ゼアミdeワールド292回目の放送、日曜夜10時にありました。12日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。YouTubeですが鶴千代師匠の70年代のビクター音源はありませんが、数年前の「縁でこ」がありました! 皆さんお元気そうで何よりです。
新年の一回目ですので、まずは新年のご挨拶からになります。あけましておめでとうございます。本年もお聞き頂けましたら嬉しい限りです。どうぞよろしくお願い致します。
ルーマニア音楽巡りの途中ですが、これまで新年には「春の海」を中心に純邦楽をかけてきました。今年は初回が9日ですが、ほぼ正月とお盆にしか日本の音楽を入れられてないので、今年も日本の音楽を取り上げておきます。世界中の音楽を回ってからでは30年後位になるかも知れませんので(笑)
今年はお正月らしくない音楽ですが、自己紹介も兼ねて新内節の有名な曲「蘭蝶」をおかけします。まだ東京の方に住んでいた98年頃に新内に入門していた件は、6年前にこの番組が始まった頃に少しお話したことがあります。太夫の付いた名前も頂いて、三味線の上調子では何度も日本橋三越や宴席などでの出番がありました。その経緯などが分かる一文として、95年に某雑誌に書いた拙稿から抜粋して読み上げてみます。
「あと十分で死ぬと言う時に、なにか二曲だけ音楽が聞けるとしたら、まず私が世界中で一番好きなイランの歌、その次に新内を聴きたい。」これはあの世界的な民族音楽学者、故・小泉文夫氏の言葉である。世界中の音楽を訪ね、聴きつくした小泉さんが語った言葉だけに重い。
14年ほど前にテイチクから、故・岡本文弥さんの自作曲の素晴らしい7枚シリーズが出ていた。文弥さんの淡々とした語りで「情」の音曲が演じられる時、「粋(いき)」の極致を聞く思いであった。文弥さんが101歳で亡くなったのは96年。テイチク盤も廃盤になって久しく、「新内(しんない)」と言うジャンルを耳にする機会がすっかり減ったと思うのは筆者だけだろうか。
新内はリズミカルな音楽ではない。これが現代人に今ひとつ受けない理由だろうか。「間」が伸びたり縮んだりする音楽と言う点では、ペルシアの声楽とも通じる部分がある。節回しも表の声と裏声を交錯させる非常にテクニカルな歌唱で、小泉さんも新内と義太夫は、専門的訓練を積まなければ面白さの片鱗も表せない難しい音楽だと語っていた。
歌舞伎の伴奏音楽として発達した同じ江戸系浄瑠璃の常磐津、清元、河東などと違い、吉原を中心とした遊廓の座敷芸、あるいは吉原被りに着流し姿の二挺三味線の新内流しが時代劇でお馴染みの流しの音楽として伝承されてきた新内は、テーマとしては遊女の悲恋物語、心中物が多い。
小泉さんの言葉がずっと頭にあって、謡曲で邦楽に目覚めた後、ちょうど文弥さんが亡くなった1996年、筆者は新内に入門した。師匠は富士松鶴千代さんという女流名人で、ビクター邦楽名曲選に入っている「蘭蝶」のサワリの部分に完全にはまっての入門だった。多少でも興味を持たれた方は、論より証拠、一度耳にされてみてはいかがだろうか。色々音楽をかじった人こそ、日本人のDNAが騒ぐことは請け合いである。
特に有名な部分が「四谷で初めて逢うた時~」と始まる遊女・此糸から男芸者・蘭蝶へのクドキ「四谷の段」と、蘭蝶の女房・お宮から此糸へ切々と縁切りを頼む「縁でこそ」の2か所ですので、「縁でこそ」(通称・縁でこ)の部分まで続けておかけします。最初の「名にし負う 隅田に添いし流れの身~」の節から好きなもので、最初からおかけします。サワリのほとんどは富士松鶴千代さんが歌っていますが、語りの部分では富士松鶴千代さんが此糸、富士松小照さんがお宮の役です。
<新内名曲集 蘭蝶 若木の仇名草 最初~21分35秒>
では「縁でこそ」の続きを時間まで聞きながら今回はお別れです。
ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週
<新内名曲集 蘭蝶 若木の仇名草 21分35秒~>
富士松鶴千代 の世界「蘭蝶」
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