« 2023年3月 | トップページ | 2023年5月 »

2023年4月

2023年4月28日 (金)

ハンガリー農村音楽と都市のジプシー音楽の老フィドラー

今週の終わりに、ハンガリー農村音楽と都市のジプシー音楽の老フィドラーのお二人、フォドル・シャーンドル・ネティとポッタ・ゲザの生映像を上げておきます。フォドル・シャーンドルが54分、ポッタ・ゲザの方は3時間もあります。ポッタ・ゲザの生没年は1933-2007のようですので、何と亡くなる前年の演奏です。昨日の曲、Pimasz Emlékéreも1時間半頃に出てきます。
同じジプシーで、農村音楽と都市部のチャールダーシュに分かれるのは何故なのか、お互いの交流はないのか、改めてそういう素朴な疑問を感じます。都市部のチャールダーシュとは言っても、ポッタ・ゲザの演奏はルーツの泥臭い芸に近いと思います。ハンガリー東部のサトゥマールにもそういう演奏が残っていて、ユダヤ系音楽を含むそのフンガロトン盤を前にかけました。この辺りで演奏しているジプシーにとって、農村音楽との差は、それ程ないのかも知れません。(ヘルツク・アーグネシュは、両方取り上げています。)都市部のチャールダーシュには、スロヴァキア音楽の要素も多分に流れ込んでいるのでは、と言うのが最近の最も気になる点です。

Fodor 'Neti' Sándor (Szomjas György, 2000) - Teljes film

Potta Géza muzsikál (Pányok 2006. március 05.)

| | コメント (0)

2023年4月27日 (木)

ポッタ・ゲザのPimasz EmlékéreとEj a titkos szerelem

フォドル・シャーンドル<ネティ>とは対照的な、都会のジプシー音楽のルーツを聞くようなポッタ・ゲザの演奏を今週の最後にかけました。ハンガリーFolk Europaから出ていたSzulettem mint primasのラストに入っていましたが、この曲はヘルツク・アーグネシュがフォノー・ゼネカルとのMixtvra Cvltivalisの最初に歌っていたチャールダーシュ「Ej, A Titkos Szerelem 秘密の愛」と同じ曲で、原曲はかつてハンガリー北部で今はスロヴァキア領になっているMagyarbőd(スロヴァキア語ではBidovce)のポリフォニックな民謡です。ヘルツク・アーグネシュとフォノー・ゼネカルの演奏を2本目に、これも前に上げた動画ですが、そのポリフォニックな少女の重唱を3本目に入れます。短調、長調が繰り返し入れ替わる大変美しい旋律で、この歌唱はスロヴァキアのスラヴ系歌唱伝統から来ているのかとも思いますが、それが大変気になります。
ポッタ・ゲザはスロヴァキアの国境に近い村に1933年に生まれたジプシー・ヴァイオリニストで、田舎の小編成のチャールダーシュやヴェルブンクが聞ける貴重盤でした。現在はスロヴァキアに入る辺りに都会のジプシー音楽のルーツがあるようですので、その古いスタイルの生き証人と言えるのではと思います。後半はブギのような西側リスナーへのサービスのような曲もありますが、前半はこの曲のような野趣溢れる、時には弾き語りで聞かせる盤でした。

Pimasz emlékére · Géza Potta

Fonó zenekar _ Ej a titkos szerelem

"Ej, a titkos szerelem titkosan kezdődik"

| | コメント (0)

2023年4月26日 (水)

ネッティのチャールダーシュ

フォドル・シャーンドル ❝ネッティ❞(1922-2004)は結構前の人なので、動画は余りないのでは、と思っていましたが、晩年まで活躍していたので結構あるようです。「ネッティのチャールダーシュ」とタイトルの付いた1本目の映像では、手前の息子と演奏していますが、この2001年の時は79歳でしょうか。全く技術の衰えを感じさせません。10分頃に「エチェル村の結婚式」のセーク組曲のラストの曲が出てきますが、クルージュの向こう側の村の曲も演奏しているのは、カロタセグに集まったダンサーへのサービスでしょうか。2本目は91年の映像のようで、コントラ奏者Nonika Miklósもネッティに負けず劣らず個性的で強烈です。Nonika Miklósの綽名は "Hitler"(ヒトラー)となっていて、驚きました。タバコの火が付いたまま胸ポケットに入れているように見えますが(笑)

