ケーニグスベルク(現在はロシアのカリーニングラード)
かつてプロシア語を話すプロシア人がいたのは、東プロイセン(現在のポーランド北東部とケーニヒスベルク=カリーニングラード州)の辺りでした。「ブリキの太鼓」の舞台、ダンツィヒ(ポーランド名グダニスク)が西に位置するグダニスク湾の対岸で、意外に近くて150キロ程です。プロイセンの首都だったケーニヒスベルク Königsberg (ドイツ語で「王の山」の意)は、戦後のポツダム宣言によりソビエト連邦に併合され、カリーニングラードと改称されています。四国ほどの面積のロシア の飛び地ながら、不凍港を有する戦略的重要性のため、ほとんど閉鎖都市になっているのは、よく知られていることでしょう。ケーニヒスベルクの頃は、18世紀の哲学者イマヌエル・カントが生涯のほとんどを過ごした町としても有名で、数学者オイラーの「ケーニヒスベルクの橋の問題」もよく知られています。カントが住んでいた町、と言う点に、私は大変関心を持って来ました。こんな動画がありましたので、貼っておきます。
プロイセンの古いケーニグスベルク(現在はロシアのカリーニングラード)のノスタルジー


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