ナツメロ

2026年8月13日 (木)

ヨーデルとハワイアン

番組で「アメリカのカントリーとハワイアンは、裏声を使う歌唱法があるという共通点がありますが、スイスやオーストリアのドイツ系移民のヨーデルがアメリカ合衆国に伝わり、カントリー・ミュージックやカウボーイ文化と融合して1900年代初頭から発展し、ウェスタン・ヨーデル(Western yodel)とも呼ばれるのに対し、ハワイアンの場合はハワイ先住民の歌唱に似た歌唱法が元々あったのか、カントリーからの影響で入ったのか、判然としません。」と言っていたわけですが、これもジェミニから、19世紀末に独自に開花した「ハイブリッドな伝統文化」だった、と見事な回答がありました。
今日の動画は灰田さんのライブ映像。戦後の日本において「ヨーデル」が一般に広まったのは、1951年(昭和26年)発売の、この灰田勝彦の「アルプスの牧場」よるところが大きいそうです。今回の番組の音源は「中野忠晴 / 山の人気者」が残っていますが、この歌はカントリーヨーデルらしいので、2週間ほど先にこの歌をカバーしたウイリー沖山の歌唱共々、アメリカ往年のカントリー歌手と一緒に取り上げます。なお明日はブログはお休みします。(以下ジェミニの回答)

アルプスの牧場 灰田 勝彦

ハワイアン・ミュージックにおけるヨーデルに似た裏声の歌唱法は「レオ・キエキエ(Leo Kiʻekiʻe)」と呼ばれます。

結論から言うと、この歌唱法はドイツ系移民が直接持ち込んだものではなく、「ハワイ古来の伝統的な歌唱(チャント)」をベースに、1830年代にやってきたメキシコ・スペイン系カウボーイ(パニオロ)の歌唱文化などが融合して生まれたというのが、近年の音楽史研究における有力な定説です。ドイツのヨーデルとの関係や、ハワイアン・ファルセットの成立の歴史について、信頼性の高い史実と文献・資料の記録を交えて解説します。

1. ハワイには「元々裏声を使う伝統」があった
西洋人が来航する以前の古代ハワイには、メロディを持つ「歌」ではなく、神への祈りや歴史を伝える「オリ(ʻOli)」や「メレ(Mele)」と呼ばれる詠唱(チャント)が存在していました。
この伝統的なチャントの技法の中に、「ハイハイ(Haʻihaʻi)」という発声装飾がありました。これは、声を装飾したり深い感情を表現したりするために、地声から裏声へと声を意図的にひっくり返す(声を詰まらせる)テクニックです。ハワイの人々には、西洋音楽が入る前から「喉の筋肉をコントロールして声をひっくり返す」という身体的・文化的な土壌がすでに備わっていました。

2. 最大のきっかけ:メキシコ系カウボーイ「パニオロ」の到来
1832年、国王カメハメハ3世は、島で野生化した牛の捕獲と牧畜技術を学ぶため、カリフォルニアからスペイン系・メキシコ系のカウボーイたちを招きました。彼らはハワイで「パニオロ(Paniolo)」と呼ばれ、ギターと共に彼らの故郷の歌を持ち込みました。

メキシコの伝統音楽(マリアッチなど)には、高音部で鮮やかに裏声へとひっくり返す独自のファルセット技法(Huapangoなど)があります。パニオロたちが牛を追いながら、また夜にギターを弾きながら歌ったこのファルセットやカウボーイ・ヨーデルが、ハワイアンの「ハイハイ」の伝統と見事に共鳴し、融合していったと考えられています。

3. 歴史的文献に見る「ヨーデル」の導入記録
ハワイアン・ファルセットが現在の形(音楽ジャンル)として定着していく19世紀末の動きについては、当時の貴重なテキストや文献から以下の足跡が確認できます。

・讃美歌の導入(1820年代〜)
キリスト教の宣教師によって4部合唱の讃美歌(ヒメニ)が教えられ、ハワイアンは「ソプラノ(高音域)」を歌う楽しさと西洋的な和音構造を学びました。

・アンリ・ベルガーの音声指導
ハワイ王国の宮廷音楽長としてドイツから招かれたアンリ・ベルガー(Henri Berger)が、少年たちへの発声指導の中で「ヨーデル(Yodeling)」を教えたという記録が残されています。ドイツの直接的な影響があるとすれば、この宮廷音楽教育の場が挙げられます。

