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2017年3月

2017年3月30日 (木)

Марийские песни(マリの歌)

今日の一本には、1時間を越える映像に、民族衣装の映像とマリ(チェレミス)の民謡や大衆音楽が次々出てきます。音階的に、いかに東洋的か、ちょっと聞けばすぐに分かると思います。しかしバルトークの頃の推測とは異なり、言語的には西シベリアのハンティ・マンシ(それぞれオスチャーク語とボグル語)の方がハンガリーに近いとされていて、マリはモルドヴィン(モルダヴィアやモルドヴァと似ていますが別民族)などと並んでフィンランドのフィン人のルーツ民族の一つと言って良いようです。

Mari songs #2 - Марийские песни - Марий муро (in Mari language)

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2017年3月29日 (水)

マリ(旧称チェレミス)の民謡

マリと言うと、どうしてもアフリカのマリを思い浮かべる人が多いかと思います。そのため、マリ・エルと正式名称で呼んだ方が間違いないでしょう。99年にロシア語教室に通っていた頃に、ロシアのマリ語の専門の人が知人にいるという同級生がいらっしゃいました。その方の研究がその後どうなったのか、気になるところです。
ハンガリー音楽のルーツを辿ると、まずエキゾチックなジプシー音楽は外れて、東洋的な5音音階の目立つマジャール音楽に行き着きますが、そのまたルーツがチェレミス辺りにあるらしいと中学時代に谷本一之さんのFM放送で聞いたものですから、今でもチェレミスと聞くと、ウラル系民族の中でも特に関心を強く持ってしまいます。バルトークやコダーイが関わっていた訳ですから、世界の民族音楽研究はこの辺りに始まったと言っても過言ではないのでは。
ロシアの映像には、今日のyoutubeのような珍しい動画が目白押しです。音階も人々の風貌も、西洋か東洋か分からないところが、やはり面白さの中心のように思います。

Марийская песня проводов в армию "Пасунажат кодеш" в исполнении ансамбля "Радуница"

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2017年3月28日 (火)

ヴォルガ中流域のウラル・アルタイ系少数民族

ゼアミdeワールド50回目の放送、日曜夕方に終りました。3月29日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。youtubeには、まず同じ音源はないと思いますので、近いものをまず一本アップしておきます。そもそも、2007年に当ブログを始めたのも、ヴォルガ中流域から北コーカサスにかけての調査が最初のきっかけでしたから、「ウラル・アルタイ」のキーワードでは大分前に色々書いております。先週後半以降、またもやトラブルでほとんどまともにPCを使えない状況でしたが、諸悪の根源のマ◎フィーを遂に卒業し、PC動作は劇的に軽くなりました。
 
今回はロシアの少数民族の音楽を少し聞いてみたいと思います。モスクワから東に1000キロ程行った辺りのヴォルガ河中流域は、ウラル・アルタイ系民族の自治共和国が幾つかありまして、インド・ヨーロッパ語族に属するスラヴ系のロシア人とは全く異なる少数民族が多く住んでいるのは余り知られていないことだと思います。ウラル山脈から東側のシベリアなら容易にイメージ出来ると思いますが、西側のヨーロッパ・ロシア内にもこれらのアジア系などの民族が沢山います。古代の民族大移動やモンゴル帝国の征服の痕跡が今も生々しく残っています。アルタイ系のタタールなどでは、5音音階の東洋的な旋律も多く、中国かモンゴルの音楽と聞き間違えるほどです。ウラル系では、日本の民謡にそっくりな歌もあります。

最初にかけますハンガリーのHungarotonから出ていた「ヴォルガ-カマ地域のフィン・ウゴルとトルコ系諸族の伝統歌」について、何度かこれまでにも出てきました音楽之友社の「世界の民族音楽ディスクガイド」に書いた拙稿を読み上げてみます。

