« 高尾懺悔 | トップページ | 長唄 高尾さんげ ヒュードロドロ~ »

2024年8月21日 (水)

二代目高尾太夫と八百屋お七

今回「高尾懺悔」について調べていて、箕輪の浄閑寺と並んで遊女の「投げ込み寺」として有名な西方寺が、まだ吉原の近くの日本堤にあると思っていたら、1926年に豊島区巣鴨に移転していたことを初めて知りました。八百屋お七の頃の住職、道哲の名前も「みちてつ」と間違えて30年間読んでいました。正しくは「どうてつ」でした。この西方寺に二代目高尾太夫(仙台高尾)の墓があります。1本目は「高尾懺悔」の主人公ですが、実は諸説ある二代目高尾太夫につていの話、2本目は八百屋お七についての一本です。火刑に処せられた八百屋お七関連で一番有名なのは、坂本冬美の「夜桜お七」でしょう。「西方寺の道哲」では何もYouTubeには出てこないようでした。

【江戸吉原知識】有名な吉原の遊女・仙台高尾について

【TBSスパークル】1683年3月8日 八百屋お七 火炙り(天和3年)

|

« 高尾懺悔 | トップページ | 長唄 高尾さんげ ヒュードロドロ~ »

純邦楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 高尾懺悔 | トップページ | 長唄 高尾さんげ ヒュードロドロ~ »