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2024年9月13日 (金)

初代篠田実の「紺屋高尾」

今日じゅうさんち(笑)の金曜で「夏の純邦楽特集」は終わりです。初代篠田実の関東大震災後に100万枚売れたという「紺屋高尾」ではと思われる音源がありましたので、大取として上げておきます。番組でかけた戦後の録音と思われる音源とは、同じ演目でもかなり雰囲気が違います。どこか長調が強調されて聞こえるのですが、何故でしょうか。ちょうど100年ほど前の録音になると思いますが、当時のSP時代に40分の演目と言うのは、SP12枚組とかになるのでしょうか。それが100万枚と言うのは凄い事です。「紺屋高尾」の原話は落語で、四代目金原亭馬生から教わったと言われています。1898年生まれですから、20歳過ぎ位でこの曲の節付けをしたのだろうと思います。凄い人です。以下はウィキペディアのプロフィールからの引用です。

1909年(明治42年)12歳で名古屋の早川浅吉に見出されて親にも知らさず巡業に出かけてしまった。名前を「早川浅右衛門」とし、天才少年浪曲師として名を馳せる。一年目浜松で父親に発見され、連れ戻されたが結局浪花節を続けることになり本名の「篠田実」を芸名とする。師匠の浅吉は実への愛着を絶ち難く、自ら浅右衛門と改名、ここに前代未聞の師匠が弟子の名を継ぐという珍事が起きた。初上京は1910年(明治43年)12歳、初代木村重勝の手引きだった。その後、中堅どころとして活躍するが、1923年(大正12年)9月に、レコード吹込みの埋め草にと既に録音していた「紺屋高尾」が、震災後ひょんなことから発売され、100万枚(1組2枚で)を突破し空前の大ヒットをする。関東大震災で経営が傾いたレコード会社(ヒコーキレコード、のちに日蓄に合併)が一気に盛り返すほどであった。実自身もこの一作で大看板となる。

紺屋高尾 初代篠田実

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