シャンソン

2022年9月 8日 (木)

Trauriger Sonntag

「暗い日曜日」を淡谷のり子のカセットで聞いたのは、80年代初めだったと思います。ダミアのLPで聞いたのが、その後でした。普通は逆だと思います(笑) ドイツ語訳を先日入れ忘れたので、今日のタイトルにしました。発音はトロイリゲル・ゾンタークになります。戦前の中欧の流行り歌ですから、ドイツ語タイトルは重要だと思います。
この歌を歌った日本の歌手は、淡谷のり子を筆頭に榎本健一、東海林太郎、越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利、夏木マリ、加藤登紀子、浅川マキなどということですが、エノケンと東海林太郎、浅川マキは是非聞いてみたいものです。フランスのセルジュ・ゲンスブールもカヴァーしていたそうで、これはチェック漏れしていました。(以下放送原稿を再度)

次は1933年にシェレシュ・レジェーが書いたハンガリーの歌「暗い日曜日」(ハンガリー語: Szomorú vasárnap ソモルー・ヴァシャールナプ, 英語: Gloomy Sunday, フランス語: Sombre Dimanche)も入っていますので、Janos Szalayの楽団の演奏と、オリジナルのSebo Miklosのハンガリー語歌唱、日本の淡谷のり子の歌唱の3曲を続けます。チャールダーシュのジプシー楽団もよく取り上げていた曲です。「自殺者の出る曲」と言う都市伝説があることで有名で、1936年にフランスのダミアがカヴァーしてから、シャンソンの作品と誤解されることが多かった曲です。おそらく1936年のオリジナルと思われる淡谷のり子の録音には、他にもシャンソン、タンゴ、ラテンなどの名唱が多いので、またそれぞれの機会に取り上げるかも知れません。

<Trauriger Sonntag (Szomoru vasarnap) 2分23秒>

<Sebo Miklos / Szomorú Vasárnap 3分14秒>

<淡谷のり子 / 暗い日曜日 3分>

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2022年3月23日 (水)

レスポール、エディット・ピアフ、ヴァイア・コン・ディオス、イスラエル・ゾハル

エレキで有名なレスポールや、シャンソン歌手のエディット・ピアフ、ヴァイア・コン・ディオスまで歌っていたことは、今回調べて初めて知りました。いや、ピアフの歌唱だけは聞いたはずですが、コマネチの床の曲とは気づかず(笑) サニエ・ク・ズルガライはルーマニアの歌で世界に広まった例でしょう。日本で喩えればスキヤキ・ソング(上を向いて歩こう)でしょうか。フランス語タイトルのJohnny tu n'es pas un angeは、「ジョニー、あなたは天使じゃない」ですから、英訳とニュアンスが違います(笑) イスラエル・ゾハルでは見当たらなかったので、イスラエルの名歌手エステル・オファリームの歌唱を上げておきます。(以下放送原稿を再度)

サニエ・ク・ズルガライ(Sanie cu zurgălăi 鐘のあるそり)は、英訳でJohnnie is the boy for meとも呼ばれますが、これはエレキギターのレスポールを開発したレス・ポールとメアリー・フォード夫妻の1953年のカヴァーバージョンのタイトルで、歌詞内容はすっかりオリジナルとは変わっていますが、昨日のマリア・ラタレツの歌唱を元にしているようです。このレスポール版を聞いたシャンソンの大歌手エディット・ピアフがカヴァーし、80年代にはピアフの録音を聞いたヴァイア・コン・ディオスもカヴァーしています。
この歌は、盗作疑惑で作曲者のスタインとレスポールの間で法廷闘争になりましたが、スタインが最終的に勝ったそうです。これが音楽の盗作についての最初の訴訟の1つとされています。その3つの音源を続けておかけします。

<Les Paul & Mary Ford / Johnny is the Boy for Me 2分3秒>

<Édith Piaf / Johnny tu n'es pas un ange 2分11秒>

<Vaya Con Dios / Johnny 2分19秒>

私はルーマニア音楽の音源より先に、イスラエル・ゾハルのクレズマー・クラリネットの演奏で90年頃に偶然聞いた曲でした。タイトルはレスポール版と同じでした。その音源を次におかけします。

<6 Israel Zohar / Nigunim of Gold ~Johnny is the Boy for Me 1分39秒>
Johnny Is The Boy For Me-Sanie cu zurgalai

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2021年7月14日 (水)