・カメハメハ学校での導入(1889年)
ハワイの音楽史において最も具体的な文献の一つが、ハワイアン音楽の大家チャールズ・E・キング(Charles E. King)の回想です。彼は、歴史あるキリスト教系メディア『The Friend』(1928年12月1日号)への寄稿の中で、以下のように述べています。
「1889年にカメハメハ男子学校の聖歌隊指揮者に就任したセオドア・リチャーズ(Theodore Richards)が、指導に多くのハワイの歌を取り入れ、現在ハワイアンシンガーの間で大流行しているヨーデル(yodel)を導入した張本人である」

この1890年前後を境に、ハワイアン・ミュージックの中で「裏声(レオ・キエキエ)」と「ヨーデルのような声のひっくり返し」が爆発的な人気を獲得し、独自の歌唱法として確立されました。

西洋のヨーデルとの最大の違い(音の移り変わり、感情表現)

<西洋の一般的なファルセット・ヨーデル> 
地声と裏声のギャップをできるだけ滑らかに、または技巧的に繋ぐ
遠くへ声を届ける合図や、軽快なメロディ楽器の模倣

<ハワイアン・ファルセット(レオ・キエキエ)>
地声から裏声へ切り替わる瞬間の「ひっくり返り(Haʻi)」をあえて強調する
聴き手の心を揺さぶるような、深い愛、哀愁、切なさの表現

| | コメント (0)

2026年8月12日 (水)

「燦めく星座」と太宰治

灰田勝彦の大ヒット曲「燦めく星座」も1940年録音なので戦前の歌です。今日の音源がそれですが、スチールギターの音色がハワイアンムードを高めていますし、ジャケットでは本人がウクレレを弾き語っています。私が灰田さんの歌唱をTVで見たのは昭和40~50年代の子供時分ですが、それ以来ハワイ生まれの粋な叔父さんというイメージがずっとあります。当時の動画で見ると、この頃にはバック演奏にハワイアン色はほとんどなかったようです。音符から見ると、日本で昔から好まれたタッカタッカというリズムの付点音符が入ったピョンコ節の典型だと思います。興味深いエピソードがありまして、この曲は灰田さんと同世代の作家・太宰治が生前もっとも愛し、繰り返し口ずさんでいたそうです。それをどこで知ったのか大分前のことなので不明ですが、例によってジェミニに聞いてみました。以下に引用しておきます。

太宰治はこの曲をこよなく愛し、特に「思い込んだら命がけ 男のこころ 燦めく金の星」という歌詞のフレーズを好んで口ずさんでいました。戦時中の息苦しい世情の中で、この歌の持つ明るくも切ないロマンや若さへの憧れが、太宰の心情や文学的感性に深く響いていたと言われています。太宰治の代表作である『斜陽』に、「燦めく星座」のリズムやフレーズをパロディ(変形)した形で引用されているという有名な説があります。

『斜陽』における変形引用説
作中のフレーズ:『斜陽』の第7章などで、主人公の弟・直治や、小説家の上原らが酒場で騒ぐシーンに「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」という奇妙な歌(ギロチンソング)が登場します。
太宰のリアルな行動:太宰の親友であった作家・伊馬春部らの回想によると、太宰は実際の酒席で「男純情の 愛の星の色……思い込んだら命がけ 男のこころ」と、この「燦めく星座」をコップを打ち鳴らしながら繰り返し大声で歌っていました。
文学的変換:しかし実際の太宰は作中のような「ギロチン~」という文句で歌ったことは一度もなかったとされています。そのため、太宰が現実で「燦めく星座」を狂ったようにリピートしていたあの酒場の狂騒感やリズム、ヤケクソ気味なエネルギーを、小説『斜陽』の退廃的な世界観(デカダンス)に合わせて「ギロチン、ギロチン……」という不気味で破滅的な歌詞へと文学的に昇華・変換して引用したのではないか、と分析されています。

燦めく星座

| | コメント (0)

2026年1月16日 (金)