Neti's csárdás

Kalotaszeg - Nonika Miklós brácsázik

| | コメント (0)

2023年4月24日 (月)

フォドル・シャーンドル<ネッティ>の芸

ゼアミdeワールド356回目の放送、日曜夜10時にありました。26日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。ポッタ・ゲザは、また後日。

ハンガリー音楽の36回目になります。そろそろ現代ハンガリー・トラッドのシリーズは、ムジカーシュをトリにして終えようかと思いますが、その前にムジカーシュにも影響を与えたと思しきジプシー(ロマ)の名フィドラー、Fodor Sánfor(Netti) フォドル・シャーンドル<ネッティ>の音源から始めたいと思います。エルデーイのハンガリー農村音楽の文化が色濃く残るカロタセグの中でも、特に有名なフィドラーです。帽子を小粋に被ってムジカーシュのメンバーと演奏している写真が、フンガロトン原盤でアルファエンタープライズから1989年に国内盤も出ていた第7回ダンスハウス編集盤のジャケットを飾っていました。法悦あるいは愉悦の表情を湛えたこの写真が余りに印象的で、この盤に彼の演奏はありませんでしたが、この1枚の写真だけでも長く記憶に残っていました。泉が湧き出るように装飾豊かなフィドルを奏でる人で、これからおかけする曲でもよく分かります。フンガロトンから出ていたHungarian Folk Music from Transylvaniaは手元には残っていませんでしたが、ストリーミングにありましたので、3,4,5曲目を続けて出来るだけノーカットでおかけしたいと思います。ムジカーシュのコントラ奏者が伴奏で参加しています。この盤でも帽子を被った彼の4枚の写真がジャケットになっています。

<3 A Couple of Dances from Kalotaszeg 9分42秒>

<4 Lament, Morning Dance and Swift 8分24秒>

<5 Verbunk from Bodonkút 4分49秒>

曲名は、カロタセグのカップルダンス、哀歌と朝のダンスとスイフト、ボドンクートのヴェルブンクでした。

では最後に、フォドル・シャーンドル<ネティ>とは対照的な、都会のジプシー音楽のルーツを聞くようなポッタ・ゲザの演奏を聞きながら今回はお別れです。ハンガリーFolk Europaから出ていたSzulettem mint primasのラストに入っていましたが、この曲はヘルツク・アーグネシュがフォノー・ゼネカルとのMixtvra Cvltivalisの最初に歌っていたチャールダーシュ「Ej, A Titkos Szerelem 秘密の愛」と同じ曲で、原曲はかつてハンガリー北部で今はスロヴァキア領になっているMagyarbőd(スロヴァキア語ではBidovce)のポリフォニックな民謡です。
ポッタ・ゲザはスロヴァキアの国境に近い村に1933年に生まれたジプシー・ヴァイオリニストで、田舎の小編成のチャールダーシュやヴェルブンクが聞ける貴重盤でした。現在はスロヴァキアに入る辺りに都会のジプシー音楽のルーツがあるようですので、その古いスタイルの生き証人と言えるのではと思います。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<Pimasz Emlékére 2分48秒>

| | コメント (0)

2023年4月21日 (金)

トランシルヴァニアの村々の位置関係

この一週間ほど特に気になっていたのは、カロタセグの正確な場所と、セーク、マジャールパラトカ、マジャールソヴァートの位置関係でした。クルージュ・ナポカの西側のカロタセグは、この地の名フィドラー、フォドル・シャーンドルを23日の番組で取り上げますので来週に回しまして、今日は他の3つの村の位置にこだわります。それぞれルーマニア語では、セークはSic(シク)、マジャールパラトカはPalatca(パラトカ)、マジャールソヴァートはSuatu(スワトゥ)と表記されています。いずれもクルージュ・ナポカ(ハンガリー語ではコロジュヴァール)の東に位置し、同心円状に並んでいるのでクルージュからの距離は大体20~25キロ、それぞれの村同士の距離は10~15キロでした。クルージュ県の行政区分で見ると、それぞれほとんど隣接しています。北からセーク、マジャールパラトカ、マジャールソヴァートの順ですが、セークとマジャールパラトカの間だけ他の村が挟まっていました。
卑近な例で言いますと、マジャールソヴァートを今治とすれば、マジャールパラトカは朝倉、セークは壬生川か丹原くらいの距離かと思います。それ程近くの場所と言う事です。驚くべきは、それぞれの村に歌や音楽などにおいて、それぞれ固有の伝承がある(あった?)ことでしょう。今治の辺りでも、昔は町ごとに固有の語彙や言い回しがあって、通じないこともあったことを思い出します。今治周辺でも昔は民謡の類が村々で違っていたのかも知れません。
今日の動画は、番組で最後にかけたSzasztancs (ムレシュ地方北部の農村音楽)から、6曲目のForduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycleです。ムレシュ地方北部と言うのは、ビストリツァの東、マラムレシュの南方に位置する場所です。上記3村からは北東方向に離れていて、カルパチア山脈寄りです。位置が分かると、少し寒い場所の音楽のようにも聞こえます。