「ロマ音楽の帝王」の歌声 巴里祭

現物が残ってないので、シャバン・バイラモヴィチのこの盤のコンセプトはよく分かりませんが、「古いシャンソン」のような、で思い出しました。今日は巴里祭ですので、2本目に入れておきます。オリジナルのリス・ゴーティの歌唱です。85年に活動再開した頃のPhewがよくライブで歌っていました。当時何度もライブで見ました。二重に懐かしい曲です。フランスではパリ祭ではなく、カトーズ・ジュイエ(7月14日)としか言わないと大分前にも書いた気がします。(以下放送原稿を再度)

インドの故ネルー首相、インディラ・ガンジーの父娘に「ロマ音楽の帝王」と賞されたというセルビアの伝説的男性歌手シャバン・バイラモヴィチを捜し当て共演したモスタル・セヴダ・リユニオンの2作目もありました。生産中止になっていて現物も残ってないのですが、ストリーミングにありましたので、こちらから1曲おかけしておきます。タイトルは「伝説のバルカン・キング」となっている2008年の盤ですが、同じ音源かも知れません。古いシャンソンかジャンゴのマヌーシュ・スイングを聞くような1曲目「Shtar Luludja」と言う曲です。

<1 Mostar Sevdah Reunion presents Saban Bajramovic / Shtar Luludja 3分24秒>

LYS GAUTY - A PARIS,DANS CHAQUE FAUBOURG

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2016年4月 1日 (金)

ブラッサンス「オーヴェルニュ人に捧げる歌」

フラメンコ・ギターの巨匠マニタス・デ・プラタが1921年セート生まれ(カマルグではなく)だったと言うことで、思い出しました。同じ1921年にセートに生まれた名歌手に、ジョルジュ・ブラッサンスがいました。後に「フランス人の〈生まれ変わったらなりたい人〉のベスト1」に選ばれたと言うブラッサンスも、南仏の地中海岸の町セートからパリに出てきた頃は、まだ世に認められてなくて、飢えや渇きの心配なく詩の勉強にいそしむことが出来たのは、下宿先のオーヴェルニュ人夫婦のくれた僅かな薪とパン、「悲しげな微笑」の有り難さだったことを、しみじみと歌っています。

Georges Brassens - Chanson Pour L'Auvergnat

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2014年8月 8日 (金)

スラバヤ・ジョニー  ジャワの原子爆弾

中部ジャワのガムラン音楽の細部に分け入ってみようという試みでしたが、見ている内に更に分らなくなってきました(笑) 一つ分ったことと言えば、「クラトン」はスラカルタでの固有名詞のように使われることもあったように思いましたが、単に王宮の意味でも使われるようで、「ジョクジャカルタのクラトン」と言う場合はその意味になります。
そろそろ中部ジャワを離れて他に目を向けたいと思っています。今日はちょっと寄り道です。ジャワの東の方に目を向けるとスラバヤという町があります。スラバヤと聞くと、ほとんど反射的に思い出すのが、クルト・ワイル&ベルトルト・ブレヒト・コンビの「スラバヤ・ジョニー」。ジャワとどう関係があるのか、劇自体を聞いてないので何とも言えませんが、何か東洋への憧れの反映なのかも知れません。この曲、フランスではボリス・ヴィアンがフランス語の歌詞を付け、カトリーヌ・ソヴァージュが歌っていますが、ボリス・ヴィアンと言えば「原子爆弾のジャワ」(あるいは「ジャワの原子爆弾」?)という歌も歌っていたのを思い出しました。遠い異国への憧憬(か何か)を思わせる2曲です。
クルト・ワイルの妻ロッテ・レーニャと、ボリス・ヴィアン自身の歌唱で。

Lotte Lenya - Surabaya Johnny

Boris Vian - La java des bombes atomiques

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2011年11月23日 (水)

