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2026年8月

2026年8月31日 (月)

江差追分のルーツ 信濃追分

ゼアミdeワールド528回目の放送、日曜夜22時にありました。2日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。江差追分のルーツとされている信濃追分と越後追分、共に結構地元の歌い手中心にまだまだ歌われているようで、YouTubeが結構ありました。今日の歌唱は2021年キングからのリリースがあったそうですが、おそらくご当地中心の販売で、全国にはあまり知られてないのではと思います。民謡に関しては地元の販売ルートがあるので、まだまだ点数は出ているようです。この2曲に限らず、日本民謡大観の古い音源はYouTubeには上がってないように思いました。簾田じょうと千代菊の歌唱は最高でしたが。

今回はお盆の民謡特集の3回目です。
前回は「民謡の王者」と称される北海道民謡の江差追分を、初代浜田喜一の極めつけの名唱などでおかけしました。

江差追分は、江戸時代中期以降に北海道の江差町で生まれた民謡です。信州の馬子唄が北前船の船頭らによって越後経由で蝦夷地に伝えられ、ニシン漁などで栄えた江差の遊興や生活の中で独自の哀愁を帯びた「民謡の王様」へと磨き上げられました。

江差追分の源流は、信州(長野県)の馬子唄や追分節が起源という説が有力で、北前船で船乗りや商人によって越後から北海道の江差へ運ばれたとされますが、盲目の女旅芸人の瞽女さんも一役買っていたのではと思います。

民俗学者、芸能研究者の三隅治雄さん他共著の日本民謡辞典によると、
信州浅間山麓の追分宿3つ(追分、沓掛、軽井沢)で、飯盛女が酒席の座興に歌い出したお座敷唄の信濃追分が越後に伝わって越後追分になり、さらに日本海を北上する途中、酒田追分や本庄追分を生んで、幕末の天保年間に北海道に入って松前追分(江差追分)になったというのが、他にも諸説ありますが、最有力とされています。

既に余り歌われなくなったのでしょうか、現在の民謡の音源には信州と越後の追分はほとんど見かけませんが、日本民謡大観の古い音源には何曲もありましたので、いくつかおかけします。信濃追分を歌っている1901年生まれの簾田(みすだ)じょうは、長野県を中心に活躍した昭和の芸妓で民謡歌手です。信濃追分は、碓氷峠の馬子唄を三味線に乗せた曲です。越後追分を歌う千代菊は、昭和期などに活躍した民謡歌手・三味線奏者ではないかと思います。小唄勝太郎らと共にレコードの録音(「東京音頭」の三味線など)や、数多くの民謡のレコード・CD音源(「米山甚句」「南蛮音頭」など)を残しています。

<信濃追分 簾田じょう 3分54秒>
<越後追分 千代菊 3分30秒>

信濃追分 小杉真貴子

 
日本海側を越後から北海道に北上する途中の山形や秋田の追分もありますので、2曲続けます。本庄追分の三味線は、秋田三味線や津軽三味線に少し似ているように思います。秋田追分は「SP盤復刻 日本民謡の名人をたずねて(上)」に入っている鳥井森鈴の歌唱です。

<本庄追分 加納初代 3分>
<秋田追分<前唄・本唄>(秋田県) 鳥井森鈴 5分44秒>

興味深いことに信州から越後のルートとは少し離れる群馬にも上州馬子唄という曲が残っています。日本民謡大観 関東篇 3にありますので、おかけしておきます。
尺八修理工房「幻海」のサイトに以下の解説がありました。
上総(かずさ)の高崎(上州、現 群馬県)から越後の長岡(越州、現 新潟県)まで続く三国街道で、馬を引いて人や荷物を運ぶ馬子(馬方、馬追)をしていた樺沢芳勝が博労(馬や牛を売買する仲買人。馬喰、伯楽とも)から習った唄を独自にかえて唄い始めたという。すぐれた節回しを残した面白みのある良曲。もとは信濃辺りの馬追い唄が同地に流れてきたのだと考えられる。

<上州馬子唄 樺沢芳勝 1分59秒>

「SP盤復刻 日本民謡の名人をたずねて(上)」という盤には、1917年生まれの初代浜田喜一さんより40歳くらい年上の往年の名人、越中谷四三郎(えっちゅうや しさぶろう)の江差追分が入っていますので、次におかけします。この人は1875年生まれ1961年没で、「江差追分」の三派の一つである「詰木石派」の立役者であり、その曲調の確立や普及に生涯を捧げた名人と称される人物とのことです。この頃は伴奏が三味線中心だったようです。音が低いので太棹かも知れません。