ヴォルガ中流域やウラルはもはやヨーロッパではなくアジアである。アルタイ語族のトルコ系や、ウラル語族のフィン・ウゴル系の言葉を話す少数民族が沢山いる地域だが、これは1958~79年にコダーイの弟子であるLaszlo VikarとGabor Bereczkiの2人のハンガリー人研究者によってタタールやマリ、チュヴァシ、ウドムルトの各自治共和国で収集された録音集。
Votyak,Cheremis,Chuvash,Tatarの諸族の民謡や踊りの曲等。さすがマジャール民謡のルーツをこの地に探ったバルトークの頃からの伝統で、録音も良いのでこの地域に興味を持つ人には貴重な資料になるだろう。住民の服装はロシア風ながら、節はマジャールに近い。日本人からも遠くない印象を受ける東洋風な歌も多い。

非常に興味深いエリアですが、音楽的にはかなり地味でもありますので、この放送ではごくごくかいつまんで取り上げることにします。まずは、ハンガリーやフィンランド、エストニアなどのルーツに当るウラル系民族のエリアから始めます。
ハンガリーの民族的ルーツを辿るとヴォルガ中流域のチェレミス(現在はマリ共和国)や西シベリアのハンティ・マンシに当るとされますが、チェレミスの民謡で結婚式の歌を2曲続けてどうぞ。

<チェレミスの結婚式の歌 2分27秒、34秒>
Ансамбль народной песни «Эренер» отметил 20-летний юбилей - Вести Марий Эл

同じ曲ではありませんが、マリ・エル(チェレミス)の民謡の現在を垣間見れる一本。

次に現在はウドムルトと呼ばれているヴォチャークの民謡ですが、イースターの歌をどうぞ。

<ヴォチャークのイースターの歌 1分3秒>

同じ盤から、アルタイ系になりますが、チュヴァシのパンケーキ・デイの歌をどうぞ。パンケーキ・デイとは、四旬節の初日である灰の水曜日の前日の火曜だそうです。

<チュヴァシのパンケーキ・デイの歌 1分9秒>

同じ盤から、やはりアルタイ系ですが、タタールのティン・ホイッスルと、クライと呼ばれる倍音豊かな縦笛の吹奏を2曲続けてかけてみます。東洋的な旋律で、民謡の尺八に似て聞こえます。

<タタールのティン・ホイッスルとクライ 1分43秒、2分1秒>

続いて、オランダのレーベルPanから出ていたMother Volgaにもヴォルガ・フィン語派の音源がありますので、その中から再度チェレミス(マリ)の民謡でAn old slow songと言う女性の重唱をどうぞ。アコーディオンと打楽器の伴奏で歌われています。この辺の人々の風貌共々、やはり東洋か西洋か、判別の難しい音楽です。

<Mother Volga - Music of the Volga Ugrians ~An old slow song 3分37秒>

同じMother Volgaにはアルタイ系のチュヴァシの音源も入っておりまして、その中からグースリ独奏で「古いマーチ」と言う曲をどうぞ。グースリは一般にはロシアの伝統楽器として知られるツィター系弦楽器です。この曲はアルタイ~トルコ的な感じは全くしない曲です。

<Mother Volga - Music of the Volga Ugrians ~An old march 2分50秒>

同じくチュヴァシのグースリ演奏ですが、次の結婚式の曲では対照的にアルタイ~トルコ的な感じが強く感じられます。この旋律はどこかで聞いたことがありますが、思い出せません。何か懐かしい感じのメロディです。歌入りヴァージョンと続けてどうぞ。

<Mother Volga - Music of the Volga Ugrians ~Lyrical Wedding Melody, Lyrical Wedding Song 2分5秒、1分32秒>

では、最後にアルタイ系のタタールスタンの女性歌手F.スレイマノヴァの独唱を聞きながら今回はお別れです。露Melodiyaから最近出たヴォルガ・タタールの民謡2枚組の冒頭を飾る東洋的な美しい旋律です。タイトルのSahralardaは、英訳ではIn the fieldsとありました。スレイマノヴァの名前の通りでタタールではイスラム教徒が多く、一方それ以外のアルタイ系とウラル系ではキリスト教徒が多いようです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<Folk Songs of Volga Tatars ~F.Suleymanova / Sahralarda(In the fields) >

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2017年3月24日 (金)

