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2024年6月

2024年6月28日 (金)

静かに、夜には星が散りばめられ

少女パルティザンの活躍を歌ったヒルシュ・グリック作の極めて美しい曲Shtil, di nakht iz oysgeshternt(静かに、夜には星が散りばめられ)も、ホロコーストを主題にしたイディッシュ名曲です。Hirsch Glickは、パルティザン活動の末にナチスに捉えられ亡くなった詩人で、何度かかけたSog nischt kejnmolも彼の作った曲です。カタカナ表記するとすれば、シュティル、ディ・ナハト・イズ・オイスゲシュテルントになるでしょうか。番組ではiTunesに出て来ていたShtil, Die Nacht Ist Ojgeshterntで表記していましたが、オイゲシュテルントではなくオイスゲシュテルントでした。「きよしこの夜」のドイツ語タイトル、シュティレ・ナハトの両方が入っているので、ドイツ語が分かる方は類推しやすいと思います。
この曲は90年頃にツプフガイゲンハンゼルで聞いて以来、忘れられない曲でした。今回のペーター・ローラントの歌唱も、そのすぐ後で聞きました。この曲は1942年夏に書かれていますが、ロシア民謡のメロディーに乗せられているそうです。美しい少女パルティザンへの淡い恋心をほのめかしながらも、そのユダヤの少女パルチザンのヴィトカ・ケンプナーがヴィリニュスのドイツ列車を攻撃し、破壊工作を成功させたことを讃えています。1本目がペーター・ローラント、2本目はツプフガイゲンハンゼル、3本目はツプフガイゲンハンゼルのライブ映像です。

Shtil, die nacht ist ojgeshternt 

Schtil, die Nachts is ojsgeschternt

Zupfgeigenhansel - Schtil, di nacht is ojsgeschternt (Live 1984 - Volksbühne Berlin)

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2024年6月27日 (木)

トゥンバラライカ、エス・ブレント、ロ・ミル・アレ・ズィンゲン

Shtil, Die Nacht Ist Ojgeshterntは明日に回して、今日は今週かけた曲の残りを入れておきます。静止画像ですが、ペーター・ローラントが出ているトゥンバラライカで始めます。彼のギターは、低弦のハイポジションが斜めにカットされた変わったギターで、目を引きます。昨日の動画を見て、奏法も風変りに見えました。番組で少し解説を入れましたが、2曲目のモルデカイ・ゲビルティグ作のエス・ブレント(燃えている)は、シュテトル焼き討ちを歌ったイディッシュ名曲の一つ。3曲目のロ・ミル・アレ・ズィンゲンは、表面的な明るさの中での突然の転調にドキッとする曲です。3曲とも非常によく聞く曲で、誰が歌っていたか辿れば歌詞内容まで追えると思いますが、番組は毎週の事でなかなかそこまで時間がありません<(_ _*)>

Peter Rohland - Tumbalalaika (Yiddish Song)

s brent, bridderlech, 's brent

Lo mir ale singen

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2024年6月26日 (水)

ヴァルデック城でのペーター・ローラント

何と、ペーター・ローラントの生映像がありました! 例のヴァルデック城での催しの際の一コマのようです。イディッシュ民謡を「再発見」した人ですが、専門はやはりドイツ民謡ですから、1曲目はドイツの歌になっています。2曲目に出て来るイディッシュ民謡のBaj Majn Rebbenは女性歌手(この人がGesine Köhlerでは)とのデュエットで、ヴァイオリン伴奏付きで軽快に聞かせます。2本目は番組でかけたBaj Majn Rebbenです。Burg Waldeckの映像は5本あり、他はエスペなど他の出演者の映像でした。
           

Peter Rohland: Folk-Anfänge in Westdeutschland (Burg Waldeck 3/5)

Baj majn Rebben is gewen

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2024年6月24日 (月)

Peter Rohland / Jiddische Lieder

ゼアミdeワールド416回目の放送、日曜夜10時にありました。26日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は最初のお馴染みの3曲からどうぞ。

