マルコス・ヴァンヴァカーリスの息子ステリオス・ヴァンヴァカーリスがブズーキを弾き語る、父のナンバーワンヒットOloi Oi Rembetes Tou Ntouniaを上げると前に予告していましたので、一本目に。父ほどの味わいと危険な匂いはないにしても、父マルコスの芸の雰囲気を今に伝える好演だと思います。息子ももう結構高齢だろうなと思って調べたら、2019年に72歳で亡くなられていました。「レベティコのディアスポラ」の2枚目には、ステリオス・ヴァンヴァカーリスと、アメリカのブルース・ギタリストLouisiana Redのデュオで、I Fantasia Stin Exousiaという曲がありまして、放送でかけました。ネットワークの盤も今では入手が難しくなっていると思うので、この曲以外もYouTubeに全て上がっています。ルイジアナ・レッドがコンサートでギリシアを訪れた際に、リハ無しで4時間も共演したという逸話があり、後にスタジオで一発録りで出来た「ブルースがレベティカに出会う」という伝説的なアルバムからの音源のようです。この曲を聞いて「パリ・テキサス」のサントラを、ふと思い出しました。
Oloi Oi Rembetes Tou Ntounia - Stelios Vamvakaris
11 - Stelios Vamvakaris & Louisiana Red - I Fantasia Stin Exousia
ギリシアの7回目になります。今回は「レベティカ・ソングのパノラマ」の第5集、「カフェ・アマンの歌」からご紹介します。「レベティカ・ソングのパノラマ」の3枚組シリーズは、2003年にギリシアFMから12セット出まして、いずれも元はミノスレコードの音源のようです。第5集だけ資料として残していましたが、他の11セットは全て売り切れで現在手元にはありません。因みに第1集からタイトルを列記しますと、アメリカのレベティカ、難民とレベティカ、女性たちとレベティカ、良き時代と気高き精神、カフェ・アマンの歌、レベティカとアウトローたち、過激派の歌、愛とレベティカ・ソング、レベティカの顔、富者と貧民、別れの歌、Learning about your countryとなっております。ギリシア語の表記のみで解説無しの簡素な作りですが、内容は凄い音源がこれでもかと集められています。確か同じ頃に独Trikontから、「レムベティカ~ギリシアのアンダーグラウンドの歌(2CD)【歴史的録音】」が出ましたが、内容的にはやはり現地盤には遠く及ばない感じでした。
ヴァンヴァカーリスがブズーキを弾き語っている生映像が2本ありました。これはもう、浪曲か盲僧琵琶を聞いているような感じもありまして、強烈なインパクトがあります! 彼は1972年に亡くなっているので、生映像は貴重なのではと思います。同じ曲ですが、映像の状態が違うので、両方上げておきます。3本目の放送で2曲目にかけたOloi Oi Rembetes Tou Ntouniaは、彼のナンバーワンヒットと言ってもいい曲のようで、息子ステリオスのブズーキ弾き語りもありましたが、Network Medienの「レベティコのディアスポラ」の音源をかける時にまた取り上げます。4本目は放送で3曲目にかけたTha 'Rtho Na Se Xypnisoで、同じコンピレーションの写真が出ています。どれも味わい深さマックスです!
Faces of Rebetikoというコンピレーションから、レベティコ、ベリーダンス、ユダヤのクレツマー、マーティン・デニーの曲、更にはビーチボーイズのサーフ・ロックまで、共通のレパートリーとして知られるエキゾチックな「エジプト娘」を描いたミシルルー(英語ではミザルー)を時間まで聞きながら今回はお別れです。Mikes Patrinosの歌唱です。ギリシア語読みから来ている「エジプト」の、アラビア語での呼称「ミスル」に由来するこの歌は、レベティコの様式で、トルコあるいはギリシアのテンポのゆったりしたダンスであるチフテテッリの舞踊のための歌として作曲され、レベティコ勃興と共に生まれた曲と考えられているようです。
<8 Rosa Eskenazi / The Washer's Woes (Ta Vasana Tis Plistras) 3分17秒>
では最後にFaces of Rebetikoというコンピレーションから、レベティコ、ベリーダンス、ユダヤのクレツマー、更にはビーチボーイズのサーフ・ロックまで、共通のレパートリーとして知られるエキゾチックな「エジプト娘」を描いたミシルルー(英語ではミザルー)を時間まで聞きながら今回はお別れです。Mikes Patrinosの歌唱です。ギリシア語読みから来ている「エジプト」のアラビア語での呼称「ミスル」に由来するこの歌は、レベティコの様式で、トルコあるいはギリシアのテンポのゆったりしたダンスであるチフテテッリの舞踊のための歌として作曲され、レベティコ勃興と共に生まれた曲と考えられているようです。
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