Недолюбил と Я уехал в Магадан

火曜はラジオの準備、水曜は収録と大量の入荷処理、そして木曜は今日こそと思いましたが何故かココログに繋がらず、結局月曜以降ブログは書けませんでした。昼は店に出ているので、どうしてもこうなってしまいます。ヴィソーツキー特集は一応今日までという事で、「愛し切れなかった」と「俺はマガダンに行ったぜ」を原文で調べたら、ありました。どちらもそれぞれの「大地の歌」収録の音源とは別のようですが、別テイクでかつ貴重映像が見れて嬉しい限り。面白いのはリンクに複数見えるМой друг уехал в Магаданと言う曲の存在で、Я(私)がМой друг(私の友達)に代わっています。「俺の友はマガダンに行ったぜ」となるでしょうか。この曲のヴァリエーションを書くきっかけは何だったのでしょうか。
ヴィソーツキーと言えば、「こうのとり」や「大地の歌」「オオカミ狩り」なども取り上げたいところですが、またの機会にします。

Владимир Высоцкий Недолюбил

Высоцкий - Про Магадан - Я уехал в Магадан (1968)

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2017年3月20日 (月)

ヴィソーツキーの「大地の歌」

ゼアミdeワールド49回目の放送、日曜夕方に終りました。3月22日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。先週後半はPCのトラブルでほとんどブログにはタッチ出来ませんでしたm(_ _)m 「大地の歌」の「奴は戦闘から戻らなかった」以外は、また後日探してみます。

前回ロシアのバルド(吟遊詩人)の音楽特集として、ウラディーミル・ヴィソーツキーとブラート・オクジャワを中心に、エレナ・カンブローヴァの歌もかけました。日本では80年代に新星堂オーマガトキから出ていたヴィソーツキーの「大地の歌」が一番知られていると思いますので、その音源もかけたかったのですが、手元にはレコードのみで、CDで再発された時に手に入れてなかったので前回は外しました。CDも既に大分前に廃盤のようですが、LP音源をMP3にしてアイフォンに入れてありましたので、今回はその中から数曲かけてみます。
まずは、一曲目の「奴は戦闘から戻らなかった」からです。針を落として聞いた時の、この歌のインパクトがまず第一にあります。詩の一、二連目は以下のようになっております。翻訳は宮沢俊一氏です。口語調が上手くヴィソーツキーの世界を捉えていると思います。

なぜどこが違うのか、大体はいつもの通りなのに
空も同じ、また晴れている
森も同じ、空気も同じ、水も同じなのに
ただ奴だけが戦闘から戻らなかった

俺には今や分らない、俺たちのどっちが正しかったのか
よく夜を徹して論じ合ったものだったが
俺は初めて奴の存在を感じている
奴が戦闘から戻らなかった今になって

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / 大地の歌~奴は戦闘から戻らなかった 3分14秒>
Владимир Высоцкий - Он не вернулся из боя (Текст)


次は「黒マント隊」という曲です。詩の一連目は以下のようになっております。

俺達が残してきたのは崩落と日没だけ
ああ、せめて僅かでいい
目に見えなくていいから飛翔が欲しい!
信じたいものだ、わが黒マント隊の面々が
俺に今日、日の出を見る可能性を与えてくれることを

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / 大地の歌~黒マント隊 3分31秒>

次は「愛し切れなかった」という曲です。大事な箇所と思われる詩の一、七連目は以下のようになっております。

誰かが果実を見つけた
それは熟れていない、熟していない
木をゆすると、それは落ちてしまった、こぼれてしまった・・・
これはある人についての歌、
その人は熟せなかった、歌えなかった
声を持っていたのに、気付かなかった、気付かなかった

彼は何でもかんでも知ろうとした
だが、何もかも中途半端
何事も底まで行かない
深さにまで達し切れない
しかも唯一の彼女をも
愛し切れなかった、愛し切れなかった

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / 大地の歌~愛し切れなかった 4分48秒>

次は「俺はマガダンに行ったぜ」という歌です。カムチャツカ半島に近いシベリア極東の流刑者の強制収容所があったことで知られる町ですが、やはり過酷な北の果てのイメージで歌われています。余談ですが、ロシア・ジプシーの名歌手ワヂム・コージン(1903-94)は、スターリンの時代にシベリア流刑されてマガダンで亡くなっています。新宿ゴールデン街の店、ガルガンチュアの女主人兼歌手の石橋幸(みゆき)さんの自主制作レーベルはマガダンという名前で、彼女はワヂム・コージンの歌もよく歌われています。
詩の一、二連目は以下のようになっております。