東欧系ユダヤ音楽の54回目になります。今回はドイツのレーベルThorofonからLPの出ていたペーター・ローラントの音源、Peter Rohland / Jiddische Liederを取り上げます。前回同じトロフォンからLPが出ていた女性5人組のフライエ・ホルテ・アルカロンデの盤Freie Horte Alqualonde / Lomir sich iberbetn - Wir wollen uns versöhnenをおかけしましたが、彼女らが強く影響を受けていた歌い手の一人がペーター・ローラントでした。LPで出たのが1966年で再発が1977年のようです。長らくLPのみと思っていたら、91年にCD化もされていました。以下ドイツ語版のウィキペディアと故・阪井葉子氏の「戦後ドイツに響くユダヤの歌 イディッシュ民謡復興」を元にプロフィールをご紹介します。
ペーター・ローラントはドイツの歌手、ソングライター、民謡研究者で、1933年ベルリン生まれですが、この盤の出た1966年に33歳の若さで亡くなっています。1956年以降はベルリン自由大学で音楽学を学び、ヴォルフガング・シュタイニッツの作品に多大な影響を受けた彼は、浮浪者の歌や1848年の革命、イディッシュ語や外国の歌などを研究。1956年から民謡やシャンソン歌手としてソロギターで演奏しました。1960年に彼は学業を中退し、フリーの歌手としてフルタイムで演奏するのと同時にバス・バリトンの歌唱訓練も受けたそうです。
彼はセオドア・ビケルのイディッシュ・ソングのレコードに影響を受けて、ローラントはイディッシュ語歌番組「Der Rebbe sings」を作成し、1963年にベルリンのギャラリー・ディオゲネスで小規模のアンサンブルとともに初演しています。この曲は学生や学術界だけでなく、ドイツに住むユダヤ人コミュニティでも好評を博し、ツアー中に50回以上上演されました。この歌番組は、青少年ラジオのために録音されましたが、LPを制作する意欲のあるレコード会社はなかったそうです。「曲の信頼性についての明らかな懸念」があったとのことです。
ローラントは、フンスリュックのヴァルデック城で開催されたシャンソン・フォークロア国際フェスティバルでのパフォーマンス(1964/1965年)を通じて知られるようになりました。このフェスティバルは、ハインとオス・クレーハーやその友人らとともに始めました。ディーハルト・ケルブスとともに、「国際シャンソン民俗学 - 若いヨーロッパ人が歌う」というモットーの下で最初のフェスティバルが開催されました。ローラントはフェスティバル運営のメンバーでした。 1966年の春、彼はヴァルデック城のシュヴァーベンハウスに自分の「民族音楽とシャンソンのためのスタジオ」を設立する計画を思いつきましたが、急性脳出血のためわずか33歳で亡くなりました。

全24曲中、特に有名な8曲を選んでみましたが、まずは、Un As Der Rebbe Alimelech、Un As Der Rebbe Singt、Tzen Bridder(10人の兄弟)の3曲を続けておかけします。いずれもこれまでに他の歌手で取り上げた曲です。

<1 Un As Der Rebbe Alimelech 3分36秒>

<11 Un As Der Rebbe Singt 2分53秒>

<13 Tzen Bridder 3分47秒>

彼の評価についての記載ですが、以下のようにありました。
ハインツ・シーボルト:「ヴァルター・モスマンからヴォルフ・ビーアマンに至るまでの他の吟遊詩人たちは彼からインスピレーションを受け、数年後、ヴィルからヴァッカースドルフ、ボンからムートランゲンに至る新たな運動の中で、ドイツ語におけるシャンソンと民間伝承のルネサンスが確実に起こるようにした。そのアイデンティティ形成効果が明らかになった。」
前回フライエ・ホルテ・アルカロンドでおかけした2曲TumbalalalaikaとBaj Majn Rebben Is Gewenも入っていますので、続けておかけします。この2曲では女性歌手Gesine Köhlerも入っていますが、声がそっくりに聞こえるので、もしかしたらフライエ・ホルテ・アルカロンドのメンバーかも知れません。この頃20代だったとしたら、20年後に出たフライエ・ホルテ・アルカロンドでは40代ですから、ありえるかもと思いました。

<15 Tumbalalalaika 1分54秒>
<19 Baj Majn Rebben Is Gewen 1分55秒>

2006年には、ペーター・ローラント財団が設立されています。その主な目的は、「ペーター・ローラントの芸術的遺産をより幅広い人々に提示し、歌、歌唱、音楽制作を促進すること」にありました。この財団はペーター・ローラント展を主催しており、この展覧会は2007年の聖霊降臨祭のヴァルデック城で行われた国際歌謡祭で初めて披露され、その後2012年にドイツの歴史における自由運動の記念碑であるラシュタット城を含め、全国の他の場所でも展示されているそうです。音楽編集者のヘルムート・ケーニッヒの指導の下、ペーター・ローラントの歌集が「ピッターズ歌曲」というタイトルで出版もされました。

