ゼアミdeワールド

2024年9月 2日 (月)

お雪~月夜の題目船

ゼアミdeワールド426回目の放送、日曜夜10時にありました。4日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。やはり「月夜の題目船」もYouTubeにはなかったので、93年の「至芸の時」のTV映像を貼っておきます。

岡本文弥 永六輔 1993/08/26

前回29分の番組時間にぎりぎりで解説を入れられなかったので、まず曲の解説を入れておきます。新内節の往年の名人、岡本文弥さんの作った風物詩「お雪」と言う曲でしたが、永井荷風の原作を読まれた方はすぐにお分かりと思いますが、玉の井の私娼窟を舞台にした濹東綺譚が原作です。風物詩「お雪」は、1960年に作曲され同じ年に録音されています。三味線と上調子の岡本宮染、岡本宮之介両氏の他に、箏が入っていたのが新内には珍しく、演奏は古川太郎でした。セリフの部分は、お雪が初代水谷八重子、濹東綺譚の主人公の男性(荷風自身と言っていいでしょう)が花柳章太郎でした。原作通り、「私が借金を返しちまったら、お上さんにしてくれない?」とお雪に言われ、「おれみたいなもの仕様がないじゃないか。お雪を幸せにするのは自分ではない。」とやんわり断った後、お雪が病気になった事が耳に入り、玉の井通いをすることもなくなります。その後どうなったか分からないまま終わっていて、儚く切ない幕切れです。因みに、92年の新藤兼人監督の映画「濹東綺譚」では、お雪と荷風は戦後離れ離れになり、偶然荷風とすれ違っても年を取った彼に気づかず、荷風が亡くなる時もお雪はまだ存命だったようです。
この盤を手に入れたのは96年で、直接文弥さんの谷中のお宅に伺って購入しました。奥さんの宮染さんが応対して下さいました。文弥さんは1895年生まれ1996年に亡くなっていますので、伺ったのは101歳で亡くなるわずか数カ月前でした。この盤の他に古風蘭蝶のカセットなども買いまして、確かどちらも私家版だったので一般には入手が難しかったと思います。荷風の作品も文弥さんの新内も好きだったので、当時よく聞いた盤です。
何度か番組で言ったと思いますが、98年から2005年まで、富士松鶴千代さんから新内の歌と三味線を教わりましたが、文弥さんの新内語りもテイチクからの7枚シリーズなどをよく聞きました。文弥さんが新内にする文学作品には傾向があって、荷風は確かこの曲だけですが、泉鏡花や樋口一葉、小泉八雲が原作の作品がいくつもあります。泉鏡花は近代日本の怪奇文学、浪漫主義、幻想文学の先駆的存在であり、その日本的情緒あふれる文章は、中島敦をして「日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ」と言わしめた人です。
この後おかけするのは、泉鏡花の「葛飾砂子(かつしかすなご)」から作られた「月夜の題目船」と言う曲です。テイチクのシリーズの中で、個人的に最もお気に入りの曲でした。このCDの解説にある文弥さんの解説を以下に引用します。

泉鏡花の小説「葛飾砂子」の中に、洲崎の遊廓の話、遊女の話、更に法華経日蓮信仰の老船頭の話など出て来る。それを小さくまとめてこんな短編新内曲が出来上がった。全盛の遊女が病気になって売れなくなる。あばらやでの寝たきりあけくれ、遠く老船頭の読経の声を聞きながら死んでゆく、廓のさんざめき聞こえてくる。短編ながら深刻な人生。昭和二十八年十一月初演。好きな曲です。

<4 岡本文弥・新内ぶし 第四巻 ~月夜の題目船 15分28秒>

この後は、「古風蘭蝶のカセット」のA面から、有名な部分を時間まで聞きながら今回はお別れです。新内と言えば蘭蝶と明烏が一番知られている曲ですが、どちらも全曲語れば1時間ほどの大曲です。古風蘭蝶は、現在ではほとんど歌われなくなっている漢文調の部分から始まりますが、今回は最もよく知られる四谷(~縁でこ)の部分をおかけします。声の若さから推測すると、文弥さんが60~70歳位の録音ではと思います。蘭蝶は、何年か前に私の師匠の富士松鶴千代さんのビクター盤でかけたことがありましたが、流派が違うので節回しがかなり違います。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

< 岡本文弥 / 古風蘭蝶 A面 ~14分50秒~ >

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2024年8月26日 (月)

岡本文弥さんの新内 風物詩「お雪」

ゼアミdeワールド425回目の放送、日曜夜10時にありました。28日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。「新内・岡本文弥」は、96年に谷中の文弥さんのお宅に伺って購入しました。確か私家版CDでしたから、一般には市販されてなかったと思います。風物詩「お雪」もYouTubeには見当たりませんので、大分前にテレビで見た映像を上げておきます。水曜以降は濹東綺譚で検索してみます。

至芸の時 岡本文弥(1)