お前、俺が齢にふさわしくねぇってか
俺はめったに心を打ち明けねぇが
お前にはマガダンの話をしてやるぜ。よく聞けよ!
俺はながーい湾を見たんだ、道もな
ただ何となく行った訳じゃねぇぜ

ある日、俺はマガダンに行った訳よ
自分を忘れたかった、病気を忘れるように
だからすぐとことん飲んだぜ。 ウォトカを!
でも俺はながーい湾を見たんだ、道もな
ただ何となく行った訳じゃねぇぜ

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / 大地の歌~俺はマガダンに行ったぜ 1分55秒>

youtube音源ですがヴィソーツキーの歌の最後にgori-gori-moya-zvezdaをかけてみたいと思います。前にドン・コサック合唱団の歌唱でかけた古いロマンス(語り歌)で、和訳は「輝け、私の星よ」となります。この曲の歌詞ですが、「君は私にとって、胸に秘めた、たった一つの輝ける星。もし私が死んでも、私の墓の上でいつまでも輝き続けておくれ」という内容でした。ヴィソーツキーの弾き語りも実に心に沁みる歌唱です。

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / gori-gori-moya-zvezda 1分22秒>
Высоцкий "Гори, гори моя звезда..."


ブラート・オクジャワの歌唱も少し聞いておきたいと思います。これからかけますのは、「ヴォロージャ・ヴィソーツキーについて」と言う曲で、14歳年長のオクジャワよりずっと早くに若くして亡くなった後輩ヴィソーツキーへの追悼曲です。妻のマリナ・ヴラディに捧げられています。タイトルのヴォロージャと言うのはウラディーミルの愛称形です。

<ブラート・オクジャワ / Sur Volodia Vissotski 2分30秒>
Булат Окуджава - О Володе Высоцком


では、最後に女性歌手エレナ・カンブローヴァの歌を聞きながら今回はお別れです。3曲目の「手品」という曲だけ前回かけられなかったので、今回は5曲目のマレンキー・プリンツと併せてかけたいと思います。こちらも繊細でリリカルな良い曲です。マレンキー・プリンツは、英訳はLittle Princeですから、サン=テグジュペリの「星の王子さま」のことだと思われます。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<エレナ・カンブローヴァ / 「手品」2分19秒、「マレンキー・プリンツ」3分27秒>
Елена Камбурова Маленький принц

「マレンキー・プリンツ」は放送ではほとんどイントロだけで終ってしまいましたので。これがフルバージョン。

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2017年3月17日 (金)

ヴィソーツキーとヴラディの共演映像

水曜にマカフィーの更新が終わらなくて、ちょうどウィンドウズアップデートが入って来たので、コントロールパネルを開こうとしたら固まって、セーフモードでないと起動しなくなりました。そのため水曜のHPの更新と木曜のブログアップが出来ておりません。まだ調子が悪いので、アイフォンのココログアプリからのアップです。

ウラディーミル・ヴィソーツキーとマリナ・ヴラディの共演映像が色々ありました! こういう動画を見つけた時、youtubeの有り難さを強く感じます。

Владимир Высоцкий и Марина Влади. Последний поцелуй

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2017年3月15日 (水)

マリナ・ヴラディの歌声

ゴダールの映画「彼女について私が知っている2,3の事柄」に出ていた女優、マリナ・ヴラディが、ウラディーミル・ヴィソーツキーの奥さんだったことを知ったのは、80年代に新星堂オーマガトキの「大地の歌」が出てからのことで、その数年前にゴダールの映画を見た時は知らなかったことでした。こんなに見事にロシア語で歌う人だったと知ったのは、二人のカップリングCDを手に入れた90年代中頃です。

Я несла свою беду - Марина Влади [Владимир Высоцкий]

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2017年3月13日 (月)