大分前にツプフガイゲンハンゼルでかけましたが、少女パルチザンの活躍を歌ったヒルシュ・グリック作の極めて美しい曲Shtil, Die Nacht Ist Ojgeshternt(静かに、夜には星が散りばめられ)と、モルデカイ・ゲビルティグ作のシュテトル焼き討ちを歌ったs Brent(燃えている)もありますので、続けておかけします。ホロコーストを主題にしたイディッシュ名曲のこの2曲が、アルバムのラストを飾っています。Hirsch Glickは、パルティザン活動の末にナチスに捉えられ亡くなった詩人で、何度かかけたSog nischt kejnmolも彼の作った曲です。

<23 Shtil, Die Nacht Ist Ojgeshternt 2分10秒>
<24 s Brent, Bridderlech, 's Brent 2分32秒>

ペーター・ローラント歌唱コンクールと言う催しもあるそうですが、これは歌手であり初期のヴァルデック城フェスティバルの共同発起人であったローラントにちなんで名付けられています。楽器として認められるのは、電源接続のないポータブル楽器のみとのことです。このイベントは、2000年以来、若者の旅行グループ、個人の歌唱、アンサンブル、歌唱サークルの分野でヴァルデック城で毎年開催されていて、最も優れた自作の政治ソングには、さらに特別賞が授与されるそうです。

それでは最後に18曲目のLo Mir Ale Singenを時間まで聞きながら今回はお別れです。この明るい曲もよく知られたイディッシュ・ソングです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<18 Lo Mir Ale Singen 4分53秒>

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2024年6月21日 (金)

ユダヤ・パルティザンの聖歌 他

今日の2曲が番組でかけた最後の曲でしたが、少し時間が余ったので16曲目のSchojn schtil is in geslを15秒ほどかけました。これも大変印象的な曲です。曲順で入れておきます。フライエ・ホルテ・アルカロンドについて、何も手掛かりがないまま終わるのは、大変残念です。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、是非お知らせ下さい。(以下放送原稿を再度)

前にジョン・ゾーン・マサダの曲との類似を指摘したDire-geltと、間のSchojn schtil is in gesl、ユダヤ・パルティザンの聖歌として名高いSog nischt kejnmolで、この盤は終わっています。Sog nischt kejnmolはShtil, Die Nacht Ist Ojgeshterntと同じく、パルティザン活動の末にナチスに捉えられ亡くなった詩人Hirsch Glickの曲です。

<15 Dire-gelt 2分20秒>

Schojn schtil is in gesl

<17 Sog nischt kejnmol 2分40秒>

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2024年6月20日 (木)

Freie Horte Alqualonde~ペーター・ローラント~セオドア・ビケル

Freie Horte Alqualondeで検索しても、LP音源の曲別が出て来るだけで、ライブ映像やその他の手掛かりは一切見当たりません。今日は番組でかけた曲の2ブロック目の4曲を上げておきます。イディッシュ・ソングらしい名曲揃いです。Di Mame is gegangenは、ペーター・ローラントに影響を与えたセオドア・ビケルの歌唱にありましたので、再来週取り上げる予定です。Di Mame is gegangenは「母は行ってしまった」と訳せると思いますが、この曲はドイツ語から容易に類推出来るというか、ほとんどそのままです。セオドア・ビケルですが、90年頃から英語風発音のセオドア・バイケルと言い慣らしてきたので、まだ何となくピンときません(笑) (以下放送原稿を再度)

バラード調の長い歌は、時間の都合で今回は全て外しました。続いておかけするのは、ツプフガイゲンハンゼルなどの歌唱を取り上げたDi grine kusineと、何度も登場してきたルスティヒ・ザインの旋律によるJoschke, Joschke、間にDi Mame is gegangenを挟んで、ピート・シーガーなどの歌唱をゼアミブログの方で上げたソ連のイディッシュ民謡、Dshankojeの4曲を続けてどうぞ。

<8 Di grine kusine 2分35秒>

<9 Joschke, Joschke 2分14秒>

<11 Di Mame is gegangen 1分3秒>

<12 Dshankoje 2分34秒>

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2024年6月19日 (水)