市丸さんの「天竜下れば」

新年の純邦楽シリーズのトリは、市丸姐さんにしました。藤本二三吉、小唄勝太郎と並ぶ鶯芸者の大御所です。瞽女歌と成田雲竹さんは枠が足りなくなりましたから、またの機会に。中山晋平名曲集を聞いてから市丸さんの「天竜下れば」が大好きで、今治の鈍川温泉の景色を思い出してこのメロデーが浮かんだりしたことがあったのですが、後で祖父が市丸さんのファンだったと聞いて驚きました。子供のころ祖父についてよく鈍川温泉に行きましたから、それでかなと思います。夫婦岩があったかなと探したこともあります(笑) 市丸さんは1906年生まれで祖父の二つ上ですから、ほぼ同世代。
キンカン素人民謡名人選を子供のころよく一緒に見ていたので、祖父が好きだったのは民謡だけかと思っていたら、新内も好きだったらしいと父から聞いて、更に驚きました。今治の松本町の蒼社川よりに花街が昔あって「移転地(イテンチ)」と呼ばれていたそうですが、私が教わっていた新内の家元の母、つまり宗家から「昔イマハリ(今治の古い呼称)に営業に行ったことがありますよ」と聞いていたので、祖父はイテンチで宗家の芸を耳にしたのかもと思った次第。「天竜下れば」は、先日民謡の番組を見ていたら、今でも長野県南部のご当地ソングとして有名なようです。私はカラオケに行くと新内の節を少し入れて必ず歌う曲です(笑) 懐かしさと不思議さなど、色々な思いがクロスする歌です。1本目は昭和8年のオリジナル音源、2本目は昭和44年のライブ映像、番組でかけた市丸さんの小唄「柳橋から」もありましたので3本目に。4本目は端唄名曲の「深川」で、こちらも最高ですが、お江戸が懐かしくなります。

天龍下れば

天竜下れば 市丸

柳橋から

深川

| | コメント (0)

2020年5月29日 (金)

湯の町エレジー

今日のエールの村野鉄男とカフェーの女給、希穂子さんの悲恋物語、とても印象に残りました。このシーンと、選考会で音さんが歌う「椿姫」終盤のアリア「過ぎし日よ、さようなら」を被せると言う見事な展開。女給役・入山法子さんの演技が特に素晴らしかった。今日は主役より目立ってました。村野鉄男は、古関裕而の親友で作詞家の野村俊夫がモデルですが、彼の曲で一番有名なのは、作曲が古賀政男になりますが「湯の町エレジー」でしょう。聞いてて、どこか今日のドラマを思い出します。近江敏郎のナンバーワンヒットです。

水曜は再放送枠で無事放送されました。来週はトルコのセファルディーです。

湯の町エレジー 近江俊郎

| | コメント (0)

2020年5月27日 (水)

古関裕而の名曲「白いランプの灯る道」

「エール」を毎朝店に出る前に楽しく見ていますが、6/27の放送の後は残念なことにコロナの影響で休止するそうです。出世作の早稲田応援歌「紺碧の空 」が出た所ですが、この後はどんな曲が出てくるかも楽しみです。ご当地ソングの「船頭可愛や」辺りが出た後は、軍歌の時代に入りますが、どんな風に描写されるでしょうか。「露営の歌」など、涙をたっぷり含んだ名曲が色々あります。戦後は「白鳥の歌」「とんがり帽子」「長崎の鐘」辺りとかが来て、伊藤久男(エールでは佐藤久志)も出ていることですし「イヨマンテの夜」で締めでしょうか。あるいは岸恵子主演の「君の名は」かも。いや、60年代に入って「モスラの歌」も外せないですね。私は70年代の『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員としての柔和なお爺ちゃんの姿が目に焼き付いています。コロンビアの懐メロは色々音源を持っているので、奥さんの金子さん(エールの音さん)の録音がないか、探しているところです。
今日の動画は、奈良光江さんの代表曲「白いランプの灯る道」で、古関裕而さんの代表作とも言えるでしょう。実は98年頃ナツメロ番組で奈良さんと近江敏郎(やはり『オールスター家族対抗歌合戦』で審査員でした)の1971年の「悲しき竹笛」の映像を見て、余りに美しい歌声と白い着物の舞台姿にぞっこんになりまして。正に佳人薄命の生涯で1977年に53歳の若さで亡くなり、1998年の5/14が21周忌でした。故郷の青森の弘前で行われる式に参列したいと思い立ち、ご家族に連絡を取ってから品川からの夜行バスに飛び乗りました。奈良さんのお墓の前で同級生の方たち(当時75歳)と写真も撮りました。その時お聞きしたのですが、77年の告別式で流されたのが、この「白いランプの灯る道」だったとのこと。涙涙の名曲です。
2本目はその1971年の「悲しき竹笛」です。1946年のオリジナル録音より40代に入ってからのこの歌唱の方が私は好きです。作曲者は古賀政男。エールでは木枯正人です。番組で「影を慕いて」が出てきましたが、少し節が違っていました。そういえば藤山一郎の出世作「丘を越えて」も出てきましたが、当時は大正のモボモガの流れの曲だったのだろうなと思いました。
一つ古関メロディの大名曲を忘れていました。「栄冠は君に輝く」ですが、今年は夏の甲子園がないので、この曲を熱く聞けないのがとても残念です。