<江差追分(北海道) 越中谷四三郎 3分23秒>

前回予告していた市丸さんや、他に選曲していた民謡が洩れましたので、もう一回純邦楽シリーズを続けます。
では最後に、初代浜田喜一さんの江差追分を、前回とは別音源の「SP盤復刻 日本民謡の名人をたずねて(上)」に入っている方でおかけします。この曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<江差追分(北海道) 初代浜田喜一 6分14秒>

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2026年8月28日 (金)

初代浜田喜一さんの江差追分

初代浜田喜一さんの江差追分は、これまでに何回上げたか数えられません。昭和50年くらいより前のことは分かりませんが、この曲が「民謡の王者」と称される程になった最大の立役者だったのではと思います。モンゴルのオルティンドーが追分に似ているとかのコメントを聞くようになったも、彼以降の話だったのでは。それ程の超名唱だと思います。今日の動画は「決定版 日本の民謡」と「江差追分 競演ベスト」とは別音源だと思います。(以下放送原稿を再度)

馬子唄と同様、あるいは更に複雑なコブシを聞かせる民謡ジャンルに追分がありまして、その代表格の江差追分はこれまでに何度かかけてきました。「民謡の王者」と称される尺八伴奏の北海道民謡です。前にもかけたかと思いますが、何人もの民謡歌手の江差追分を集めた「江差追分 競演ベスト」に入っている初代浜田喜一の極めつけの名唱です。初代は1917年生まれ、昭和60年に亡くなっています。

江差追分 初代 浜田喜一/渡部嘉章 尺八/北海道民謡【日本民謡 レコード】

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2026年8月27日 (木)

小諸馬子唄

来週の番組内容の「江差追分の源流」の先取りになりますが、今週かけた小諸馬子唄についての以下のウィキペディアの記事は、コンパクトにまとまっているので引用しておきます。北国街道というのは、中山道の追分宿から分岐して高田(新潟県上越市)さらに出雲崎に至る街道のことで、現在の軽井沢町から新潟県上越市までの区間です。善光寺を経由するため善光寺道(善光寺街道)とも言われます。さらに北の方に向かっては、冬場の日本海側は雪に閉ざされることもあって、北前船によるところがほとんどだったのでしょうか。
しかしコブシが入ると、すぐに馬子唄~追分調と安易に形容するのは、どうかとも思いますが、ナトゥアヨーデルのある部分は確かに似て聞こえました。追分に一番似ているのは、もちろんモンゴルのオルティンドーでしょう。(以下放送原稿を再度)

碓氷峠を中心に往来する馬子衆によって詠われた馬子唄が、中山道追分宿の飯盛り女によって、三味線の伴奏や囃子詞の入った座敷唄「追分節」に発展し、北国街道や北前船を経由して北日本へ伝播した。また小諸馬子唄(小室節)も江戸での流行歌となった。小諸馬子唄と小室節は歌い方が異なる。

スイスシリーズの中で参照した解説の中に「ナトゥアヨーデルが日本の馬子唄に似ている」との江波戸先生のコメントがありましたので、まず馬子唄の代表曲として長野県の小諸馬子唄をおかけします。決定版 日本の民謡に入っている江村貞一の歌唱です。

<決定版 日本の民謡 [Disc 2] ~小諸馬子唄 3分22秒>

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2026年8月26日 (水)

雲竹&竹山コンビのホーハイ節

つがる市森田町に伝わる民謡・盆踊り唄のホーハイ節と白虎隊自刃図が関係あるのか分かりませんが、音はこちらの方が良いので、この動画で上げておきます。解説に「決定版 民謡大全集 大漁唄い込み/本荘追分 ホ-ハイ節 (青森)成田雲竹 VFD-8873 キングレコ-ド 1999年発売」とあるので、会津の民謡も歌っている盤のジャケットということかも知れません。出来れば高橋竹山が尺八を吹いているところを見たいものですが。番組で言いましたが、裏声を使うことからヨーデルに似ていると言われることもある青森民謡のホーハイ節を往年の民謡の大御所、成田雲竹さんの歌唱でおかけしました。尺八伴奏は、津軽三味線の名人として有名な高橋竹山(初代)です。何度か書いたと思いますが、尺八も最高で、こんなに上手かったとは驚きです。この音源は雲竹&竹山コンビの「民謡うたがたり」の5枚シリーズ(廃盤)と同じだと思います。大分前に上げましたが、このシリーズに入っている尺八伴奏の津軽山唄も最高です。

成田雲竹の ホ-ハイ節

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2026年8月24日 (月)

西馬音内盆踊り

ゼアミdeワールド527回目の放送、日曜夜22時にありました。26日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)のライブ映像を2本上げておきます。方言で聞き取りにくいので、字幕付きが有難いです。

