純邦楽

2009年3月 3日 (火)

うれしいひなまつり~シェヘラザード

今日は真冬に逆戻りしたような一日になりました。伊予でも最高気温が6度! 東京の方では雪が積もりそうだとか。寒い寒い桃の節句は、トルコ・シリーズを一日お休みして、今日にふさわしい一曲を。正月だけでなく、今日も日本のメロディで行きたいものです^^
童謡作曲家・河村光陽が昭和11年に書いた「うれしいひなまつり」は、娘の河村順子さんの歌唱で有名になりましたが、この歌ではやはり彼女の歌声が一番だと思います。今はほとんど廃れてしまったかのように思える、美しい日本語(発音や抑揚も含め)と情緒が息づいているなぁと思います。この録音を含むコロムビアから出た童謡復刻シリーズはとにかく最高で、「月の沙漠」なども極め付きの歌唱ばかりでした。残念ながら往年の童謡歌手達のyoutubeは見当たらないようですが。

千芽々の篠笛日記~うれしいひなまつり~

篠笛による演奏。細かい節回しが良いですね。序奏、後奏つき

うれしいひなまつり

月の砂漠

併せてケーナによる「月の沙漠」。こういう哀切な曲には、素朴な管楽器がピッタリですね。砂漠となっていますが、正しくは沙漠です。映像に出てくる御宿海岸のこの歌の記念碑には、80年代にオーケストラの合宿で行ったことがあります。(南房総は、サーフィンだけでなく面白いスポットが多いので、お薦めです!)大昔に子供向けSFドラマ?のエスパーで、少年が月面で歌っていたのを、もの凄く懐かしく思い出します(*´ー`)

また93年にイランの楽士が来た時には(キングのWRMLに入っているセイエド・アリ・ハーンのグループだったと思います)、アンコールで「月の沙漠」を演奏していました。イラン協会の方(オールド世代?)がリクエストしたのでは^^ 確かにアラビアン・ナイトを思わせる歌ですから、イメージ的にはピッタリだったと思います。若い王子と王女という設定では、リムスキー=コルサコフのシェヘラザードの3楽章(今日の3本目)ともイメージがダブります。こちらは哀切ではなく、どこまでも美しくロマンティック。中間部にはイランのレングのリズムが出てきます。

Rimsky Korsakov Scheherazade OSMC 3rd Mvt

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2009年1月 8日 (木)

義太夫のyoutube

松の内も過ぎましたので、そろそろ邦楽は終わりにしようと思いますが、もう一日だけ見てみます。今日は義太夫。浄瑠璃の中で一番古い語り物です。浄瑠璃というと義太夫のことか、と勘違いされる方もいるのではと思うほど、文楽の人形浄瑠璃のインパクトは強いと思います。youtubeには2本だけですが、義太夫として鑑賞できるビデオがありました。人間のあらゆる情感を描き出す語りの迫力は勿論ですが、太棹三味線の音色も江戸系浄瑠璃に比べて骨太な印象を聞き手に与えると思います。新内初め、浄瑠璃をやる者は、義太夫を聴かねばならないとよく言われます。浄瑠璃の中の浄瑠璃、それが義太夫と言えましょうか。レパートリーも諸浄瑠璃が継承しているだけでなく、歌舞伎の義太夫狂言は、歌舞伎の中心的な演目になっています。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』・『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』・『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』が「義太夫狂言」の3大名作として知られています。更に嬉しいことに、明治以降の名人の録音も沢山残されています。音源の豊富さでも義太夫はダントツでしょう。(義太夫関係の音源情報はこちら
男の太夫と同じく、裃を着けて語られる女流義太夫の危うい魅力も特筆もの。明治頃から発祥の地の大阪だけでなく全国で大流行しました。現在も一部で脈々とその伝統が受け継がれています。2本目はその女流義太夫の名手。余談ですが、女流義太夫はジョギと略されることがあります。ジョギと言うとインドの地方音楽を思い出してしまいますが^^ 

日本の旋律集 竹本弥乃太夫・義太夫曲節集

義太夫協会常務理事重要無形文化財総合指定保持者竹本弥乃太夫師の実演46曲節を完全 収録したDVDのご紹介。

【女流義太夫】竹本越孝 / 鶴澤寛也 / 伊勢音頭恋寝刃 (Women's gidayu )

youtubeビデオに詳しい解説があります。

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2009年1月 5日 (月)