Pola NegriのMAZURKA

Chansophoneから出ていたシャンソン関係の逸品(CD)に、ポーラ・ネグリとルドルフ・ヴァレンティノ、イヴォンヌ・ジョルジュとキキ・ドゥ・モンパルナスのカップリング盤がありました。いずれも戦前の音源で、現在はどちらも廃盤になっているのが残念ですが、そのポーラ・ネグリの歌唱にマズルカがあったことを、昨日の関連映像で思い出しました。
一般には女優として知られている人ですが、往年のドイツ語圏の女優に類稀な歌唱を聞かせる人が出ていることは、マレーネ・ディートリヒ他何人かが証明していると思います。ポーラ・ネグリも間違いなくその一人でしょう。(現代寄りでは、ヒルデガルト・クネフ辺りでしょうか) 同盤はほとんどがドイツ語の歌唱ですが、ロシア民謡も出てきて(とは言ってもユル・ブリンナーなどが歌った「二つのギター」「黒い瞳」のようなロシアのジプシー・ロマンスですが)異彩を放っています。その妖艶で退廃的な味わいを、現代の歌手が表現するのは難しいのではと思います。
今日分かりましたが、ポーラ・ネグリはポーランド出身でした。ですから、マズルカは祖国の音楽でもある訳ですね。ヴァレンティノとのロマンスもあったようです。



ルドルフ・ヴァレンティノ=夭折した戦前の二枚目俳優

イヴォンヌ・ジョルジュ=故・間章(Aquirax Aida)氏は、「家を売ってでも彼女のレコードを買え」と語ったそうで。

キキ・ドゥ・モンパルナス=マン・レイなどのシュルレアリストのアイドルとして有名

Pola Negri: MAZURKA, Odeon 1935

Pola Negri - Rudolph Valentino

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2009年7月14日 (火)

巴里祭+ファニー・リビアン・ダンス

関東は梅雨も明けたそうですが、もう少しの伊予でも前倒しの夏の到来で猛暑の毎日です。4日後には宮古の民謡(神歌と古謡)を聞く機会があって、ちょっと聞いてみたかったのですが、今回も上京は果たせず。先日偶然に知りましたが、何と最後の<東京の夏>になってしまったようで、残念至極です。今後は更に上京の足が遠くなってしまいそうです。

ところで今日は7月14日、巴里祭です。去年に続いて今年もパリ祭関係を見て、その後リビアを一本。パリ祭については去年の同日の記事をご覧下さい。やはりPhewさんの歌唱のものが見つからず、残念でした。代わりに日本のシャンソン歌手のかなり古そうな映像と、東急文化村のカフェ、ドゥ・マゴのCM映像。サルトルなどの文化人も集ったと言うカフェ・ドゥ・マゴの日本版のような店ですね。

Bunkamura ドゥ マゴ パリ祭 2009

「Bunkamura ドゥ マゴ パリ祭 2009」のテーマ曲&告知CMです。制作は「アトリエ・シエスタ」。「アトリエ・シ エスタ」オリジナル・キャラクター「ポンポンズ」と「ポン・マッシロ」がお届けします 。 http://atelier-siesta.cdx.jp/

パリ祭―上月晃(宝塚)//ラ・メールー芦野宏

司会の松坂さんの若さに何よりも驚きました。

funny libyan dance

連日リビア関係を見ていたので、推薦ビデオとして上がってきました(笑) 何とも言えず楽しそうです(^-^)。

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2009年6月 8日 (月)

短歌はウード、夏はナイ

もう二曲ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」から、タンカとレテ・レテ(夏)。タンカは日本の短歌をテーマにした歌のようでしたが、面白いことにアレスキーが伴奏で弾いているのはウード。カーヌーンの音も聞こえます。これはアルジェリアのベルベル辺りの音楽に近いと思います。アンダルシア系ではないでしょう。ブリジットのサラヴァのシリーズは、故・間章(あいだあきら、またはAquirax Aida)氏の素晴らしい解説で思い出される方も多いことでしょう。我が家のブリジットのサラヴァからの4枚のLP(いずれも絶品)は、どこに入れたか見つからないため、残念ながら詳細を今すぐ再確認することができません。余り古物をいじり回しているとカイカイに襲われそうなので、止めておきます(笑) 「ラジオのように」はCDも持っていたはずなのに、これまた行方不明(笑) こちらには間章氏のライナーはなかったように思います。

久しぶりに聞いてみて、やはり北アフリカの乾燥した空気感がぴったりくる歌(シャンソン)です。夏、ではナイを模したような?サックスの音が、蚊取りの音に聞こえなくもないです。と言う事で、一足早く、夏らしい2曲が並びました。

Tanka Ⅰ(短歌Ⅰ)/ Brigitte Fontaine

L'été L'été(夏) / Brigitte Fontaine

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2009年6月 7日 (日)