今回はお盆の民謡特集の2回目です。毎年よくかけていたのが、徳島の阿波踊りと郡上八幡の盆踊り、越中おわら風の盆、青森のねぶたと弘前のねぷた、秋田県羽後町の西馬音内盆踊り辺りという話をしていましたが、今回は秋田の西馬音内盆踊りの音源から始めます。顔が見えない編笠と謎めいた黒頭巾で有名ですが、秋田弁の歌はきわどかったり、割とユーモラスにも聞こえます。秋田出身の演歌歌手、藤あや子さんが歌謡番組でよく歌っていたので、耳覚えのある方がいらっしゃるかも知れません。秋田県羽後町の「西馬音内盆踊り」、岐阜県郡上市の「郡上おどり」、徳島県徳島市の「阿波踊り」が日本三大盆踊りと言われますが、四国からは遠いので秋田の盆踊りを見る機会はなかなかないと思います。ユネスコ無形文化遺産にもなっています。今回おかけするのは「日本民謡大観 東北篇 6」に入っている古い録音です。

<西馬音内盆踊(音頭) 3分3秒>
<西馬音内盆踊(がんげ) 3分13秒>

西馬音内盆踊「音頭」

西馬音内盆踊り紹介動画 寄せ太鼓~音頭~がんけ~フィナーレ

前回かけた「阿波よしこの」を歌っていたお鯉さんこと多田小餘綾(ただ こゆるぎ)さんの「阿波の麦打ち唄」という民謡が同じ「阿波の遊行」に入っていますので、おかけしておきます。民謡以外にも清元、長唄などの三味線音楽の世界でも一流だったことが歌から聞き取れ、大変素晴らしいと思いました。昭和11年にタイヘイレコードと専属契約を結び、「東の市丸、西のお鯉」として全国に知られるレコード歌手、日本の「歌姫」として活躍したそうです。次回市丸さんをかけてみようかと思います。

<阿波の遊行 [DISC2] ~阿波の麦打ち唄 2分40秒>

裏声を使うことからヨーデルに似ていると言われることもある青森民謡のホーハイ節を往年の民謡の大御所、成田雲竹さんの歌唱でおかけします。尺八伴奏は、津軽三味線の名人として有名な高橋竹山です。尺八も最高です。

<名人による日本の伝統芸~成田雲竹の世界 ~ホーハイ節 2分51秒>

スイスシリーズの中で参照した解説の中に「ナトゥアヨーデルが日本の馬子唄に似ている」との江波戸先生のコメントがありましたので、まず馬子唄の代表曲として長野県の小諸馬子唄をおかけします。決定版 日本の民謡に入っている江村貞一の歌唱です。

<決定版 日本の民謡 [Disc 2] ~小諸馬子唄 3分22秒>

馬子唄と同様、あるいは更に複雑なコブシを聞かせる民謡ジャンルに追分がありまして、その代表格の江差追分はこれまでに何度かかけてきました。「民謡の王者」と称される尺八伴奏の北海道民謡です。前にもかけたかと思いますが、何人もの民謡歌手の江差追分を集めた「江差追分 競演ベスト」に入っている初代浜田喜一の極めつけの名唱です。初代は1917年生まれ、昭和60年に亡くなっています。

<江差追分 競演ベスト ~江差追分(前唄・本唄・後唄) 浜田 喜一(初代) 6分50秒>

では最後に尺八2本による江差追分をおかけします。これも大分前にかけたかも知れません。二人の尺八名人、菊池淡水・榎本秀水の演奏で、「SP盤復刻 日本民謡の名人をたずねて(上)」に入っています。この曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<江差追分(尺八合奏|北海道) 3分18秒>

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2026年8月21日 (金)

祖谷の粉引唄 魚井の御膳味噌

「祖谷の粉引唄」と言えば、名唱は色々ありますが、どうしてもこのCMを思い出してしまいます。このCMを見た70年代前半を懐かしく思い出す世代です。20年ほど前に行きまして、かづら橋を渡りましたが、高所恐怖症の人は結構恐いと思います。私も何とか渡りましたが、歌いながら渡る余裕はなかったような(笑) 「阿波の遊行」の音源はYouTubeには見当たらずでした。この民謡は阿波踊りとは反対の徳島西部の山中の歌です。(以下放送原稿を再度)

盆踊りとは関係のない曲ですが、徳島の民謡でおそらく一番有名な「祖谷の粉引節」も入っていますので、1968年のこの貴重音源をおかけしておきます。この曲は旋律の美しさから演歌歌手もよく歌っていますが、1970年代前半位に「魚井の御膳味噌」のテレビCMに使われていたので、私はそれで覚えていました。祖谷のかずら橋を渡りながらおばあちゃんがこの民謡を歌うCMでした。歌い手はウダキクコ、場所: 三好郡西祖谷村老人ホームとあります。