<6 Forduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycle 11分41秒>

| | コメント (0)

2023年4月20日 (木)

Jod - Ieud(マラマロシュ/マラムレシュの農村音楽)

ウイ・パトリアの7枚目、Jod - Ieud(マラマロシュ/マラムレシュの農村音楽)も、De Petrecereと付いた2曲以外はYouTubeがありましたので、他の4曲をまとめて貼っておきます。見当たらなかったDe Petrecereの2曲は、結婚式などのパーティー関係という事で、色々な動画に埋もれているものと思われます。たまたま選んだのが、ジプシー(ロマ)系の音楽でした。第二次大戦前には、更にユダヤ系の曲もあったはずですが、今はムジカーシュの名盤「マラマロシュ」の演奏で往時を偲ぶくらいです。
イエウドの位置をマップで確認しました。マラムレシュ県の県都バヤ・マーレの東50キロほどのカルパチア山脈中の村で、世界遺産『マラムレシュの木造聖堂群』の一つがあります。(以下放送原稿を再度)

ルーマニア北部に位置するマラムレシュの音源は、前にルーマニアの時にオコラ盤などをかけましたが、明らかに類似の音楽に聞こえますので、ハンガリー系ではなくルーマニア系の音楽になります。タイトルもルーマニア語のマラムレシュ方言のようですし、フィドルの音もルーマニア南部のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスなどのワラキアジプシーの音楽に似ているので、ハンガリー系の多い北トランシルヴァニアと南のワラキアでは大分離れているのに、ルーマニア系と言うことだけで似て来るので不思議です。

<6 Hore A Mortului (Cigany Virraszto Enekek) 1分5秒>

11曲目はジプシーの哀歌で、14曲目はジプシーとマジャールのクリスマス・キャロルです。この盤の最後19曲目には、ほとんど唯一のハンガリー音楽Hosszumezei Magyar Csardasが入っています。

<11 Cigany Keservesek 3分59秒>

<14 Cigany Es Magyar Karacsonyi Enek 2分32秒>

<19 Hosszumezei Magyar Csardas 1分57秒>

| | コメント (0)

2023年4月19日 (水)

トランシルヴァニアのコブシ オリジナルとサローキ・アーギの歌唱

ウイ・パトリアのマラムレシュの音源は何故かYouTubeには見当たりませんが、マジャールソヴァートの老婦人の独唱はありました。このシリーズの15枚目のMagyarszovat(トランシルヴァニアの荒れ野の農村音楽)は唯一在庫が残っておりまして、確か同じ曲を前にゼアミブログの方で取り上げたようにも思います。類似の歌唱という事で、サローキ・アーギの2017年作からマジャールソヴァートの歌を歌った14分ほどの曲を再度2本目に上げておきます。どちらも日本の追分に似た、コブシ豊かな節回しがとても味わい深いです。エルデーイ(トランシルヴァニア)の中心都市クルージュ・ナポカから東に25キロほどしか離れてない場所に、こんな歌があったとは驚きです。マジャールソヴァートのルーマニア語名はSuatuで、マップにもSuatuで出てきます。

<6 Édesanyám Megátkozott... 1分44秒>

Magyarszováti

| | コメント (0)

2023年4月17日 (月)

Uj Patriaのマラムレシュ(マラマロシュ)

ゼアミdeワールド355回目の放送、日曜夜10時にありました。19日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。予想通りUj PatriaシリーズはYouTubeには上がってないようです。代わりに、前にルーマニアのマラムレシュの時に見たようなイエウドでの民謡の映像ですが、一本入れておきます。