今回も遊廓関連の音源ですが、演奏時間が28分余りありますので、解説は次回入れることにしまして、全曲おかけしたいと思います。おかけするのは、新内節の往年の名人、岡本文弥さんの作った風物詩「お雪」と言う曲です。永井荷風の原作を読まれた方はすぐにお分かりと思いますが、玉の井を舞台にした濹東綺譚が原作です。この曲を聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<1 新内・岡本文弥 ~風物詩「お雪」 28分25秒>

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2024年8月19日 (月)

高尾懺悔

ゼアミdeワールド424回目の放送、日曜夜10時にありました。21日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。高尾懺悔のCDは番組で書けた盤だけだったと思いますが、同じ音源はYouTubeには見当たらず、代わりに坂東玉三郎の映像で上げておきます。以下の「浅間もの」の解説の部分は、番組では時間切れのためカットしました。

夏らしく今回は怪談絡みの長唄をおかけします。曲名は高尾懺悔(高尾さんげ)と言います。「ざんげ」と書きますが、濁らず「さんげ」と読みます。演奏は、唄が芳村五郎治、三味線は杵屋栄次郎その他です。作曲は杵屋新右衛門、1744年初演の舞踊劇で、歌舞伎の演目にもなっています。
高尾とは吉原の名妓で、十一代目までありますが、この曲の高尾は、仙台の伊達侯の意に従わなかった(身請けを断った)ので、隅田川の船の中で斬り殺された二代目高尾だろうと言われています。以下解説から題材とあらすじを引用します。

「浅間もの」と言う歌舞伎舞踊の傍系に属する。「浅間もの」とは、浅間神社の開帳に因んで、浅間の煙を取り入れた芝居で、男が遊女の誓紙を焼くと、その煙の中から女の死霊または生霊が出て、恨み言を述べ、地獄の責め苦にあっているさまを見せて消えるという筋のもの。

初演の舞台では、隅田川の吉原堤のさびしい所に新しい高尾の塚があり、そこへ人々に追われた八百屋お七が逃げて来て倒れている。それを介抱しようと寺の庵室を出た道哲(どうてつ)も気を失って倒れる。
やがて、塚から高尾の亡霊が出て、お七を相手に、在りし日の勤めの辛さを歎き、四季折々の風物にかこつけて、男を恋い慕った頃の思い出を語り、今や地獄の責め苦に悩まされていることを物語る。

「鉦鼓の音も~」から始まる序の部分は三下りの三味線のしんみりした味わいがあり、続く「高尾の姿現れて」の所から大太鼓のドロドロと篠笛の「寝鳥笛」とで亡霊の出現を表しています。遊女の生活の辛さを歌いながらも、在りし日を懐かしみ、廓の四季の風情を踊る後半は、長唄の神髄が表れている名曲です。全曲を通して聴くと、怖さよりも遊女と言う存在の悲しさが痛切に感じられる曲です。それは特に「我は親同胞の為に沈みし恋の淵」の文句に集約されているでしょうか。この曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

高尾懺悔 坂東玉三郎 TakaoZange Bando Tamasaburo

<1 長唄 高尾懺悔 一ツ鐘、前弾き 3分19秒>
<2 長唄 高尾懺悔 不思議や紅葉の・・・ 9分7秒>
<3 長唄 高尾懺悔 先ず春は 4分31秒>
<4 長唄 高尾懺悔 残る暑さを 6分11秒>
<5 長唄 高尾懺悔 早時来ぬと 3分3秒>

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2024年8月12日 (月)

能登の節談説教

ゼアミdeワールド423回目の放送、日曜夜10時にありました。14日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。CDと同じYouTubeは無さそうですので、広陵兼純師の映像を2本貼っておきます。

予告しました通り、これから8月と1月は、ほぼ丸一か月純邦楽を取り上げる予定です。今後の大体の予測ですが、東欧系ユダヤが終わって、この後ヨーロッパ巡りを終えてスペインから出るまで2,3年、北アフリカからアラビア半島が1年、インド周辺に2年、東南アジアと東北アジアに2年、南北アメリカに3年、ブラック・アフリカに1,2年、オセアニアに半年とすると、その後日本の音楽に入る頃は15年後くらいになると思います。大分先になってしまいますので、せめて「盆と正月」は日本に帰ろうという考えでおります。
これまで正月は「春の海」の色々な演奏やお能の祝言の謡い、お盆時には、阿波踊り、青森のねぶた・ねぷた、岐阜県・郡上八幡の盆踊り、越中おわら風の盆などを取り上げてきましたが、今年は能登の復興を願って、また能登にはこんな古い文化が残っていたことを知って頂きたいのもありまして、「小沢昭一が訪ねた能登の節談説教」をおかけしたいと思います。小沢昭一の、放浪芸や大道芸、節談説教の膨大なシリーズの続編です。浄土真宗の僧侶である茂利宗玄と広陵兼純、両氏の音源が入っていますが、今回は広陵兼純の方を時間までおかけします。
浄土真宗興隆の地である能登の仏教講話自体が大変面白いのですが、ハナシがいつしかフシに、フシはたちまちハナシに変わる語り芸の凄さをじっくり味わってみてください。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<5 小沢昭一が訪ねた能登の節談説教 ~広陵兼純 / 説教「弥陀の誓願不思議に助けられ」 39分5秒>