ヴィソーツキー、オクジャワ、カンブローヴァ

ゼアミdeワールド48回目の放送、日曜夕方に終りました。3月15日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。youtubeは、ヴィソーツキーのコーニ・プリヴェレドゥリヴィエ(Кони привередливые)と、オクジャワの「青い風船」を際立たせたいのと、カンブローヴァはかけられなかった3曲目の「手品」がありましたので、今日はその3本にしておきます。

寒い時期は、寒い所の音楽が似合うということで、去年の2月にちろりんさんの番組に呼んで頂いた際にロシアのバルド(吟遊詩人)の音楽を取り上げて、一部の方に好評でした。いよいよその時の音源の再登場です。去年の放送は2月4日でした。
まず一人目は、ソ連時代の詩人、俳優、シンガーソングライターのウラディーミル・ヴィソーツキーです。彼は1938年生まれで、1980年に42歳の若さで亡くなっています。ちろりんさんの番組でかけた曲を、そのまま再演してみます。
まず、ルースカヴァ・シャンソンからダラージュナヤ・イストリヤー(道の歴史)と言う曲をどうぞ。
<ウラディーミル・ヴィソーツキー / ダラージュナヤ・イストリヤー>

彼のプロフィールについて、ウィキペディアにかなり詳細に解説されていましたので、少し読み上げてみます。

俳優としてはリュビューモフのタガンカ劇場に加わり、『ハムレット』の演技で名声を得た。1960年代に、ブラート・オクジャワらと吟遊詩人(バルド)運動に参加し、ソ連市民の心を”しわがれ声”でギターの弾き語りを始めた。余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、モスクワオリンピックの最中に42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の10万人から20万人の人々が集まり、数千人のオリンピック警備陣が流用された。ロシアのジャック・ブレル、ジョン・レノンやボブ・ディランと評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票でニコライ2世、スターリン、レーニンに次いで4位になっている。
最後の妻は、ロシア系フランス人のマリナ・ヴラディである。マリナは、1963年にはカンヌ国際映画祭で出演した映画『女王蜂』で最優秀主演女優賞をするなどのフランス映画の重鎮的存在である。ジャン・リュック・ゴダールの「彼女について私が知っている2,3の事柄」でもよく知られている。ヴィソツキーのレコーディングは、フランスで行われたものが多い。
ミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズの共演で話題となった映画『ホワイトナイツ/白夜(監督:テイラー・ハックフォード、1985年・アメリカ)』でも、ヴィソツキーの歌が使用されている。
宮崎駿はアニメ映画『風の谷のナウシカ』のエンディングにヴィソツキーの『大地の歌』を使用したがったが、版権の問題がクリアできず実現しなかった。
新星堂オーマガトキからアルバム『大地の歌』が発売されている。NHKでは五木寛之をホストに「モスクワは忘れない~吟遊詩人ヴィソツキーの歌」を放映した。

以上のようにありました。私が初めて彼の歌を聞いたのは、88年頃の新星堂オーマガトキのLP『大地の歌』でしたが、そのしわがれ声の強烈なインパクトは今でもよく覚えています。一度聞いたら絶対忘れられない歌手だと思います。筑紫哲也さんなどがレビューを寄せていました。
次に、ゴダールの映画「彼女について私が知っている2,3の事柄」に出ていた最後の妻マリナ・ヴラディとのカップリングアルバムから、映画『ホワイトナイツ/白夜』に引用されたコーニ・プリヴェレドゥリヴィエと言う曲をどうぞ。暴れ馬と訳せるように思いますが、単に馬と表記されていることもあります。

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / コーニ・プリヴェレドゥリヴィエ>
Владимир Высоцкий - Кони привередливые


もう一曲ヴィソーツキーで、フランスのレーベルChant du mondeからのアルバム「モニュメント」から、チャストゥーシキという曲です。チャストゥーシキの単数形のチャストゥーシカとは、ロシア民謡の一形式で、かなり速い調子でうたわれる風刺のきいた諧謔的な曲が多いように思います。一連が普通4行からなり、そのうち2行目と4行目の脚韻を合わせるのが通例とされています。

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / チャストゥーシキ>

次はヴィソーツキーの先輩格に当るバルドのブラート・オクジャワです。彼は1924年生まれで、1997年に亡くなっています。まずフランスのChant du mondeから出ているアルバム「紙の兵士」から、彼が生まれ育ったモスクワの中心にあるアルバート街に捧げられた「アルバートの歌」と言う曲をどうぞ。