ペーター・ローラントとの関係

フライエ・ホルテ・アルカロンデと同じトロフォンからLPの出ていた彼女らの大先輩ペーター・ローラントを来週予定しているので、久々に聞いていましたら、女性歌手Gesine Köhlerと言う人がTumbalalaikaとBaj majn Rebbnで一緒に歌っていました。アルカロンデとそっくりに聞こえるので、もしやこのグループのメンバー?と思いました。この件は来週の放送でも触れています。フライエ・ホルテ・アルカロンデについては、この盤以降の音源はないようですし、プロフィールも、アー写(アーティスト写真)も、どこにも見当たらず、残念至極です。CDにはもしかしたら出ていたのでしょうか。トロフォンは基本クラシックのマイナー・レーベルですし、CD化された91年頃にはクラシックの担当を離れていたのでリリースに気付きませんでした。
この盤は捨て曲がほとんどないので、選曲に困ります。番組では1曲目の後、2、5、6曲目の3曲を続けておかけしました。アルバムタイトル曲の5曲目Lomir sich ibertetnと6曲目のTumbalalaikaは、これまでにも何度か他の演奏家で出てきた曲です。どれも名演名唱だと思います。トゥンバラライカなどで聞こえる掻き鳴らしは、バラライカだと思います。

<2 Baj majn Rebbn 1分50秒>

<5 Lomir sich ibertetn 2分38秒>

<6 Tumbalalaika 1分59秒>

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2024年6月17日 (月)

Freie Horte Alqualonde

ゼアミdeワールド415回目の放送、日曜夜10時にありました。19日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は1曲目Mir wern gehast un getribnのみです。

東欧系ユダヤ音楽の53回目になります。今回は1983年にドイツのホーフガイスマーで結成された女性5人組のフライエ・ホルテ・アルカロンデの盤Freie Horte Alqualonde / Lomir sich iberbetn - Wir wollen uns versöhnenをおかけします。ドイツのレーベルThorofonからLPで出ていたのが85年で、長らくLPのみと思っていたら、90年頃にCD化もされていました。哀感溢れるイディッシュの歌ですが、ギター、ヴァイオリン、フルートなどのアコースティック楽器の伴奏で歌われる爽やかな女性のコーラスが心地よく、当時よく聞いた盤の一つです。解説がドイツ語のみですが、今回少しだけ分かる範囲で調べてみました。ドイツ語特有のウムラウトを入れなくても大体正しく翻訳されているようです。アルカロンデという名前は、J.R.R. トールキンのファンタジー小説「シルマリルの物語」に由来しているそうです。彼女らは、同じトロフォンからLPの出ていたペーター・ローラントや、エスペ、ハイ&トプシー・フランクルの影響を受けているようです。

まずは1曲目のMir wern gehast un getribnからおかけしますが、この曲についての解説の対訳を読み上げます。「1897年に、ラトビア、ロシア、ポーランドの一般ユダヤ人労働組合である連盟がビルナで設立され、この労働運動の始まりにいたのは、ロシアで生まれ米国に移住したデヴィッド・エデルシャタード(1866~1892年)でした。彼の曲は純粋な戦闘曲(軍歌?)であり、芸術的な主張はほとんどありません。このタイプの歌は、後に10月革命やスペイン内戦中に国際旅団によって歌われました。ローザ・ルクセンブルクはこの曲の歌いやすい翻訳を書きました。」

<1 Mir wern gehast un getribn 1分55秒>

おそらく他の盤では聞いた事がないこの1曲目が特に鮮烈な印象があったので、特別に訳してみました。その後は2曲目と5曲目6曲目の3曲を続けておかけします。5曲目のLomir sich ibertetnと6曲目のTumbalalaikaは、これまでにも何度か他の演奏家で出てきた曲です。

<2 Baj majn Rebbn 1分50秒>
<5 Lomir sich ibertetn 2分38秒>
<6 Tumbalalaika 1分59秒>

この盤は捨て曲がほとんどないので、選曲に困ります。バラード調の長い歌は、時間の都合で今回は全て外しました。続いておかけするのは、ツプフガイゲンハンゼルなどの歌唱を取り上げたDi grine kusineと、何度も登場してきたルスティヒ・ザインの旋律によるJoschke, Joschke、間にDi Mame is gegangenを挟んで、ピート・シーガーなどの歌唱をゼアミブログの方で上げたソ連のイディッシュ民謡、Dshankojeの4曲を続けてどうぞ。