ハンガリー音楽の35回目になります。今回は現代ハンガリー・トラッドと言うよりも、トラッドシーンの活動の源になったトランシルヴァニア各地の村々での現地録音を特集したハンガリーFonoのUj Patriaシリーズから、手元に資料の残っていた2枚を中心におかけします。ウイ・パトリアは「新しい祖国」の意味になります。

このシリーズは、把握しているだけで17枚は出ていた地方別ハンガリー伝統音楽集で、CDサイズの50ページほどのブックレットにCDが入った装丁で、英文解説も付いて、現地取材は97~98年ですから録音も良いものが多く、正に一大アーカイヴになっています。20世紀の終わりに録音されたとは思えない新鮮な驚きに満ちたシリーズでした。エルデーイ(トランシルヴァニア)地方の録音場所は、度々名前の上がっているセーク、カロタセグ、マジャールパラトカ、マジャールソヴァート、ジメシュ、サースチャーヴァーシュなどがあります。セーク、マジャールパラトカ、マジャールソヴァートの3つは、トランシルヴァニアの中心都市クルージュ・ナポカの東側にあり、北東の方にある小説「吸血鬼ドラキュラ」で有名なビストリツァの間に点在しています。カロタセグは、逆にクルージュの西側に位置し、かなり広いエリアを指すようです。サースチャーヴァーシュはクルージュからは南東方向のシギショアラに近い辺りで、ジメシュは東のモルドヴァの一地方です。

手元にあるのは7枚目のJod - Ieud(マラマロシュ/マラムレシュの農村音楽)と14枚目のSzasztancs (ムレシュ地方北部の農村音楽)ですので、まずマラムレシュの方から6曲抜粋しました。ルーマニア北部に位置するマラムレシュの音源は、前にルーマニアの時にオコラ盤などをかけましたが、明らかに類似の音楽に聞こえますので、ハンガリー系ではなくルーマニア系の音楽になります。タイトルもルーマニア語のマラムレシュ方言のようですし、フィドルの音もルーマニア南部のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスなどのワラキアジプシーの音楽に似ているので、ハンガリー系の多い北トランシルヴァニアと南のワラキアでは大分離れているのに、ルーマニア系と言うことだけで似て来るので不思議です。では2,4,6曲目を3曲続けておかけします。

<2 De Petrecere (Asztali Nota) Es Amikor Atoltozik A Menyasszony 2分48秒>
<4 De Petrecere (Cigany, Roman Asztali Nota) 3分59秒>
<6 Hore A Mortului (Cigany Virraszto Enekek) 1分5秒>

Gabi Covaci de la Ieud tri patru pretini mi-as fa.mpg

7枚目のJod - Ieud(マラマロシュ/マラムレシュの農村音楽)から続けますが、11曲目はジプシーの哀歌で、14曲目はジプシーとマジャールのクリスマス・キャロルです。この盤の最後19曲目には、ほとんど唯一のハンガリー音楽Hosszumezei Magyar Csardasが入っています。3曲続けます。

<11 Cigany Keservesek 3分59秒>
<14 Cigany Es Magyar Karacsonyi Enek 2分32秒>
<19 Hosszumezei Magyar Csardas 1分57秒>

次に15枚目のMagyarszovat(トランシルヴァニアの荒れ野の農村音楽)は唯一在庫が残っていまして、ストリーミングにも上がっていますので、確か前にゼアミブログの方で取り上げたのと同じ曲の女性独唱を1曲おかけしておきます。日本の追分に似た、コブシ豊かな節回しがとても味わい深いです。

<6 Édesanyám Megátkozott... 1分44秒>

では最後に14枚目のSzasztancs (ムレシュ地方北部の農村音楽)から、6曲目のForduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycleを時間まで聞きながら今回はお別れです。ムレシュ地方北部と言うのは、ビストリツァの東、マラムレシュの南方に位置する場所で、音楽は素朴なハンガリー系になってきます。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<6 Forduló, Csárdás, Korcsos És Cigánycsárdás. Four dance cycle 11分41秒>

| | コメント (0)

2023年4月14日 (金)