魚井の御膳みそ

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2026年8月20日 (木)

お鯉さんの「阿波よしこの」

今日はお鯉さんこと多田小餘綾(ただこゆるぎ)さんの「阿波よしこの」他を見てみます。「阿波よしこの」の第一人者であるだけでなく、昭和11年にタイヘイレコードと専属契約を結び、「東の市丸、西のお鯉」として全国に知られるレコード歌手、日本の「歌姫」として活躍したとのこと。昭和初期の鶯芸者の一人、市丸さんはよく知っていますが、お鯉さんは知りませんでした。生没年は1907年4月27日 - 2008年4月6日で、100歳まで現役で活動されました。1本目の映像は98歳の時ですが、そのお年とは思えない素晴らしい艶のある歌声だと思います。
思った通り、最近の阿波踊りはリズムと踊り重視で、「よしこの」を聞くことが減っているようです。2本目のコメントに「最近よしこの唄が聞こえないのはさみしい。」とありました。歌あっての阿波踊りだと思いますが、これはサンバにおいても言えるのでは。浅草のサンバを見に行っても、打楽器隊のダイナミックさに魅了されながらも、カヴァキーニョ伴奏の歌をよく聞くようにしています。
海外の人のコメントには、調子っぱずれに聞こえる意見がありました。全盛期ほどの声ではないとしても、調子は外れてないのですが。海外の人にそう聞こえるのは仕方ないとしても、現代の日本人の耳にもそう聞こえているとしたら大問題だと思いますが、そうはなってないことを信じます。よしこのは、花柳界と密接な土壌で醸成された節だと思いますから、なかなか現代の女性が同じに歌うのは難しくなってきているのでしょう。阿波踊りの速いリズムとは対照的な、長い間(ま)の歌ですから、難度が高いのも確かだと思います。

おこいさん八千代連2006-7

故郷の唄が響く夏 阿波おどりのお囃子 よしこのの歌い手【テレビトクシマ】

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2026年8月19日 (水)

阿波の遊行

そのものはYouTubeにはないかなと思っていた「阿波の遊行」。ダイジェスト音源で貴重な写真入りで上がっていました。番組でかけたのとは別の「亥の子歌」も出て来ます。阿波踊りの周辺で、現在ではおそらく聞くことが難しくなっているような古い型の芸も収めた貴重な音源です。鳴門出身の現代舞踊家の檜瑛司さんの驚異的なフィールドワークによる数百時間のテープを元に、プロデューサーの久保田 麻琴さんが選りすぐりのトラックをマスタリングしたという2枚組です。檜瑛司さんのお名前は、月曜に上げた「津田盆(ぼに)踊り」の動画でも出て来ました。後半に「阿波よしこの」の第一人者、お鯉さんこと多田小餘綾(ただ こゆるぎ)さんの「阿波の麦打ち唄」も一瞬出て来ます。この曲は来週番組でかけます。

阿波の遊行 Awa no Yugyo

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2026年8月17日 (月)

阿波おどりの原型「津田の盆(ぼに)踊り」

ゼアミdeワールド526回目の放送、日曜夜22時にありました。19日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は「津田の盆(ぼに)踊り」のドキュメンタリー映像を上げておきます。

526回目の放送になりました。放送が16日と19日で少しタイミングがずれましたが、今回はお盆の民謡特集です。毎年よくかけていたのが、徳島の阿波踊りと郡上八幡の盆踊り、越中おわら風の盆、青森のねぶたと弘前のねぷた、秋田県羽後町の西馬音内盆踊り辺りですが、今回は阿波踊りの周辺で、現在ではおそらく聞くことが難しくなっているような古い型の芸を収めた貴重な音源です。「阿波の遊行」と言う2枚組で、鳴門出身の現代舞踊家の檜瑛司さんの驚異的なフィールドワークによる数百時間のテープを元に、プロデューサーの久保田 麻琴さんが選りすぐりのトラックをマスタリングしたという盤です。まず路上での小編成の阿波踊りを収録したと思われる2曲からおかけします。演奏者は川田ナカ、場所: 貞光とあります。

<阿波踊りゾメキ 1 1分39秒>
<阿波踊りゾメキ 2 3分16秒>

阿波踊りには速いリズムとは対照的な、長い間(ま)の民謡「よしこの」が同時に付くのが本来の姿だと思います。この盤に入っている1968年の録音は、細かいコブシが付いた「よしこの」で、歌い手は「阿波よしこの」の第一人者、お鯉さんこと多田小餘綾(ただ こゆるぎ)、場所: 徳島市南二軒町とあります。