新内 蘭蝶と滝の白糸

昨日の「影を慕ひて」で江戸の浄瑠璃、新内節(しんないぶし)の名が出ましたので、youtubeを調べてみました。去年新内の話(故・小泉文夫氏が「死ぬ前に聞きたい程に好きな歌」として世界中の数多の音楽の中からペルシアの歌と並んで取り上げた云々の話に始まりました)を書いた頃は全くなかったのですが、今回は何本か見つかりました。
一本目の新内の代表曲「蘭蝶」は18世紀に鶴賀若狭掾が書いたと言われています。その哀婉な節回しと、「粋の源流」とも言われる風情が味わいどころ。新内流しの手も、この蘭蝶の三味線の手から生まれています。女性の浄瑠璃(語り)はもう一つかなとも思いますが、地の三味線の鶴賀喜代寿郎さんは現役最高の新内三味線弾きの一人として活躍中。右の上調子はどなたか不明。蘭蝶のサビの俗称「縁でこ」の部分だけ上げておきますが、続く「~心底話」までアップされています。縁でこに先立つ四谷の箇所も聞いてみたいところ。
二本目は新内にもよく取り上げられる明治生まれの小説家、泉鏡花の「滝の白糸」をテーマにした石川さゆりの同曲のステージから。30秒辺りから出てくる二挺三味線が、あの有名な新内流し。しかし、有名な割りに意外にも節はちゃんと知られてないように思います。その後の石川さゆりの前半の歌唱は、新内そのもの。「滝の白糸」による新作新内ではなく、蘭蝶の一部ですが。

新内蘭蝶お宮口説1浄瑠璃

♪云わねばいとど堰かかる 胸の涙の (お宮)「やる方なさ あの蘭蝶どのと夫婦の成り立ち 話せば長い高輪で 一つ内にて 互いに出居り衆」
♪縁でこそあれ末かけて 約束固め身を固め 世帯固めて落ち着いて ああ嬉しやと思うたは

滝の白糸(新内入り) 石川さゆり 2001年 Ishikawa Sayuri

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2008年7月 4日 (金)

能 in イラン

今日は大分前にマイミクのFさんから教えていただいたクリップ。大変に驚いた一本です。
イランの若者が日本の能に興味を持ち、舞台を作り上げ上演した際のドキュメントです。謡(うたい)の文句は日本語ではなくペルシア語で、これがとても意義深い点だと思いましたが、面(おもて)や舞台美術も全て彼らの手作りで、そのデフォルメ具合も面白いです。

敦盛は琵琶の演目にもなっているからでしょうか(能の「敦盛」自体に出てくるのかも知れません。この曲は見てないもので f(^^; )、伴奏楽器に琵琶が出てきますが、琵琶の祖先にあたるイランのバルバットを使うと、また新たな興趣が生まれるかも知れません。いずれにしてもとても興味深い傾向で、各国でこうした動きが出てくると面白いなぁと思います。

彼らが一番共鳴した部分は、日本的な礼と惻隠の情ではと思いますが、最後に「敵(熊谷次郎直実)を許す」という点は最大の惻隠でしょうから、彼らが一番感動したのもそこだろうと思います。仏教的な思想がどう受け取られるのかは少々気になりますが、「敦盛」の物語はイランのシャーナーメなどの古典詩に通じる部分もあるのではと思うだけに、欧米の場合とは一味違うイランなりのジャポニズム的なムーヴメントになっていってくれると嬉しい限りですね。

Noh in Iran (Japanese)

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2008年5月 5日 (月)

相川音頭

連休で来客などありましてアップできない日や、遅い時間のアップの日が続いておりました。
2日の記事でイラン北部が、日本の東北辺りと似ている部分がある云々書きましたので、気分を変えて今日は一本佐渡の民謡を見てみます。数ヶ月前にNHKで放映された新潟民謡の番組からの一こま。
相川音頭は、佐渡おけさと並んで代表的な佐渡島の民謡。世阿弥が配流された島だからでしょうか、佐渡では現在でも能が盛んで、相川音頭にはどことなく謡曲を思わせる雰囲気があります。義経弓流しという平家物語の題材がそうさせたのかも知れませんが。17世紀初頭に生まれたと言われるこの民謡の勇壮にして典雅な律動と、凛としながらも艶やかな舞踊には、個人的に非常に新鮮な感動を覚えました。
新内とジョイントで舞台にかかったこともありまして(実はこの時初めてこの曲を知ったのですが)、数年前の富士松鶴千代師匠の日本橋三越公演の際にその試みが実現しました。因みに私は門弟の一人として、その時同音(これは謡曲の用語ですが)の歌で乗っておりました。つまり独唱に呼応する合唱の部分のようなものでしょうか。

