フォドル・シャーンドル<ネティ>とは対照的な、都会のジプシー音楽のルーツを聞くようなポッタ・ゲザの演奏を今週の最後にかけました。ハンガリーFolk Europaから出ていたSzulettem mint primasのラストに入っていましたが、この曲はヘルツク・アーグネシュがフォノー・ゼネカルとのMixtvra Cvltivalisの最初に歌っていたチャールダーシュ「Ej, A Titkos Szerelem 秘密の愛」と同じ曲で、原曲はかつてハンガリー北部で今はスロヴァキア領になっているMagyarbőd(スロヴァキア語ではBidovce)のポリフォニックな民謡です。ヘルツク・アーグネシュとフォノー・ゼネカルの演奏を2本目に、これも前に上げた動画ですが、そのポリフォニックな少女の重唱を3本目に入れます。短調、長調が繰り返し入れ替わる大変美しい旋律で、この歌唱はスロヴァキアのスラヴ系歌唱伝統から来ているのかとも思いますが、それが大変気になります。
ポッタ・ゲザはスロヴァキアの国境に近い村に1933年に生まれたジプシー・ヴァイオリニストで、田舎の小編成のチャールダーシュやヴェルブンクが聞ける貴重盤でした。現在はスロヴァキアに入る辺りに都会のジプシー音楽のルーツがあるようですので、その古いスタイルの生き証人と言えるのではと思います。後半はブギのような西側リスナーへのサービスのような曲もありますが、前半はこの曲のような野趣溢れる、時には弾き語りで聞かせる盤でした。
ハンガリー音楽の36回目になります。そろそろ現代ハンガリー・トラッドのシリーズは、ムジカーシュをトリにして終えようかと思いますが、その前にムジカーシュにも影響を与えたと思しきジプシー(ロマ)の名フィドラー、Fodor Sánfor(Netti) フォドル・シャーンドル<ネッティ>の音源から始めたいと思います。エルデーイのハンガリー農村音楽の文化が色濃く残るカロタセグの中でも、特に有名なフィドラーです。帽子を小粋に被ってムジカーシュのメンバーと演奏している写真が、フンガロトン原盤でアルファエンタープライズから1989年に国内盤も出ていた第7回ダンスハウス編集盤のジャケットを飾っていました。法悦あるいは愉悦の表情を湛えたこの写真が余りに印象的で、この盤に彼の演奏はありませんでしたが、この1枚の写真だけでも長く記憶に残っていました。泉が湧き出るように装飾豊かなフィドルを奏でる人で、これからおかけする曲でもよく分かります。フンガロトンから出ていたHungarian Folk Music from Transylvaniaは手元には残っていませんでしたが、ストリーミングにありましたので、3,4,5曲目を続けて出来るだけノーカットでおかけしたいと思います。ムジカーシュのコントラ奏者が伴奏で参加しています。この盤でも帽子を被った彼の4枚の写真がジャケットになっています。
<3 A Couple of Dances from Kalotaszeg 9分42秒>
<4 Lament, Morning Dance and Swift 8分24秒>
<5 Verbunk from Bodonkút 4分49秒>
曲名は、カロタセグのカップルダンス、哀歌と朝のダンスとスイフト、ボドンクートのヴェルブンクでした。
では最後に、フォドル・シャーンドル<ネティ>とは対照的な、都会のジプシー音楽のルーツを聞くようなポッタ・ゲザの演奏を聞きながら今回はお別れです。ハンガリーFolk Europaから出ていたSzulettem mint primasのラストに入っていましたが、この曲はヘルツク・アーグネシュがフォノー・ゼネカルとのMixtvra Cvltivalisの最初に歌っていたチャールダーシュ「Ej, A Titkos Szerelem 秘密の愛」と同じ曲で、原曲はかつてハンガリー北部で今はスロヴァキア領になっているMagyarbőd(スロヴァキア語ではBidovce)のポリフォニックな民謡です。
ポッタ・ゲザはスロヴァキアの国境に近い村に1933年に生まれたジプシー・ヴァイオリニストで、田舎の小編成のチャールダーシュやヴェルブンクが聞ける貴重盤でした。現在はスロヴァキアに入る辺りに都会のジプシー音楽のルーツがあるようですので、その古いスタイルの生き証人と言えるのではと思います。
<2 De Petrecere (Asztali Nota) Es Amikor Atoltozik A Menyasszony 2分48秒>
<4 De Petrecere (Cigany, Roman Asztali Nota) 3分59秒>
<6 Hore A Mortului (Cigany Virraszto Enekek) 1分5秒>
Gabi Covaci de la Ieud tri patru pretini mi-as fa.mpg