<阿波よしこの 4分28秒>

阿波踊りの原型と言われる芸能に、徳島市津田地区に伝わる「津田盆(ぼに)踊り」がありますが、「よしこの」の部分の録音が3曲入っていますので、続けておかけします。海で遭難した人々の死者鎮魂と先祖供養のための精霊踊りで知られ、テレビのドキュメンタリーが大分前にありまして、「お父(とう)、もんて来い~」と海に向かって叫ぶシーンが放映され、胸にグッときました。

<津田のよしこの 1 (徳島市津田盆(ぼに)踊り歌) 3分21秒>
<津田のよしこの 2 (徳島市津田盆(ぼに)踊り歌) 2分15秒>
<津田のよしこの 3 (徳島市津田盆(ぼに)踊り歌) 3分30秒>

"もんてこいよー"阿波おどりの原型の一つとされる「津田の盆(ぼに)踊り」|Tsuda "Boni" dance

盆踊りとは関係のない曲ですが、徳島の民謡でおそらく一番有名な「祖谷の粉引節」も入っていますので、1968年のこの貴重音源をおかけしておきます。この曲は旋律の美しさから演歌歌手もよく歌っていますが、1970年代前半位に「魚井の御膳味噌」のテレビCMに使われていたので、私はそれで覚えていました。祖谷のかずら橋を渡りながらおばあちゃんがこの民謡を歌うCMでした。歌い手はウダキクコ、場所: 三好郡西祖谷村老人ホームとあります。

<祖谷の粉引節 3分27秒>

亥の子唄という歌が2曲ありますので一曲入れておきます。「亥の子石」で歌を歌いながら各家の地面を突き、豊作や家内安全を祝って回る行事ですが、70年代くらいまでは今治でも田舎の方で見られました。時間が余りましたら仏教関係の歌に念仏踊りも入っていますので、入れておきます。これらの曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<亥の子唄 1分47秒>
<念仏踊り 1分55秒>

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2026年8月13日 (木)

ヨーデルとハワイアン

番組で「アメリカのカントリーとハワイアンは、裏声を使う歌唱法があるという共通点がありますが、スイスやオーストリアのドイツ系移民のヨーデルがアメリカ合衆国に伝わり、カントリー・ミュージックやカウボーイ文化と融合して1900年代初頭から発展し、ウェスタン・ヨーデル(Western yodel)とも呼ばれるのに対し、ハワイアンの場合はハワイ先住民の歌唱に似た歌唱法が元々あったのか、カントリーからの影響で入ったのか、判然としません。」と言っていたわけですが、これもジェミニから、19世紀末に独自に開花した「ハイブリッドな伝統文化」だった、と見事な回答がありました。
今日の動画は灰田さんのライブ映像。戦後の日本において「ヨーデル」が一般に広まったのは、1951年(昭和26年)発売の、この灰田勝彦の「アルプスの牧場」よるところが大きいそうです。今回の番組の音源は「中野忠晴 / 山の人気者」が残っていますが、この歌はカントリーヨーデルらしいので、2週間ほど先にこの歌をカバーしたウイリー沖山の歌唱共々、アメリカ往年のカントリー歌手と一緒に取り上げます。なお明日はブログはお休みします。(以下ジェミニの回答)

アルプスの牧場 灰田 勝彦

ハワイアン・ミュージックにおけるヨーデルに似た裏声の歌唱法は「レオ・キエキエ(Leo Kiʻekiʻe)」と呼ばれます。

結論から言うと、この歌唱法はドイツ系移民が直接持ち込んだものではなく、「ハワイ古来の伝統的な歌唱(チャント)」をベースに、1830年代にやってきたメキシコ・スペイン系カウボーイ(パニオロ)の歌唱文化などが融合して生まれたというのが、近年の音楽史研究における有力な定説です。ドイツのヨーデルとの関係や、ハワイアン・ファルセットの成立の歴史について、信頼性の高い史実と文献・資料の記録を交えて解説します。

1. ハワイには「元々裏声を使う伝統」があった
西洋人が来航する以前の古代ハワイには、メロディを持つ「歌」ではなく、神への祈りや歴史を伝える「オリ(ʻOli)」や「メレ(Mele)」と呼ばれる詠唱(チャント)が存在していました。
この伝統的なチャントの技法の中に、「ハイハイ(Haʻihaʻi)」という発声装飾がありました。これは、声を装飾したり深い感情を表現したりするために、地声から裏声へと声を意図的にひっくり返す(声を詰まらせる)テクニックです。ハワイの人々には、西洋音楽が入る前から「喉の筋肉をコントロールして声をひっくり返す」という身体的・文化的な土壌がすでに備わっていました。

2. 最大のきっかけ:メキシコ系カウボーイ「パニオロ」の到来
1832年、国王カメハメハ3世は、島で野生化した牛の捕獲と牧畜技術を学ぶため、カリフォルニアからスペイン系・メキシコ系のカウボーイたちを招きました。彼らはハワイで「パニオロ(Paniolo)」と呼ばれ、ギターと共に彼らの故郷の歌を持ち込みました。