節談説教

節談説教「如来ひとり共なりき」(廣陵兼純師、真宗大谷派満覚寺住職)

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2024年8月 5日 (月)

ミッキー・カッツのフレンチ・カンカン

ゼアミdeワールド422回目の放送、日曜夜10時にありました。7日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日はまずミッキー・カッツのフレンチ・カンカンから。

東欧系ユダヤ音楽の60回目になります。まだまだアシュケナジーム関係は山のように音源はありますが、いよいよ東欧系ユダヤは今回で終える予定です。今回も駆け足で色々な音源をかけますが、まず最初に「泣き笑いのクレズマー音楽」の笑いの方をクローズアップするミッキー・カッツのSimcha Timeと言う盤から、フレンチ・カン・カンを取り入れたCan Can Kazotskiと言う曲をおかけしておきます。歌とクラリネットの両方で、最高の芸達者ぶりを聞かせています。1909生まれ1985年没と言うことですから、かなり昔の人で、卑近な例になりますが私の祖父とほぼ同年齢です。同じくアメリカのコメディアンで、冗談音楽の王様と呼ばれた、スパイク・ジョーンズの楽団に在籍したこともありました。

<13 Mickey Katz and His Orchestra / Simcha Time ~Can Can Kazotski 1分57秒>

次に戦後間もない頃のクレズマー世代ながら、メンバーが長寿で晩年まで現役だったため90年代の録音も残っているエプスタイン・ブラザース・オルケストラのWergoからの2枚組Pattern Of Jewish Lifeの音源から、Chassidic Nigunimをおかけしておきます。ジャッキー・ジュスホルツで前にかけた曲(Tzave)らしき旋律も聞こえます。

<7 Pattern Of Jewish Life, Part 1 ~The Epstein Brothers / Chassidic Nigunim 5分34秒>

次は往年のユダヤ系の大ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツが得意にしていたアクロンのヘブライ・メロディと言う曲をおかけします。この曲はアクロンが子供の頃にワルシャワのシナゴーグで聞いた旋律を元に作曲されていて、後半はユダヤ旋法の非常に速く細かい音型のカデンツァに移っていきます。イツァーク・パールマンも「In the Fiddler`s House」のビデオでこの曲を弾いていました。

<7 Shalom: Music Of The Jewish People ~Jascha Heifetz Hebrew Melody 4分55秒>

東欧系ユダヤの最後は、カントールの音源を幾つかおかけしたいと思います。東欧系ユダヤの初回は「ブダペスト ドハーニ街シナゴーグの典礼」でしたから、カントールに始まりカントールに終わることになります。ヴェルゴから出ていたオスマン帝国の名カントール、イサーク・アルガズィも入れようかと思いましたが、この人はセファルディー系カントールですので、またスペインに回ってきたら取り上げたいと思います。
まずはドハーニ街の盤のすぐ後くらいに聞いた「ジャン・ピアース/カントールの芸術」と言う米Vanguard盤から、冒頭のVli Yerusholayim Irchoをおかけします。アシュケナージ系らしくヘブライ語のイディッシュ訛が強い歌は勿論のこと、弦楽器の鳴らし方に、いかにもユダヤ的な響きがあります。ジャン・ピアースは往年のアメリカのカントール兼テノール歌手でした。90年頃に出ていたカントール関係の音源は、他にリチャード・タッカーのものが何枚かありましたが、二人ともオペラの名歌手でもありました。

<1 Jan Peerce / The Art of the Cantor ~Vli Yerusholayim Ircho 5分15秒>

90年頃に勤めていた六本木ウェイブのクラシックのオペラコーナーで偶然見つけた英Pearlからのヒストリカル音源数枚も、その頃に聞いたカントール関係の音源ですが、その中の一枚「ハザニーム・ヴェ・ハザヌート」から、輝かしいボーイ・ソプラノの歌を聞かせるモーゼス・ミルスキーの歌唱でHashkiveinuをおかけします。このシリーズのカントールの多くはホロコーストの犠牲になっていて、モーゼス・ミルスキーも1945年に亡くなっています。

<13 Chazanim & Chazanut(Cantors & Cantorials) ~Moses Mirsky / Hashkiveinu 3分12秒>

では最後に、仏Inedit から出ている「ハザヌート~ユダヤの典礼歌」からアシュケナージ系カントールの歌を時間まで聞きながら今回はお別れです。この盤には、ウズベクのブハラ、モロッコ、エルサレムのスファラディー、サマリア人、アシュケナージ、イラクの各ユダヤ・コミュニティーの音源が収録されています。世界中のユダヤ・コミュニティーの典礼歌を集め、イネディらしくヘブライ原文まで載った先駆的な名盤でした。アシュケナージ系の祈祷歌は、ありがちなクラシックなアレンジが施されたりしているものではなく、実際にシナゴーグで毎週歌われているような無伴奏で小節を利かせた「泣き」の詠唱で実に素晴らしいです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<10 Hazanout  ~Shalom Rakovski / Hazanout askénaze: Ana Aavda Dkudcha en araméen 4分15秒>

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2024年7月29日 (月)