テーカの40周年と1987年の映像

テーカの2016年の40周年の映像と、1987年の2時間を越える映像が見つかりました。前者ではすっかり白髪(あるいは…)になったメンバーが、まだバリバリ演奏されている風景を見ることが出来ました。Wildflowersのリリースから7年経っています。1本目はベラ・ハルモーシュのメモリアルも兼ねているようで、ステージにはムジカーシュのミハーイ・シポシュもいます。彼は先日上げたベラ・ハルモーシュの葬儀の映像でも、演奏の列の先頭にいました。
後者はダンスハウス初期の熱気がまだまだ感じられる映像です。1987年と言えば、東欧の民主化前夜。テーカは活動11年目です。沸騰する時代の雰囲気を感じる映像です。しかし、一つのグループが40年メンバーを変えずに活動するのは、容易なことではないと思います。ロックではほとんどあり得ないでしょう。やはり老若男女が共に楽しむエルデーイのハンガリー農村音楽のなせる業でしょうか。

Téka 40 - 12. In Memoriam Halmos Béla és mestereink

Téka 40 - 7. Szállj szállj madár

Téka Tábor - 1987 Nagykálló 2.

| | コメント (0)

2023年4月13日 (木)

メータ・エジュッテシュ

メータと言えば、昔からイギリスARC盤の印象が強く、同じ音源がフルプライス、ミッドプライス、バジェットと価格が下がって行くことも多いレーベルでした。「ハンガリー盤のライセンスリリースかも知れない」と番組で解説を入れたのも、価格帯が下がって、原盤表示が消えていることもあるかも知れないと思ったからです。このレーベルは他のジャンルでも、とにかく各国の原盤からのライセンス・リリースが多かったです。
メータも、正式名称のmeta együttesで検索すると、色々出てきます。動画は珍しいようなので1本目に入れました。これは割と最近の映像でしょうか。いつもARC盤のジャケットで、にこやかに写っていた女性メンバーのフィドル演奏の動画を見れて嬉しい限りです。2本目は、番組でかけたFekete Gyász, Fehér Ürömと言う曲で、「黒い嘆きと白い苦味」と訳せるようです。エルデーイの中でも古いハンガリー音楽が色濃く残るカロタセグの曲です。番組でかけたもう一曲、ハンガリーの国民的英雄になっている独立運動の指導者コッシュートをテーマにした曲、Lajos Kossuth Wanted You To Knowの動画は見当たりませんでした。

Szabad madár - MÉTA együttes - DunaTV Élő népzene - részlet - 3.

Fekete gyasz, feher urom

| | コメント (0)

2023年4月12日 (水)

テーカ1989

1976年に活動開始し、翌年からバルトーク舞踊団専属の楽団として活動してきたテーカ。ダンスハウス後のハンガリートラッドと言えば、(特に日本では?)ムジカーシュ&マルタ・セバスチャンにばかり目が行きがちの時期が続きましたが、テーカは実力派のグループとして自らのレーベルTeka Foundationから数枚CDもリリースしていました。ハンガリー盤で入手が割と難しかったので、イギリスARCからCDが出ていたメータの方がより知られていたようにも思います。2000年代に入ってこれまで取り上げた歌姫などが登場し、その華やかさにムジカーシュですら影が薄くなったように感じられるようになって15年は経つでしょうか。TEKA ALAPITVANYから2009年に出たWildflowersまでは情報がありますが、テーカやメータは最近どうしているのだろうかと気になります。
téka együttesと正式名称で検索すると色々出てきました。今日の1本はテーカのステージですが、1989年と結構古いものです。ヴァイオリン、コントラ(伴奏ヴィオラ)、コントラバスの演奏に男女の踊りが入って、ハーディーガーディー(手回しヴァイオリン)やツィンバロム、コボス、ガルドン、バグパイプまで、色々な楽器を巧みに操っています。

Téka együttes - Svájc 1989

| | コメント (0)

2023年4月10日 (月)

テーカとメータ

ゼアミdeワールド354回目の放送、日曜夜10時にありました。12日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。番組はFMラヂオバリバリのホームページ、http://www.baribari789.com/から、どこででもお聞き頂けます。