メキシコの伝統音楽(マリアッチなど)には、高音部で鮮やかに裏声へとひっくり返す独自のファルセット技法(Huapangoなど)があります。パニオロたちが牛を追いながら、また夜にギターを弾きながら歌ったこのファルセットやカウボーイ・ヨーデルが、ハワイアンの「ハイハイ」の伝統と見事に共鳴し、融合していったと考えられています。

3. 歴史的文献に見る「ヨーデル」の導入記録
ハワイアン・ファルセットが現在の形(音楽ジャンル)として定着していく19世紀末の動きについては、当時の貴重なテキストや文献から以下の足跡が確認できます。

・讃美歌の導入(1820年代〜)
キリスト教の宣教師によって4部合唱の讃美歌(ヒメニ)が教えられ、ハワイアンは「ソプラノ(高音域)」を歌う楽しさと西洋的な和音構造を学びました。

・アンリ・ベルガーの音声指導
ハワイ王国の宮廷音楽長としてドイツから招かれたアンリ・ベルガー(Henri Berger)が、少年たちへの発声指導の中で「ヨーデル(Yodeling)」を教えたという記録が残されています。ドイツの直接的な影響があるとすれば、この宮廷音楽教育の場が挙げられます。

・カメハメハ学校での導入(1889年)
ハワイの音楽史において最も具体的な文献の一つが、ハワイアン音楽の大家チャールズ・E・キング(Charles E. King)の回想です。彼は、歴史あるキリスト教系メディア『The Friend』(1928年12月1日号)への寄稿の中で、以下のように述べています。
「1889年にカメハメハ男子学校の聖歌隊指揮者に就任したセオドア・リチャーズ(Theodore Richards)が、指導に多くのハワイの歌を取り入れ、現在ハワイアンシンガーの間で大流行しているヨーデル(yodel)を導入した張本人である」

この1890年前後を境に、ハワイアン・ミュージックの中で「裏声(レオ・キエキエ)」と「ヨーデルのような声のひっくり返し」が爆発的な人気を獲得し、独自の歌唱法として確立されました。

西洋のヨーデルとの最大の違い(音の移り変わり、感情表現)

<西洋の一般的なファルセット・ヨーデル> 
地声と裏声のギャップをできるだけ滑らかに、または技巧的に繋ぐ
遠くへ声を届ける合図や、軽快なメロディ楽器の模倣

<ハワイアン・ファルセット(レオ・キエキエ)>
地声から裏声へ切り替わる瞬間の「ひっくり返り(Haʻi)」をあえて強調する
聴き手の心を揺さぶるような、深い愛、哀愁、切なさの表現

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2026年8月12日 (水)

「燦めく星座」と太宰治

灰田勝彦の大ヒット曲「燦めく星座」も1940年録音なので戦前の歌です。今日の音源がそれですが、スチールギターの音色がハワイアンムードを高めていますし、ジャケットでは本人がウクレレを弾き語っています。私が灰田さんの歌唱をTVで見たのは昭和40~50年代の子供時分ですが、それ以来ハワイ生まれの粋な叔父さんというイメージがずっとあります。当時の動画で見ると、この頃にはバック演奏にハワイアン色はほとんどなかったようです。音符から見ると、日本で昔から好まれたタッカタッカというリズムの付点音符が入ったピョンコ節の典型だと思います。興味深いエピソードがありまして、この曲は灰田さんと同世代の作家・太宰治が生前もっとも愛し、繰り返し口ずさんでいたそうです。それをどこで知ったのか大分前のことなので不明ですが、例によってジェミニに聞いてみました。以下に引用しておきます。

太宰治はこの曲をこよなく愛し、特に「思い込んだら命がけ 男のこころ 燦めく金の星」という歌詞のフレーズを好んで口ずさんでいました。戦時中の息苦しい世情の中で、この歌の持つ明るくも切ないロマンや若さへの憧れが、太宰の心情や文学的感性に深く響いていたと言われています。太宰治の代表作である『斜陽』に、「燦めく星座」のリズムやフレーズをパロディ(変形)した形で引用されているという有名な説があります。