ソロモン・ミホエルスの歌声

ゼアミdeワールド421回目の放送、日曜夜10時にありました。31日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日はソロモン・ミホエルスの音源のみ上げております。

東欧系ユダヤ音楽の59回目になります。東欧系ユダヤは後2回で終える予定で、最後は駆け足で色々な音源をかけると思います。その後はスロヴァキアですが、「大人の部室」でも話した通り、今後8月と1月は、ほぼ丸一か月純邦楽を取り上げたいと思います。
前回タリラとベン・ジメットの音源を取り上げましたが、2枚組の2枚目を忘れてスタジオに行ったのと、音飛びがあったり、収録中にデータでも呼び出せなかったので、最後にかける予定だった曲をかけられませんでした。その曲からおかけします。前回代わりにかけた曲は、ゼアミブログに上げております。
イディッシュ・ソングの歌手タリラとベン・ジメットが共演した2枚組「イディッシュ・カフェ」から、ハシディック・スピリットみなぎる2枚目ラストのYambababamと、ヘブライ語の歌ですがエステル・オファリームがよく歌っていたShirat Hanoded(さすらい人の歌)をおかけします。

<2-12 Talila, Ben Zime Et Eddy Schaff / Yiddish Café ~Yambababam 5分44秒>
<1-13 Talila, Ben Zime Et Eddy Schaff / Yiddish Café ~Shirat Hanoded 4分5秒>

サラ・ゴルビーは、ユダヤの歌、ロシアとロマのロマンス、フランスとソビエトの作曲家の作品の歌唱で知られるフランスの歌手でした。1900年にモルドヴァのキシニョフに生まれ、1980年にパリで亡くなっています。レコーディングキャリアは1940年代から1970年代に及ぶベテラン歌手です。Arionから出ていた「ゲットーの忘れられない歌」から、これまで何度かかけたモルデカイ・ゲビルティグのZog nit keynmol (Ne dit jamais)をおかけします。

<4 Sarah Gorby / Les inoubliables chants du Ghetto ~Zog nit keynmol 2分17秒>

次は、女性二人組のイディッシュの歌手バリー・シスターズのSingと言う盤から、前にクレズマー・コンサーヴァトリー・バンドでかけたAbi Gezuntをおかけします。イディッシュ版ザ・ピーナッツのようだと昔から形容してきました。

<8 The Barry Sisters / Sing ~Abi Gezunt 2分37秒>

ソ連時代のイディッシュ音楽を集めた「シャローム・コムラード」を取り上げた際に、ソロモン・ミホエルスの音源を入れた方が良いという声がありましたので、今回入れておきます。ミホエルスはシャガールの同時代人で、当時のイディッシュ文化の世界で最重要人物だったと言う人です。シャガールの絵から抜け出てきたような芝居を見せた名優の貴重な歌声です。彼はスターリン時代の1948年に、暗殺されて57歳で亡くなっています。

<24 Shalom Comrade! (Yiddish Music in the Soviet Union 1928 - 1961) Solomon Mikhoels / Nit Shimele/Nign on verter 3分7秒>

前にブラッチやドニ・キュニオを取り上げた際に、ブラッチのリーダーでヴァイオリニストのブルーノ・ジラールと、素晴らしいピアノを聞かせるドニ・キュニオが共演した盤をいつかかけたいと思っていました。ユニット名のYATとはYiddish Atomospheric Touch(イディッシュ・アトモスフェリック・タッチ)の略だそうです。ブルーノ・ジラールは2010年のこの盤では、クレズマティクスの演奏が耳に残る「エルシュター・ワルツ」やドナ・ドナなどで、渋い泣きの歌声をたっぷり聞かせます。今回はErshter valsとDer Alef-Beyz (Oyfn Pripetshik)の2曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<6 Bruno Girard & Denis Cuniot / Yat : Mir Geyen ~Ershter vals 3分23秒>
<9 Bruno Girard & Denis Cuniot / Yat : Mir Geyen ~Der Alef-Beyz (Oyfn Pripetshik) 5分20秒>

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2024年7月22日 (月)

タリラとベン・ジメット

ゼアミdeワールド420回目の放送、日曜夜10時にありました。24日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。2枚組「イディッシュ・カフェ」ですが、諸般の事情で下記の曲に変更しました。ヤムバババムは来週かけます。パピロシュンは番組でかけたシャン・デュ・モンド盤ではなく、2010年のMon Yiddish Blues収録の歌唱だと思います。

東欧系ユダヤ音楽の58回目になります。今回はタリラとベン・ジメットの音源を取り上げます。ユダヤの音楽に関心を持った90年頃、最初に聞いた何枚かは彼らの盤でした。当時は本当に彼らの盤が多かったです。
女性歌手のタリラはイディッシュ語の歌手およびフランスの女優であり、第二次世界大戦後1946年にフランスでポーランド系ユダヤ人の両親のもとに生まれています。歌手としては、洗練された美しい歌声を聞かせる人で、私はユダヤ版ミルヴァのようなイメージでずっと見ていました。
プロフィールを見ていて気になったのが、Naïveから出たレコードブック『Mon Yiddish Blues』のプロデュースと編曲は、元マグマのマルチ楽器奏者テディ・ラスリーが担当していて、ジャズ、ハシディズム音楽だけでなく、ルンバやブロードウェイミュージカルも統合したものになっているという点がありました。 「イディッシュ音楽はジャンルを混ぜ合わせる芸術です」とタリラは語っていたそうです。では彼女の音源から2曲おかけします。