白いランプの灯る道(昭和26年)奈良 光枝


XAA462 悲しき竹笛 近江俊郎&奈良光枝 (1946)1971・130814 vL HD

| | コメント (0)

2019年1月11日 (金)

「鹿の遠音」と「この道」

そろそろお屠蘇気分も完全に抜けた頃でしょうが、今週は6日のお正月放送の関連動画で行きます。今回「春の海」について調べていて、青木鈴慕さんが去年の8月に亡くなられていたことを初めて知りました。20年余り前、邦楽ジャーナル誌上でよく拝見したのをつい先日のように思い出しました。追悼として横山勝也さんとの虚無僧尺八の名曲「鹿の遠音」を上げておきます。
スコットランドとのハーフのテノール歌手、藤原義江の蓄音機動画もたくさんありますが、山田耕筰の「この道」を選びました。1928年録音のようです。

鹿の遠音(青木鈴慕・横山勝也)/Shika No Tohne(Aoki Reibo&Yokoyama Katsuya )

藤原義江 Yoshie Fujiwara - この道 (1928)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月23日 (月)

小さな喫茶店

今日はピアソラ作品ではありませんが、タンゴと言えば思い出す曲、「小さな喫茶店」です。この曲はアルゼンチン・タンゴではなくヨーロッパで生まれたコンチネンタルタンゴの名曲の一つ。こちらに作曲者と歌詞についての解説がありました。

この曲を歌っていた歌手で思い出す人と言えば、菅原洋一とあがた森魚です。菅原さんの歌唱も清々しくて良かったですが、あがたさんの歌唱がまたウィットが効いて楽しかったのを昨日のように覚えています。

戦靴の音が近づく時期(昭和9年)に日本に紹介されたとは思えないような曲の明るさ。そこに昭和レトロ趣味をからめたあがた節に、何ともタンゴが似合いました。収録されていた「バンドネオンの豹(ジャガー)」がリリースされた1987年頃にはライヴを見に行きました。youtubeで久々に聞いていると、二重三重に懐かしさが込み上げます。

小さな喫茶店 中野忠晴

小さな喫茶店 菅原洋一&梓みちよ UPC‐0098

小さな喫茶店 あがた森魚

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 9日 (月)

オロチョン

アイヌの周辺の北辺の民族にはギリヤークのような古シベリア系だけでなく、ツングース系が多いのですが、オロチョン族もその一つ。ツングース系の代表的な民族は、と言えば、満州族やエヴェンキ族でしょう。
「イヨマンテの夜」と同じ伊藤久男さんが「オロチョンの火祭り」という歌を歌っていましたが、「イヨマンテの夜」がほとんどアイヌ伝統音楽の要素を留めていないのと同様、「オロチョンの火祭り」も元々の中国やロシア領内に居住するツングース系のオロチョンからはかけ離れた歌のようです。オロチョンは「北方民族」を指す言葉として用いられた時期があり、その名残からオロチョンの火祭りと命名されたそうです。オロチョン族自体に火祭りの儀式も無いそうです。
北辺の諸民族と日本との関係を調べていると、たまにこういう不思議なエピソードを見かけるように思います。アイヌの周辺にエヴェンキは確かにいましたが、オロチョンはもしかしたら大分離れていたのかも知れません。

オロチョンの火祭り   伊藤久男

オロチョン娘 三門順子



三門さんがこんな歌を歌っていました。作曲は「同期の桜」の作曲で有名な大村能章

ウデゲ族の村にて



オロチョン族の映像が見当たらないので、アイヌとの共通性も見出されるウデゲ族の映像を一本上げておきます。(以下はビデオの解説)
ドルミンの森のベースからスノーモービルで確か1時間のところ。グバシュウギ村を訪れました。車でもいけないことはないのですが、2-3倍の時間がかかるため、スノーモー­ビルでタイガの冬の森を走り、この村に辿り着きました。
ウデゲ族はナナイ族同様、この周辺のツングース系民族と言われ、日本のアイヌと近い風習を持っています。私はアメリカ・インディアンを想像しました。まさか現在に向かいな­がらの生活が残っているとは思えませんが、何らかの発見を求めてこの地への旅をリクエストしました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年5月 2日 (月)