『斜陽』における変形引用説
作中のフレーズ:『斜陽』の第7章などで、主人公の弟・直治や、小説家の上原らが酒場で騒ぐシーンに「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」という奇妙な歌(ギロチンソング)が登場します。
太宰のリアルな行動:太宰の親友であった作家・伊馬春部らの回想によると、太宰は実際の酒席で「男純情の 愛の星の色……思い込んだら命がけ 男のこころ」と、この「燦めく星座」をコップを打ち鳴らしながら繰り返し大声で歌っていました。
文学的変換:しかし実際の太宰は作中のような「ギロチン~」という文句で歌ったことは一度もなかったとされています。そのため、太宰が現実で「燦めく星座」を狂ったようにリピートしていたあの酒場の狂騒感やリズム、ヤケクソ気味なエネルギーを、小説『斜陽』の退廃的な世界観(デカダンス)に合わせて「ギロチン、ギロチン……」という不気味で破滅的な歌詞へと文学的に昇華・変換して引用したのではないか、と分析されています。

燦めく星座

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2026年8月10日 (月)

ハワイアン・フラソング MAMA E

おんまく花火の後、9日22時から525回目のゼアミdeワールドの再放送がありました。12日20時半からもう一回再放送がありますので、宜しければ是非お聞き下さい。
昭和初期前後から昭和30年代以前のナツメロが好きで昔からよく聞きますが、まだまだ知らない歌唱があるもので、去年聞いた大橋節夫に驚き、今回の放送分では灰田 勝彦のハワイアン・フラソング MAMA Eに一番驚きました。この音源は「灰田勝彦 ゴールデン☆ベスト」に入っていて、モアナ・グリー・クラブ, 灰田 勝彦 & 灰田晴彦の演奏となっています。1931年に日本初のハワイアン・バンド「モアナ・グリークラブ」に入りボーカル・ウクレレ奏者として活躍した、とプロフィールにありますので、この曲もおそらく戦前の録音だと思いますが、当時これほど本格的なハワイアン・ソングが演奏されていたとは驚きです。
戦後の日本において「ヨーデル」が一般に広まったのは、1951年(昭和26年)発売の灰田勝彦の「アルプスの牧場」と言うことなので、それより前の戦前の灰田さんの活動はハワイアン中心だったようです。大ヒット曲の「燦めく星座」も1940年録音なので戦前です。この曲は同世代の作家・太宰治が生前もっとも愛し、繰り返し口ずさんでいたそうです。「燦めく星座」の動画は、また12日に。

ハワイアン・フラソング(MAMA E)

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2026年8月 7日 (金)

「星の降る窓」と「海ゆかば」

スチールギターで間奏部分に軍歌「海ゆかば」が出て来る「星の降る窓」には、本当に驚きました。番組では「灰田さんは1911年、大橋さんは1925年生まれで、戦死した友人知人も多い世代ですから、追悼の意を込めて入れたのでしょうか。」と言いましたが、星の降る窓/奥村氏 追悼/ジョニーサトウとアロハコーラス、という動画の解説に「大橋さんがまだ学生時代、第二次世界大戦の折、明日をも知れぬ旅立ちの日(出征のことでしょう)を迎え母への手紙として「いつ帰る」とその時の気持ちをソフトなワルツに託しました。」とありました。甘美ですが何とも切ない歌でした。昨日ないと思った「赤いレイ」の音源もありましたので、併せて上げておきます。冒頭の掛け声が絶妙でウクレレがリズムセクションで活躍しています。歌、スチールギター共にこれがベストだと思います。真珠湾攻撃のあった年(1941年)に海軍入隊前の16歳の大橋さんが作った和製ハワイアン名曲です。

<大橋節夫 / 星の降る窓 2分30秒>

<大橋節夫 / 赤いレイ 3分12秒>

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2026年8月 6日 (木)

赤いレイ

ゼアミdeワールド525回目の放送、水曜夜8時半にありました。9日22時と12日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今回は3回あります。来週一週間夏休みですので、ブログも飛び飛びになるかも知れません。お盆の民謡特集は初回が16日ですから、一週間ずれ込みます。今日はまずハワイアン名曲「赤いレイ」から。1980年にサーカスの歌唱で聞いて記憶に残っていましたが、真珠湾攻撃のあった年(1941年)に海軍入隊前の16歳の大橋さんが作った歌と去年知って、大変驚きました。番組でかけた冒頭の掛け声が絶妙でウクレレがリズムセクションで活躍する音源が見当たらないので、ライブ映像を上げておきます。

525回目の放送になりました。スイスシリーズの途中ですが、8月は毎年恒例のお盆の純邦楽に移ります。その中でスイスやオーストリアの時に出てきたカントリー・ヨーデルやハワイアンのヨーデル風な歌唱、ホーハイ節など裏声を使う日本の民謡、ナトゥアヨーデルの比較で出てきた日本各地の馬子唄などを取り上げると予告していました。

まず日本のヨーデルから始めますが、日本において「ヨーデル」を一般に紹介したのは、1933年(昭和8年)の中野忠晴による「山の人気者」が最初とされています。この曲はアルプスではなくカントリー・ヨーデルで、日本のカントリー歌手ウイリー沖山もレパートリーにしています。まず中野忠晴による「山の人気者」からおかけします。ウイリー沖山では音源が見つからなかったのですが、YouTubeにはありましたので、ゼアミブログでは取り上げる予定です。