<8 Di grine kusine 2分35秒>
<9 Joschke, Joschke 2分14秒>
<11 Di Mame is gegangen 1分3秒>
<12 Dshankoje 2分34秒>

この後はジョン・ゾーン・マサダの曲との類似で取り上げたDire-geltと、ユダヤ・パルティザンの聖歌として名高いSog nischt kejnmolでこの盤は終わっていますので、ここまで何とかおかけしたいと思います。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<15 Dire-gelt 2分20秒>
<17 Sog nischt kejnmol 2分40秒>

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2024年6月14日 (金)

シムハット・トーラーでのハシディック音楽 カルリバッハ

今週の番組でかけた曲の残り4曲は、ラビ・シュロモ・カルリバッハの曲と、クレジットがありました。カルリバッハの曲は90年代前半にヘブライ語の授業で何曲も歌いましたが、メロディラインや旋律の動き(あるいは節回し)に特徴がはっきりあるように思います。よく知っている曲ではありませんが、今日の4曲にもそれを感じます。ハシッド派の集まりの中では、このように一種トランス状態の中で歌われるようです。90年代に特に気に入っていたのはヴェハエル・エイネイヌやオッド・イシャマーとかでした。定型文の一つV'taher libenuは、前にジャッキー・ジュスホルツでも確かかけたように思います。もちろん旋律はカルリバッハの曲とは違います。

<11 V'taher libenu 3分13秒>

<12 Min ha-metzar 1分44秒>

<13 Emet 1分45秒>

<14 Biglal avot 1分9秒>

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2024年6月13日 (木)

シュニーレレ・ペレレ(真珠の弦)とカントール入り

番組ではかけませんでしたが、「アネイヌー エルサレムのスィムハット・トーラーの祭でのハシディック音楽」を久々に聞いていて異色に思ったのが、18曲目の冒頭のカントール入りの曲Prok yat anakh (Prayer for fifth hakafah)と、31曲目のシュニーレレ・ペレレ(真珠の弦)でした。シュニーレレ・ペレレは、クレズマティクスがよく演奏していた曲で、確か元はハシディック・ソングですが、クレズマティクスの演奏を思い出しながら聞いてしまいました。クラリネット独奏のモシェ・ムッサ・バーリンが逆に影響を受けた部分はないのでしょうか。曲名表記にShnirele perele (Hora pt. 4)とあるようにルーマニア辺りの「ホラ」のリズムのようですが、この打楽器のリズムを聞くとかなりオリエンタルに聞こえます。

Shnirele perele (Hora pt. 4)

Prok yat anakh (Prayer for fifth hakafah)

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2024年6月12日 (水)

Nigun Karlinの部分

「エルサレムのスィムハット・トーラーの祭でのハシディック音楽」の最初の3曲の後は、一種のトランス・ミュージックとしてのハシディック・ソングのグルーヴ感を味わえるようにと言う事で、4~9曲目までのNigun Karlinの部分と、Aderabaの部分の11~14曲目辺りまでをノンストップでおかけしました。今日は4~9曲目です。
予備知識なしで聞いた場合、ハシディック・ソングと言うのは演歌的にも聞こえるのではと思いますが、どうでしょうか。私はどちらも好きなのでノープロブレムですが(笑)、「いや、そんなことはない」と反論する方もいらっしゃるかも知れません。もちろんエキゾチックなアハヴォ・ラボ旋法の場合は外れますが、ユダヤ・メロディが日本人の琴線に触れることが多いのは、その辺に秘密があるように思います。逆に西洋音楽に慣れた西洋人には、どんな風に聞こえるのだろうかと言う点も興味深いポイントです。

<4 Nigun Karlin 2分11秒>

<5 V'apeik 1分44秒>

<6 Ha-aderet v'ha-emunah 3分2秒>

<7 Hineh ma tov no. 1 2分23秒>

<8 Ki lo yitosh 2分10秒>

<9 Ki lashem ha-m'lukhah 1分45秒>

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2024年6月10日 (月)

シムハット・トーラーのハシディック音楽

ゼアミdeワールド414回目の放送、日曜夜10時にありました。12日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は3曲目までのAna avedaの部分です。