ラジオのように

今日は少し大胆な仮説めいた話を一つ。  前衛的なシャンソン歌手として、一部のリスナーにカリスマ的な人気を集めたブリジット・フォンテーヌですが、3,4枚目以降の共演者はアルジェリア系のアレスキーでした。今日のビデオの曲「ラジオのように」を収めた同名アルバムはSaravahからの2作目で、彼女の代表作として知られています。共演しているのは前衛ジャズ集団のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(略称AECだったと思います)。フォンテーヌとのコラボでアレスキーやAECがやっている音楽、特に後者はブラック・アフリカがルーツと見られていたように思いますが、実は熱帯雨林系ではなく、サバンナより北の、昨今人気のエリア「砂漠のブルース」の世界に近いものに聞こえます。昨日のビスクラのディワンも、もしかしたら少し重なる世界かも、と思った次第。
因みに、80年代にブリジット・フォンテーヌ、AEC共にそれぞれ来日公演があって、両方行って来ました。

Brigitte Fontaine - Comme à la radio 1969

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2008年7月14日 (月)

巴里祭とPhew

またまた突然ですが、今日はシャンソンの巴里祭
7月14日と言えば、フランス革命記念日。フランスでは単にカトーズ・ジュイイェ「Quatorze Juillet(7月14日)」と呼ばれるだけですが、日本では戦前にルネ・クレール監督の映画『QUATORZE JUILLET』(1932)が邦題『巴里祭』として公開されヒットしたため「パリ祭(ぱりさい)」と呼ばれるようになりました。しかしこれは日本だけの呼び名のようで、フランスでは通じないようです。主題歌のA Paris, dans chaque faubourg(ここだけ直訳すると「どの場末でもパリへ」でしょうか?)は、パリのベルエポックを髣髴とさせる良い歌です。

A Paris, dans chaque faubourg - Lys Gauty

この往年の名歌手リス・ゴーティの歌唱でまず知られている曲。

À Paris, dans chaque faubourg (France 1933)

上のリス・ゴーティのクリップの接続が良くないので、もう一本上げておきます。歌手についてなど全く分かりませんが、悪くない演奏。(下記フランス語の歌詞はこのビデオの解説から)

À Paris dans chaque faubourg
Le soleil de chaque journée
Fait en quelques destinées
Éclore un rêve d'amour
Parmi la foule un amour se pose
Sur une âme de vingt ans
Pour elle tout se métamorphose
Tous est couleur de printemps
À Paris quand le jour se lève
À Paris dans chaque faubourg
À vingt ans on fait des rêves
Tout en couleur d'amour

Ils habitaient le même faubourg
La même rue et la même cour
Il lui lançait des sourires
Elle l'aimait sans lui dire
Mais un jour qu'un baiser les unit
Dans le ciel elle crut lire
Comme un espoir infini

À Paris dès la nuit venue
À Paris dans chaque faubourg
À toute heure une âme émue
Rêve encore à l'amour

実はこの「巴里祭」、私が最初に聞いたのは80年代のニューウェーヴ~インディーズの歌手Phewの歌唱でした。85年の活動再開の頃、よくステージで 歌っていたものです。同じ頃に(Aunt Sallyの頃からかも知れませんが)フランスのレジスタンス・ソングchant des marais(「泥濘の兵士」 綴り自信なし)をドイツ語訳(Die Moorsoldaten)で歌ったりもしていました。どちらも20年以上経った今でも鮮烈に覚えています。
京都のAfter Dinner(VoはHACO)は、オリジナル以外に意外な曲として小泉今日子(曲名失念 エスニックなナンバーでした)だけでなく、キルギス民謡やバルトークのルーマニア 民謡(原曲はあの有名なPf曲)も歌うし、あの頃のインディーズ・シーンはやっぱり面白かったなぁと思います。
彼女の代表曲のクリップは以下。パリ祭のyoutubeは残念ながら見当たらなかったです。
(民族音楽と関係がないためリンクでアップしておきます。当時ほとんどおっかけに近いPhewのファンだった私にとっては、80年代を思い出してしまうナツメロのような曲ですw)
終曲 Phew - 坂本龍一 / 1980
坂本龍一との共演。名曲でした。(坂本さん、キングのWRMLの推薦文で数日前に出てきました)
Phew: Circuit / Signal (With Holger Czukay)  
イランの歌手ゴルパの歌などをスーパーインポーズ(と言うかパッチワークでしょうか?)した名曲「ペルシアン・ラヴ」を書いたホルガー・チューカイ他、ジャーマン・ロックの雄、カンのメンバーとの共演盤から。

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