<中野忠晴 / 山の人気者 3分10秒>

戦後の日本において「ヨーデル」が一般に広まったのは、1951年(昭和26年)発売の灰田勝彦の「アルプスの牧場」よるところが大きいそうです。私も子供のころに灰田勝彦の歌唱はTVで見た記憶があります。ハワイ生まれの粋な叔父さんというイメージがずっとあります。「アルプスの牧場」「ハワイアン・フラソング MAMA E」と、大ヒット曲の「燦めく星座」の3曲を続けておかけします。「燦めく星座」もハワイアンの雰囲気があります。

<灰田勝彦 / アルプスの牧場 3分38秒>
<灰田勝彦 / ハワイアン・フラソング MAMA E 3分7秒>
<灰田勝彦 / 燦めく星座 2分45秒>

この機会に日本のハワイアン名曲を2曲続けておきます。1曲目は「赤いレイ」という曲ですが、私は1980年にミスターサマータイムで有名なサーカスのLPで初めて聞いて、ずっと彼らの曲と勘違いしていましたが、去年やっちんさんのバンドが伴奏するフラダンスのライブで偶然聞いて大橋節夫の作曲と知りました。1941年に書かれた古い歌でした。去年初めて大橋節夫の演奏で聞いて、スチールギター演奏と歌声の素晴らしさに感銘を受けました。2曲目は「星の降る窓」という曲ですが、間奏部分に軍歌「海ゆかば」が出てきて大変驚きました。灰田さんは1911年、大橋さんは1925年生まれで、戦死した友人知人も多いと思いますから、追悼の意を込めて入れたのでしょうか。

<大橋節夫 / 赤いレイ 3分12秒>
赤いレイ/大橋節夫とハニーアイランダース

<大橋節夫 / 星の降る窓 2分30秒>

このようにアメリカのカントリーとハワイアンは、裏声を使う歌唱法があるという共通点がありますが、スイスやオーストリアのヨーデルがアメリカ合衆国に伝わり、カントリー・ミュージックやカウボーイ文化と融合して1900年代初頭から発展し、「ウェスタン・ヨーデル」(Western yodel)とも呼ばれるのに対し、ハワイアンの場合はハワイ人の歌唱に似た歌唱法が元々あったのか、カントリーからの影響で入ったのか、判然としません。今回はカントリーヨーデルの代表曲として、ジミー・ロジャースのBlue Yodel No.9と、ロイ・ロジャースのHawaiian Cowboyをおかけしておきます。ロックの殿堂で1986年"アーリー・インフルエンス"部門に選ばれ、『ブルーヨーデル第9』はロックンロールを形成した500曲の1つに選ばれたそうです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<Jimmie Rodgers / Blue Yodel No. 9 (Standin' on the Corner) 2分37秒>
<Roy Rogers / Hawaiian Cowboy 2分25秒>

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2026年8月 5日 (水)

もう一つのセントバーナード讃歌

525回目の初回放送は5日夜ですから、納涼のヨーデルをもう一本上げておきます。前にオシュス・ディー・ドリッテンを見ていた時に、「セントバーナードが出て来る動画がありましたが行方不明。犬猫好きとしては是非上げておきたい。」と書いていましたが、31日に上げた「セント・バーナード犬を称えるヨーデル」の関連動画にありました。画面にセントバーナードが何度も出てきます! 曲名のWas hat der Bernhardiner in dem Fässchen drinは「セントバーナード犬は小さな樽の中に何を入れていたのでしょうか?」の意味でした。しかし31日のブログに曲名のHelden vom grossen St. Bernhard(偉大なるセントベルンハルト 峠の英雄たち)の、St. Bernhardをセントベルンハルトとドイツ語に忠実に読んでしまっていて、英語読みのセントバーナードと一致してなくて、お恥ずかしい限りです(;'∀') ドイツ語ではセントベルンハルトと歌っているように聞こえます。31日に訳文に入れましたが、フランス語ではサン・ベルナールと読むことになります。 

Oesch's die Dritten - Was hat der Bernhardiner in dem Fässchen drin

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2026年8月 3日 (月)

納涼のツォイエリ

今週は昨日2日22時に局の手違いで26日の前回分が放送され、先週の収録分が流れなかったので、2日放送分の本放送は5日になります。5日の一回だけではもったいないので、9日と12日にも流してもらうように依頼しました。都合3回になります。ですので、本放送後の報告は6日木曜になります。今日は納涼のツォイエリを上げておきます。猛暑をしばし忘れられるかも(笑)

Jodlerclub Teufen Urnäsch

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