イヨマンテ

やはり熊祭り(熊送り)の伝統はギリヤーク(ニヴフ)にもあるようですので、昨日の一本目は関連映像ではと思われます。イヨマンテ(熊祭り)と言えば、伊藤久男氏の「イヨマンテの夜」をまず思い出してしまいますが、これは世代かも知れません(笑) 昔の歌謡番組でよく見かけましたが、もの凄い声量に驚いたものです。今日の一本目に、作曲者・古関裕而氏自身の指揮で。古関さんは日本の歌謡名曲を沢山書いた人です。70年代にオールスター家族対抗歌合戦の審査員として、近江俊郎氏などと一緒に出演されていました。今思えば、日本歌謡界の重鎮が揃っていました。
併せてアイヌ民謡を二本上げておきます。3本目はアイヌの伝統楽器トンコリの弾き語りです。
追分のルーツ探訪とはずれましたが、アイヌやその他の北辺の諸民族を当たりながら徐々に西へ移動する予定です。

伊藤久男イヨマンテの夜1975

アイヌ民謡

Ainu Village - Girl singing


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月24日 (日)

三門順子 追分、白虎隊

一週間ブログを休んだら、すっかり腰が重くなってしまいました(笑) 予定通り、追分~オルティンドーのラインでちょっと見ていましたら、とても懐かしい歌手の映像を見つけました。
三門順子さんは長唄や端唄、詩吟のような邦楽の素養のある歌手で、この凛とした歌い方が私は結構好きです。戦前戦中の歌手で若くして亡くなっていますから、ナツメロ・ファンでも知っている人は少ないかも知れません。4曲の中でNo.1ヒットは「忠義ざくら」ですが、会津の誇りを象徴する白虎隊を歌った2曲目は、タイムリーな内容でしょうか。
詩吟と言うのは、最近の若い方はほとんど知ってる人も少ないのではと思いますが、明治生まれの私の祖父母の世代ではとても人気があって、中でも「鞭声粛々~」で始まる川中島や白虎隊の話はよく聞きました。
三門さんの歌声には古めかしい印象を持つ人が多いと思いますが、それが新鮮と思う方もいらっしゃるのではと思いアップしてみました。こういう歌い方をする人は現在では皆無です。追分月夜は、民謡の追分と言うよりは、リンゴ追分のようなタイプで、忠烈白虎隊と忠義ざくらでは歌詞の間に詩吟が挿まれ、香に迷うは端唄・俗曲そのものです。

追分月夜 三門順子

忠烈白虎隊  三門順子

忠義ざくら 三門順子

香に迷う 三門順子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

J.S.バッハ New Wave-Indies アイヌ アメリカ アラブ アラブ・マグレブ アルゼンチン イギリス イスラエル イスラム教 イタリア イディッシュ イラン地方音楽 インディアン、インディオ インド インドネシア インド音楽 ウイグル ウラル・アルタイ エジプト エチオピア オペラ オーストラリア オーストリア キリスト教 ギリシア クルド クレズマー ケルト コンサート情報 コーカサス (カフカス) サハラ シベリア シャンソン ジャズ スイス スペイン スポーツ スーダン セファルディー ゼアミdeワールド チェロ チベット トルコ音楽 ドイツ ナイル・サハラ ナツメロ ニュース ハシディック ハワイ ハンガリー バルカン バルト語派 バロック パキスタン ビザンツ音楽 ピアノ フランス フランス近代 ブラジル ペルシア音楽 ペルシア音楽 トンバク ユダヤ ユダヤ音楽 ライブ情報 ルーマニア レビュー ロシア ロシア・マイナー ロマン派 ヴァイオリン 三味線 中南米 中国 中央アジア 仏教 仏教音楽 北アジア 北コーカサス(カフカス) 北欧 南アジア 南インド古典音楽 古楽 地中海 室内楽 尺八 弦楽合奏 弦楽四重奏 後期ロマン派 文化・芸術 文学 新ウィーン楽派 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 東アフリカ 東南アジア 東方教会 東欧 歌謡曲・演歌 民謡 沖縄 独墺 猫・犬 現代音楽 童謡、わらべうた 筝曲 純邦楽 西アフリカ 西スラヴ 韓国