ハンガリー音楽の34回目になります。そして、現代ハンガリー・トラッドの11回目になります。今回は、ダンスハウス運動の初期から活動している老舗グループ2つの音源をご紹介したいと思います。テーカが1976年、メータが1983年に活動開始しています。
テーカは結成された1976年の翌年からバルトーク舞踊団専属の楽団として活動し、ハンガリー農村音楽を追及してきましたが、縦に構える伴奏ヴィオラの特徴的な演奏風景をジャケットに持ってきたŐskelet (Ancient East)には、ルーマニア北西部に位置しハンガリーと接するアラド県とビハール県のルーマニア民俗音楽と言う曲が入っていて、曲名通りハンガリー系音楽ではないのだとしたら、彼らとしては稀な曲だと思います。様々な楽器をトップに据えたスピード感溢れる5曲で組曲のようになっていますので、5曲続けておかけします。

<Arad és bihar megyei román népzene (Cimpoi) 3分6秒>

<Arad és bihar megyei román népzene (Roata) 2分37秒>

<Arad és bihar megyei román népzene (Poarga) 1分25秒>

<Arad és bihar megyei román népzene (Ardeleana) 2分13秒>

<Arad és bihar megyei román népzene (Minintalu) 3分16秒>

次にテーカと似た名前にも思えるメータの音源ですが、ハンガリー盤のライセンスリリースかも知れないイギリスARCの2枚が手元にありますので、Traditional Hungaryと言う盤から、エルデーイの中でも古いハンガリー音楽が色濃く残るカロタセグの曲でFekete Gyász, Fehér Ürömと言う曲をおかけします。曲名は「黒い嘆きと白い苦味」と訳せるようです。

<8 Fekete Gyász, Fehér Üröm 7分36秒>

では最後に、メータのもう一枚Gypsy Music from Hugaryから、Lajos Kossuth Wanted You To Know...と言う、ハンガリーの国民的英雄になっている独立運動の指導者コッシュートをテーマにした曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。この盤はツィンバロムの名手カールマン・バログとの共演盤で、彼のツィンバロムをフィーチャーしています。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<6 Lajos Kossuth Wanted You To Know 5分8秒>

| | コメント (0)

2023年4月 7日 (金)

ベラ・ハルモーシュの葬儀と追悼コンサート

若い頃のベラ・ハルモーシュがコントラバスを構えた写真で始まる1本目のセークの曲は、実際はヘゲドゥー(ヴァイオリン)弾き語りをしていて、この人は歌も素晴らしいと思いました。コントラ(伴奏ヴィオラ)はifj. Csoóri Sándor 、コントラバスはムジカーシュのÉri Péterです。2本目はベラ・ハルモーシュの葬儀、3本目は追悼コンサートの映像です。徹夜で行われたそうです。どちらも、いかに各方面から慕われていた重鎮だったかが分かる映像です。3本目の解説を要約すると以下の通りです。このように物凄い業績を残しながらも、90年代以降カラマイカ・アンサンブル以外に余りCDがなかったように思いますので、それが日本では余り知られていない理由でしょうか。

1946年ソンバトヘイ生まれ。1970 年、ブダペスト工科大学建築学部で建築工学の学位を取得。 1970 年から 1972 年まで、そして 1979 年から 1982 年まで、彼は都市計画科学計画研究所で都市計画建築家として働いていました。
彼は子供の頃から音楽を演奏しており、1969 年からフォーク ミュージックに真剣に取り組んでいます。 パフォーマーとして、彼は当初、Sebő-Halmos デュオのメンバーとして、その後Sebő グループの創設メンバーとして活動しました。 1991年よりカラマイカ・アンサンブルのプリマを務め、1972 年から 1979 年まで、バルトークのフォーク ダンス アンサンブルの指揮者でした。
ダンスハウス運動の発端から積極的に関わってきた彼は、ミュージシャン、インストラクター、オーガナイザー、フォーク ミュージック コレクター、研究者として活動してきました。 ハンガリー科学アカデミーの民俗音楽研究グループ、そしてハンガリー科学アカデミーの音楽学研究所の外部職員として、彼はジェルジ・マルティンから民俗舞踊音楽に属するヴァイオリン曲を書き、オーケストラを準備するよう依頼されました。彼は 10 年以上にわたり、セークの首長である István Ádám と彼のオーケストラの資料を収集し、そこから最終的に博士論文が生まれました。1992年以来、彼はハンガリー文化研究所の上級職員であり、そこで器楽民俗音楽研究グループを設立しました。 1999 年にダンスハウス・アーカイブの組織化を開始し、2000 年から亡くなるまでそのリーダーを務めました。
勤務時間外には、さまざまなフォーク ミュージックやフォーク ダンス イベントの恒久的な参加者、主催者、プロのパートナー、審査員を務めています。 彼は、全国アマチュア フォーク ダンサー評議会の音楽セクション、ハンガリー ユネスコ委員会の文化委員会、コシュートの音楽とダンスの小委員会、およびセーチェーニ賞のメンバーでした。 彼はダンスハウス商工会議所 (現在のダンスハウス・エジェシュレット) の初代会長であり、その後理事会のメンバーであり、ハンガリー音楽評議会の創設メンバーでもありました。 また、2007 年の設立以来、非営利団体 Hagyomány Háza Bárati Köre の会長も務めています。 政権交代後は、テレビ番組やインディペンデント映画の音楽監督、編集者、フォーク ミュージックの専門家を務めました。
パフォーマーとして、彼は数多くのオーディオ レコーディングに出演し、フォーク ミュージックの出版物を編集しています。 彼はフォーク インストゥルメンタル ダンス ミュージックとダンス ホール運動に関する研究と独立した書籍の著者です。