<ブラート・オクジャワ / アルバートの歌>

やはり、オクジャワのプロフィールについて、ウィキペディアに解説されていましたので、少し読み上げてみます。

ソ連・ロシアの詩人、歌手(シンガーソングライター)、小説家。200曲ほどの歌を遺し、ロシア語でавторская песня(作者の唄)と呼ばれるジャンルの確立者の一人として有名。これはギターを弾きながら歌う、フランスのシャンソニエとロシア民謡の影響を受けた独特の様式で、彼らはバルド(бард、元来ケルトの吟遊詩人のこと)とも呼ばれる。
グルジア系の父とアルメニア系の母の間に生まれた。第二次世界大戦に応召し、戦後は教師、ついで出版社に勤務し、かたわら詩作を行った。
1950年代後半(スターリン批判後)から自作の詩を歌い、主に知識階級の間で注目されるようになった。彼は国民的人気を勝ち得ながら政治を題材にすることはなく、それでもソ連の文化政策にそぐわないジャンルであったことから、国家による公認を受けたのは晩年になってからだった。また詩人を自らの本分と考えたこともあり、レコーディングされたのは1980年頃になってからである。
1967年にストルガ詩の夕べ金冠賞受賞。1991年に国民的詩人としてソ連芸術賞を受賞。1980年代からは小説にも力を入れ1994年に「シーポフの冒険」でロシア・ブッカー賞を受賞した。生前住んでいたモスクワ・アルバート通りには記念像が建てられている。小惑星帯の小惑星の一つの「オクジャワ」は彼の名前からとられた。

以上のようにありました。
次は、短い詩に女性の一生を描いた印象的な「青い風船」と言う曲です。この歌の歌詞は以下のようになっています。

女の子が泣いている 風船が飛んで行っちゃったって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
娘さんが泣いている まだ恋人が出来ないって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
女の人が泣いている 浮気した亭主に逃げられたって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
泣いているね おばあさんが もっと生きたいって・・・ でも風船が戻ってきた 青い風船が

<ブラート・オクジャワ / 青い風船>
Булат Окуджава - Шарик


では、最後に女性歌手エレナ・カンブローヴァの歌を聞きながら今回はお別れです。彼女は1940年ノヴォクズネツク生まれ、ウクライナ育ちで、State College of Circus and Variety Art卒業とありました。ロシアの歌手、女優で、1960年代からコンサートやラジオに出演、ブラート・オクジャワなどの歌も歌い、オクジャワは彼女の歌唱を「声と知性と才能の幸せな融合」と表現したそうです。
初期のブリジット・フォンテーヌを思わせるような、エキセントリックかつリリカルで、演劇的な閃きも感じさせる歌を聞かせる人で、それはこれからかけますКапли Датского короля (The Mixture of Danish King, 1999)というアルバムで顕著なように思います。3曲続けてかけます。1曲目が「辺境」、2曲目が「いるかの国」、3曲目は「手品」と訳せると思います。(手品は時間の都合でかけられませんでした)

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<エレナ・カンブローヴァ / 「辺境」、「いるかの国」>
"Фокусник" - Елена Камбурова, 1970

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2017年3月10日 (金)