<1 Talila & Ensemble de Kol Aviv / Chants Yddish ~Lomir zich iberbeten 2分28秒>

<13 Talila / Papirossn ~Papirossn 4分11秒>

男性歌手のベン・ジメットは、イディッシュ語の歌手兼ストーリーテラーであり、カナダ国籍で、1935年生まれでドイツとポーランドのユダヤ人の祖先を持ち、主にフランスに住んでいるようです。
有名なカフェ劇場「ラ・ヴィエイユ・グリル」の演出家モーリス・アレズラに後押しされ、1973年に当時誰も話題にしていなかったイディッシュ語の歌に着手し、パリの数多くの劇場で『イディシュランドの歌と物語』を上演しています。1982 年には、パリのポンピドゥー・センターで第一回イディッシュ文化フェスティバルを創設。そして1984年にはイディッシュ語話者であるレイチェル・サリクの指揮のもと、ポンピドゥー・センターで満員の観衆を前に10日間上演されたミュージカル・シアター・ショー、イディッシュ・キャバレーを創設しています。ベン・ジメットはソロ、あるいは歌手タリラとともに、イディッシュ語の歌や音楽を約15枚のディスクに録音。ピーター・ブルック監督によるグルジェフの伝記映画『注目すべき人々との出会い』や、ジプシー、アラブ、ユダヤ音楽に敬意を表したトニー・ガトリフ監督の『Swing』など、いくつかの映画に出演しています。では彼の音源から2曲おかけします。Lomir Zich Iberbetnは、タリラとの聞き比べになります。

<1 Ben Zimet / Chants Yiddish ~Lomir Zich Iberbetn 3分2秒>
<1-2 Ben Zimet / Aux sources du Klezmer ~Dona dona 4分2秒>

この後は、タリラとベン・ジメットが共演したおそらく2000年リリースの2枚組「イディッシュ・カフェ」から、ハシディック・スピリットがみなぎる1枚目の2曲目Nye plotsh Mamaと、2枚目ラストのYambababamをおかけします。それぞれの音源しか、それまでは聞いたことがなかったので、二人のデュエットの素晴らしさに大変驚いたCDです。もし時間が余れば、モルデカイ・ゲビルティグのMoyshele mayn frayndと、ヘブライ語の歌ですがエステル・オファリームがよく歌っていたShirat Hanodedまでおかけします。番組ではかけられなくても、ゼアミブログでは取り上げる予定です。これらの曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<1-2 Talila, Ben Zime Et Eddy Schaff / Yiddish Café ~Nye plotsh Mama 2分3秒>
<2-2 Talila, Ben Zime Et Eddy Schaff / Yiddish Café ~Moyshele mayn fraynd 5分23秒>
<1-5 Talila, Ben Zime Et Eddy Schaff / Yiddish Café ~Mazl 3分8秒>

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2024年7月15日 (月)

クリシェヴィチ / 地獄の底から生まれた歌

ゼアミdeワールド419回目の放送、日曜夜10時にありました。17日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は最初の2曲です。Die Moorsoldatenについては、また後日。

東欧系ユダヤ音楽の57回目になります。今回はタリラとベン・ジメットを予定しておりましたが、その前にどこに入れようかと思っている内に半分忘れていたAleksander Tytus Kulisiewicz / Songs from the Depths of Hell(アレクサンドル・クリシェヴィチ / 地獄の底から生まれた歌)からおかけしておきたいと思います。この音源はCDは持っていませんが、故・阪井葉子さんの著書「戦後ドイツに響くユダヤの歌 イディッシュ民謡復興」で知って以来、どこかで必ず入れようと思っていた録音です。(今回は夏風邪で余り解説を入れられないので、出来るだけ長くかけたいと思います。解説はゼアミブログの方で出来ればと思います。)
クリシエヴィチは風刺を効かせた歌を得意とするポーランド人歌手ですが、政治風刺の歌で目を付けられて、政治犯としてナチスに捉えられ、ザクセンハウゼン収容所に収監されていた人です。地獄の状況を何とか生き延びて、周りで死んでいったユダヤ人の囚人たちの声を伝えねばと言うことで、戦後も歌い続けた人の音源です。その余りの重さに、ラジオでかけていいものか大変迷いましたが、今回一回かけたいと思います。