7枚目のJod - Ieud(マラマロシュ/マラムレシュの農村音楽)から続けますが、11曲目はジプシーの哀歌で、14曲目はジプシーとマジャールのクリスマス・キャロルです。この盤の最後19曲目には、ほとんど唯一のハンガリー音楽Hosszumezei Magyar Csardasが入っています。3曲続けます。
<11 Cigany Keservesek 3分59秒>
<14 Cigany Es Magyar Karacsonyi Enek 2分32秒>
<19 Hosszumezei Magyar Csardas 1分57秒>
では最後に14枚目のSzasztancs (ムレシュ地方北部の農村音楽)から、6曲目のForduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycleを時間まで聞きながら今回はお別れです。ムレシュ地方北部と言うのは、ビストリツァの東、マラムレシュの南方に位置する場所で、音楽は素朴なハンガリー系になってきます。
ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週
<6 Forduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycle 11分41秒>
メータと言えば、昔からイギリスARC盤の印象が強く、同じ音源がフルプライス、ミッドプライス、バジェットと価格が下がって行くことも多いレーベルでした。「ハンガリー盤のライセンスリリースかも知れない」と番組で解説を入れたのも、価格帯が下がって、原盤表示が消えていることもあるかも知れないと思ったからです。このレーベルは他のジャンルでも、とにかく各国の原盤からのライセンス・リリースが多かったです。
メータも、正式名称のmeta együttesで検索すると、色々出てきます。動画は珍しいようなので1本目に入れました。これは割と最近の映像でしょうか。いつもARC盤のジャケットで、にこやかに写っていた女性メンバーのフィドル演奏の動画を見れて嬉しい限りです。2本目は、番組でかけたFekete Gyász, Fehér Ürömと言う曲で、「黒い嘆きと白い苦味」と訳せるようです。エルデーイの中でも古いハンガリー音楽が色濃く残るカロタセグの曲です。番組でかけたもう一曲、ハンガリーの国民的英雄になっている独立運動の指導者コッシュートをテーマにした曲、Lajos Kossuth Wanted You To Knowの動画は見当たりませんでした。
Szabad madár - MÉTA együttes - DunaTV Élő népzene - részlet - 3.
<Arad és bihar megyei román népzene (Cimpoi) 3分6秒>
<Arad és bihar megyei román népzene (Roata) 2分37秒>
<Arad és bihar megyei román népzene (Poarga) 1分25秒>
<Arad és bihar megyei román népzene (Ardeleana) 2分13秒>
<Arad és bihar megyei román népzene (Minintalu) 3分16秒>
次にテーカと似た名前にも思えるメータの音源ですが、ハンガリー盤のライセンスリリースかも知れないイギリスARCの2枚が手元にありますので、Traditional Hungaryと言う盤から、エルデーイの中でも古いハンガリー音楽が色濃く残るカロタセグの曲でFekete Gyász, Fehér Ürömと言う曲をおかけします。曲名は「黒い嘆きと白い苦味」と訳せるようです。
<8 Fekete Gyász, Fehér Üröm 7分36秒>
では最後に、メータのもう一枚Gypsy Music from Hugaryから、Lajos Kossuth Wanted You To Know...と言う、ハンガリーの国民的英雄になっている独立運動の指導者コッシュートをテーマにした曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。この盤はツィンバロムの名手カールマン・バログとの共演盤で、彼のツィンバロムをフィーチャーしています。