相川音頭

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2007年10月15日 (月)

謡曲と新内

 昨日はかなり過激な内容だったかも知れません。しかし一歩ずつでも、アイデンティティを見直す方向に行ければ、何かが変わってくると思いますが、いかがでしょうか。
さて、今日はまたまた古い記事ですが、96年に書いた(もはや化石のようなw)記事から抜粋しつつ、もう一下り私的邦楽歴を追ってみたいと思います。実は、謡いの稽古に通えたのも95年だけで、その後はなかなか大変になってしまいました。隣町の松山は謡曲の盛んな所なので、いつか再開したいものです。

 (以下96年刊の雑誌「Etcetera」より抜粋)

1.謡いとの出会い (抜粋)
 謡いをやって気がついたのは、伝承はかなり口承によっていることである。謡本にはゴマ節(喜多流の場合の名称)という音の上げ下げ、節回しの記号がついているが、西洋音楽のように音高を確定するものではなく、相対的な音程関係のめじるし程度のもので、細かいことは稽古の場で決まってくる。グレゴリオ聖歌のネウマ譜や、ユダヤのトーラー(モーセ五書)朗唱にはタアメイ・ハミクラアと言う記号があるが、全体にはそれらの伝承方法と似ていると思った。謡い方は弱吟(和吟)、強吟、語りの部分の3通りあるが、音程関係が明瞭なのは弱吟だけで、強吟は記号どうりには解析できない難しい謡い方だ。
 前に述べたように、能楽は日本音楽における「Bach」的な役割を果たしたと思う。それ以前の仏教声楽等からの影響を統合し、それ以降の浄瑠璃やその他の三味線音楽の流れに深い影響を与えている。日本文学研究者のドナルド・キーン氏も「前に能がなかったならば、浄瑠璃の出現は考えられない。」(「日本の文学」 中公文庫)と語っている。

   2.江戸遊里の音曲・新内節  

 謡いをやって日本音楽(特に語り物)の面白さに目覚めた私は、新内という浄瑠璃についての小泉さんの言葉を思い出した。浄瑠璃には古い順に義太夫節、一中節、豊後節、宮園節、常磐津節、新内節、清元節等があるが、ではその中でなぜ新内なのか。新内を聴いたことのなかった私は、常磐津をやっている同じ職場のE君に聞いてみた。生で聞いた経験がある彼によると「常磐津や清元とは違う特殊な音楽」という風な返事だったと思う。関心を持った私は以下の一枚を買って帰って聞いてみた。
3misin  それは「蘭蝶」と「明烏」の新内2大名曲の聞き所を納めたCDだが、富士松鶴千代、富士松小照の2大女流名人による悲哀に満ちた語り(浄瑠璃)は、絶妙なタイミングで撥を下ろすリード三味線(?)と上調子(カポタストのような枷を付け音を上げた三味線)に支えられ、テンションの高い、密度の濃い、それでいて飽くまで粋な空間を作り出す。
 常磐津や清元と音楽的に違うところは、曲調のテンションによって「間」(リズム)が伸びたり縮んだりする、常間でない音楽だと言うことだ。節回しも表の声と裏声を連続して使う上に、テンポはゆったりだが産み字(母音)を細かく処理する難しい歌唱法だ。歌舞伎の舞踊音楽として発達した先の二者と違い、吉原を中心とした遊廓の座敷芸、あるいは流しの音楽として伝承されてきた新内は、テーマとしては遊女の悲恋物語、心中物が多い。新内節の親に当たる京都出身の豊後節では、やはり心中物が中心で心中事件が増えるとの理由で、幕府から江戸での演奏禁止令を出されている。新内でも「明烏」を聞いて遊女が心中して困ると、楼主から苦情が出ていたそうだ。情死など現在の吉原では考えられない話だが、当時は「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳が読まれるほど悲惨な境遇だったのだ。
「客にとっても遊女にとっても深みにはまりこそすれ、這いあがることの出来ないように仕組まれた世界、自由のない境涯、そこを抜け出て真実の愛に生きようと念ずる者たちにとって、新内節は呪術的とも言ってよいほどこ惑耽溺の節調であろう。やるせなさ、脆さ、切なさ、儚なさに沈りんしている陋巷の人々の耳朶をうつ、素裸の人生の深奥の叫びであったに違いない。」(関光三「いきの源流-江戸音曲における゛いき″の研究」六興出版)
また新内界現役最長老(96年当時101歳! 同年死去されました)の岡本文弥氏は次のように語る。 
「新内に描かれる世界は、廓(くるわ)の女たちの哀切なんです。だから新内は、楼主やそこから利益を受けている人間には迷惑な存在だった。だから新内は反権力の芸能だと私は考えています。...」(岡本文弥 朝日新聞「聞く」より 日付け不明)
新内古曲だけにとどまることなく、左翼的な新内を作曲演奏し、樋口一葉や泉鏡花の小説に作曲したオリジナル曲を発表するなど、文弥さんは停滞していた新内を活性化した。

