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2017年3月13日 (月)

ヴィソーツキー、オクジャワ、カンブローヴァ

ゼアミdeワールド48回目の放送、日曜夕方に終りました。3月15日20時半に再放送があります。よろしければ是非お聞き下さい。<>内がかけた音源です。youtubeは、ヴィソーツキーのコーニ・プリヴェレドゥリヴィエ(Кони привередливые)と、オクジャワの「青い風船」を際立たせたいのと、カンブローヴァはかけられなかった3曲目の「手品」がありましたので、今日はその3本にしておきます。

寒い時期は、寒い所の音楽が似合うということで、去年の2月にちろりんさんの番組に呼んで頂いた際にロシアのバルド(吟遊詩人)の音楽を取り上げて、一部の方に好評でした。いよいよその時の音源の再登場です。去年の放送は2月4日でした。
まず一人目は、ソ連時代の詩人、俳優、シンガーソングライターのウラディーミル・ヴィソーツキーです。彼は1938年生まれで、1980年に42歳の若さで亡くなっています。ちろりんさんの番組でかけた曲を、そのまま再演してみます。
まず、ルースカヴァ・シャンソンからダラージュナヤ・イストリヤー(道の歴史)と言う曲をどうぞ。
<ウラディーミル・ヴィソーツキー / ダラージュナヤ・イストリヤー>

彼のプロフィールについて、ウィキペディアにかなり詳細に解説されていましたので、少し読み上げてみます。

俳優としてはリュビューモフのタガンカ劇場に加わり、『ハムレット』の演技で名声を得た。1960年代に、ブラート・オクジャワらと吟遊詩人(バルド)運動に参加し、ソ連市民の心を”しわがれ声”でギターの弾き語りを始めた。余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、モスクワオリンピックの最中に42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の10万人から20万人の人々が集まり、数千人のオリンピック警備陣が流用された。ロシアのジャック・ブレル、ジョン・レノンやボブ・ディランと評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票でニコライ2世、スターリン、レーニンに次いで4位になっている。
最後の妻は、ロシア系フランス人のマリナ・ヴラディである。マリナは、1963年にはカンヌ国際映画祭で出演した映画『女王蜂』で最優秀主演女優賞をするなどのフランス映画の重鎮的存在である。ジャン・リュック・ゴダールの「彼女について私が知っている2,3の事柄」でもよく知られている。ヴィソツキーのレコーディングは、フランスで行われたものが多い。
ミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズの共演で話題となった映画『ホワイトナイツ/白夜(監督:テイラー・ハックフォード、1985年・アメリカ)』でも、ヴィソツキーの歌が使用されている。
宮崎駿はアニメ映画『風の谷のナウシカ』のエンディングにヴィソツキーの『大地の歌』を使用したがったが、版権の問題がクリアできず実現しなかった。
新星堂オーマガトキからアルバム『大地の歌』が発売されている。NHKでは五木寛之をホストに「モスクワは忘れない~吟遊詩人ヴィソツキーの歌」を放映した。

以上のようにありました。私が初めて彼の歌を聞いたのは、88年頃の新星堂オーマガトキのLP『大地の歌』でしたが、そのしわがれ声の強烈なインパクトは今でもよく覚えています。一度聞いたら絶対忘れられない歌手だと思います。筑紫哲也さんなどがレビューを寄せていました。
次に、ゴダールの映画「彼女について私が知っている2,3の事柄」に出ていた最後の妻マリナ・ヴラディとのカップリングアルバムから、映画『ホワイトナイツ/白夜』に引用されたコーニ・プリヴェレドゥリヴィエと言う曲をどうぞ。暴れ馬と訳せるように思いますが、単に馬と表記されていることもあります。

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / コーニ・プリヴェレドゥリヴィエ>
Владимир Высоцкий - Кони привередливые