東欧系ユダヤ音楽の52回目になります。今回は、「Aneinu! アネイヌー エルサレムのスィムハット・トーラーの祭でのハシディック音楽 Hasidic-Orthodox Music from the Festival of the Torah in Jerusalem」を取り上げます。ドイツのヴェルゴからの2008年のリリースで、前回のShalom Comrade! Yiddish Music in the Soviet Union 1928-1961と同じく、リタ・オッテンスとブレイヴ・オールド・ワールドの初代クラリネット奏者のジョエル・ルービンの編集です。407回目の放送でかけたKlezmer Music From Tel Avivと言う独Wergo盤のグループ、Sulamのリーダーでクラリネットの名手 Moshe“Moussa”Berlin (モシェ・ムッサ・バーリン)関連の音源でした。売り切れでしたが、今回の放送に間に合いました。ゼアミHPに書いているコメントをまず読み上げます。

タイトルの「Aneinu」とはユダヤ教の祈りをささげる人のことを指すようですが、本作は中でも正統派ユダヤ教徒のハシッド派の伝統的なレパートリー(ニグンやヘブライ語の宗教歌、イディッシュ・ソング、クレズマー曲等)を収録。演奏は、イスラエルを代表するクラリネットの名手 Moshe“Moussa”Berlin (モシェ・ムッサ・バーリン)とそのアンサンブルによるもの。民族音楽学者の手による録音で、フェスティバルでのライブをそのまま収めたものとなっており、音楽が本来息づく場の喧騒や濃密な祝祭感をそのまま体験できるような質感に仕上がっています。ユダヤ新年祭の最後を飾るスィムハット・トーラーでのハシッド派のニグンをそのまま実況収録したタイトルはほとんど無いので、これは貴重な記録だと思います。ユダヤ教の会堂、シナゴーグでの録音は、宗教上の理由からほとんどありませんでした。言うまでもなくハシディック・ソングはクレズマー音楽の源泉。クレズマー・ファンは必聴でしょう。
全36曲がメドレーで歌われていますが、全体が4つに分かれています。まずは3曲目までのAna avedaの部分を続けておかけします。

<1 Ana aveda (Yossi Green) 2分14秒>

<2 Yehei ra'ava (Yossi Green) 1分47秒>

<3 Nagil v'nasis(Yossi Green) 2分49秒>

ではこの後は、一種のトランス・ミュージックとしてのハシディック・ソングのグルーヴ感を味わえるように、番組の終わりまで数曲を続けておかけします。曲についてはゼアミブログで取り上げられるかも知れません。曲は4~9曲目までのNigun Karlinの部分と、その後はもし入れば10曲目からのAderabaの部分の11~14曲目辺りまでをおかけします。11~14曲目はシュロモ・カルリバッハの曲のようです。これらの曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<4 Nigun Karlin 2分11秒>
<5 V'apeik 1分44秒>
<6 Ha-aderet v'ha-emunah 3分2秒>
<7 Hineh ma tov no. 1 2分23秒>
<8 Ki lo yitosh 2分10秒>
<9 Ki lashem ha-m'lukhah 1分45秒>

<11 V'taher libenu 3分13秒>
<12 Min ha-metzar 1分44秒>
<13 Emet 1分45秒>
<14 Biglal avot 1分9秒>

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2024年6月 7日 (金)

ソ連時代の女性のイディッシュ・ソング

今週のシャローム・コムラードは貴重音源が多く、一週では取り上げきれない感じですが、既に東欧系ユダヤのシリーズも50回を越えていて(と言う事は丸一年になります)、これ以上は伸ばせないかなと思いまして、この音源も一週で終えます。この盤で一番古い録音の1928年のものと、モルデカイ・ゲビルティグの作詞作曲の子守歌(ヤンケレ)は、両方女性歌手の歌唱でした。月曜の合唱に次いで耳が惹きつけられましたので、この2曲で今週を終えます。m(__)m (以下放送原稿を再度)

4曲目のB. N. FlorovのTeshchenkaと言う曲が一番古く、1928年の録音です。Irma Iaunzemと言う女性歌手の歌唱ですが、この人はピアノのウラディーミル・ホロヴィッツやヴァイオリンのナタン・ミルシタインのような後の大御所とも活動歴があるそうです。3人ともユダヤ系です。

<4 B. N. Florov / Teshchenka 2分47秒>

しっとりと聞かせるイディッシュ・ソングも何曲もありますが、その中からAnna GuzikのKolybel'naiaと言う曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。有名なイディッシュ語詩人のモルデカイ・ゲビルティグの作詞作曲で、ジャンルとしては子守歌(ヤンケレ)になります。1956年の録音です。