まずは9曲目のヒムと題されている曲ですが、これはよく知られたメロディで、日本の女性歌手Phewも歌っていたDie Moorsoldaten(ディー・モールゾルダーテン)と同じ旋律です。「泥濘(ぬかるみ)の兵士」と訳せるこの曲は、ベルガーモール強制収容所の囚人によって 1933年に書かれた歌で、作曲家ハンス・アイスラーをして「この歌こそ国際労働者階級の運動の中で最も美しい革命歌だと思う」と言わしめたそうです。収容所間の囚人の移送にともなって各地に広まり、ドイツ国内での反ファシズム抵抗運動を証すものとして欧米中に歌いつがれた歌で、日本では竹田賢一が最初に歌ったのではと思います。竹田賢一のグループ、A-Musikとの共演があったフューは、竹田さんから教わったのではと推測されます。
この曲に続いて、最もヘビーな2曲目のJuedischer Todessang (Jewish Deathsong ユダヤの死の歌)の2曲を続けます。「ユダヤの死の歌」は、同じザクセンハウゼン収容所で1943年に亡くなったユダヤ人音楽家マルティン・ローゼンベルク作で、彼は収容所内で合唱隊を指揮していた人ですが、これまでに何度かかけたイディッシュ民謡「ツェン・ブリダー(10人の兄弟)」の歌詞を改変し合唱曲に編曲し、クリシエヴィチに「遺言」として託したそうです。10人いた兄弟が次々死んで行き、最後の一人も餓死寸前になるという、ホロコーストの悲劇を浮き彫りにした歌詞になっているようです。

<9 Hymn 3分15秒>

<2 Juedischer Todessang (Jewish Deathsong) 5分28秒>

強制労働の中で生き残ることが出来なかった収容者が作った歌を記憶して「遺品」として持ち帰り、この盤に収録していますが、クリシエヴィチはザクセンハウゼン収容所の囚人服を着て舞台に上がり、「命あるうちは、死んでいった仲間たちの歌をうたい続けない限り、おれに安らぎは訪れない」と前置きして、薬物実験で潰されたしゃがれ声でこれらの曲を歌う姿は戦慄的だったそうです。
この後は2曲目と9曲目を外して、1曲目の「地獄の底からの合唱」、8曲目の「死のタンゴ」、12曲目の「ザクセンハウゼンの森で」、13曲目の「我がベルゲン・ベルゼン(収容所)」、14曲目の「ハイル、ザイクセンハウゼン」の順におかけして、残りは3曲目「Kolysanka Dla Synka W Krematorium (Lullaby for My Little Son In the Crematorium)」からかけてない曲を続けます。後半は曲名で気になりましたが、特にベルゲン・ベルゼン(収容所)は、「アンネの日記」のアンネ・フランクが亡くなった強制収容所です。これらの曲を時間まで聞きながら今回はお別れです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<1 Choral Z Piekla Dna (Choral from the Depths of Hell 1分52秒>
<8 Das Todestango (The Death Tango) 1分29秒>
<12 Im Walde von Sachsenhausen (In the Forest of Sachsenhausen) 1分16秒>
<13 Bergen-Belsen Moje (Bergen-Belsen Mine) 1分55秒>
<14 Heil, Sachsenhausen 2分15秒>
<3 Kolysanka Dla Synka W Krematorium (Lullaby for My Little Son In the Crematorium) 4分29秒>

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2024年7月 1日 (月)

セオドア・ビケル or セオドア・バイケル

ゼアミdeワールド417回目の放送、日曜夜10時にありました。3日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は2曲目までです。

東欧系ユダヤ音楽の55回目になります。今回はオーストリア生まれで主にアメリカで活躍した俳優兼歌手のセオドア・ビケルの音源を取り上げます。前回のペーター・ローラントにも影響を与えた人で、1924年生まれで2015年に亡くなっています。彼はイディッシュ語、ヘブライ語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、ルーマニア語、フランス語、中世スペイン語、南アフリカのズールー語、英語など、何と21の言語で歌うことができたそうです。
セオドア・ビケルは、1959年にニューポート・フォーク・フェスティバルを、ピート・シーガー、ハロルド・レヴェンサル、オスカー・ブランド、ジョージ・ウェインと共同で設立し、その象徴的なエピソードとして、1963年に彼はボブ・ディラン、ピート・シーガー、ピーター・ポール&マリー、ジョーン・バエズと共にフェスティバルのグランドフィナーレに出演し、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌っています。
この人の名前の読みですが、イディッシュ語的には「ビケル」だろうとは思いましたが、91年頃に勤務していた池袋のアール・ヴィヴァンに俳優兼歌手の上條恒彦さんがいらっしゃって「バイケル」と英語風に呼ばれていたので、それ以降はセオドア・バイケルと読み慣らしてきました。森繁さんの後で「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエを演じられた上條さんですから、ユダヤの音楽にお詳しい様子でした。「お兄さん、お若いのにセオドア・バイケルなんて知ってるの?」と言いたげなような表情でした(笑) 今回のエレクトラ盤をお求めだったように記憶しています。ですので、ビケルと読むのは今でも少々抵抗がありますが、一般にはその表記が多いようですので、これ以降はビケルとしておきます。
俳優としては、セサミ・ストリートへの出演の情報もありましたが、映画やTVドラマでは『スパイ大作戦』、『チャーリーズ・エンジェル』、『スタートレック』、「刑事コロンボ」、「マイ・フェア・レディ」などに出られています。「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ブロードウェイで1969年からテヴィエを2000回以上演じたそうですが、何故か Fiddler on the Roofのウィキペディアには載っていませんでした。
イディッシュ・ソングではイディッシュ語の本場の発音を聞かせ、イスラエルのヘブライ語の歌や、ロシアのロシア語のロシア民謡やジプシー・ロマンスの音源も何枚も出ています。91年頃から手元にあるのはTheodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songsですので、この盤中心におかけしていきます。