Осенний сон

5日の放送でかけたピャトニツキーの歌で動画紹介がまだだったのは、丸顔の娘(黒い瞳の)、秋の夢、ウラルのぐみの木、でしたが、昨晩は早々寝落ちしてアップできず(^^; 今日は早めのアップです。ヴォルゴグラードのコサックの歌までは、おそらくyoutubeはないと思いますので、こちらは飛ばします。「黒い瞳の」は、有名な歌ですが原題が不明ですので、秋の夢(Осенний сон オーセンニー・ソン)のみ調べてみました。
Музыка - Арчибальд Джойс ( 1873-1963)
Вальс "Осенний сон" - Waltz Autumn Dream (1908)
一本目の解説に上記のように出ておりまして、アーチボルド・ジョイスが1908年に作曲した「古いワルツ」とありました。ロシア人らしからぬ名前だなと前から思っていましたが、ジョイスは「イギリスのワルツ王」と呼ばれた人だと分りました。しかし、何故ロシアで「古いワルツ(Старинный вальс)」として演奏されるようになったのかが、気になるところです。極めて美しい哀愁の名旋律ですが、ロシアの歌と少し傾向が違うところにロシア人は惹かれるのでしょうか。
2本目のЛидия Русланова(リディア・ルスラノーヴァ)の歌唱で、おそらく広く知られるようになったのではと推測しましたが、どうでしょうか。3本目には「前線の森で」に続いて出てきますが、解説にロシア語歌詞が出ていて、これがとても貴重です。4本目の男優は「チョームナヤ・ノーチ(暗い夜)」のマルク・ベルネスでしょうか。故郷に残した妻と幼子に思いを馳せる個人的な兵士の心情を歌って人々の共感を得た、第二次単戦中の映画の挿入歌「暗い夜」と「秋の夢」。共に時代の空気を感じさせる歌です。

Старинный вальс "Осенний сон" (А.Джойс) - Autumn Dream

Лидия Русланова Осенний сон

В лесу прифронтовом + Осенний сон + слова, текст

Вальс Осенний сон

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2017年3月 8日 (水)

ピャトニツキーの行商人

月曜に上げた中にはありませんでしたが、ピャトニツキーの行商人がとても楽しい演奏でしたので、今日はこちらを。ピャトニツキーのバラライカ・アンサンブルも大変に素晴らしい演奏を聞かせています。2本目は歌入りです。「魔法使いサリー」の学芸会シーンのコロブチカを聞いた人は、間違いなく懐かしく感じる旋律だと思います。

Коробейники (Peddlers) - Pyatnitsky Russian Folk Choir (2016)

Korobushka (Коробейники) ~ Pyatnitsky State Russian Folk Choir

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2017年3月 6日 (月)

ピャトニツキーの歌声 Пятницкого

ゼアミdeワールド47回目の放送、日曜夕方に終りました。3月8日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。

これまではロシア民謡と言いながらも、ソ連時代から知られる割と耳当りの良いアレンジの入った民謡や戦時歌謡、軍歌が多かった訳ですが、本当はもっと泥臭い地味な民謡がありまして、今回はそちらに焦点を当ててみたいと思います。ソ連時代には聞こえてこなかったそう言う本当の民謡が聴けるようになったのは、やはりソ連が崩壊した91年以降のように思います。それらは80年代にワールドミュージック界隈で人気を集めたブルガリアン・ヴォイスのような地声の合唱が多いのが特徴です。ロシアのレーベルBohemeに地方別の凄い集成がありますので、それらのディープな音源も交えながら進めたいと思います。
まずは、特に女性の歌に本来の民謡らしい地声のコーラスの聴けるピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団の歌唱からかけてみます。彼らは2000年に来日しまして、東京公演を見に行きましたが、色鮮やかな衣装と楽しい舞台にすっかり魅了されました。彼らの歌唱で「丸顔の娘」という曲からどうぞ。日本では「黒い瞳の」というタイトルで親しまれた曲です。

<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / 丸顔の娘 5分41秒>
Ой, со вечора, с полуночи - хор им. Пятницкого

今回の放送で流したのとは別の曲ですが、この「夜から」という曲も来日記念盤に入っていました。ブルガリアン・ヴォイスに似ている、と言うのも納得していただけるような歌唱です。個々の曲は明日以降探してみます。

次に同じピャトニツキーの合唱で、「秋の夢」と言う曲をかけてみます。ロシア古謡としか分らないのですが、3拍子のとても美しいメロディの曲です。

<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / 秋の夢 3分10秒>

次は同じ「秋の夢」をバラライカ・オーケストラで演奏した録音をかけてみます。三角形の特徴的な共鳴胴を持ったバラライカは、ロシアの代表的な弦楽器です。オシポフ・バラライカ・オーケストラの演奏です。

<オシポフ・バラライカ・オーケストラ / 秋の夢 6分>

次もピャトニツキーの合唱です。来日記念盤では「コサックの歌」となっていますが、原題はКогда мы были на войнеという曲で、訳すとすれば、「私達が戦争の頃は」となると思います。ZeAmiブログで先にクバン・コサックの歌唱でアップしていた曲です。