若い頃のベラ・ハルモーシュがコントラバスを構えた写真で始まる1本目のセークの曲は、実際はヘゲドゥー(ヴァイオリン)弾き語りをしていて、この人は歌も素晴らしいと思いました。コントラ(伴奏ヴィオラ)はifj. Csoóri Sándor 、コントラバスはムジカーシュのÉri Péterです。2本目はベラ・ハルモーシュの葬儀、3本目は追悼コンサートの映像です。徹夜で行われたそうです。どちらも、いかに各方面から慕われていた重鎮だったかが分かる映像です。3本目の解説を要約すると以下の通りです。このように物凄い業績を残しながらも、90年代以降カラマイカ・アンサンブル以外に余りCDがなかったように思いますので、それが日本では余り知られていない理由でしょうか。
Táncházi Muzsikaは、同じタイトルの別音源のYouTubeはありますが、番組でかけた方は全く見当たりません。1989年に同じくフンガロトンから出たHungarian Folk Music From Transylvaniaのラストを飾っている"Our House Is Thatched"と言う曲を番組の最後にかけましたが、こちらはありました。当時彼は43歳位かなと思います。英訳タイトルを訳すと今日のブログタイトルになります。ベラ・ハルモシュの伴奏で歌っている女性歌手がマルタ・セバスチャンなのかどうか気になりますが、現物は手元にないので、残念ながら不明です。89年当時はワールドミュージック・ブームの全盛期ですから、この盤の記憶はある人もいらっしゃるのではと思います。しみじみとしたとても印象的な一曲です。
ハンガリー音楽の33回目になります。そして、現代ハンガリー・トラッドの10回目になります。前々回、ダンスハウス運動の仕掛け人ながら、現在は余り知られてないかも知れないベラ・ハルモシュの音源をかけました。ハンガリーのトラッドでは最重要人物の一人ですので、今回取り上げるとゼアミブログで予告していました。90年代頃にフンガロトン盤Hungarian Folk Music From Transylvaniaを見たくらいで余り知らなかったので、調べてみましたが、1946年生まれで、2013年に67歳で亡くなられていました。
実験音楽の活動から伝統音楽と出会い、エルデーイの農村をフィールドワークし、各村々の老人からヴァイオリンの演奏法や曲を習得し、後にバルトーク舞踊団専属の演奏家として活動するようになりました。1972年からブダペストで開催されるようになったダンスハウスで初めて演奏した内の一人です。
ベラ・ハルモシュ(あるいはハルモーシュ・ベラ)名義で出た先ほどのHungarian Folk Music From Transylvaniaが出たのは、1989年のようですが、ダンスハウスのムーヴメントが始まった1972年頃の音源を調べてみますと、相方のシェベー・フェレンツと組んでいたシェベー・アンサンブル(ハンガリー語ではSebő együttes)名義のものが沢山ありました。CDでは見た記憶がないので、当時出ていたLP音源だと思います。ストリーミングには夥しい数の音源が上がっています。
その内の一枚、同じくフンガロトンから1978年に出ていたTáncházi Muzsika(ダンスハウスの音楽)を聞いてみると、選曲に困るほど面白い演奏がひしめいていました。ルーツである実験的な要素も感じさせますが、見た目で言うと当時のベラ・ハルモシュは長髪で、いかにも70年代初めらしい、ヒッピー的な一面も感じられるように思いました。とにかく熱いムーヴメントの最盛期の音を聞く思いです。
ハンガリーに入ってから度々登場している「エチェル村の結婚式」のセークの音楽の演奏もありましたので、その10曲目から何曲か続けます。軽快な12曲目のGyülekező tánc Zalából (Szignál)と、サトマール地方のヴェルブンクとチャールダーシュ、ウグローシュと続く、Szatmári táncrend (Verbunk, Csárdás, Ugrós)の3曲を続けておかけします。
<10 Széki lakodalmas dallamok (Rákóczi induló - Szerelem, szerelem - A menyasszony szép virág - A kapuba a szekér) 5分35秒>
<12 Gyülekező tánc Zalából (Szignál) 1分28秒>
<14 Szatmári táncrend (Verbunk, Csárdás, Ugrós) 2分11秒>
1989年のHungarian Folk Music From Transylvaniaからも、ラストを飾っている"Our House Is Thatched"と言う曲をおかけします。ベラ・ハルモシュの伴奏で歌っている女性歌手がマルタ・セバスチャンなのかどうか気になりますが、現物は手元にないので、残念ながら不明です。この曲を聞きながら今回はお別れです。
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