<8 Anna Guzik / Kolybel'naia 2分33秒>

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2024年6月 6日 (木)

ソ連時代のカントールが歌うイディッシュの歌

Shalom Comrade! Yiddish Music in the Soviet Union 1928-1961から今週の番組でかけた曲で、他の数曲をジャンル分けしますと、カントールの入った曲と、ヤンケレ(子守歌)などの女性歌手の歌唱になります。番組では時間切れでフェイドアウトしてしまいましたので、今日はまずカントールの方です。カントールが歌っていますが、曲目も歌詞も典礼の言葉ヘブライ語ではなくイディッシュ語です。(以下放送原稿を再度)

シナゴーグでの合唱長カントール(ヘブライ語ではハザン)の技巧を生かした歌唱が2曲目と23曲目にありますので、続けておかけします。2曲目はZinovii Shulmanの1947年の録音、23曲目はSolomon Khromchenkoの1948年の録音です。後者のMikhail Fikhtengoltsのヴァイオリン伴奏も見事です。2人ともオデッサで活躍し、Khromchenkoはクレムリンが開催した1945年の戦勝記念式典の際に、スターリンの前で演奏した内の一人とのことです。

<2 Zinovii Shulman / Pastekh shpil a volekh 3分4秒>

<23 Solomon Khromchenko / Afn hoykhn barg 2分27秒>

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2024年6月 5日 (水)

ソ連時代のクレズマー

Shalom Comrade! Yiddish Music in the Soviet Union 1928-1961の音源は、ナフテュール・ブランドヴァインやデイヴ・タラスなど、帝政時代のロシアからアメリカに移住した名演奏家が抜けた後の、旧ロシア帝国(ソ連)のイディッシュ音楽とクレズマーと言う事になります。クレズマー音楽で一般によく知られているのは、アメリカ移住組ですから、「スターリンによって社会主義体制下のソ連邦に懐柔しようとして、体制向きのユダヤ音楽の展開を図った」後、どういう音楽が奏でられていたか知ることのできる貴重音源であることは間違いないでしょう。月曜の2曲は分かり易い例だと思いますが、クレズマーの場合、どういう部分が体制向きなのかが気になるところです。今日の3曲は、クレズマー曲になります。(以下放送原稿を再度)

クレズマティクスなどが演奏していたガスン・ニグンに似たタイトルのA gas nignと言う曲が13曲目に入っていまして、1937年の録音と言う事で、当時の演奏スタイルを知ることが出来る貴重な録音だと思います。

<13 State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR / A gas nign 2分45秒>

1曲目に戻りまして、オーソドックスなクレズマーのフレイレフが入っています。State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR & Moscow State Yiddish Theater Orchestraによる演奏で、1937年の録音です。

<1 State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR & Moscow State Yiddish Theater Orchestra / Freylekhs 2分30秒>

9曲目のDobranotsh & Freylekhsも、起伏に富んだ楽しいクレズマー曲です。1939年頃の演奏力の高さにも驚きました。

<9 State Ensemble for Jewish Folk Music and Song of the Ukrainian SSR / Dobranotsh & Freylekhs 2分47秒>

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2024年6月 3日 (月)

シャローム・コムラード~道の歌 Dorozhnaia

ゼアミdeワールド413回目の放送、日曜夜10時にありました。5日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日はDorozhnaiaとSvadebnaiaだけにしておきます。同じ意見の人が多いのか、Shalom Comrade!と検索すると、この曲Dorozhnaiaが一番に出て来ます。因みにグレゴール・ピアティゴルスキーは、私の先生の師匠です。

