの歌唱で「丸顔の娘」という曲からどうぞ。日本では「黒い瞳の」というタイトルで親しまれた曲です。
<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / 丸顔の娘 5分41秒>
Ой, со вечора, с полуночи - хор им. Пятницкого
今回の放送で流したのとは別の曲ですが、この「夜から」という曲も来日記念盤に入っていました。ブルガリアン・ヴォイスに似ている、と言うのも納得していただけるような歌唱です。個々の曲は明日以降探してみます。
次に同じピャトニツキーの合唱で、「秋の夢」と言う曲をかけてみます。ロシア古謡としか分らないのですが、3拍子のとても美しいメロディの曲です。
<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / 秋の夢 3分10秒>
次は同じ「秋の夢」をバラライカ・オーケストラで演奏した録音をかけてみます。三角形の特徴的な共鳴胴を持ったバラライカは、ロシアの代表的な弦楽器です。オシポフ・バラライカ・オーケストラの演奏です。
<オシポフ・バラライカ・オーケストラ / 秋の夢 6分>
次もピャトニツキーの合唱です。来日記念盤では「コサックの歌」となっていますが、原題はКогда мы были на войнеという曲で、訳すとすれば、「私達が戦争の頃は」となると思います。ZeAmiブログで先にクバン・コサックの歌唱でアップしていた曲です。
<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / コサックの歌 2分58秒>
ロシアのレーベルBohemeの地方別シリーズですが、手元にある盤だけでも、ヴォルガ河下流寄りでカスピ海がそれ程遠くないヴォルゴグラードのコサックの歌や、ロシア北部白海沿岸のアルハンゲリスクの民謡と、ウクライナやベラルーシに近いロシア西部ブリアンスク、ヴォロネジ、ベルゴロド3都市の民謡がありまして、他にも3枚はありました。これらはヨーロッパ・ロシア各地の民謡が中心ですが、シベリアとの境にあるウラル山脈周辺のウラル・アルタイ系の少数民族の音源まで入れると更に膨大な量になります。アジア的な5音音階も聞かせるタタールなどのアルタイ系民族が中では最も知られていますが、ハンガリーやフィンランドのルーツを溯ると、この辺りのウラル系少数民族に辿り着きます。彼らの音楽がロシア人の音楽に何がしか影響を与えたのかどうかと言うのが、以前からとても気になる点ですが、それらについてはまたの機会にしまして、今回はヴォルゴグラードのコサックの歌を聞いてみましょう。ロシアの地声の合唱は、ブルガリアン・ヴォイスのようには強烈な変拍子や不協和音はありませんが、ブルガリアと同じスラヴ系民族であるのを確かに感じさせると共に、南コーカサスのグルジアの合唱とも近い部分を感じます。
<Cossack Songs from the Volgograd / A Field-Marshal was going to his Army 2分46秒>
では最後に、ピャトニツキー合唱団の「ウラルのぐみの木」を聞きながら、今回はお別れです。この日本でもよく知られる美しい曲を1953年に書いたのはロディーギンというウラル地方出身の作曲家です。
ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週
<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / ウラルのぐみの木 4分31秒>
まずは昨日お知らせしようと思いながら、10時前に寝落ちしてしまいましたので、ブログアップ出来ませんでしたm(_ _)m 今晩3月2日8時からのラヂオバリバリの1時間番組、ぽれぽれちろりんごーるどに急遽ゲストで出ることになりました。8回目です。宜しければ是非お聞き下さい。
本場のコサックの歌について、Казачьи песни(コサックの歌)で検索すると色々出てきます。今日のНе для меня(英訳すればNot for me)については、古いコサックの歌とのコメントも見えます。Ансамбль песни и танца Донские казаки(ドン・コサック 歌とダンスのアンサンブル)と演奏者名が入っていますが、先日かけましたセルゲイ・ジャーロフのドン・コサック合唱団は彼の引退後1974年に活動を休止したとありましたので、この映像のグループが直系に当たるのかどうか不明です。混声なので、おそらく関係はないでしょうか。イネディ盤(もう20年余り前の録音です)で聞いたような混声の歌唱の現在形のようにも思います。
Казачьи песни . "Не для меня" .Ансамбль песни и танца Донские казаки
最近のコメント