Halmos Béla - Mi zörög, mi zörög

Halmos Béla temetése

Virrasztás Halmos Béla emlékére 2013.08.08. Hagyományok Háza

| | コメント (0)

2023年4月 6日 (木)

我が家は茅葺き

Táncházi Muzsikaは、同じタイトルの別音源のYouTubeはありますが、番組でかけた方は全く見当たりません。1989年に同じくフンガロトンから出たHungarian Folk Music From Transylvaniaのラストを飾っている"Our House Is Thatched"と言う曲を番組の最後にかけましたが、こちらはありました。当時彼は43歳位かなと思います。英訳タイトルを訳すと今日のブログタイトルになります。ベラ・ハルモシュの伴奏で歌っている女性歌手がマルタ・セバスチャンなのかどうか気になりますが、現物は手元にないので、残念ながら不明です。89年当時はワールドミュージック・ブームの全盛期ですから、この盤の記憶はある人もいらっしゃるのではと思います。しみじみとしたとても印象的な一曲です。

<7 Our House Is Thatched 8分25秒>

| | コメント (0)

2023年4月 5日 (水)

シェベー・アンサンブル2012

シェベー・アンサンブル(ハンガリー語ではSebő együttes)のTáncházi Muzsika(ダンスハウスの音楽)の映像はなくても、一昨日のハンガリー風アイネ・クライネ・ナハトムジークは最高に面白い演奏で、それだけでも満足してしまいました(笑) このグループの活動は、2013年のベラ・ハルモーシュの没後、相方のフェレンツ・シェベーが70代半ばを過ぎた現在も続いているようですが、ハンガリーの農村音楽だけを追究している訳ではなかったようで、幾つか聞いた限りでは、バルカン音楽やトルコ音楽にまで近づいた音源の方が目立ちました。
ハンガリーの農村音楽は、彼らダンスハウス運動の第一世代にとっては、戦後生まれのヒッピー(あるいはビートニク世代)にとってのユートピアとしてのインド音楽に近いイメージで捉えられていたのではと思います。ダンスハウス運動の始まった70年代当時は、第一次大戦後ルーマニア領に入っていたトランシルヴァニアは、容易に行ける場所ではなかったようです。それでより強い憧れになって行ったのかなと。19世紀以来内外に広まっていた都会のジプシー音楽ではない、本来あるべき、そして帰るべきハンガリー音楽がトランシルヴァニアに残っている!と言うのが原動力になっていたようです。
彼らは日本で言えば団塊世代で、ヘルツク・アーグネシュやサローキ・アーギは団塊ジュニア世代に当たるように思います。彼女らを第二世代とすれば、第一世代と活動方向に大きな違いはないように見受けられます。音楽的にはより多様性と深化を見せた部分もあると思います。第三世代がどういう風に舵を切って行くのか気になりますし、今後の展開が楽しみです。
最近の捜索で、セーク、カロタセグ、マジャールパラトカ、マジャールソヴァート、サースチャーヴァーシュの位置関係が、はっきり分かりました。それぞれルーマニア語のコムーナ(コミューン)名で出てくることがほとんどなので、なかなか分かり難かったです。
今日の映像は、2012年のシェベー・アンサンブルの演奏で、歌はマルタ・セバスチャン、コントラバスはムジカーシュのエーリ・ペーテルです。ベラ・ハルモーシュ最晩年の貴重映像です。