 ペルシアの太鼓を叩きながらも、新内の門を叩かずにいられないところまですっかり盛り上がってしまった。小泉さんが「新内や義太夫は専門的訓練を経なければ、その面白さの片鱗も表せないという難しい三味線音楽です。」と言っていたにもかかわらず。また、新内は大体遊女がヒロイン(?)なので、女流の方が良いと思いながら。
(最近は岡本文弥氏のCDをよく聞いているのと、そもそも新内の元祖は鶴賀若狭じょうという男性だと言う事実から必ずしもそうではないと思うようになった。)
 そしてとうとう富士松鶴千代さんに入門した。「蘭蝶」の方は百回くらい聞いていたので、有名な「四谷の段」などは節も文句もすっかり覚えていて、いきなり師匠の三味線と合わせていただいた。
 「名にし負う 隅田に添いし流れの身 名に流れたる桜川...四谷で初めて逢うた時   好いたらしいと思うたが 因果な縁の糸車 廻る紋日や常の日も
 新造禿にねだらせて...」
隅田川を渡ったり、四谷を通るとつい頭に浮かんでしまう。
「謡いと新内は対極にある」と師匠は言われたが、平井澄子さんの例もあるので、私も合わせて見ていきたいと思っている。

  3.新内ゆかりの地を歩く 

 新内ゆかりの場所は、台東区に多い。特に浅草から三ノ輪(箕輪)にかけての交通の便の良くない場所に固まっている。その中央に吉原があって、今でも地図で見ると廓(くるわ)の外周を巡っていたお歯黒どぶ(遊女の逃亡を防ぐために張り巡らされた溝)の跡がはっきり分かる。その中央の道が吉原仲の町で、遊廓の頃はメイン・ストリートで桜の名所だったが、今はソープランド街になっている。北東部にある入り口は吉原大門跡、出ると衣紋坂(えもんざか)という曲がった道になっていて、江戸時代にはここに歌麻呂や写楽を送りだした蔦屋重三郎の店があった。隅田川から山谷堀に船で入って、待乳山聖天を見ながら日本堤を北西の方に行くと、三ノ輪の浄閑寺に出る。永井荷風が断腸亭日乗でしばしばふれている浄土宗の寺だ。別名投げ込み寺とも言われ、吉原遊廓で死んだ遊女が2万5千人くらい葬られているという。荷風は遊女の哀れな死を悼み、しばしばこの寺を訪れ、死んだらこの寺に葬って欲しいと語っていた。結局、彼の墓はそこには建たなかったが、毎年4月30日の荷風忌はこの寺で行われている。寺内の新吉原総霊塔には、前述の「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の川柳が刻まれている。               

 「びんのほつれは枕のとがよ それをおまえにうたぐられ つとめじゃエエ
  苦界じゃ ゆるしゃんせ」
                         小唄「びんのほつれ」

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2007年10月14日 (日)

謡いのすすめ

Take3 今日のは99年頃に、ある書籍の記事として書きましたが、色々経緯があってお蔵入りになっていたものです。古いのでその後状況は色々変わっていますが、問題提起としては今でも有効かと思います。ご意見、お待ちしております。