まずはいかにもクレズマーらしい1曲目の「結婚式の踊り」と、ベツニ・ナンモ・クレズマーの1枚目で巻上公一さんが歌っていたドイナが2曲目にありますので、この2曲からおかけします。巻上さんとベツニ・ナンモ・クレズマーはこの音源をカバーしたようです。

<1 Theodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songs ~A Chasene Tants 2分23秒>

<2 Theodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songs ~Doina 3分6秒>

次にツプフガイゲンハンゼルなどの歌唱を取り上げたDi grine kusineと、前にジョン・ゾーン・マサダの曲との類似を指摘したDire-gelt、シャベス・シャベスと歌っているシャバトの歌の3曲を続けておかけします。イディッシュ語では安息日シャバトはシャベスと発音します。最初の2曲は、これまでかけた音源のいずれも、このセオドア・ビケル版を元にしているようです。

<4 Theodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songs ~Di grine kusine 2分14秒>
<6 Theodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songs ~Dire-gelt 2分5秒>
<12 Theodore Bikel Sings Yiddish Theatre & Folk Songs ~Shabes Shabes 2分50秒>

先程の盤は1965年リリースのようですが、1958年リリースのSings Jewish Folk Songsからは、ユダヤ音階が特徴的なシャ・シュティルと、フライエ・ホルテ・アルカロンドやペーター・ローラントが歌っていたAchtsik Er Un Zibetski ZiとDi Mame Iz Gegangenの3曲を続けます。後の2曲は、セオドア・ビケルの歌唱がやはりオリジナルで、後続の歌い手はこれを模倣したのだろうと思います。イディッシュ名曲のMargaritkelechやLomir Zich Iberbeten、Tumbalalaykaなどもありますが、時間の都合で今回は省きます。

<3 Theodore Bikel Sings Jewish Folk Songs ~Sha Shtil 1分41秒>
<8 Theodore Bikel Sings Jewish Folk Songs ~Achtsik Er Un Zibetski Zi 4分16秒から1分>
<9 Theodore Bikel Sings Jewish Folk Songs ~Di Mame Iz Gegangen 1分6秒>

最後にロシア語とヘブライ語の歌も1曲ずつかけておきます。いずれも私の個人的な愛好曲ですが。ロシア語の方は1960年リリースのSongs of Russia Old & New / Russian Gypsyから、大変に美しい19世紀のロシアのロマンスGari Gari Maya Zvyezda (Twinkle, Twinkle, My Star)、ヘブライ語の方は1958年リリースのSings Songs of IsraelからShech Abrekです。Shech Abrekは、イスラエルの有名なフォーク・デュオDudaimの70年代に出ていた国内盤LPの冒頭を飾っていた曲です。時間が余りましたら、ロシア語の方ですが、Katiushaをおかけします。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<5 Theodore Bikel Songs of Russia Old & New / Russian Gypsy ~Gari Gari Maya Zvyezda 2分11秒>
<8 Theodore Bikel Sings Songs of Israel ~Shech Abrek  2分29秒>

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2024年6月24日 (月)

Peter Rohland / Jiddische Lieder

ゼアミdeワールド416回目の放送、日曜夜10時にありました。26日20時半に再放送があります。宜しければ是非お聞き下さい。今日は最初のお馴染みの3曲からどうぞ。

東欧系ユダヤ音楽の54回目になります。今回はドイツのレーベルThorofonからLPの出ていたペーター・ローラントの音源、Peter Rohland / Jiddische Liederを取り上げます。前回同じトロフォンからLPが出ていた女性5人組のフライエ・ホルテ・アルカロンデの盤Freie Horte Alqualonde / Lomir sich iberbetn - Wir wollen uns versöhnenをおかけしましたが、彼女らが強く影響を受けていた歌い手の一人がペーター・ローラントでした。LPで出たのが1966年で再発が1977年のようです。長らくLPのみと思っていたら、91年にCD化もされていました。以下ドイツ語版のウィキペディアと故・阪井葉子氏の「戦後ドイツに響くユダヤの歌 イディッシュ民謡復興」を元にプロフィールをご紹介します。
ペーター・ローラントはドイツの歌手、ソングライター、民謡研究者で、1933年ベルリン生まれですが、この盤の出た1966年に33歳の若さで亡くなっています。1956年以降はベルリン自由大学で音楽学を学び、ヴォルフガング・シュタイニッツの作品に多大な影響を受けた彼は、浮浪者の歌や1848年の革命、イディッシュ語や外国の歌などを研究。1956年から民謡やシャンソン歌手としてソロギターで演奏しました。1960年に彼は学業を中退し、フリーの歌手としてフルタイムで演奏するのと同時にバス・バリトンの歌唱訓練も受けたそうです。
彼はセオドア・ビケルのイディッシュ・ソングのレコードに影響を受けて、ローラントはイディッシュ語歌番組「Der Rebbe sings」を作成し、1963年にベルリンのギャラリー・ディオゲネスで小規模のアンサンブルとともに初演しています。この曲は学生や学術界だけでなく、ドイツに住むユダヤ人コミュニティでも好評を博し、ツアー中に50回以上上演されました。この歌番組は、青少年ラジオのために録音されましたが、LPを制作する意欲のあるレコード会社はなかったそうです。「曲の信頼性についての明らかな懸念」があったとのことです。
ローラントは、フンスリュックのヴァルデック城で開催されたシャンソン・フォークロア国際フェスティバルでのパフォーマンス(1964/1965年)を通じて知られるようになりました。このフェスティバルは、ハインとオス・クレーハーやその友人らとともに始めました。ディーハルト・ケルブスとともに、「国際シャンソン民俗学 - 若いヨーロッパ人が歌う」というモットーの下で最初のフェスティバルが開催されました。ローラントはフェスティバル運営のメンバーでした。 1966年の春、彼はヴァルデック城のシュヴァーベンハウスに自分の「民族音楽とシャンソンのためのスタジオ」を設立する計画を思いつきましたが、急性脳出血のためわずか33歳で亡くなりました。