もう一曲ヴィソーツキーで、フランスのレーベルChant du mondeからのアルバム「モニュメント」から、チャストゥーシキという曲です。チャストゥーシキの単数形のチャストゥーシカとは、ロシア民謡の一形式で、かなり速い調子でうたわれる風刺のきいた諧謔的な曲が多いように思います。一連が普通4行からなり、そのうち2行目と4行目の脚韻を合わせるのが通例とされています。

<ウラディーミル・ヴィソーツキー / チャストゥーシキ>

次はヴィソーツキーの先輩格に当るバルドのブラート・オクジャワです。彼は1924年生まれで、1997年に亡くなっています。まずフランスのChant du mondeから出ているアルバム「紙の兵士」から、彼が生まれ育ったモスクワの中心にあるアルバート街に捧げられた「アルバートの歌」と言う曲をどうぞ。

<ブラート・オクジャワ / アルバートの歌>

やはり、オクジャワのプロフィールについて、ウィキペディアに解説されていましたので、少し読み上げてみます。

ソ連・ロシアの詩人、歌手(シンガーソングライター)、小説家。200曲ほどの歌を遺し、ロシア語でавторская песня(作者の唄)と呼ばれるジャンルの確立者の一人として有名。これはギターを弾きながら歌う、フランスのシャンソニエとロシア民謡の影響を受けた独特の様式で、彼らはバルド(бард、元来ケルトの吟遊詩人のこと)とも呼ばれる。
グルジア系の父とアルメニア系の母の間に生まれた。第二次世界大戦に応召し、戦後は教師、ついで出版社に勤務し、かたわら詩作を行った。
1950年代後半(スターリン批判後)から自作の詩を歌い、主に知識階級の間で注目されるようになった。彼は国民的人気を勝ち得ながら政治を題材にすることはなく、それでもソ連の文化政策にそぐわないジャンルであったことから、国家による公認を受けたのは晩年になってからだった。また詩人を自らの本分と考えたこともあり、レコーディングされたのは1980年頃になってからである。
1967年にストルガ詩の夕べ金冠賞受賞。1991年に国民的詩人としてソ連芸術賞を受賞。1980年代からは小説にも力を入れ1994年に「シーポフの冒険」でロシア・ブッカー賞を受賞した。生前住んでいたモスクワ・アルバート通りには記念像が建てられている。小惑星帯の小惑星の一つの「オクジャワ」は彼の名前からとられた。

以上のようにありました。
次は、短い詩に女性の一生を描いた印象的な「青い風船」と言う曲です。この歌の歌詞は以下のようになっています。

女の子が泣いている 風船が飛んで行っちゃったって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
娘さんが泣いている まだ恋人が出来ないって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
女の人が泣いている 浮気した亭主に逃げられたって 慰めてもらっても風船は飛んで行く
泣いているね おばあさんが もっと生きたいって・・・ でも風船が戻ってきた 青い風船が

<ブラート・オクジャワ / 青い風船>
Булат Окуджава - Шарик


では、最後に女性歌手エレナ・カンブローヴァの歌を聞きながら今回はお別れです。彼女は1940年ノヴォクズネツク生まれ、ウクライナ育ちで、State College of Circus and Variety Art卒業とありました。ロシアの歌手、女優で、1960年代からコンサートやラジオに出演、ブラート・オクジャワなどの歌も歌い、オクジャワは彼女の歌唱を「声と知性と才能の幸せな融合」と表現したそうです。
初期のブリジット・フォンテーヌを思わせるような、エキセントリックかつリリカルで、演劇的な閃きも感じさせる歌を聞かせる人で、それはこれからかけますКапли Датского короля (The Mixture of Danish King, 1999)というアルバムで顕著なように思います。3曲続けてかけます。1曲目が「辺境」、2曲目が「いるかの国」、3曲目は「手品」と訳せると思います。(手品は時間の都合でかけられませんでした)

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<エレナ・カンブローヴァ / 「辺境」、「いるかの国」>
"Фокусник" - Елена Камбурова, 1970

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