<邦楽教育の必要性-謡のすすめ>
 座敷の床には掛け軸、あとは見台とその上の謡本のみ、手には扇を持って師匠と差し向かいで謡(うたい)に集中する。これが大変に良いものである。まず、謡曲は美しい日本語の見本のようなもの。平家物語、源氏物語をはじめとする中世古典文学のパッチワークなのだから。また五七、七五調の8拍子は、誠に日本語を美しく響かせる。
 この良さはやってみないと絶対に分からない、と思う。ただ、初めは何となく照れくさい。発声練習に狂言の太郎冠者のセリフをやったりするものだから、最初はばかばかしく思ったりするのも無理もない。現代人は地声で大声を出すことはほとんど無くなってしまっているから。結婚式で良く聞かされる「高砂や~」(脚注)のイメージ通りで、私も始める直前まで何となく爺臭いイメージをはっきり言って持っていた。しかし、やってみて大変に驚いた。この音楽が持つ独特のリズムの魅力にいつしか虜になっていた。トリップしてしまったと言っても良いかもしれない。とにかく、眠っていたDNAが呼び覚まされた思いだった。これは日本人にとってトランス・ミュージックになりうるかも。(実は、これが店名の由来でもありまして)
 個人的には、どちらかと言えば、洋楽・クラシック、さらに民族音楽を少しかじったことがある者だが、少しかじったから余計にそうなるのかもしれないが、気がつくと心はどっぷり漬かっていた。特に無本(つまり暗譜のこと)が超おすすめ。謡曲特有のリズムがあるので文句も意外なほどに覚えやすく、平家物語などの話がスッと頭に入ってくる。主人公の心が乗り移ったようになることもある。歌舞伎など後の芝居の元になっている曲も多いので、同名の長唄版などを聴くときに大変興味深い。とにかく、良いことずくめである。
 歌い慣れてくるうちに これは医学的に見ても大変に体に良いことだと気がつく。何しろ、一つのものに集中し、腹式呼吸で歌うわけだから。精神修養にもなること請け合いである。小学校で英会話を教えるのも良いが、併せて謡曲や邦楽器などやらせたらどうだろう。日本語の乱れが指摘される昨今、有効な対策だと思うのだが。言葉の乱れはあらゆる所に悪影響を及ぼす。
 また、新しい教育要綱には邦楽器の実習が入っているようだが、今度は純邦楽を教えられる教師が足りないらしい。長く続いた西洋音楽偏重の後遺症は余りに大きいようだ。
 自国の伝統音楽や文化を何も知らないと、外に出ても「日本人て何なの?」ということになるのは目に見えている。グローバルスタンダードは結構だが、根っこにアイデンティティを持っていないと根無し草になってしまう。以上のような理由から、事態は急務だと思うのだが。
Photo  現代人のほとんどは謡曲など忘れてしまったようだが、ほんの数十年前まではその伝統ははっきりと生き続けていた。私の師匠も40年謡を続けた人である。昔の著名な文人たちの中には、夏目漱石や高浜虚子のように謡に大変のめり込む人がいたようだ。また、往年の名優、嵐寛十郎の映画などを見ると鞍馬天狗の一節を謡っていたりする。またこれが渋くてカッコイイことこの上ない。謡曲は時代劇俳優として、当時は必須教養の一つだったのだろう。
 謡曲の節にはそれ以前の声明等の仏教声楽や雅楽、平曲の節が流れ込んでいると言われる。また、能楽以降の浄瑠璃は、謡曲の語りの伝統が無ければ生まれなかったのではないかとも言われる。このようなことから、能楽は西洋音楽史に当てはめればJ.S.バッハ的な役割を果たしたと言えるのではないだろうか。それ以前の要素を統合し、後の音楽の主流の骨格になったという点で。よく言われるように声明がグレゴリオ聖歌なら、観阿弥・世阿弥はバッハ的存在と言えるのかも。
 小学校から三味線、琴もいいが、楽器と違って「歌」は文化そのものにストレートに関わってくる。だから「歌」は押さえておくべきだろう。特に日本の音楽は歌と語りが中心なのだから。そして、ピアノの初学者がバッハのインヴェンションを習うように、まず謡曲から入ってみるのも大変意義深いことに思える。

(註)「高砂や~この浦舟に帆を上げて~」の部分ような、声の勢いや謡い特有の抑揚を重視する強吟(つよぎん)の部分はテクニック的に難しいので、旋律のはっきりした弱吟(よわぎん)の部分を歌えばボロが出ないのにと思ってしまう。