全24曲中、特に有名な8曲を選んでみましたが、まずは、Un As Der Rebbe Alimelech、Un As Der Rebbe Singt、Tzen Bridder(10人の兄弟)の3曲を続けておかけします。いずれもこれまでに他の歌手で取り上げた曲です。

<1 Un As Der Rebbe Alimelech 3分36秒>

<11 Un As Der Rebbe Singt 2分53秒>

<13 Tzen Bridder 3分47秒>

彼の評価についての記載ですが、以下のようにありました。
ハインツ・シーボルト:「ヴァルター・モスマンからヴォルフ・ビーアマンに至るまでの他の吟遊詩人たちは彼からインスピレーションを受け、数年後、ヴィルからヴァッカースドルフ、ボンからムートランゲンに至る新たな運動の中で、ドイツ語におけるシャンソンと民間伝承のルネサンスが確実に起こるようにした。そのアイデンティティ形成効果が明らかになった。」
前回フライエ・ホルテ・アルカロンドでおかけした2曲TumbalalalaikaとBaj Majn Rebben Is Gewenも入っていますので、続けておかけします。この2曲では女性歌手Gesine Köhlerも入っていますが、声がそっくりに聞こえるので、もしかしたらフライエ・ホルテ・アルカロンドのメンバーかも知れません。この頃20代だったとしたら、20年後に出たフライエ・ホルテ・アルカロンドでは40代ですから、ありえるかもと思いました。

<15 Tumbalalalaika 1分54秒>
<19 Baj Majn Rebben Is Gewen 1分55秒>

2006年には、ペーター・ローラント財団が設立されています。その主な目的は、「ペーター・ローラントの芸術的遺産をより幅広い人々に提示し、歌、歌唱、音楽制作を促進すること」にありました。この財団はペーター・ローラント展を主催しており、この展覧会は2007年の聖霊降臨祭のヴァルデック城で行われた国際歌謡祭で初めて披露され、その後2012年にドイツの歴史における自由運動の記念碑であるラシュタット城を含め、全国の他の場所でも展示されているそうです。音楽編集者のヘルムート・ケーニッヒの指導の下、ペーター・ローラントの歌集が「ピッターズ歌曲」というタイトルで出版もされました。

大分前にツプフガイゲンハンゼルでかけましたが、少女パルチザンの活躍を歌ったヒルシュ・グリック作の極めて美しい曲Shtil, Die Nacht Ist Ojgeshternt(静かに、夜には星が散りばめられ)と、モルデカイ・ゲビルティグ作のシュテトル焼き討ちを歌ったs Brent(燃えている)もありますので、続けておかけします。ホロコーストを主題にしたイディッシュ名曲のこの2曲が、アルバムのラストを飾っています。Hirsch Glickは、パルティザン活動の末にナチスに捉えられ亡くなった詩人で、何度かかけたSog nischt kejnmolも彼の作った曲です。

<23 Shtil, Die Nacht Ist Ojgeshternt 2分10秒>
<24 s Brent, Bridderlech, 's Brent 2分32秒>

ペーター・ローラント歌唱コンクールと言う催しもあるそうですが、これは歌手であり初期のヴァルデック城フェスティバルの共同発起人であったローラントにちなんで名付けられています。楽器として認められるのは、電源接続のないポータブル楽器のみとのことです。このイベントは、2000年以来、若者の旅行グループ、個人の歌唱、アンサンブル、歌唱サークルの分野でヴァルデック城で毎年開催されていて、最も優れた自作の政治ソングには、さらに特別賞が授与されるそうです。

それでは最後に18曲目のLo Mir Ale Singenを時間まで聞きながら今回はお別れです。この明るい曲もよく知られたイディッシュ・ソングです。

ゼアミdeワールド お相手は、ほまーゆんでした。有難うございました。ではまた来週

<18 Lo Mir Ale Singen 4分53秒>

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