Sebő együttes (Sebestyén Márta) - Mezőségi muzsika (MüPa 2012)

| | コメント (0)

2023年4月 3日 (月)

ベラ・ハルモーシュとフェレンツ・シェベー

ゼアミdeワールド353回目の放送、日曜夜10時にありました。5日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。Táncházi MuzsikaそのもののYouTubeが見つかりませんので、当時の写真の入った映像を代わりに貼っておきます。ここではクラシックをハンガリー風に弾いていますが。左がベラ・ハルモーシュ、右がフェレンツ・シェベー、真ん中は若い頃のマルタ・セバスチャンでしょうか。これは貴重なショットだと思います。

Sebő együttes - 1976 Szilveszter

ハンガリー音楽の33回目になります。そして、現代ハンガリー・トラッドの10回目になります。前々回、ダンスハウス運動の仕掛け人ながら、現在は余り知られてないかも知れないベラ・ハルモシュの音源をかけました。ハンガリーのトラッドでは最重要人物の一人ですので、今回取り上げるとゼアミブログで予告していました。90年代頃にフンガロトン盤Hungarian Folk Music From Transylvaniaを見たくらいで余り知らなかったので、調べてみましたが、1946年生まれで、2013年に67歳で亡くなられていました。
実験音楽の活動から伝統音楽と出会い、エルデーイの農村をフィールドワークし、各村々の老人からヴァイオリンの演奏法や曲を習得し、後にバルトーク舞踊団専属の演奏家として活動するようになりました。1972年からブダペストで開催されるようになったダンスハウスで初めて演奏した内の一人です。
ベラ・ハルモシュ(あるいはハルモーシュ・ベラ)名義で出た先ほどのHungarian Folk Music From Transylvaniaが出たのは、1989年のようですが、ダンスハウスのムーヴメントが始まった1972年頃の音源を調べてみますと、相方のシェベー・フェレンツと組んでいたシェベー・アンサンブル(ハンガリー語ではSebő együttes)名義のものが沢山ありました。CDでは見た記憶がないので、当時出ていたLP音源だと思います。ストリーミングには夥しい数の音源が上がっています。
その内の一枚、同じくフンガロトンから1978年に出ていたTáncházi Muzsika(ダンスハウスの音楽)を聞いてみると、選曲に困るほど面白い演奏がひしめいていました。ルーツである実験的な要素も感じさせますが、見た目で言うと当時のベラ・ハルモシュは長髪で、いかにも70年代初めらしい、ヒッピー的な一面も感じられるように思いました。とにかく熱いムーヴメントの最盛期の音を聞く思いです。
ハンガリーに入ってから度々登場している「エチェル村の結婚式」のセークの音楽の演奏もありましたので、その10曲目から何曲か続けます。軽快な12曲目のGyülekező tánc Zalából (Szignál)と、サトマール地方のヴェルブンクとチャールダーシュ、ウグローシュと続く、Szatmári táncrend (Verbunk, Csárdás, Ugrós)の3曲を続けておかけします。

<10 Széki lakodalmas dallamok (Rákóczi induló - Szerelem, szerelem - A menyasszony szép virág - A kapuba a szekér) 5分35秒>
<12 Gyülekező tánc Zalából (Szignál) 1分28秒>
<14 Szatmári táncrend (Verbunk, Csárdás, Ugrós) 2分11秒>

8曲目に戻りまして、「エチェル村の結婚式」で聞いたような女性合唱の賑やかなタイプの曲もありますので、8,9曲目を続けておかけします。Palóc táncok (Leánykarikázó, Friss csárdás)とSomogyi táncok (Karikázó, Ugrós, Lassú és friss csárdás)の2曲です。

<8 Palóc táncok (Leánykarikázó, Friss csárdás) 5分4秒>
<9 Somogyi táncok (Karikázó, Ugrós, Lassú és friss csárdás) 5分42秒>

1989年のHungarian Folk Music From Transylvaniaからも、ラストを飾っている"Our House Is Thatched"と言う曲をおかけします。ベラ・ハルモシュの伴奏で歌っている女性歌手がマルタ・セバスチャンなのかどうか気になりますが、現物は手元にないので、残念ながら不明です。この曲を聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<7 Our House Is Thatched 8分25秒>

| | コメント (0)

« 2023年3月 | トップページ | 2023年5月 »