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2007年9月28日 (金)

奄美民謡ネットラジオ

昨日はリッキの名が出たので、今日はユーチューブだけでなく、ネットラジオの紹介も。
元ちとせの活躍以来、注目を浴びてきた奄美民謡を24時間流している素晴らしい局です。是非「お気に入り」登録を!w
iTuneやRealで聞くのではなく、ブラウザを開けば音が流れます。
曲目と歌手もその都度表示されています。

2002年に奄美に旅をして、私自身奄美の島唄には虜になりました。
奄美民謡を聞いていると、今でも名瀬の町並みを思い出します。
ライヴ・ハウスの「しまうた」も凄く良かったです。太鼓のちぢんの響きには、マレー系やポリネシアンに近いなという感じを覚えました。
沖縄よりはメロディは本土寄り、縮緬のようなコブシは日本の民謡の中で最も難しく美しいものと言えるでしょう。

再生していると、プラグインを入れろとか出てきて止まることがありますが、ページの再読み込みをクリックすれば、再度再生開始します。これでノー・プロブレムです (・∀・)/

ラジオ喜界島・1ch-64k
http://www.kikaijima.com/1ch.html

ユーチューブも1つ貼っておきます。

ワイド節

奄美民謡の大御所、坪山豊氏の作曲。徳之島の闘牛をテーマにした新作民謡です。
唄と三味線 ケン坊  ←この人は何者? 演奏はまぁまぁかなw

(本稿は、地元のSNS、イマソウにアップしていた記事の転載)

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2007年9月 6日 (木)

「粋」の源流 ~ 新内節

Photo  



新内流し

 

 「あと十分で死ぬと言うときに、なにか二曲だけ音楽が聞けるとしたら、まず私が世界中で一番好きなイランの歌、その次に新内を聴きたい。」(「西アジアの古さ、新しさ」より)これはあの世界的な民族音楽学者、故・小泉文夫氏の言葉である。世界中の音楽を訪ね、聴きつくした小泉さんが語った言葉だけに重い。
 14年ほど前にテイチクから、故・岡本文弥さんの自作曲の素晴らしい7枚シリーズが出ていた。文弥さんの淡々とした語りで「情」の音曲が演じられる時、「粋」の極致を聞く思いであった。その後、文弥さんが101歳で亡くなったのは96年。テイチク盤も全て廃盤になって久しく、「新内(しんない)」と言うジャンルを耳にする機会がすっかり減ったと思うのは筆者だけだろうか。確かに「江戸の生き証人」のような巨匠はいなくなってしまったが、新内がなくなった訳ではない。
 新内はリズミカルな音楽ではない。これが現代人に今ひとつ受けない理由だろうか。「間」が伸びたり縮んだりする音楽と言う点では、ペルシアの声楽とも通じる部分がある。節回しも表の声と裏声を交錯させる非常にテクニカルな歌唱で、小泉さんも新内と義太夫は、専門的訓練を積まなければ面白さの片鱗も表せない難しい音楽だと語っていた。
 歌舞伎の伴奏音楽として発達した同じ江戸系浄瑠璃の常磐津、清元、河東などと違い、吉原を中心とした遊廓の座敷芸、あるいは流しの音楽(吉原被りに着流し姿の二挺三味線の流しは時代劇でお馴染みでしょう)として伝承されてきた新内は、テーマとしては遊女の悲恋物語、心中物が多い。小泉さんの言葉がずっと頭にあって、謡曲で邦楽に目覚めた後、ちょうど文弥さんが亡くなった頃(1996年)、筆者は新内に入門した。師匠は富士松鶴千代さんという女流名人で、名曲「蘭蝶」のサワリの部分に完全にはまっての入門だった。
 多少でも興味を持たれた方は、論より証拠、一度耳にされてみてはいかがだろうか。色々音楽をかじった人こそ、日本人のDNAが騒ぐことは請け合いである。
 - Pop Biz Free Paper: Doo Bee Doo Bee Doo #04より転載 -

新内の各論は追々追加する予定です。

参考盤はこちらで・・
http://homepage1.nifty.com/zeami/j-3mi.html#Anchor2694072

  (ZeAmi代表 近藤博隆=富士松千嘉太夫)

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