<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / コサックの歌 2分58秒>

ロシアのレーベルBohemeの地方別シリーズですが、手元にある盤だけでも、ヴォルガ河下流寄りでカスピ海がそれ程遠くないヴォルゴグラードのコサックの歌や、ロシア北部白海沿岸のアルハンゲリスクの民謡と、ウクライナやベラルーシに近いロシア西部ブリアンスク、ヴォロネジ、ベルゴロド3都市の民謡がありまして、他にも3枚はありました。これらはヨーロッパ・ロシア各地の民謡が中心ですが、シベリアとの境にあるウラル山脈周辺のウラル・アルタイ系の少数民族の音源まで入れると更に膨大な量になります。アジア的な5音音階も聞かせるタタールなどのアルタイ系民族が中では最も知られていますが、ハンガリーやフィンランドのルーツを溯ると、この辺りのウラル系少数民族に辿り着きます。彼らの音楽がロシア人の音楽に何がしか影響を与えたのかどうかと言うのが、以前からとても気になる点ですが、それらについてはまたの機会にしまして、今回はヴォルゴグラードのコサックの歌を聞いてみましょう。ロシアの地声の合唱は、ブルガリアン・ヴォイスのようには強烈な変拍子や不協和音はありませんが、ブルガリアと同じスラヴ系民族であるのを確かに感じさせると共に、南コーカサスのグルジアの合唱とも近い部分を感じます。

<Cossack Songs from the Volgograd / A Field-Marshal was going to his Army 2分46秒>

では最後に、ピャトニツキー合唱団の「ウラルのぐみの木」を聞きながら、今回はお別れです。この日本でもよく知られる美しい曲を1953年に書いたのはロディーギンというウラル地方出身の作曲家です。
ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<ピャトニツキー記念国立ロシア民族合唱団 / ウラルのぐみの木 4分31秒>

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2017年3月 3日 (金)

「黒い瞳」と「二つのギター」

昨日のちろりんの生放送では、前回のゼアミdeワールドでドン・コサック合唱団の歌唱が途中までになってしまった「黒い瞳」を、最後までかけられました。田村正和主演のドラマで使われたというのも、正解でした。1986年だったようです。今日はフョードル・シャリアピンの歌唱と、ユル・ブリンナーでもあればと思って探しましたが、見当たらないので代わりに「二つのギター」を上げておきます。ロシア・ジプシーの歌の2大名曲です。
「荒野の七人」や「王様と私」などで知られるスキンヘッドの名優ユル・ブリンナーは、ロシア・ジプシー歌謡の名歌手としても知られていて、「二つのギター」などに名唱を残しています。彼の録音はおそらくロシア盤にしか無いので、この事実は余り知られてないと思います。大分前にジプシーの血も入っているように見た記憶もありましたが、スイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間に極東のウラジオストクで生まれた、とありました。

Фёдор Шаляпин - Очи чёрные

Юл Бриннер и Алёша Димитриевич, песня "Две гитары"

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2017年3月 2日 (木)

Донские казакиの現在

まずは昨日お知らせしようと思いながら、10時前に寝落ちしてしまいましたので、ブログアップ出来ませんでしたm(_ _)m 今晩3月2日8時からのラヂオバリバリの1時間番組、ぽれぽれちろりんごーるどに急遽ゲストで出ることになりました。8回目です。宜しければ是非お聞き下さい。
本場のコサックの歌について、Казачьи песни(コサックの歌)で検索すると色々出てきます。今日のНе для меня(英訳すればNot for me)については、古いコサックの歌とのコメントも見えます。Ансамбль песни и танца Донские казаки(ドン・コサック 歌とダンスのアンサンブル)と演奏者名が入っていますが、先日かけましたセルゲイ・ジャーロフのドン・コサック合唱団は彼の引退後1974年に活動を休止したとありましたので、この映像のグループが直系に当たるのかどうか不明です。混声なので、おそらく関係はないでしょうか。イネディ盤(もう20年余り前の録音です)で聞いたような混声の歌唱の現在形のようにも思います。

Казачьи песни . "Не для меня" .Ансамбль песни и танца Донские казаки

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