東欧系ユダヤ音楽の51回目になります。今回から後数回はイディッシュ音楽に戻って、60回前後で東欧系ユダヤ音楽のシリーズを終える予定です。去年の夏にジョン・ゾーン・マサダからクレズマーの方に移りましたが、イディッシュは途中だったので、まだ音源がありました。今回取り上げるのは、2005年に独Wergoから出ていた「Shalom Comrade! Yiddish Music in the Soviet Union 1928-1961」(こんにちわ、同志よ。 1928-1961年のソヴィエトのイディッシュ音楽)と言う盤です。コムラードと聞くと、フランスの音楽家パスカル・コムラードを思い出してしまいますが、ここでは元の「同志」(ロシア語ではタヴァーリッシ)の意味です。
まずこの盤についてのゼアミHPに上げた解説を読み上げます。「スターリンは社会主義体制下のソ連邦に懐柔しようとして、体制向きのユダヤ音楽の展開を図り、国立歌舞団を創立したり、オペラ歌手の育成に取り組んだが、そのモスクワ公認のユダヤ音楽(SP音源)を集成したのがこの記録。ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国などでの録音の他に、1928年にシベリアのハバロフスクの西に作られたユダヤ自治区(首都ビロビジャン)での音源も含まれている模様。リタ・オッテンスとブレイヴ・オールド・ワールドの初代クラリネット奏者のジョエル・ルービンの編集。」
1928-1961年ですから、正にスターリン、フルシチョフの時代の音源と言うことになります。時代の雰囲気を感じさせる曲が多く、本物の凄さを痛感する貴重な音源です。私が特に興味を持ったのは合唱曲で、ハシディック・ソングをベースにしながらも、どこか日本の「うたごえ運動」にも通じるように聞こえる曲からおかけしたいと思います。その3曲目を聞いて思い出したのは、1970前後にTVで放送されていた毎日新聞のCMでした。7,8歳頃の記憶ですが、後で思い返すと労働歌のような音楽が聞こえてきたことはよく覚えています。そのDorozhnaia(道の歌)と言う曲は、イディッシュ演劇Hreblyesのために書かれていてMoscow State Yiddish Theatre Orchestraの演奏、1937年の録音です。ユダヤ音楽としてはフレイレフになっているようです。この曲の作曲者でヴァイオリニストのLev Pulverは、クレズマーの家系出身で、ボリショイ歌劇場管弦楽団の首席ヴァイオリニストでしたが、レーニン弦楽四重奏団でチェロのグレゴール・ピアティゴルスキーとも活動していたようです。

<3 Moscow State Yiddish Theatre Orchestra / Dorozhnaia 2分50秒>

似た感じの曲Svadebnaiaは14曲目に入っていますが、この婚礼の歌はハシディック・ソングがベースになっていると思います。この曲はJewish Vocal Ensemble Evokansの演奏で、1939年の録音です。

<14 Evokans / Svadebnaia 2分2秒>

クレズマティクスなどが演奏していたガスン・ニグンに似たタイトルのA gas nignと言う曲が13曲目に入っていまして、1937年の録音と言う事で、当時の演奏スタイルを知ることが出来る貴重な録音だと思います。

<13 State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR / A gas nign 2分45秒>

1曲目に戻りまして、オーソドックスなクレズマーのフレイレフが入っています。State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR & Moscow State Yiddish Theater Orchestraによる演奏で、1937年の録音です。

<1 State Ensemble of Jewish Folk Musicians of the Ukrainian SSR & Moscow State Yiddish Theater Orchestra / Freylekhs 2分30秒>

9曲目のDobranotsh & Freylekhsも、起伏に富んだ楽しいクレズマー曲です。1939年頃の演奏力の高さにも驚きました。

<9 State Ensemble for Jewish Folk Music and Song of the Ukrainian SSR / Dobranotsh & Freylekhs 2分47秒>

4曲目のB. N. FlorovのTeshchenkaと言う曲が一番古く、1928年の録音です。Irma Iaunzemと言う女性歌手の歌唱ですが、この人はピアノのウラディーミル・ホロヴィッツやヴァイオリンのナタン・ミルシタインのような後の大御所とも活動歴があるそうです。3人ともユダヤ系です。

<4 B. N. Florov / Teshchenka 2分47秒>

カントールの技巧を生かした歌唱が2曲目と23曲目にありますので、続けておかけします。2曲目はZinovii Shulmanの1947年の録音、23曲目はSolomon Khromchenkoの1948年の録音です。後者のMikhail Fikhtengoltsのヴァイオリン伴奏も見事です。2人ともオデッサで活躍し、Khromchenkoはクレムリンが開催した1945年の戦勝記念式典の際に、スターリンの前で演奏した内の一人とのことです。

<2 Zinovii Shulman / Pastekh shpil a volekh 3分4秒>
<23 Solomon Khromchenko / Afn hoykhn barg 2分27秒>

しっとりと聞かせるイディッシュ・ソングも何曲もありますが、その中からAnna GuzikのKolybel'naiaと言う曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。有名なイディッシュ語詩人のモルデカイ・ゲビルティグの作詞作曲で、ジャンルとしては子守歌(ヤンケレ)になります。1956年の録音です。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<8 Anna Guzik / Kolybel'naia 2分33秒>

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